森男の活動報告綴

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写真フォルダのお蔵出し

2019年10月19日 | 雑記
相変わらず忙しい状態が続いていまして、当ブログのネタが仕込めない日々が続いております。しかし「ブログの更新はしたい!しなければ!」とは思っているのです(2週に1回の更新はしようと決めているのです。誰にも頼まれてないけど)。しかし、手元にネタはない、、。「困ったニャー」と、前回のように過去の写真フォルダになんかないかしら、と漁ってたら、なんだかんだで出てきました。

SNSで使い捨て的に使ったものが大半ですが、今見返すと「使い捨てるのはちょっともったいないなあ」と思わなくは無い写真がちょこちょこありました。なので今回はお蔵出し的に紹介したいと思います。もちろん、過去のエントリーで使ったものもあるかもしれません。結構長くブログをやってるので、覚えてないんですよね、、。その点はあらかじめご了承下さい。

で、トップの写真は私の部屋の一部です。我ながらかなりヒドイなあ、と(笑)。でも客観的に見るとおもしろいかな?と思わなくもないので続けます。こっちはモデルガンとかの部品の棚。モデルガンはほとんどが分解して再仕上げ中というジャンク的な状態です。でもこれはこれでいいかな?と(?)
暇な方はどれが何とか推察してみて下さい(笑)

こっちはガラクタの棚。こっちもムチャクチャです。
「ガラクタ教」の神棚(そんな宗教はない)って感じですね。

こっちは書き物机。ここで絵を描いてます。好きな絵とか写真、物とかを周りに置いておくと、なんかホッとしますね。
トレース台を買うのがもったいないので(笑)ガラス板の下にデスクライトを入れて無理やりトレース台にしてます。ガラス板はリサイクルショップで300円でした。安く上がったのでよかったんですが、夏は暑くてツライですね(笑)

こうやってモノだらけになってるので、弊害もあります。冬、ストーブがあまりきかないので「?」と思ってたら、M24手榴弾の柄が引き戸に挟まっていつも隙間が開いてたという。「お前か!」と。

モデルガンの写真も多いですねえ、、。これは下に布を敷いたりして一生懸命撮ってますが、撮影目的は忘却の彼方。「ベルグマンから派生してこうなったんだなー」とか書こうとしてそのままになったような、、。
しかし、構造的にはPPsh、一〇〇式ともどもかなり変わってますね。両設計者の「独創性へのこだわり」のようなものが垣間見えて、凄いなあと思います。特に一〇〇式は「ベルグマンのコピー」的なことが言われ続けてますので、そのへんの差異についてはまたきちんと書きたいですね、ほんと。

マルシンの92SB。これも再仕上げ中でほったらかしてます。「また発火させたいなあ」的な感じで撮ったのかな?
92Fはあまりピンとこないんですけど、92SBはなんか好きですね。ちょっとしか違わないのに、不思議です。でも銃ってそういう感じですよね。チューリップのM16は好きだけど、A1はちょっと、、とか(笑)。

これはMGCのガバメント。ヤフオクで安価で新品を落札できて嬉しかったから撮ったような記憶が。
以前同じのを持ってたんですけど、ガタガタになってて、ジャンクで売ってしまったんですね。でもいろいろ思い出があったので後悔しました。なので新品で手に入ってとても嬉しかったんですね。

レプリカのホルスター群。そうです、全部レプリカです(笑)。
軍装品には興味はありますが、あまり欲しいとは思わないんですね。でもなぜかホルスターだけは欲しくてちょこちょこ買い集めていました。まあ、今はそっちにまわす予算もないんで(笑)全然買ってないんですけど。個別に撮ってる写真もあったので、また独立したエントリーで書いてみたいなと思います。ホルスターって面白いです、ほんと。

次は模型です。作りかけで放置したり壊れたりの車両群。もう5年とか10年のスパンでほったらかしです。あーあ、、。
でも、菱形戦車の上の九七式軽装甲車は、最近残骸ジオラマとして再生(?)しました。他の車両も「いつかは、、」と思ってます。いやほんと。

グンゼのハイテックのトーハツランペット。これは一旦完成したのをまた再仕上げしようとして放置中。こんなのばっかです。
うーん、これもきちんと再生したいんですが、、。

これは「油彩で木目を描いたらなんかイイ感じにできました」という写真。油彩、特にバーントアンバーに出会ってから、模型の塗装法がかなり変わりました。今ではバーントアンバー無しでは模型は作れません(笑)

こちらは「模型で遊ぼう!」コーナー。チーフテンMk11とチハとの対比。
チーフテンの砲身の長さがほとんどチハの車体並みという、、。私はWWⅡがメインですが、ときどき現用戦車も作ります。なので、その格差の凄さに頭がクラクラしますね。当たり前なんですけど。こういう比較が簡単に出来るのも
模型のいいところですよね。でも、模型雑誌などでチーフテンとチハが並んだ写真が載るということはまあありません(当たり前だ)。なので、こういうのをいざ実際にやってみるとほんと面白いんですよね。

こちらは零戦とコルセアの比較。コルセアが日の丸なのはご愛嬌(笑)。それにしても、同じ時期の戦闘機でこんなに違うの!?とビックリします。
っていうか、零戦でコルセアを撃墜してたのって、メチャクチャ凄いことだったんじゃないかと、、、。

これはファインモールドの64式小銃を試し塗りしたときの写真。先に作ったジオラマに置いてみました。
「64には琺瑯看板がよく似合う、、」。何度でも書きますが、ファインの64は最高傑作です。はっきり言って。

カーチスシュライクのキット。A8、A12ともどもキッチリ買いましたが、これまた作れないまま、、。
ぐずぐずしてたら、ウィングナットが32で出すかもよ!出して!(笑)。いやほんと、ウィングナットが大戦間の米軍機を出してくれたらたまらんのですけどね、、。でもまあ、エアフィックスが48で出すとかでも全然いいんすけどね。こっちとしては、どっちでもOKかな(マニアって嫌だなあ、、)。

こちらは、昭和な自販機。もちろん死んでます。けど、こういうのってまあほとんど見かけないのでたまらんかったですね。自販機の類はすぐ撤去されてしまいますので、昔のは目にすることがほぼありません。
これは、ちょっとオシャレなお店のオブジェ的に置かれてました。今はもう無いかも、、。

それにしても懐かしい、、。私が物心ついたときは、ジュースは90円から100円になるくらいでした。初期の「ドクタースランプ」で、なんかの動物キャラが自販機で80円のジュースを買おうとするコマがあって「へー。80円のころもあったのか」と思った記憶が。まあ、そういう年代なんですね。どーでもいいですが。
こういうの、公的にそういう施設を設けて、きちんと可動状態で保存してほしいと思うんですけど、まだちょっと無理かなあ、、。でもそういう機運が生まれたときには手遅れなんですよねえ、、。

とまあ、暗くなっても仕方がないので、明るくいきましょう。子ヤギちゃんです。もー、たまらんですね。何かのお店で飼ってるって聞いて、飛んで行きました。目の澄んだ感じが、なんかね、もうね、、、。

もちろん、猫ちゃんもちゃんと撮ってます。たまたま、ですがこれはイイ感じに撮れたんじゃないかと。
野良猫はやっぱりかなりシビアに生きているので、その「生き様」みたいなものがチラッと見えると「ゾクッ」としますね。野良猫って「可愛い」だけじゃないんですよね、、。

この三毛ちゃんも素敵です。上の写真もそうですが、撮影者の手腕というよりも、被写体の良さに依存しているところが大きいです、ほんと。
なんちゅうか、けなげな感じがたまらんです、、、。

というわけでお終いです。前回に続いて、なんか間に合わせ的なエントリーで申し訳ないんですけど、ご容赦下さい。でもまあそういうこともあるさ!ということで(笑)。っていうか、私のブログにおいて「『間に合わせ的じゃない回』と『間に合わせ的な回』の違いが果たしてどれくらいあるのか?」という根本的な疑問が芽生えてこないこともないわけで、、(何だこの文章)。

まあ、基本的なスタンスとしては「おっ、またこいつバカ書いてるな」と通勤通学休憩中就寝前などなどの暇つぶしになってくれれば嬉しいな、という感じでやってますので、今後ともよろしくお願いします。

最後は、本棚の整理中の写真。これもムチャクチャ。
私の頭の中が何で構成されてるのか、大体わかりますねえ、、、。いやほんと、私の脳内は多分、ほぼ、おおむね、こんな感じっす、、。

というわけでまた。忙しさもとりあえず一段落したので、次はもうちょっと中身のあるエントリーにできるかな?できるかも?できればいいな?(もうええか)と思ってます。

それでは。

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1/12  スクラッチフィギュア 「Machinegun Girl and Beautiful Flag -Tokyo 1946-」(番外編)

2019年10月05日 | AFVの模型
先日、写真を探してフォルダを漁っていたら、以前スクラッチしたフィギュア作品のフォルダが出てきました。何の目的で撮ったのか記憶がなくて「?」なのですが、以前エントリーで紹介したのとは色合いが違ってて(多分背景の布の色のせい)、「このままほっとくのはもったいないなあ」と思ったので紹介します。って言うとそれっぽいんですけど、でも、まあ、今ちょっと忙しくてネタが準備できてない、というのもあるんですが(本音を書くな!)

これは2013年ごろに製作したもので、エポパテのフルスクラッチです。製作過程などを書いたエントリーのアドレスは最後に貼ってるのでそちらを参照にして下さい。でも、簡単に解説します。重複するばかりもなんなので、あとで知ったこと、分かったこととかも書いてみますね。

フルスクラッチですが、足元の薬莢だけは、1/35の真鍮製20ミリ機関砲弾のを流用してます。十一年式軽機は口径6.5ミリ。なので20÷35×12=6・85という、奇跡的な一致なんですねえ、、。錆びたトタンの隣の燃えた木片は、マッチの軸です。こういうのって、ほんとに燃やしちゃった方がリアルにできますね。当然ですけど(笑)。トタンは、釣り用の板鉛です。トタンとかブリキ板の類は、焼夷弾空襲時にほんと恐ろしい凶器になったそうです。炎の上昇気流で舞い上がって、高速で回転しながら降りてくるとか。で、それが体に当たるとどうなるか、、、。首が飛んだ、という話を読んだこともあります。お、恐ろしすぎる、、、。

1/12となると、かなりディテールが作りこめるので困ります(笑)。セーラー服の襟のラインも、立体的に造型してます。これ、メッチャメンドクサカッタです。
襟の三本ラインは「ネルソン提督が3大海戦(トラファルガーとか。でも全然知らないのでググッてね)にちなんでデザインした、という逸話があるけど、実は時期的に怪しい」というコラムを吉原昌宏氏が著作で書いてました。要するに、以上のウンチクは今読んだ人の脳のメモリーを無駄にしたというわけです(笑)。でも、そういう逸話、興味深いし面白いですよね。

あと「セーラー服の襟は戦闘中に立てて、命令を聞きやすくするため」という有名な話もありますけど「ほんまかいな?」という気もしますね。そいういうのも、ググッたらいろいろわかるんでしょうけど、メンドクサイのでググらないんですけどね(笑)

十一年式軽機は、大好きなので可能な限り頑張りました。しかし、三八式などの小銃と違って、出版物で日本軍の軽機がきちんと紹介されたことは実はほぼありません。今はネットの情報が凄いので難なく手に入りますけどね、、。十一年式も、ホッパーのある左側の写真はたくさんありますが、右側の資料って、ほとんどなかったんですよ。「帝国陸海軍の銃器」(ホビージャパン) でカラーで詳細に紹介されて、やっとスクラッチすることができました。
で、十一年式は「欠陥銃」みたいな評価となってますが、それほどでもなかったんじゃないかなあ、と個人的には思ってます。

そもそも、傑作といわれる九六式が採用されてからも、昭和16年まで製造(資料・「日本の軍用銃と装具」)されています。もし本当にダメだったら、九六式が出てきた時点で製造中止となっていたんじゃないかと。

製造ラインを簡単に止められないとか、製造済みの部品や冶具の廃棄などコストの問題もあったであろうことは分かるのですが、それでも九六式と製造の重複期間が5年もあったのは不可解です。

で、ユーチューブでこの動画を見て、びっくりしました。
メチャクチャ調子がいいです。編集とかはしていると思いますが、動画中の作動不良はありません。反動が軽く、発射速度も低めだったこともあって、かなり扱いやすい銃だということが分かります。戦闘に次ぐ戦闘で砂塵にまみれているわけでもないですし、調整とかをかなりきちんとしているとは思いますが、それでもこの銃の基本性能の高さが伺えます。ちなみに、この動画の個体は「昭17.4」という刻印があります。前述の資料よりも長く作られていたんですね。つまり20年間も製造されてたわけで、銃自体に根本的な欠陥があったとはとても思えんです。

つまり、十一年式は要するに「欠陥銃」ではなくて「使い手を選ぶ銃」だったんじゃないかと。映画「土と兵隊」では、十一年式の射手が病気のために他の兵隊に引き継ぐカットがあり「突っ込み(作動不良)が多いから気をつけろ」云々のセリフがあります。戦中の映画でそんなセリフが検閲を通ってたのは不思議(だって自軍の兵器の欠点を公にしてるわけで)ですが、それは検閲側も「十一年式あるある、だよね」とスルーする程度だったのでは。「上海陸戦隊」は十一年式が大活躍します。銃口を見ると、ブランクアダプター的なものがないので、どうも実包を発射しているようです。で、劇中ではたまにチャージングハンドルをガチャガチャやってますが、全体的に問題なく使えているような印象です。

そんなこんなで、まあとても「最高の軽機関銃」とは言えないまでも「欠陥銃」だったとはとても思えないなあ、という印象です。まあ、要するに「こんなにカッコいいんだからダメな銃なわけがない!」って言いたいだけなんですけどね(笑)。でも、真面目な話「根本的に問題のある銃なら、20年間も作り続けるわけがない。そこまで日本軍はバカではない」と。それは九四式拳銃についても同様ですね。

前述の動画でもありますが、アサルトライフルのように立って構えて撃てるくらいの軽量な銃です。撃ってるのは体格のいい白人男性ですけど、日本人の女性でも頑張ったらできるような感じです。なのでこの作品はそんなにリアルじゃないこともない、、、わけです。九六・九九式もそうですけど、日本の軽機関銃って「アサルトウェポン」なんですよね。小銃を持った歩兵と一緒に突撃できるだけのポテンシャルがあるわけで。ほんとは、全兵士に九六式を持たせたかったんだろうな、と。もしそれが実現してたら日本は戦争に勝っ(略)
64式小銃は、そういう「全兵士に九六式!」というコンセプトで作られたと何かで読んだことがあり、なんか妙に納得してしまいました。小銃としては過剰装備な2脚や、変なストライカー式の撃発装置(64式がセミオートではともかく、フルオートでは驚異的な(多分)集弾性能を持つ理由の大きな一つ)なども、そのつもりで見たら「あー、、なるほど、、」と、、。でも、結局アメリカのNATO弾の押し付けでアジャパー(死語)になっちゃったという、、、。NATO弾じゃなかったら傑作になっていたであろうG3やFALともども、ほんとお気の毒であります、、。NATO弾で潰された若い才能、どんだけあるんや、、という。で、結局アメリカはM14がベトナ(略)

閑話休題。右腕には「麻生区 女子学徒挺身隊」という袖印(架空)を付けています。民間人が戦闘に参加する場合、こういう印は不可欠です(戦時国際法違反になるので)。でも、製作時は日本がそういう準備をしているかどうか分からなかったので適当にやりました。で、その後「日本本土決戦」(潮書房光人社)という、本土決戦の決定番的な資料が出て、政府がその辺も事前に想起制定していたことを知りました。国民義勇戦闘隊は、右胸に「戰」と書かれた徽章を付けることになっていたとのこと。

この本を読むと、政府は本土決戦を見据えてかなり本気で準備していたということがよく分かります。国民義勇戦闘隊というのは、後方支援が主任務だった国民義勇隊を戦闘部隊に格上げ(?)したもので、その手当金や弔慰金(!)など、事細かに決められています(ちゃんと実施できたかどうかは別にして)。この本を読むと、ほんとに本土決戦がなくてよかったなあ、と思いますね、、。

もんぺの造型は結構大変でした。それっぽくするのが難しくて何度かやりなおしました。「なんでかな?」と思ったのですが、要するに日ごろ見たことが無いからなんですね(笑)。日常で目にしてるものだとちょっとしたことで違和感を抱くので、造型にも反映されるのですが、もんぺは、、、ねえ(笑)
ちなみに、セーラー服にもんぺという組み合わせは案外ありません。当時の写真を見ると、まあ大体はへちま衿にもんぺです。

へちま衿というのはこういうのです。これも過去にUPした絵ですね。過去作のUPばっか(笑)
戦前の女学生の制服はセーラー服がかなり多いんですけど、戦中になるととたんにへちま衿ばかりになります。「なんで?」と思ってたのですが、その後「近代日本学校制服図録」(創元社)という本に出会いまして、疑問が氷解しました。昭和16年に文部省がへちま衿の全国統一型を示しまして(多分資源の節約のため)、多くの学校がそれに倣ったということだそうです。ううむ、余計なことしやがって、、、。

で、もんぺという和服由来のボトムと、セーラー服(そもそもかなりな専門職の制服)という欧州由来のトップの組み合わせは、客観的に見るとメッチャ変ですね。歴史的な紆余曲折がわかってる日本人だと「あー、あれとこれがこうなって、そうなったのね」と理解できるのですが、海外の人にはどういう風に見えてるんでしょうか。多分、わけわかめじゃないかと思うのですが、、。でも、だからこそ、これは、そのころの日本をなんかイイ感じで象徴しているスタイルじゃなかろうか、と私は声を大にしていいたいわけです!!セーラー服がどうこうとか、そういうんじゃないんです!!勘違いしないで下さい!!(おちつけ)


で、これは戦前のセーラー服をできるだけ表現してみようと描いてみたものです(いや、だから、お前、、)。戦前の制服って、男女問わずかなり「ヘタッ」としてるんですよね。化繊じゃないからだろうなあ、と思うのですが、それにしても今のそれとの「似て非なる感じ」というのは、かなりありますね。化繊の誕生は、衣服の歴史的に凄いことだったんだなあ、と門外漢の私でもそれがよくわかります。

で、セーラー服ともんぺに話を戻すと、どの国の歴史も文化も、こういう変で奇妙な「結節点」を象徴する「もの」があり、とても興味深いです。例えば、アメリカでは南北戦争で余剰になった管楽器(無線などの通信手段が無かった昔の軍隊は、戦場で音を鳴らして命令を伝達するのがとにかく大事だったので、楽器は大事な兵器だったそうです)が大量に放出されて、それがジャズの土壌になったとか。そういう、なんか象徴的な「もの」っていうのはとても魅かれる「オーラ」があるんじゃないかなあ、と(と、いかにも的なウンチクで説き伏せようとする私)。

で、この組み合わせを私は「セーラーもんぺ」と勝手に銘々して悦にいってたんですけど、どうも同時発生的にできてた名詞みたいで、私が最初ではないみたいですね(誰でも思いつくワードだし、最初だからってそれがどうしたよ!という、、)。でもまあ、なんであれ、これからもっと「セーラーもんぺ」がメジャーになってくれるといいなあ、と思ってます、、、が、無理か、、。斬新だと思うんですけどねえ、、。

というわけで、あれこれ書きましたがお終いです。以上に書いたように、作った後でいろいろ新しい情報を得られたのは本当に有難いことです。この作品には反映できませんでしたが、次に何かを作る際にはかなりの参考になるわけで。
「これが分からないから作るのはやめよう」と思って実際に止めちゃうことは多々あるのですが、そういうんじゃなくて「分からないなら分からないなりに、とにかく、今作ろう!」という姿勢も大事なんじゃないか、と。今回のように後から昔の作品を振り返ると、ほんとそう思います。って、なんか上手くまとめたな俺(笑)

で、この作品のモチーフは、一回だけに終わらせたくなくて、あれこれ考えてます。この間UPしたこの絵もそのひとつです。

今は、ほんとにいろいろ「分水嶺」ですね。いや、もうそういうポイントはすでに越えちゃってるのかも、、。この数ヶ月で「戦後」が終わってしまった(と断言せざるを得ない、、)のでびっくりしてます。自分なりに、作りたいものを作っていられるうちに、作れるだけ作っていくしかないのかなあ、としみじみしています。最後に突然シリアスになってすいません(笑)。でも、今がどうこうとは関係なく、好きなものを好きなように作れる残りの時間って、そもそも自分自身が思ってるよりもかなり少ないんじゃないかな、と常々思ってるのであえて書いてみました。だから、皆さん頑張りましょうね!「セーラー服と機関銃」っすよ!兄貴!(笑)

過去のこの作品紹介のエントリーはこちらです
第1回→
第2回→
第3回→


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