森男の活動報告綴

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ライカの修理と、ライカと私

2019年02月23日 | 雑記
先日、手持ちのライカを修理しました。修理、といっても機関部を直すとかのおおごとじゃなくて、ちょっとした修復であります。


直したのはこれ。ライカⅢcというタイプです。いわゆるバルナックライカというやつです。ライカ、というと非常に高価なイメージがありますね。「ちぇっ!こいつ金持自慢かよ!」と思った方もおられるかもですが、ちょちょちょ、ちょっと待って下せえ!あっしの話を聞いておくんなせえ!(なんだそのキャラ)

ライカにはざっくり分けると「バルナック」と「M型」という2種類があって、高価なのはM型の方なんですね。バルナックというのはライツ社の最初のカメラのスタイルで、戦前期は全てこのタイプでした。バルナックというのは開発者の名前です。M型は戦後に開発・発売されたタイプです。同じライカでも、この二つは全然別のモノです。私がこれを買ったのは20年ほど前で、当時M型は基本的に数十万円くらいからという、恐ろしいカメラだったのですが、バルナックは本体なら一桁万円台で買えました。レンズ込みで十数万円も出したら全く問題ない状態のものが買えたような。それでも高い、といえば高いのですが、当時きちんとしたカメラはライカに限らずそれくらいの値段のものは普通にありましたので、バルナックライカが突出して高価だった、というわけでもなかったです。

で、この辺の記述がなぜ過去形かというと、デジカメどころかスマホが世界を席捲した今、銀鉛カメラの相場がどうなってるのかいまいちよくわからないからです。調べてもいいんですけど、メンドクサイし特に知りたくもないので(コラ)その辺ははしょります。

なんでこのⅢcを買ったかと言いますと、実用としての小さいカメラが欲しかったんですね。銀鉛の一眼レフはとにかく大きくて重くて、旅行とかに持っていくにはちょっと嫌な荷物でした。コンパクトカメラでもよかったんですけど、撮ってても一眼レフのような面白さがない。なんというか、写真を撮っているという手応えがない(勝手だなあ、、)。じゃあ、その中間にあるようなカメラはなかろうか、と思ってたどり着いたのがバルナックライカだったわけです。値段も、先に書いたように買えなくはない価格帯です。しかも、私はミリタリーマニアなので(笑)、必然的チョイスだったわけです。

といいますのも、第二次大戦でドイツ軍はバルナックライカを多用してたんですね。特に、このⅢcはドイツ軍用御用達、といってもいいタイプだったのです。有名なところとしては、空軍用の「ルフトヴァッフェライカ」がありますね。これは後ろ面に「Lftwaffen Eigentum(空軍所有)」と大きく刻印が入っていて実にカッチョイイです。あとはワシのマークが入った海軍の「マリーンライカ」などがあります。

Ⅲcは、戦前から戦後に生産されたタイプです。戦前・戦中と戦後のタイプには違いがあって、戦前・戦中タイプにはフィルム巻き戻しレバーの基部に段(赤い矢印)が付いてます。これは俗に「段つきⅢc」と呼ばれてます。

「ルフトヴァッフェライカ」とかは、コレクターアイテムでメチャクチャ高価な上にフェイクもあるそうで、ちょっと素人には手が出せない。でも「段付き」なら普通の相場で手に入る状況でした。ならば、この「段付き」のいいやつを手に入れねばなるまい!!と東京に向かったわけです。

なぜ東京か、といいますと当時は銀座界隈にクラシックカメラの店がたくさんあったからです(今はどうなんだろ、、、)。基本的にど素人なので、通販じゃなくてやっぱりお店に足を運んで現物を見てからでないとダメだろうなあ、と。ちょうど東京に行く用事があったこともあり、専門誌などで事前にお店を入念にチェックしてから鼻息荒く銀座に乗り込んだわけです。

あるライカ専門店に、このⅢcがありました。状態も値段も手ごろで願ったりかなったりでした。店頭でこれを見たあとに、他の店も何軒も回って、逡巡した末に購入。確か、レンズ込みで13万円くらいでした。お店の前で結構長い時間悩んだ記憶があります(笑)。

後日シリアルを確認すると(ライカはシリアルで製造年を知ることができる)、1936年ごろの生産品でした。お店の整備がよかったせいか、その後故障も全くなく、普通に使うことができました。今も、機関部については問題ないです。80年前の製品が普通に使える、というのはほんと凄いですね。

じゃあ、今回どこを修理したのかというとボディーの黒い皮の部分なんですね。さっき調べたら、これ「グッタペルカ」というそうです(またつまらぬドイツ語を覚えてしまった、、、)。要するに、革っぽくした樹脂的な素材なんだとか。これは経年変化でパリパリと割れてしまうようで、私のも買ったときは大丈夫だったのですが、購入後じわじわと剥がれてるうちに、ついにはこんな感じになっちゃったのでした。イヤン、ハヅカチー!って感じですね。

ちょっとづつ剥がれてきたので、そのたびに無くさないよう破片を保存はしてたんですけど、修復することもなく今に至っていたわけです。ケースに入れたら完全に隠れて見えなくなりますからね。で、前回のエントリーで自転車の修理のことを書いてて「あ、そういやライカもほったらかしだったなあ」と思って、これも直そうと思った次第です。

というわけで、やっと本題に入れました(笑)修理、とはいえまあ簡単・簡易なものです。
まず、ジグゾーパズルの要領で破片を本体に貼り付けていきます。こういうの、なんか楽しいですね。

破片をきちんと保存していたおかげで、ほとんどの面積を埋めることはできました。でも取りこぼしはあって、各所に隙間ができています。

ここを埋めるために、いつもお世話になってるタミヤのエポパテ(速硬化型)の登場です。パテにはタミヤアクリルのフラットブラックを練りこんで、事前に黒く着色します。こうすると後の着色の手間が省けます。以前、1/12のフィギュアをスクラッチした際に、髪の毛の造型でこうしました。指がめっちゃ汚れますけど(笑)、後の手間を考えるとこの場合はこれが一番効率がいいようです。

硬化後の強度については、特に変わらないのか、ちょっと強度が落ちるのとかはよくわかりません。まあでも、他の何かにも使えそうな気がするのですが、じゃあどういう風に使えるのか?と聞かれてもよくわかりません(笑)

硬化前に、他の部位と出来るだけ似せるように楊枝の先でツンツンと造型してやります。


硬化後、はみ出たところを整形したのがこれ。


作業時、ちょっとビールを飲みすぎてたこともあって荒いといえば荒いんですが(もうほんといい加減にしろよ、、、)、こうやって引いて見るとまあわからんかな?くらいにはできたと思います。

うん、とりあえず直ってよかったです。OKっす!修理は完了しましたが、ライカについてはまだまだ書きたいことはあります。余談なんですけど、よろしければお付き合い下さい(笑)


ライカはちまちまとした付属品があって、後からいろいろ買い足すのが楽しかったです。上に乗ってるのがビドムといって、レンズにあわせてファインダーの枠の大きさを変えるためのもの。付いているレンズは135ミリ。革ケースは古いけど戦前のものかどうかはよくわかりません。けどいい雰囲気です。PK隊員の気分っすね(笑)

とはいえ、このケースは前のカバーがブラブラして使いにくいので、普段は本体と同じ店で買った日本製の黒革のを使ってました。レンズは、最初は50ミリ、後日35ミリを買いました。35ミリが好みに合ったので、以後はずっと35でした。135ミリは買ったけどほとんど使わなかったですね。でもカッコいいからOK!という(笑)

バルナックはピントから何から全て手動の、完全アナログカメラです。露出計がないので、山勘です。ストロボもありません。でも、撮った写真がダメだったということは一度もありませんでした。これは私の腕がいいんじゃなくて、カメラ自体の性能がいい、ということですね(当たり前だ)。フィルムは1600を使ってました。1600だと、シャッタースピードを60にすれば(露出は当然開放)、夜の屋内の照明でも普通に写るからです。「ここはこんなものかな?」とつまみをグリグリ回すのも楽しいです。あと、シャッターの音もよいです。「パシャッ!」っていうんじゃなくて「チャッ!」っていう、実に鋭くてカッチョいい音なんですね。これも撮ってて気持ちよかった。

それにしても、この金属感・存在感はたまらんですねえ、、、。工業製品ではありますが、どの部品も最終工程では人の手作業が入っているはずです。頭がクラクラするくらいの手間暇がかけられている、ということは素人の私でもよくわかります。なんというか「本物!!」という感じがします

買うときは悩みましたけど、ほんとに買ってよかった!と思いましたね。まさに「手に馴染む」といった感じで、ちょっとしたところに出かけるときはこれを必ず持って行ってました。とはいえ、デジカメと違って写真一枚のコストが高いので、そんなにガンガン撮ることは出来ませんでしたけど。今と比較すると、写真24枚の現像・プリント代が1500ー2000円くらい(でしたっけ?もう覚えてない、、、)したのって、凄いコストですね。

ライカは知名度もあり、キャラクター性が強いせいか、カメラの中では漫画の題材としてよく登場している気がします。私の好きなライカ漫画はこんな感じ。

「ライカの帰還」(吉原昌宏)はほんと好きですね。主人公を朝日新聞のカメラマン・船山克氏をモデルにした作品です。船山氏は太平洋戦争時、海軍将校としてレイテ沖海戦に参加し、乗艦の瑞鳳が沈没。しかし氏は生還します。その際、持っていたライカ(当然これも船山氏と共に海を泳いだ)が話の支柱となるわけです。お話自体は、戦後の揺籃期の、氏の報道カメラマンとしての活躍を描いたものです。この頃の報道カメラマンの仕事は実に刺激的かつ魅力的だったんだなあ、ということがとてもよく伝わってきます。この作品に限らず、吉原氏の作画はとても緻密で、特にディテールの追及は半端ないですね。その作画が、この作品のリアリティを支える大きな要素となってるのもいいです。瑞鳳の沈没するところとか、ほんと迫力があります。

「ニナライカ」(作・川崎ぶら 画・秋重学)もいいです。名カメラマンの祖父から受け継いだライカを使う女子高生が主役の漫画。こちらはアート・商業としての写真の世界を描いたものです。この漫画が描かれた1995年ごろは「写真を撮るのはオシャレ」「アートはオシャレ」みたいな風潮(今はどうなんだろ?)があって、そんな空気感が伝わってきてなんか懐かしいなあ、という(笑)。でも、根底には「表現とはなんなのか?」というマジメなテーマがあるいい漫画です。主人公のニナは一見、フワッとサラッとオシャレに写真を撮ってるように見えるんですけど、実は「自分のイメージをどう写真に焼き付けるか」ということを真剣に考え続けてて、あれこれ工夫する、というのが素敵です。余談ですが、何かの雑誌で、川崎氏か秋重氏のものかは忘れたのですが、この漫画を製作する際に資料として買ったライカ(Ⅲfだったと思う)が紹介されてました。その個体は、グッタペルカが全部ベローんと剥がれちゃってました。やっぱそうなっちゃうみたいですね。

「栄光なき天才たち 16」(森田信吾)は、写真家の名取洋之助氏の生涯を描いたもの。名取氏は困窮していたドイツ在住時に、バルナックライカを偶然兄から手に入れ写真家なります。この辺は事実かどうかはわかりませんが、読んだ時にとても印象に残ってました。確か最初に読んだのは高校生のころで、当時はカメラには興味もなくて、まさかバルナックを自分が買うとは思ってもなかったです。そう考えると不思議です。余談ですが(余談ばっかだな、、)、名取氏に協力する日本人の報道カメラマンが、上海で国民党便衣隊に撃たれる印象的な下りがあります。このカメラマンは義烈空挺隊の出撃の様子を撮影した小柳次一氏です。高校生のときは当然、小柳氏のことは全然知らないので、撃たれたカメラマンの名前は完全に忘れていました。しかし数年前、小柳氏の写真展に行った際、年譜で「名取洋之助の日本工房のカメラマンとなる」「上海で重症を負う」とあるのを見て、「あっ!あの漫画のあの人だったのか!!」とびっくりしました。こういうのって、どこかでいろいろつながっているんだなあ、と、、、。

おっと、つい漫画の話が長くなってしまいました。すいません。でも、もうそろそろお終いです(笑)

実際のところ、このライカで写真を最後に撮ってから5年以上は経ってます。たまには撮らないとなあ、と思いつつも撮れてないのが実情です。また撮りに行きたいなあと思ってます、、、っていいつつ、撮らないんですよねえ、、。あかんです。

それにしても、この20年でのカメラの変化というのはもの凄いものがありましたね。銀鉛をデジカメが駆逐したと思ったら、デジカメ自体が携帯に食われ、その携帯もスマホに取って代わってしまった、という、、、。

でも、今回久しぶりにこのライカをいじってたら、「ライカはとにかくライカなのだ!」と思いました。ライカは世の中の変化とかはどこ吹く風で、ドーン!とただただそこに「在る」んですよね。私の家の中はニセモノとかコワレモノとかガラクタとかそういうのばっかなんですけど(笑)、先に書いたように、このライカだけは正真正銘の「本物」です。ひとつだけとはいえ、物差しとしての「本物」を持っている、という意義は、私にとってかなり大きいんじゃないかなあと。そういう意味でも、今は使ってなくても買ってよかったなあと思ってます。

うーん、何がいいたいのかよくわかんなくなってきました(笑)。要するに「昔の機械はヨイ」「アナログ万歳!」「また東京に行きたいなあ」って感じですかね(笑)。

というわけでまた。

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森男の「それがどないしてんニュース」(2019年2月号)

2019年02月10日 | 雑記
今回は「それがどないしてんニュース」の第2号です。要するにコネタ集です。日常の中で個人的に「おお!」となったネタを思いつくまま書き散らし、最後まで読んだ人は「それがどないしてん」とつっこむしかないような内容(シャレ)となっております。あらかじめご了承下さい。

上のイラストは今年の寒中見舞い用に描いたものです。昨年末はいろいろあって年賀状が出せなくて、寒中見舞いとなってしまいました。しかも、寒中見舞いの時期を過ぎちゃったという。年賀状を送ってくださった皆様、届きましたでしょうか?ほんとにすいませんでした。うーん、それにしても貧乏臭いイラストですねえ。でも、自動的にこういう風になっちゃうんですよねえ。「昭和大好き!」ということで、、、。

●自転車が直った

20年ほど前に買ってずっと愛用していた自転車が数年前に壊れてしまい、そのまま放置していました。後輪の軸がいきなりロックして、動かなくなっちゃったんですね。気に入っていたので処分する気にもならず「いつか修理に出そう」と思いつつ、ほったらかしになってたのです。

で、先日意を決して近所の自転車屋さんに持っていきました。数年放置して各部がガビガビになっていたこともあって、修理見積もりは機関部だけで3万円! 普通に新車が買える値段です。思いっっつきり悩みましたけど、お願いすることに。

しかし、故障箇所が案外単純なパーツ交換ですむところだったので、結果的には見積もりの半額以下で直りました。1万4000円也。機関部の修理だけじゃなくて、ブレーキワイヤーと後輪のタイヤとチューブの交換込みなので、かなり安価な修理となったのです。あー、よかった。とはいえ、この値段でも新車が買えるので、安いといえば安いけど、高いといえば高いです。もったいないと思わないこともないです。

でも、この自転車に乗ってあちこちに行った思い出とかは、この自転車を処分しちゃうとまあほぼ失ってしまうんじゃないかな?と。乗り続けてたら、ふと「ああ、これに乗ってあそこに行ったな」とかを思い出すんでしょうけど、処分しちゃうと思い出すきっかけ自体がなくなるのです。つまり、思い出を一緒に処分することでもあるわけです。そう考えると、こっちの方がメチャクチャもったいないんじゃないか、という気がします。

モノより思い出、というコピーがありましたけど、モノとつながっている思い出もたくさんありますからね。修理不能なものは捨てても仕方ないとは思うのですが、何とか修理できるものは直して使い続けたいものです。

と、偉そうなことを書きましたが、それならもっと早く修理に出せよ、って感じなんですけどね(笑)。錆とか汚れが酷いので、もうちょっと綺麗にしてあげようかなと思ってます。それにしても、ガビガビの自転車を嫌な顔ひとつせず、丁寧に修理して下さった自転車屋さんには感謝の言葉もありません。何も言われなかったので気が付かなかったのですが、スポークも1本新しいのに替えてくれてました。いやー、ありがたい、、。

●古銭がたっぷり

経緯は省きますが、古銭や記念硬貨が入った小袋をもらいました。袋を開けて中身をザラっと出してみたら「まあなんて素敵!」とうっとりしてしまいました。古銭はええですねえ、、、。

貴重なのもあるみたいですけど、私は好きなだけで全然詳しくないのでニヤニヤと眺めてるだけであります。一円銀貨は特に貴重っぽいんですけど、どうも後で磨き粉的なもので磨いたらしくて傷が多く、価値はそれなりっぽいです。東京オリンピックの1000円記念硬貨も未使用品は高価らしいんですが、黒くなっちゃってるので、これまたそれなりかなあ、と。こういうのって、売値を見て「価値がある!!」って思っちゃうんですけど、多分買い取り値は古本とかと同じで格安でしょうからねえ、、。まあ、売るつもりもないので、大事にとっておきます。

それにしても、明治28年(1895)年から日本のあちこちを転々としていたものが、今手元にあるってのは実に感慨深いものがありますね。銀貨だからなのか、指ではじいたら「ピィーン」と清んだいい音がするのもええです。

終戦直後の1円とか5円とかはほっこりしますねえ。1枚だけ、戦中の10銭硬貨(昭和19年)がありました。うーん、ええですなあ、、。

●いまさらびっくり

ジャガーバックスの「戦車大図鑑」が、比較的安価で(1000円)綺麗なのがオークションに出てたので買いました。「プラモ世界の戦車」は数年前に買ったもの。

両方とも、小学生低学年のころに買って何度も何度も何度も(いや、ほんとに何度も)読んだ思い出の本なのです。でも、大きくなって実家を出る際に処分してしまったんですね。こういう本たちって、見かけると懐かしくなってつい買ってしまいます。

以前「ドイツ機甲軍団」などのことを書きましたが、ジャガーバックスにはほんとお世話になりました。子供が知識を得る取っ掛かりとしては最適なシリーズでした。

「戦車大図鑑」はなんかいろいろとクロい本で、戦車の歴史から始まって、車体の構造、戦場での運用法まで解説されてます。運用法のページのイラストは、各軍の教則本から転載してるっぽいです。うーん、クロいなあ、、。それにしても、子供に「戦場における戦車の地形の利用法」を教えてどうしようというのか、、。でも、ちゃんと覚えましたけどね。

「プラモ世界の戦車」はタイトルどおり、プラモの戦車キットのガイド本みたいな内容です。キットと実車を1ページごとに紹介しています。メーカーはタミヤ、バンダイ、トミー(イタレリ)なんですが、タミヤ以外のキットは店頭で見たことがなく、Ⅰ号戦車とかカチューシャトラックとかは「ほえー。こんなキットがあるんだ。いつか目にしてみたい(買うことを想定してないのが悲しい)ものだ」と感慨深く読んでましたねえ、、。

自転車の話じゃないですけど、こういうのも今本をみることで、当時の気持ちがパッとよみがえってきます。これまで本はいろいろ処分してきましたが、子供のころのあれやこれやだけは捨てるんじゃなかったなあ、と後悔してます。ジャガーバックスだけでなく、記憶に残っている本はいくつもあるので、また見掛けたら入手したいなあと思ってます。でも、図鑑はじめ児童書の類って、ボロボロになるまで読み込まれるからか、まあ出てこないんですよね。うーん、ほんと後悔。

で「戦車大図鑑」の奥付けを見てびっくり。要するに、カンプグルッペジーベン(伝説的AFV模型サークル)の方々には子供のころから知らず知らずお世話になってたわけです。なるほどなあ、、。

防衛庁とか各国の大使館とかが協力してるのも、なんか凄いですね。今ならダメかもですね。

ジャガーバックスの中では一番読み込んだ「ドイツ機甲軍団」を紹介したエントリーはこちらです。よろしければどうぞ。今読み返しても無駄に熱いです(笑)→https://blog.goo.ne.jp/morio1945/e/606d45eecbd171edfd50071469e39e50?fm=entry_spawp

あと、余談ですが、本を開いた状態で押さえる文鎮としては、トイガンが重さといい形状といい、意外と便利ですよ(豆知識)

●これまたびっくり

黒田硫黄氏の新刊「きょうのカプセル」(講談社)を買いました。読んだら「茄子」(同)が読みたくなって、読みました。「茄子」はほんと面白い漫画で、何度も何度も読み返してます。なんつーか、傑作ですね。

で、2巻の最終話「電光石火」(高橋さんが、アホっぽい2枚目の桑原君に口説かれる回)を読んでたら「んんっ?」となりました。高橋さんの従兄弟と、軽音楽部の部員のキャラを描いたのは、どうも小田ひで次氏っぽいんですよね。

これが188ページの中段のコマの一部を模写したもの。あまり上手く模写できませんでしたが、これはまあ間違いなく小田氏のタッチです。

いやー、これまでまったく気が付かんかった、、、。なんちゅうか、2人とも好きな漫画家なので、嬉しかったですねえ。探してみたら他にもあるかもしれません。次読み返すときの楽しみに取っておきます。そういえば、「ユリイカ」の黒田氏の特集に、小田氏が黒田氏のアシスタントをしていたときの漫画を描いてますね。あと、1巻に出てくる「小田書店」(高間センセイが上京した際に立ち寄る古書店)は小田氏の実家が書店だったのでそうなったとか。店主も小田氏がモデルですね。

「今日のカプセル」はとてもいい本でした。黒田氏はほんと凄い人ですねえ。例えば「特品ビーム課長」は「SF」「超能力」「不条理生活ギャグ」などなどに分類できるんですけど、そういう枠組みに全然収まりきらない、かなり変な作品です。でも、漫画して実に面白い、という。つまり、ただただ「黒田硫黄」というジャンルがある、ということなんだろうなあ、と。「タイトルを見て、内容をぴたりと推測できる人は間違いなく皆無」という点でも、この人がいかに凄いかを証明しているような、、。

で、なんで森薫氏の「エマ」4巻が写ってるのかといいますと、177ページ下段のコマのメイドは、福島聡氏が描いたように見えるんです。このころ、森(画)・福島(原作)の「すみれの花」という短編があったので、多分そうじゃないかなー、と。これはアシスタント、というよりはカメオ的な出演(というかなんというか)でしょうね。こういうのを見つけると、得した気分になりますね(笑)。「茄子」ともども本をお持ちの方は見てみてください。

●マルイのモーゼル

マルイの作るモデルガン・モーゼルM712をネットオークションで落札しました。

完全未開封じゃなくて、一部開封済みという状態だったので、安くもなく高くもなく、ほどほどの値段でした。でも、まあ新品に近いので満足です。LSのモデルガンのようにそのうち出なくなるだろうし、出ても高くなるでしょうから、買うなら今くらいしかないかなあ、と。

昔の話ばかりで恐縮ですが、これは私が初めて買ったモデルガンなんですね。小4の頃でした。ずっと欲しかったのでニコニコなのであります。いやー、このパッケージはほんとたまらんです。金属部品が多いので、箱を持ったときのずっしり感も最高です。子供のころ、店頭でこれを棚からドキドキしながら引きずり出したときのことを思い出した、、、かというと、それはあんまり覚えてないです(なんやねん)。

しかし、でも、まあ、なんですね、自転車の修理と違って、「買ってどうするよ感」が半端ないですね。でも、まあ、もう買っちゃったんだから仕方がないですね。

というわけでおしまいです。いやー、今回も「それがどないしてん!」って感じでしたねえ、、、。あ、でも自転車の修理とかモーゼルとかは、独立したエントリーで書いてみたいなあと思ってます。

●最後に告知です。これは「それがどないしてんニュース」じゃないです(笑)。

「第19回中四国AFVの会」の細かなスケジュールが決まり、ポスターも出来ました。4月14日の午前10時からとなってます。有志テーマは「温故知新・昭和のキット」です。



中四国地域のAFVモデラー有志による、模型展示会&コンテストです。私はイラスト描きなどで毎年お手伝いさせてもらってます。戦車模型が好きな人が集う、とても和気あいあいとした会です。見学のみももちろん大歓迎ですので、興味のある方はぜひおいで下さい。

というわけでまた。






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