森男の活動報告綴

身辺雑記です。ご意見ご感想はmorinomorio1945(アットマーク)gmail.comまで。

一〇〇式機関短銃の弾倉嚢をめぐる気の長い冒険

2021年09月26日 | 銃の話題
今回は、一〇〇式機関短銃の弾倉嚢について書きたいと思います。ご存知の通り、一〇〇式は日本軍が制式採用した唯一の機関短銃です。生産数は8000-10000丁程度といわれていますが、確かな数は不明です。軍用銃としてはかなり少ないです。例えば、九九式短小銃は6年間に230万丁も生産されていますので、その少なさがお分かりになるかと。

右側が一〇〇式です。いわゆる前期型です。もちろんモデルガンです。背景は無視してください(笑)サイドマガジン式の銃は、本棚にこうやって差すとイイ感じですよ(笑)

左はベルグマンMP18/Ⅰです。余談ですが、一〇〇式はベルグマンのコピーといわれることが多いのですが、そうではありません。外観をみるとそう思いがちなのですが、内部構造はことごとくベルグマンと違っています。「とにかくコピーしたくない!」という、南部麒次郎氏の意地や気概が感じられるほどです。この点もいつかきちんとブログに書きたいですね。

余談でした。一〇〇式は生産数が少ないためこの銃はほとんど現存しておらず、非常に貴重なものとなっています。当然、弾倉や専用のスリング、手入れ具なども同様で、銃本体よりも珍しい存在です。一〇〇式の多くはアメリカにあるようです。これは、戦場で手に入れた米兵が記念品として持ち帰ったからですね。で、一〇〇式はじめ九六・九九式軽機など弾倉式の銃は、アメリカに持ち込む際に弾倉は廃棄させられたそうです。要は、トロフィーとしてはいいけど銃としてはダメ、ということですね。

そのため、アメリカのこれらの銃は弾倉がないものが多く、弾倉は銃本体よりも貴重なんだそうです。もちろん弾倉込みで持ち込まれた個体もあります。まあ、持ち込みに明確な基準があったかどうかわかりませんし、戦後すぐのことですから検査も緩くてテキトーだったんでしょうね。検査時に別にして隠せばOKだった、とかだったのかも。

余談ですが、弾倉が本体に固定されている十一年式軽機は完全体での持ち込みがOKだったようです。弾倉の取り外しは出来るのですが、なぜかそこまでされてないんですね。この辺からもその検査の緩さが伺えます。で、弾倉持ち込みが禁止だった理由としてはその後犯罪などに使われることを懸念してのものだったんでしょう。何十年も前に、テレビでアメリカの警察を紹介する番組があり、犯罪に使用された押収銃器の保管部屋が出てきました。そこには十一年式軽機がありました。だから外しとかないと(笑)

すぐ余談になってしまいますね。すいません。で、一〇〇式は生産数はじめいろいろと不明な点が多いんですね。弾倉嚢もその一つです。私はもうン十年もガンマニアをやっていますが、一〇〇式の弾倉嚢を見たことがありません。当時の写真も、現存する実物の写真も、です。私はこの弾倉嚢のことを知りたくて知りたくて、緩いながらもアンテナをずーっと張ってたのですが全く引っ掛かりませんでした。どうも、本当に謎の装備のようです。

日本軍の「兵器学教程 一〇〇式機関短銃(昭和十八年)」(要はマニュアル)には「帆布製でベルト付き。弾倉10本が入る」(意訳)とあります。なので、存在したということは間違いないようです。


私の知る限り、唯一紹介されているのが「世界の軍用銃」(光文社文庫)に掲載されているイラストです。

この本のイラストを担当した川越のりと氏が描かれたもので、はっきりと「百式短機関銃用」と書かれています。これはそれを私が模写したもの。ちなみに、この本に限らず「百式短機関銃」と表記されることがあるのですが、正しくは「一〇〇式機関短銃」です。とはいえ、これが認識され出したのはつい最近のことで(私もそんな前から気付いてたわけではないです)、昔の書籍の多くは「百式短機関銃」となってますね。まあこの辺は細かく指摘することでもなくて、知ってる人がそれぞれ判断すればよいんじゃないかと思います。

で、このイラストはとてもリアルでどう考えても写真を元に描いたとしか思えません。氏の銃や装備のイラストは本当に素晴らしく、私の中で最高のイラストレーターの一人です。そもそも、想像で描いたあやふやなものをこういう本に載せるはずがありません。それなら素性のはっきりした別の銃のものを載せればいいですものね。

またまた余談ですが、この本は実に素晴らしいです。ドライゼ撃針銃から始まる近現代の後装式軍用銃の歴史を、多数の氏のイラストや写真を交えながらとてもわかりやすく解説しています。発行が1985(昭和60)年なので、解説はその時点まで(例えばAK74が不明点の多い謎の銃扱いとなってます。当たり前なんですけど隔世の感がありますねえ、、)なんですが、軍用銃の歴史を知る入門書としては最高です。大きな縦軸を知ることで、全体がよく理解できるんですね。その後知識を追加していく際に、こういう幹を把握しておくことの大切さがよくわかります。軍用銃のことを知りたいけど、どんな本がいいのかわからないという人には超お薦めです。私もこれを小学校高学年のころ買って、何度も何度も読んだものです(やな子供だなあ、、)。

私は当時から日本軍スキーで、この本の日本銃器の情報はかなり貴重なものでした。そしてもちろん一〇〇式機関短銃も大好きでした。タナカの100式のモデルガン、死ぬほど欲しかったですけどもちろん無理でしたね、、。(先のモデルガンは20歳ごろにようやく買ったものです。この頃でも死ぬかと思った、、。)。でも情報だけでも、と思ってたのでこの弾倉嚢のイラストはとても嬉しかったです。

しかしその後、GUN誌やコンバットマガジンをずっと見ていても、一〇〇式について紹介されることはなく、情報の少ない状況は続きました。古本の過去のこれらの雑誌をあさって、実銃のレポートなどがあれば狂喜してました。で、どうも過去の専門誌でも一〇〇式の弾倉嚢が紹介されたことはないようでした。で「じゃああのイラストは何を参考に描いたんだろう」とずっと疑問に思っていました。今と違ってネットなんてありませんし、地方の中高生が専門的な情報を得ることはまあ難しかったんですよ。古本屋を定期的に何件も回って、専門誌を漁るくらいしかその手段はありませんでした。

大人になってから、徐々に日本軍関係の資料が手に入るようになりました。先のマニュアルもそうです。でも、弾倉嚢についてはわからない。ネット環境が充実してからはウェブ上であれこれ調べてみましたが、どうもやっぱりほんとに幻の存在なのは間違いないようでした。

というわけで現在の話になります。少し前に、このブログを見てくださっているというアメリカ在住の日本軍銃器コレクターの方(便宜上X氏と呼ぶ)からメールをいただきました。以前、十四年式のエントリーで、いただいた情報を紹介させてもらった方です。X氏はほんとに凄いコレクター(南部式甲型のストック付きや、三十五年式海軍銃などを「普通に」持ってる方、と言えばおわかりになるかと、、)で、私はこれ幸いとあれこれと質問して、丁寧に答えていただきました。

当然、一〇〇式の弾倉嚢のことも聞いてみました。しかしX氏ご自身も見たことがなく、さらに知人のコレクターの方にも問い合わせて下さいました。このコレクター(以下Y氏)は、一〇〇式本体はもちろん、手入れ具嚢(当然中身入り!)まで持っているという、これまた濃い方です。しかし、Y氏も見たことがない、とのことでした。

ご存知の通り、アメリカの濃いコレクターというのは桁違いで、頭がくらくらするほどです。X氏から「射撃会の動画と画像が出てきたので送ります」というので観てみたら、九七式車載重機や九八式旋回機銃を撃ってましたからね、、。で、そういう方々すらも見たことがない、というなら本当に幻なんでしょう。うーん、やっぱりなかなかないもんだなあ、、と。

しかし先日、ツイッターの私の投稿(日本軍の試作機関短銃の話題)に、ある方(以下Z氏)がコメントを下さいました。いろいろと示唆をいただいて、興味を持ってZ氏のツイッターを覗いたところ、弾倉嚢らしい装備が写っている書籍を紹介されているではありませんか!これがそのページ。

Z氏に質問したところ、これは大戦中に米軍が作成したレポートでした。タイトルは「JAPANESE PARACHUTE TROOPS」です。要は、日本軍の空挺部隊についての調査報告です。こういう風に敵国について調べたことをまとめて、軍内に周知するために本にして配布していたんですね。

ネットを探ると、米国の公立の文書館と思われる(はっきりした施設名がわからんかった、、)サイトで原本が全頁公開されていました。凄い時代になったもんですねえ、、。Z氏は原本の該当ページのスキャンデータまで送ってくださいました。この場を借りてお礼申し上げます。これらの写真はそのデータのものです。で、上の写真のUPがこれ。


これは恐らく弾倉嚢です。左のベルトはこれ用のものでしょう。マニュアルの「帆布製でベルト付き。弾倉10本が入る」という条件と合致しているように見えます。しかし、少し小さくて10本も入るかな?という気もします。

そして、川越氏のイラストとも酷似しています。ひょっとすると、川越氏はこの写真を元に描いたのではないでしょうか。

厳密に比較するとフラップやそのベルトの形状・長さが違うようにも見えます。しかし、「世界の軍用銃」の説明では「弾倉4-5本を収納」となってます。そのつもりで見てみると、写真のものも4-5本くらいかな?という気もします。なんにせよ、35年も前の本ですし、また川越氏は故人(ご冥福を心よりお祈り致します、、)となられていますので、この点については確認のしようがありません。

というわけで疑問点もあるのですが、何であれこの写真で弾倉嚢がどんなものだったのかが初めてわかりました。とはいえ、写真説明にそう書いてあるわけではなく、確定したわけではないのですが。ただ、手入れ具嚢の形状とは全く違っていますので、多分間違いないんじゃないかなあ、と。

さらに、先に書いたようにこの弾倉嚢がマニュアルのものと同一という確証はありません。空挺部隊用に独自に製作された可能性もありますし、かつ陸上の部隊用も含め一〇〇式用のスタンダードタイプだったかどうかもわかりません。結局、わからないんですね(笑) ただ、一歩前進したことは間違いないのです。

佐山二郎氏の「小銃拳銃機関銃入門」(光人社NF文庫)では一〇〇式の弾倉嚢は「九九式弾倉帯甲を流用し、2つに弾倉各4本、計8本を収納した」(意訳)とあります。これの元となる資料はなんなのかもちろん私にはわからないのですが、佐山氏が根拠なく書くはずはありませんので実際はそういうことだったんだろうな、と思います。マニュアルに専用の弾倉嚢があると書かれていても、実際はそれが以後継続して量産されたわけではない可能性は高いかも、と。

実際、一〇〇式を持つ義烈空挺隊員が九九式の弾倉嚢を身に付けている写真があります。奥山隊長が隊員を後ろに軍刀を掲げる有名な写真の、隊長のすぐ右後ろの隊員です。
彼は一〇〇式を持って、軽機弾倉嚢を装備してます。彼は軽機班員で九九式の弾倉嚢を持っている可能性もあります。しかし、なんとなーくですがその弾倉嚢は一〇〇式の弾倉らしきカーブが見えるような気がします(→1)。気のせい、かもですが。右側には軽機用弾薬嚢をさげています。明らかにパンパンで形状が歪んでます(→2)。義烈では軽機弾薬嚢は大きくて使い勝手がよかったようで、本来以外の用途で使っている場合もあるようです。軽機班員でないのなら、何が入ってるんでしょうね、、。そして一〇〇式の銃身部の冷却口部分に白い何かを巻いています(→3)。銃の機能を高めるために、ここに何かを巻く必要があることはないでしょう。なんらかの識別用なのか、日章旗などを巻いているのかはわかりません。左隣の隊員の一〇〇式には見られませんので、とにかく何かを巻いていることは間違いないようです。

弾倉嚢からちょっと話が逸れましたが、こういう風に写真をじっくり見ていると次々に疑問点が出てきますね。うーん、、。

というわけで、先にも書きましたがとりあえず一歩前進です。今後また新しい発見があるかもしれませんので気長にやっていこうと思ってます。まあ、なんでこんなに粘着しているのか自分でもよくわからないのですが(笑)、まあ趣味ってそういうもんですよねえ、、。それにしてもン十年もこの疑問を引っ張ってるって、さすがにアレですねえ、、。でもまあ、いいですよね、、。

最後に、貴重な情報を提供してくださったX氏(ご無沙汰していますがお元気でしょうか?)、Z氏(この度は本当にお世話になりました!)には心からお礼申し上げます。

というわけでまた。


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「本土決戦」(デイヴィッド・ウェストハイマー著 早川書房)という小説について

2021年09月12日 | 書評
今回は「本土決戦」(デイヴィッド・ウェストハイマー著 早川書房 1971年刊)という小説を紹介したいと思います。

この小説はタイトル通り、太平洋戦争末期の連合軍による日本本土への上陸攻撃作戦を題材にしたものです。当然ながらフィクションです。これはもう本当に凄い小説でして、初めて読んだ時は頭がクラクラしてしまいました。しかし、それほどの小説なのにあまり知られていません。とてもいい本なのに非常に残念です。なので今回はこの本についてあれこれ書いてみたいと思います。

ご存知の通り史実では、連合軍(米軍主体)が日本本土への上陸作戦を行う前に戦争は終結しています。しかし、連合軍は日本本土侵攻作戦を練って、準備をしていたこともよく知られていますね。

日本本土侵攻作戦をざっくり説明すると「ダウンフォール(破滅・滅亡の意)作戦」と呼ばれ、2段階で計画されていました。1つが「オリンピック作戦」、2つ目が「コロネット作戦」です。オリンピック作戦は九州に上陸・攻略し、各航空基地を確保するのが主な目的です。そしてそこから出撃する航空機の支援を受けて関東方面に上陸、首都を目指すのがコロネット作戦です。

この小説はオリンピック作戦を描いており、九州が舞台。小説の構成としてはいわゆる群像劇です。日米の兵士や市民が無数に登場し、彼らの人となりや行動を細かく描くことで、恐らく世界史上最悪の戦闘となったであろう、本土決戦の様子を浮き彫りにしていきます。戦記やIF戦記などでよく述べられる「●軍●師団が●方面に展開」といった俯瞰的視点は序章のみで、本章は徹頭徹尾「現場の人々の運命」で綴られています。最悪の戦場での日米両軍の兵士や市民の苦悩苦闘がこれでもかというくらいにありありと描かれ、そして彼彼女らの多くが斃れていきます、、。

で、この小説の何が凄いかといいますと、その登場人物達の圧倒的な存在感・リアリティなんですね。読んでいると、まるで「日本本土決戦に関わった人々に、後日インタビューしてまとめたノンフィクション」を読んでいるような気になります。

突入までのわずかな時間で17年の人生を振り返る白菊の特攻隊員、上陸作戦中親が売った車のことが何故かずっと頭から離れない米の新兵、それを迎え撃つ都会育ちの日本陸軍の上等兵、度重なる戦闘のせいで幻覚を見始めしかしそれを一切認めようとしない腕利きの米歩兵伍長、息子や教え子を引き連れて米軍戦車を攻撃しようとする小学校の校長などなど、登場人物の造型、心理描写が本当に迫真に迫っていて、グイグイと引き込まれます。読んでいてふと「あ、これはフィクションなんだ、、」と気付き「ああ、こういう戦闘がなくて本当によかった、、」とホッとする。読書中、それが何度も何度も繰り返されるんです。こんな小説、まあなかなかあるものではありません。

著者は米国人なのですが、日本人の生活の様子や心理描写がもの凄くリアルでびっくりしてしまいます。日本人でもこれほどのものは書けないんじゃないか、というレベル。例えば、米軍上陸を迎え撃つ日本兵の一人、前田上等兵。彼は都会育ちで、海岸の一つのトーチカの守備を任されます。彼が小さな銃眼から、上陸する米軍の舟艇の様子を見たときの感想は「大阪の梅田映画劇場のお気に入りの席からスクリーンをみつめる感じに似ていた」。

これ、凄すぎる描写です。当時の日本の文化水準や地方と都会人の意職の違いなどなどを理解していなければ書けません。例えば、今の日本人でもステレオタイプな日本兵(農村の出で、文化程度もいまいちで、もっさりした感じ、みたいな)を想像しがちで、こういう表現はまあ出てこないんじゃないかと。でも、当時の日本って都会では現代に通じるような生活をしていました。この辺はちょっと調べたらすぐわかります。しかし、米国の作家がここまでの表現ができた、しかも50年も前に、、。もの凄いことです。

で、この例えはほんの一端の一端で、日本人の気持ちがことごとく的確にかつ濃密に描写されていてゾッとするほどです。「まるで見てきたように書く」のが作家なんでしょうけど、レベルが高すぎます。

デイヴィッド・ウェストハイマー氏(1917-2005)は先に書いたとおり米国の作家。フランク・シナトラ主演の映画「脱走特急」の原作「フォン・ライアン特急」(早川書房)の作者です。その他著作はあるのですが、大変失礼ながら日本でよく知られている作家というわけではないようです。 しかし、その実力はこの本を読むだけで十分わかります。

氏は第二次大戦中、米空軍将校として欧州に従軍。B24爆撃機の航空士でした。イタリア戦線で搭乗機が撃墜され、捕虜となりました。「フォン・ライアン特急」はその経験をもとに書かれたようです。元軍人ということで、軍事知識の素地はあったのでしょうが「本土決戦」は日米の陸海空全ての軍とその兵士が登場し、それぞれの描写は実にリアルで、氏がかなり綿密な調査をしたことが伺えます。

訳者の木村譲二氏のあとがきによると、木村氏は翻訳だけでなく事前調査にも協力しており、こちらもかなりの調査を行っています。日本側の描写の凄さは木村氏に拠るところも大きかったのでしょう。ただ、調査をまとめ小説に仕上げたウェストハイマー氏の力量には疑問の余地はないと思います。原題は「LIGHTER THAN A FEATHER」(羽毛より軽い)です。つまりこれは日本の軍人勅諭の「(軍人の)義は山嶽より重く死は鴻毛より軽し」という一文から来ています。木村氏も書かれていますが、タイトルにこの言葉を選んだという点からも、ウェストハイマー氏の洞察力の深さがうかがえるのではないかと。

実際、登場人物の多くは実にあっさりと死んでしまいます。鴻毛のように、、。これまでの彼彼女らの努力や苦労、そして希望は一瞬で消え去ります。その唐突な、突き放されるような「人の死」を描ける作家はそれほど多くはないんじゃないかと。そして、彼彼女らが命を落とす姿を見ているうちに、戦争の本質(と思われるもの、ですが)が伝わってきます。本当に凄い小説です。

さて、ここで私個人の話になります。私の作る模型の大事な製作テーマの一つとして「日本本土決戦」があります。もう10数年くらい、ちょくちょく作っています。トップの写真はそれらの一部をコラージュしたものです。この本にはかなりの影響を受けました。っていうか、この本がなかったらここまで粘着してなかっただろうな、と。

正確に言うと、この本を読む少し前から本土決戦のジオラマを作っていました。最初作ったとき「これはやりがいのある、続ける意味のあるテーマだな」と思ったんですね。その少し後にこの本を知りました。雑誌(歴史系だったと思う)の書評で紹介されてたんです。

当時、本土決戦についてあれこれ調べてたんですが、そのものの書籍は少なくて「まあ自分で調べるしかないか」と思ってた時期です。なので「あ、面白そう」とすぐ買いました。

読んでみると、先に書いたように驚愕の内容でした。読んだ後、頭がうまく回らなくなる本とか映画って時々ありますけど、これはまさにそれ、でした。「ジスイズイット!」(笑)

先に書いたように「本土決戦というテーマにはなんかあるかも」とは思ってはいましたが、それはかなりぼんやりしたもので、手探りみたいな感じでした。で、これを読んで「これだ!!ここだ!」と思ったんですね。背骨がビッシィ!!と入ったような気がしました。

兵士というのはみんな同じ格好をしています(当然ですが)。でも、それぞれ一人ひとりの唯一無二の人間です。同国人同民族でも生い立ちから考え方からなにからなにまで違います。「日本兵」「米兵」というのは大雑把な括りでしかありません。もちろん一般市民も同様です。当たり前のことですし、それは前から分かっていました。しかし、この本を読むとそのことがより「具体的」に、自分の中で認識できたんですね。

それは、例えば戦記などのノンフィクションを読んでも理解できることですし、実際私もそういう風に考えているつもりでした。しかし、この本の登場人物はとても生き生きとしていて、フィクションなのに本当に「生きている(生きていた)」ように感じられたんです。「ああ、こういう人たちがジオラマにいるように作ればいいのか。いや、作らないといけないんだ」と。

模型を作る際、例えば戦車に乗っているフィギュア一体でも、ただのフィギュアとしてではなく「こいつはどういう奴なのか」と「個人」として考えながら作ったり塗ったりすると、違うものになるような気がするんですね。まあ名前まで考える必要はないと思いますが(笑)でも、名前を考えるくらいの勢いは必要じゃないかと。

フィギュアだけでなく、戦車や建物、小道具でも同じです。ただの模型としてではなく「この家はどういう人が住んでたのかな?」「この鞄の持ち主はどんなだったのかな?」とちょっと考えてみる。そして作ってみる。そうすると「何かが込もる」んじゃないかな、と。なんか呪術・宗教チックですが(笑) しかし模型を作る際、こういうのって案外大事なことなんじゃないかなと思ってます。

そういうのは以前から考えてはいたんですが、この本を読んでからそういうスタンスをもっともっと意識的にしてさらにキッチリやっていこう、と思ったんですね。逆に言うと、その辺を突き詰めないと多分「いいもの」は作れないんじゃないかと。

そうやって「ちょっと考える」ようになるためには、例えばこういう本を読むことは非常に大事なんですね。要するに、先にも書きましたがこの本に出会ったことで私の「本土決戦ジオラマ」に芯・背骨が入ったんです。作りながらこの本を思い出して「この人はああで、この兵士はこうで」と考えると、酔っ払ってても背筋がピシッとなるような(笑)

しかしこの本、2回しか読んでないんです。先日再読しました。10年以上ぶりでしたが、ほとんどの登場人物のことはよく覚えてました。そういう意味でも凄いなあ、と。彼らは「生きてる」んですね。凄い作家ってほんとに凄いんだ、と(語彙力崩壊)

この本はほんとに多くの人に読んで欲しいのですが、残念ながら絶版で入手難です。以前からこの本をブログなどで紹介したいなあと思ってたんですけど、絶版の本をお薦めするのもなんだなあ、とそのままになってました。

しかし、先日再読して「そんなの関係ねえ!いい本はいいんだ!」とツイッターでUPしました。すると、想像以上の反響がありました。有名なフォロワーさんが、購入して下さりご自身で感想をツイート(高評価で嬉しかったです)されたこともあって、反響はさらに広がりました。

で、アマゾンの中古は全部なくなってしまいました。ツイートする前は3000円クラスのが3冊くらいあったったのですが、それはすぐ売れ、1万円越えのプレミアつきのまではけてしまい、びっくり。それはツイートの翌日だったので、まあ多分私のせいなんでしょう(恐ろしいことです、、)。その後日本の古本屋やヤフオクでも見当たらなくなってしまいました、、。なんといいますか、こういう本が読みたいという需要が想像以上にあったということなんでしょう。しかし「読みたいけど売ってない」というコメントもあり、非常に心苦しかったのでした。

すると、私のツイートを見たある方が「復刊ドットコム」でリクエストされていると教えてくれました。ここは、絶版の本のリクエストを個別に募り、ある程度の票が集まると版元に再版を交渉してくれる、というサイト(会社)です。サイトに行って見ると、確かにリクエストされてました。で、こちらも「ツイッターで見たけど売ってないから」(意訳)とコメントが。日付もツイートの翌日(汗)

行き掛かり上、これはもう協力せねば、と私も投票しました。コメントは以下の通り。重複してますが再録します。

「日本本土決戦を描いた小説の大傑作。日米の軍人民間人が入れ替わり立ち代り登場する群像劇です。突入までのわずかな時間で17年の人生を振り返る白菊の特攻隊員、親が売った中古車のことが何故か頭から振りほどけないままま日本本土に上陸する米の新兵、それを迎え撃つ都会育ちの日本軍上等兵、度重なる戦闘のせいで幻覚を見始める腕利きの米歩兵、息子や教え子を引き連れて米軍戦車に向かう小学校の校長などなど、リアルすぎる人物描写に絶句します。読んでいるうちに、自身もその戦闘の渦中にいるような気がして、本土決戦の「ノンフィクション」を読んでいる気になってしまいます。そして、ふと「ああ、これはなかった戦闘だったんだ。小説なんだ」と気が付いて心底ほっとします。小説の「力」を心の底から感じさせてくれる傑作です。今でこそ、多くの人に読んで欲しい1冊です。」

以上です。熱い、というか暑苦しい(笑)

このリクエストは、どうも期限がないようでとにかく投票が集まるのを待つ、というシステムらしいです。もし「読みたい!」という方はぜひ投票して下さい。もちろん匿名・HNで投票できますし、登録は簡単です。

しかし、現在13票。なかなか難しいかもですねえ、、。しかし、他の復刊された本の投票数を見ると数百票で復刊されてたりもするので、投票してみる価値はあると思います。要は「これが復刊されたら買う!」という人がどれくらいいるのかのマーケティング、ということですからね。数百人が意志表明するだけでも、プロの方々は「これは売れる・売れない」が分かるんでしょう。

これとは別に、確実にこの本を読む手段はあります。図書館です。身近な図書館に蔵書がなくとも、リクエストすると蔵書のある近在の図書館から取り寄せて借りることができます。数週間くらいかかる(これは図書館によって違うかも)のですが、一番確実な方法です。どうしてもすぐ読みたい!という方はこちらを利用してみてください。それにしても、図書館はこういうサービスをきちんとしてくれるからほんとにありがたいですね、、。

で、近いうちに早川書房さんに個人的に再版希望のメールを送ろうかな?と思ってます。まあダメもとではありますが、一定数の需要がある、ということだけでもお伝えしておこうかな?と。

それにしても、不思議なんですね。とても素晴らしい小説なのに、なぜ再版も文庫化もされないのか。外国の小説ではありますが日本が舞台ですから関心は高いでしょうし(ツイッターの反響を見てもそれがよくわかります)、営業的にもハードルは低いはずです。ひょっとすると、権利関係などで再版が難しいのかも?とも思ったりもしますが、その辺は部外者には分からないことです。なので、まあいち読者として「とてもいい本なので紹介したい。復刊してほしい」とこういう風にアピールすることは問題ないだろう、とUPした次第です。

というわけでお終いです。今回は文章ばかりでしかも長々と書いてしまいました。ああ、それにしてもこの本たくさんの人に読んでほしいなあ、、。

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