goo blog サービス終了のお知らせ 

森男の活動報告綴

身辺雑記です。ご意見ご感想はmorinomorio1945(アットマーク)gmail.comまで。

第4回酩酊読書会

2025年06月29日 | 書評
今回は久しぶりの酩酊読書会です。要はお薦めの本の紹介です。これまではほぼ活字本ばかりでしたけど、今回は漫画編です。

「ミハルの戦場」(原作・濱田轟天 作画・藤本ケンジ 小学館)
203X年、諸外国によって分断統治されメチャクチャになった日本で、狙撃兵として生きる少女の物語。舞台はいわゆるディストピアなんですが、そのディストピア具合が実にリアルで「人ごとじゃねえなあ」感が半端ないです。

市民(というか農民)の服はつぎはぎ、靴は底の抜けたスニーカーやサンダル。主食は米ではなく稗。電気は発電機で作られ(発電所なんてない)夜は真っ暗、ミハルたち子供は「エアコン」という単語すら知らない、、、。

夢も希望も無い非常にキツイ世界なのですが、それでも人間同士の「信頼」「信義」というものは少ないながらも残されていて、それらを大切に守っている人達はいる。人に頼らず生きてきたワンマンアーミーのミハルは、そういう人達と出会うことで徐々に自分の居場所を見つけていきます。

それはいわゆるヒューマニズム礼賛かというとそうではなく「個人が生きるためには他人の助けがいる。なので信用信頼は必要」といったドライな感じではあるのですが、それがとてもリアリティがある。とはいえヒューマニズムとしてのそれももちろん大切、ということも伝わってきます。バランス感がいいなあ、と。

ここで描かれる「人と人の信用・信頼の大切さ」は恐らく作者の願いなのでしょう。そして、私たちもそういうものを大切にしたいと思ってて(ですよね?)、その作者の願いが切々とこちらに伝わってくるから「いい漫画」になってるんだろうな、と思います。

しかしながら、ミハルのいる世界は容赦のない厳しい世界であることには変わりありません。この物語がどういう風に流れいかなる結末を迎えるのか。次巻がとても楽しみです。ゼロ話(単行本での1本目)をエックスで読んで「凄えなあ!できたら続きは本で読みたい!」と思ってたので、単行本になって嬉しかったです。個人的な印象ですが、読んでいて村上龍氏の小説「5分後の世界」(これも超お勧め)を思い出しました。この小説が好きな人には特にお勧めです。

「ビューティフルプレイス」(松本次郎 小学館)
舞台は「ミハルの戦場」と同じく近未来のディストピアの日本です。でも状況的には違います。内戦により都市部は市単位で分断され、街では「挺身活動」と呼ばれる武装した女子高校生による治安維持活動が行われており、その女子高生たちが主人公。松本次郎氏の真骨頂的な漫画ですね。

基本的にドンパチ・格闘で読ませるエンタメ漫画なんですけど、「女子攻兵」同様表面はエンタメなんですが、もちろんそんな上っ面だけじゃない深みがあるのも松本次郎漫画の真骨頂です。

主人公(挺身活動に何故か志願してきたアッパークラスの日仏ハーフのお嬢様)を除いて、女子高生も犯罪者も全員素行が悪く、かなりやさぐれてます。でも、よくよく読んでみるとどの登場人物もどこか「最後の一線を越えないまともさ」を保ってます。

例えば、冒頭で射殺されそうになる反社組織のオッサンは、事務所に乗り込んできた挺活女子高生の仲間割れの乱闘(不手際のあった後輩を先輩が一方的に殴る)を見て止めようとします。そのセリフは「俺の事務所でそんな乱暴なことするんじゃねえ」。つまり止める理由は「自分の縄張りで勝手なことをするな」なんですが、本音は「無抵抗のやつを殴るのを止めろ」なんですね。実際、その後そのオッサンは反社は反社なりに「まともな奴」であることがわかってきます。

こんな感じでセリフの端々にそういう「各登場人物のまともさ」が細かくちりばめられている。普通の作品だと、こういう荒くれたちはそういう「まともさ」を「ギャハハ」と笑い飛ばすようなキャラにされがちです。でも、この漫画にはそういうキャラはいない。でも、その世界はやっぱり狂ってるわけです。

みんな言葉も態度も悪いし、全員が刺青入れてるしで実にお行儀がよくない。しかし「こんな世界で「まともさ」を全て失ったら自分の気が狂う」ということをみんな分かってるんですね。そういうギリギリな世界。そしてその「まともさ」を、注意しなければわからないレベルで入れ込んでいるのが凄い。松本次郎氏は、どの作品も表面だけを見るとエログロバイオレンスなんですけど、底には「まともさ」が流れているんですね。

「ビューティフル・プレイス」「女子攻兵」は短編集「善良なる異端の街」(Bdmfマガジン)の「女子高兵」「PARLOR31」が原型となっているようです。どっちも読まれて興味を持った方はこちらも読んでみてください。

「大友克洋全集5・6」(大友克洋 講談社)「地上の記憶」(白山宣之 双葉社)

大友克洋全集は、徐々に巻を重ねてきましたね。大友氏の短編は単行本未収録のものが多く、収録済みのものでも単行本自体が初版以降絶版だったりします(「GOOD WEATHER」など)。なので全集は読んだことがないものが多くてとても嬉しく、続巻を楽しみにしてます。そういう方、多いんじゃないでしょうか。

6巻の「G.....」は未完作なので単行本への掲載が望み薄な作品だっただけに、念願がかなって感無量です。ずっと読みたくてたまらんかったんですよ。内容もとてもよくてほんと幸せです。

あらすじとしては、アフリカのある国の内戦に反政府軍が新鋭機のミグ23を投入。政府は窮地に立たされます。政府軍を主導する傭兵部隊長は、母国のドイツに戻り元上官のドイツ空軍パイロットを尋ね応援を要請します。その老齢パイロットはミグに対抗できるクラスの戦闘機で応援に来てくれるかと思いきや、当時のメッサーシュミット109に乗ってアフリカにやってきた、、、。というお話。面白そうでしょう(笑)でも先に書いたとおり、連載は未完でクライマックス前で途切れています。残念、、。大友氏の作品解説によるとタイトルの「G」はメッサーG型のGだそうですけど、爺さんのGでもあるんでしょうね。

大友氏の作品は「AKIRA」「童夢」などが有名ですが短編もとてもいいですよね。俯瞰でみてみると「これまで誰もやったことのない」ものを常に試みようとする人なんだなあ、ということがよく分かります。逆に、前に描いたようなものは以後描かないという。なんというか、自分の中で「ルーティンワーク」「焼き直し」をとても嫌がるタイプの作家さんなんでしょうね。そして、それらを読んだ他の漫画家に「こういうの描いてみよう」と思わせるだけの影響力があったんだろうなあ、と。

さて、「全集」の巻末には大友氏による各作品解説が載ってます。氏が執筆時の思い出を含め自作について語ることはほぼないので、これも読んでて楽しいです。編集部との軋轢(Gはそれで未完となった)もあっさりと書いてるのもいい(笑)。

で、今まで知らなかったのですが「G」の原作は白山宣之氏(2012年に逝去)だったんですね。大友氏によるといわゆるシナリオライターとしての原作者ではなくて、なんとなく流れ的にそうなったようなのですが。で、私がずっと読みたかった別の短編「遠い祭り」(5巻所収)の原案も白山氏だったんですね。

「遠い祭り」のあらすじはこんな感じ。南の無人島に貸切のレジャーボートで釣りに来た会社員の一行が、島内に戦車など日本軍の兵器が残されているのを発見します。ここは戦争中軍が駐留していたらしい。会社の年配の会長が、それらを見て当時自分は兵士でサイパンの生き残りだと明かします。それをきっかけに会長が徐々に当時の「日本兵」に戻って奇異な行動を取りはじめ、、、というお話。

白山氏は、大友作品とは別に自分の中で好きな作家でした。「地上の記憶」は白山氏の追悼集でもあり、縁のあった漫画家さんたちが追悼ページで白山氏との思い出を綴っています。もちろん、大友氏も追悼文を寄せています(本のデザインも担当)。なので両氏は旧来の知己であったことは知っていたのですが、自分の中でずっと読みたかった大友作品の原作が白山氏だったと知り、驚きました。でも「ああそうか」と、とても得心したという。どちらの大友作品もそのつもりで読むと白山テイストなんですね。

白山テイストがどういうものかを言葉で説明するのはとても難しいですが、例えば、先の2作のように「あの戦争」が大きく影響している作品が少なからずあります。でも、それだけじゃないですね。シリアスで真面目というよりは基本的にエンタメとしての漫画を追求されようとしていたような印象です。同時に芸術性のある、静かな日本映画のような(変な比喩かもですが。でもそういう良質な映画を観てるような気になるんですね)短編も多々あります。

大友氏とはまた違う文脈での実験的な作品もあり、白山氏は白山氏で作家性を追及し続けていたんだなあと。例えば「小津安二郎監督が怪獣映画を撮ったらどうなるか」、という作品「宇宙大怪獣ギララ」(「幻の花」復刊ドットコム、「少年塔」マガジンハウス所収)もあるんです。で、ほんと小津の怪獣映画みたいなんですね(笑)。氏は漫画の可能性の凄さをとてもよく分かっていて、それを具現化してみようという意欲が各作品から伝わってきます。年齢的に今もまだ現役で描かれててもおかしくはない方だっただけに、ほんと残念です。

白山氏の著作はこのほかに「10月のプラネタリウム」(マガジンハウス)があります。どれもとてもいいので興味のある方は手に取ってみてください。ただ、どの本も古書で売ってはいますがプレミアが付いちゃってますけど、、。「幻の花」は適価のキンドル版があります。

ちなみに、話は戻りますが単行本になっていない大友作品の存在をなぜ知っていたかといいますと、こういう本があるんですね。

「ユリイカ 88年8月臨時増刊」(青土社)です。関係者の寄稿(冒頭は手塚治虫氏!!)や評論など、1冊丸ごと大友特集という本です。

この中に、この頃までの全作品解説があって、それで未読の作品について知識を得ることができたわけです。

カットも多々掲載されていて、当時古本でこれを手に入れた高校生の私は「これ読みてえ!!あ、これも!ひー!」って悶絶してたんですね(笑)。とても有難い本なのですが、罪深い本でもあったという(笑)。で、ん十年を経て今こうして欠けたピースを埋めてくれているのはほんと生きててよかったなあ、と。今後ほんと楽しみです。

「ヤンバルの戦い 国頭支隊顛末記」「死闘伊江島戦」(しんざと けんしん作 石原昌家監修 琉球新報社)
しんざと氏は長年精力的に沖縄戦をテーマにした漫画を描き続けている方で「ヤンバルの戦い」は最新作となります。しんざと作品は「本当に凄い」としか表現のしようがありません。

どこが凄いかというと沖縄戦を徹底的に調べた上で、自身の表現力を駆使し、可能な限り漫画で再現しようとしている点です。そしてそれは、見事に達成されています。読んでいるうちに当時の過酷な状況にどんどん引き込まれ「ああ、沖縄戦ってこういう感じだったのか」と「体感」したような気持ちになっていきます。

戦争を表現する作品は古今東西多々あります。作品によっては「作者が戦争についてどう思っているのか」という意図が強く出ているものもあります。それは作者の製作意図なので、だからどうこういう気はありません。で、しんざと作品にはそういう意図がありません。氏はただただ「事実」を描くのみ、なのです。圧倒的な画力と構成で「事実」を淡々と私たちの前に提示し続け、その「事実」について受け手が「どう感じるのか」「どう思うのか」を委ねています。

それが氏なりの「意図」なのかもしれませんし、実際読んでいると自分がその「事実」(目を背けたくなる非情なものばかりです)を突きつけられていることに気付きます。先に書いたようにしんざと氏はその「事実」についての評価(これはいいこと、おろかなこと、など)は一切しません。なのでそれについて「自分はどう思うのか」を考えざるを得ないのです。そしてそれは非常に大事なことだな、と思います。

戦争に限らず過去の出来事というのは、その後時間を経れば誰でも好きなようにジャッジすることが出来ます。こんな楽なことはないです。でも、苦渋をなめた当事者からすると噴飯ものです。「その当時、そこにいなかった人間に何がわかるのか」と。当たり前のことです。けど、私たちってそういう基本中の基本をすぐ忘れちゃうんですね。

しかし、しんざと氏の作品を読むと「その当時のそこ」にいるような気分になり、その「基本」が後頭部を殴りつけてくる。そしてその大事な基本を抑えた上で自分なりに考えようとし始めるわけです。この違いは大きいです。

もちろん作品が「絶対の真実」であるわけではありません(そもそも、これは「漫画」なのです)。しかし、読後には「本当にこんな感じだったんだろうな」という確信に近い気持ちになっているという。それは、先に書いたようにしんざと氏らの綿密な調査のたまものでしょう。

作品の「本当らしさ」は事実関係の調査が下地になっていることは疑いはないのですが、かといってそれらを羅列するだけでこういう作品が自動的にできるわけではありません。「事実」を「作品」に昇華させるためには作者の高い想像力や実力が必須なんですね。さじ加減、といってもいい。それが絶妙なんだと思います。

例えば、しんざと作品の日本軍は本当に「日本軍らしい日本軍」です。私はそれなりにずっと日本軍に関する本を読むなどしてきましたが(詳しい人からすると、たかがしれてはいるでしょうけど)、作品内の日本軍は組織としても、各将兵の立ち居振る舞いなども、いいところも悪いところも全てイメージ通りでした。「ああ、ほんとにこういう感じだったんだろうなあ」と。それは調査をしっかりしたというだけではなく、それに加えて作者の想像力(つまりさじ加減)が卓越しているからでしょう。

また、戦争漫画なのですが徹頭徹尾シリアスというわけではなく、ところどころでギャグがはさまり、こちらの気分をほぐしてくれます。戦争とはいえ人間の営みですから、悲劇ばかりではなく笑うことも多々あっただろうな。そりゃそうだよな、と。これも意図した構成とすれば凄いよなあ、と思います(多分そうでしょう)。そういうの込みでトータルでの戦争を表現しきった稀有な作品だと思います。

ただひとつ、残念なのがどの本も発行部数が少ないためか入手が難しいという点。新刊、すぐ売り切れちゃうんですよね。過去の作品はほぼ入手できません(出てきてもプレミアが付く)。これはもう仕方ないんですけどね。私がいうのもなんですけど、これはほんとより多くの人に読んでもらわんとアカン作品群なので(特に、中高生とか若い人に読んでほしい)もうちょっとなんとかならないかな、と思ってるんですけどねえ、、。

というわけでお終いです。この読書会もなんだかんだで全然更新できてないので、また近いうちに書きたいと思ってます。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

端島(軍艦島)の本の紹介

2024年12月15日 | 書評
いま、テレビで「海に眠るダイヤモンド」(TBSテレビ 日曜劇場)というドラマが放送されています。軍艦島として知られている端島を舞台にした物語です。端島は戦前から国内の重要な炭坑のひとつとして栄え、狭い島内に多くの住居用ビルが立ち並び、その外観から軍艦島というニックネームが付けられました。一時は世界一の人口密度だったことでも知られています。

ドラマは、その往時(1955年以降)を舞台にしています。脚本は非常に練られており、役者さんも皆さん素晴らしく、島内の建物や炭鉱の様子などの再現度も非常に高くて痺れてしまいます。要はほんとにいいドラマです。お薦めです。私は毎回楽しみに観ています。

私は子供の頃から端島に興味をもって、あれこれ本を集めていました。今回ドラマを観て改めて読み返したりしています。というわけで、今回は端島について書かれた本をいくつか紹介したいと思います。

ちなみにこの島の呼称は「軍艦島」が一般的と思いますが、本当の名前は端島(はしま)ですし、元島民の方々も端島と呼んでいます。なので以後も基本的に端島と表記します。

●「軍艦島 実測調査資料集(追補版)」阿久井善孝・滋賀秀實 東京電機大学出版局
書名のとおり、島の全て(多分)の建物を実測調査し図面化したものです。「図面化した」と書くと5文字ですが、島をくまなく回って調査して計測して図面にしてって、もの凄い労力です。で、それが本になっている。情報量の多さにくらくらします。当然分厚い本となってます。

このように大判の折込図面も多々収められています。図面だけでなく、要所要所に分かりやすいイラストによる建物の構造・構成の解説もあり、文章では島の歴史、建設の経緯を紹介しています。
島に関する書籍としては「バイブル」のような本です。初版は1984年で、以後幻の本となっていましたが2001年に追補版として再販されました。

私は学生の頃この本の存在を知ってから、ずっと購入できればとあれこれ画策してみましたがダメでした(東京電機大学に電話までした)。そもそも、古書店で売っているのを見たこともなかったです。

しかし、学生時代住んでた大阪の図書館に蔵書があることを知りました。しかもなんと貸し出し可という。結構遠方でしたけどバイクを飛ばして借りに行きましたね。で、全頁をコピーして簡易製本機(バイト先にあった)で製本までしました。今から考えるともの凄い熱意です。

その後、オンデマンド版として発売され(90年代後半だったと思う)それにも飛びつきました。しかし、コピー本ほどではないにせよ、画質はそれなりでした。そして今回紹介した追補版が発売され、やっと夢がかなったわけです。というわけで、個人的にとても思い入れのある本なのですね。

追補版を入手したこともあって、先のコピー本は処分し、オンデマンド版は売ってしまいました。今から考えるとどっちもとっておけばよかったなあと後悔してます。

余談ですが、大友克洋氏の画集「KABA」に、氏の作画の資料(書籍や小道具など)を山のように積んだ写真が収められているのですが、その中にこの本が結構目立つ場所にドーンと鎮座ましましてます。「あー、そうだよな。大友氏のような漫画を描く人なら資料として絶対買うよな」と。氏のはもちろん初版本でしょう。あー、羨ましい(笑)

で、この追補版は今でも入手はできると思います。しかし結構なプレミアが付いてしまう本(さっき探したら10万円だった、、)なのが惜しい。けど仕方ない。しかしこの追補版のおかげで全国の図書館の蔵書はかなり増えたんじゃないかと思うので興味のある方は図書館で借りてみてください。地元の図書館になくても、蔵書のある近在の図書館から無料で取り寄せることができますよ。ほんと、図書館の制度って有難いですねえ、、。

●「[復刻] 実測・軍艦島」 東京電気大学 阿久井研究室 鹿島出版会
「都市住宅」誌に掲載された島の記事を復刻・追捕した本です。先の「実測調査資料集」の図面も一部転載されています。写真も「実測ー」には載っていないものが多々あります。

内容的には「実測ー」を補足補完するような感じです。例えば建築とは直接関係のない「島内の植物」については「資料集」では少し触れられている程度です(当然ですが)。しかしこちらでは1章を割いて植生や花壇の様子など詳しく書かれています。なのでこの2冊があれば端島についてかなりの知識を得られます。

ただ、以上の2冊は専門家による研究者に向けた書籍ですので、私のような門外漢には難しい部分も多々あるのですが、それは学術的にしっかりとした内容であると保証されているということでもあります。なので基本書籍として非常に重要なものだと思います。

●「軍艦島 全景」O-PROJECT 三才ブックス
島内の建築物を全て網羅・解説している本です。現在と当時の写真を織り交ぜながら各建物を紹介しており、とても分かりやすいです。
写真がメインの本なので、各建物の解説は簡潔なのですが情報量が非常に多く、かつメチャ濃いです。例えば公民館(39号棟)では「1階の図書室にはコミック本が置いてあったので学校の図書室より人気があった」とかとか。

とにかく徹底的に調べた上で纏め上げたんだろうなあ、と思います。火葬場や公園のあった隣島の中ノ島(当時から無人島)の解説までしています。公園はドラマにも出てきましたね。端島関係の本で、中ノ島まで紹介するものはまあないのでこれにはびっくりしました&嬉しかったです。とにかく「濃い」んですこの本。

それぞれの建物がどういうものだったのかを知りながら、同時に当時の島の生活についても知ることができます。当然ながら建物は人の住むものなのですが、端島の建物はより深く人々と繋がりのある大切な存在だったのかもなあ、とも。

いずれにせよ、この一冊でかなりの知識を得ることができる良書と思います。近年に発行されたのでまだ比較的入手しやすいのもいいですね。

●「記憶の「軍艦島」」綾井健 リーブル出版
「崩れゆく記憶」柿田清英 葦書房
「NO MAN'S LAND 軍艦島」小林伸一郎 講談社
「軍艦島 眠りのなかの覚醒」雑賀雄二 淡交社
端島は「廃虚の島」として知られていたので、廃虚系の写真集が多いです。これらはその一部です。

それぞれどれもいい写真集です。個別に紹介したいところですが、写真集を評論するというのはなかなか難しくここではオミットします。なんと言いますか、チョクでご自身の目で見て感じてください、という。

島を訪れて写真を撮りまくったという人(プロじゃなくてアマチュアの方です)に話を聞いたことがあるのですが、島内はとにかくフォトジェニックすぎて、誰が撮っても同じような構図・作品になってしまうので困ったとのこと(笑)まあ、そうでしょうね。ここで「この写真は●●氏にしか撮れない」みたいな写真を撮るのは至難の技だろうなあというのは、これら写真集だけでなく他の写真集を見ていてもそう思います。

なんであれ、端島関連の書籍で一番多いのはこれら廃虚系写真集です。目にする機会も多いと思いますので、その際はぜひご覧になってみてください。

さて、私は廃虚に興味があったので、端島はそもそもその延長線というか、ゴールとしての「軍艦島」でした。廃虚趣味界隈からすると、端島はとにかく「廃虚の横綱」みたいな位置付けだったんですね。先の写真集も著者の意図はともかく、受け手としてはそういう受け止められ方だった面もあるかと。何より私がそうでしたから。

また、ACのテレビCMでこの島のことを知り、興味を持ったという方は多々おられるかと思います。私ももちろんそうです。このCMは80年ごろから何年かにわたって放送されたもので、今端島に興味を持っているアラフィフ以上の世代は間違いなくこのCMがきっかけだったといっても過言ではないでしょう。誰に聞いてもこのCMの話が出てきますからね。それくらいのインパクトがありました。そしてこのCMも「人が居なくなって荒れ果てた廃虚」としての島がクローズアップされていました。

で、私はそんなこんなで端島に惹かれた1人として、以後関連する本があれば喰いついていたわけです。しかし、そのうちに「なんか違うな」と思うようになりました。島のことをあれこれ知るうちに、廃虚よりも「生きていた頃の島の様子」に興味が移っていったんですね。島の建物内には家具や食器、電化製品、衣類、子供のオモチャなどなど無数の生活用品が残されていて、それらは時間と共に汚れ朽ち果てて絶好の被写体として写真集にはその多くが載せられています。

そういうのを見ているうちに「ここではどういう風な人がどんな風に暮らしていたんだろう?」と思うようになっていったんですね。勝手な話ですが、今では廃虚としての端島よりも、生きていた頃の端島のほうに興味があります。とはいえ、当時の様子を知ることができる書籍というのは案外ありませんでしたが、徐々に出版されるようになりました。以下、それらを紹介してみます。

●「軍艦島の生活<1952/1972>」NPO西山三記念すまい・まちづくり文庫編 創元社
「軍艦島 海上産業都市に住む」阿久井喜孝・伊藤千行 岩波書店
「海上産業都市に住む」は95年の発行です。この頃は端島は今ほどメジャーではなかったので、島の資料そのものとしても非常に貴重な本でした。確か、当時としてはここまでまとめられた本として唯一だったかと。かつ大手出版社発行ということで入手もしやすくご存知の方も多いかと思います。

現役時の島の写真が多々収められており、活気にあふれた島だったということがよく分かります。また、巻末には当時島で働いていた方2人と阿久井氏の鼎談が乗っています。

「軍艦島の生活」の西山氏は住宅学者で、国内の住宅(文化住宅や長屋など、ごくごく一般的なもの)を綿密に取材研究されていた方です。その一環として端島にも訪れ、この本はその際撮影した写真が多々収められています。氏は52年と70年に訪れており、70年の調査時はカラーフィルムで撮影しているので非常に貴重です。当時のカラー写真ってほんと少ないんですね。原色の写真を見ていると島の生き生きとした空気が伝わってきます。巻末には島内の生活環境に関する論文が掲載されています。

当時の島内を撮影した写真が収められた書籍はまだあります。

●「あの頃の軍艦島」皆川隆 産業編集センター 
「軍艦島 失われた時を求めて、、、」軍艦島を世界遺産にする会
「あの頃の軍艦島」の皆川氏は、当時島で働いていた方で、写真撮影が趣味でした。楽しそうに遊ぶ子供たちの様子など、住民だったからこそ撮れたんだろうなあ、という写真が印象的です。温かい感じがするんですね。

「失われたときを求めて」は「世界遺産にする会」が発行したこともあって、複数の島民の方が当時撮影された写真が多々収められています。坑内の採炭風景を撮った写真は特に貴重かと。炭鉱の島ながら、実はその殻である炭坑内の写真ってあまりないんですね。また、82、90、02年の島の様子も収められています。島は歳を経るごとに建物が崩壊するなど徐々に変化していっていますので、その辺を知ることができるのも貴重です。

以上は写真メインの本ですが、当時の様子を文章で綴った本というのはこれまたあまりありません。私の手持ちの本はこれくらいです。

●「私の軍艦島記」加地英夫 長崎文献社 
「軍艦島の遺産」坂本道徳・後藤惠之輔 長崎新聞新書
「1972 青春軍艦島」大橋弘 新宿書房
「軍艦島の遺産」は「世界遺産にする会」が発足して間もない頃に出版されました。島を紹介する文章が主体の本としては恐らく初だったんじゃないかと思います。これ一冊で「端島とはなんだったのか」を簡潔に理解できる優れた入門書です。「石炭とは何か」から始まって、日本の炭坑史、端島の歴史、採掘の変遷、島内の様子などなどが解説されています。

著者のひとり、坂本氏は「世界遺産にする会」を立ち上げた方で、かつ閉山直前の7年間を島で過ごされています。氏は当時中高生で、この本では狭い住居をどう工夫して暮らしやすくしていたかとか、学校の様子、銭湯やトイレ事情などなど非常に具体的な回想を記されており、興味深く読みました。なんせ、当時そういう情報自体皆無でしたから。

この本が出た頃(05年)は島はまだ世界遺産にはなっておらず、知名度も前よりは高くなったけれどまだまだ、というような感じでした。「もっと詳しく知りたい」と思ってはいましたが関連本はまあ出ることもなく、たまに何か出たら手当たり次第に買っていました。とはいえ、まあほぼまったく出ないので大した出費にはなってないのですが(笑)で、この本が出たときはほんと嬉しかった記憶があります。先の坂本氏の回想録は特に嬉しかったですね。

「私の軍艦島」の加地氏は島で生まれ育ち、進学で長崎に出た後(このときに被爆されています)、また島に戻り就職し、閉山まで過ごされました。つまり、かなり稀有な経験をされた方です。この本は氏の自伝なのですがそのまま「端島伝」にもなっているわけです。

氏は炭鉱の職員(炭坑内の機械を整備する工作課。職場は坑外の地上にある)だったので職場の環境や組合活動など内部にいなければ分からないことを具体的かつ的確に語られています。例えば、ドラマでは加盟組合の所属を決める選挙がありましたが、その経緯についても詳しく説明されています。

「1972 青春軍艦島」はちょっと毛色が違う島の生活記&写真集です。これまで紹介した本に載っている、当時の島の生活の回顧録はどれも島に住んでいた方々によるものです(当然ですが)。大橋氏(「橋」の字は別の字体ですが、フォントがなかったです。ご了承下さい)は写真家で、若い頃長崎で写真修行をしている際に、お金がなくなり島での求職ビラを見て応募。半年間島で暮らします。その際の記録をまとめたものです。

仕事は炭坑資材(坑木やコンクリートの袋など)の荷揚げで、過酷な肉体労働です。でも賃金がいいので氏は飛びついたわけです。学生でも勤め人でもない、けど将来の夢を持つ若い青年が日本でも稀有な環境の島で働く様子が、生き生きと記されています。

基本写真集なので文章の部分は少ないのですが、当時の職場や島の様子を飄々とした感じで書かれていてとても楽しいです。「一杯飲み屋にはのんべばかりが来てて、仕事前に焼酎をがぶがぶ飲んでいくおっさんがいた」「島に家族のいるパートのおばちゃん(といっても30代)と、流れの若い兄ちゃんが駆け落ちした」とか、他の回顧録ではまあ出てこない「俗っぽい端島」の話が多々出てきます。写真は、職場の様子や仲間の姿を活写しており、みんなとてもいい顔をしています。「ああ、楽しんで働くってこういうことなのかな」と。

また、氏にあてがわれた部屋は30号棟の1階でした。30号棟というのは「日本初の鉄筋コンクリート建築」として知られる有名な建物です。これは凄い!羨ましい!とコーフンするのは一部の人だけでしょうけど(笑)、当時の若い橋本氏からすると「暗くてジメジメした狭い部屋」でしかありません(笑)。そういうのもいいですね。この時期になると人口はかなり減っており、部屋が余って古い30号棟は人気がなかったのでしょう。実に貴重な証言です。とまあ、そんなこんなでとてもいい本です。

あと、本ではないのですがこういう冊子があります。昭和30年から38年まで端島中学校教員を務めた山崎末人氏による回顧録です。
昭和32年、端島小中学校は火事で全焼し死者1名、負傷3名を出しました。亡くなられたのは教員の方です。そしてこの山崎氏は負傷した1人です。

この回顧録にはその際の様子も記されており、教員としての生活記録ともどもとても貴重なものと思います。島ならではの生徒たちとの親密な関係や、一方で自分がオフの時にどこで何をしているのか生徒たちには筒抜けだったことなど、先に紹介した本の著者らの鉱員や学生とはまた違う立場の人の島の生活の様子が興味深く描かれています。

で、この冊子どこでどうやって入手したのかよく分からないんですね。「失われたときを求めて」に挟んであったので、恐らくこの本を購入した際のおまけとして入っていたのかもしれません。この冊子だけはちょっと入手が難しいと思うのですが、ひょっとすると製本してどこかの図書館に蔵書されている可能性もあるので紹介しました。

あと、当時の島の暮らしを知る本としては、変り種(?)として絵本があります。

●「軍艦島グラフィティ」むらかみゆきこ 不知火書房
むらかみ氏は、端島で生まれ8歳のときに閉山とともに島を離れた方です。閉山時は小学生で、子供からみた島の生活を絵と文章で生き生きと描いています。迷路のような島の建物で追いかけっこしたり、友達の部屋を探して迷子になったりと、子供ならではの視点が新鮮です。また、当時の写真もところどころに掲載されていて、これまた貴重だと思います。

というわけで、これらの本の著者はそれぞれ「小学生」「中高生」「鉱山職員」「学校教員」「短期の外部労働者」と年齢も社会的立場も違うので、一通り呼んでみると、おぼろげながら島の生活の様子が多層的に理解できるような気がします。これからもこういう書籍に出会う機会があれば読んでみたいですね。例えば、島には駐在所があってお巡りさんが2人常駐していたのですが、その勤務はどういう感じだったのかなあ、とか。島で犯罪が起きることははまあなくて、駐在所には牢屋まであったのですがほぼ使われたことがなかったとか。また、ドラマでは朝子の食堂が出てきますが、島には他にもお店が多々あって、そこがどういう営業をしていたのとかも知りたいですねえ。

最後に本じゃなくてDVDを紹介します。

●「軍艦島1975」無援舎
タイトル通り、閉山直後の1975年に撮影された記録です。どういう経緯で撮影されたのかはわからないのですが、閉山直後なのでほぼ現役時の様子と考えていいと思います。先にも書きましたが、端島は閉山後徐々に崩壊が進んでおり、時期によって様子が変わっています。その一番最初はどういう感じだったのかを知る資料としても非常に貴重です。

例えば、鉱山のための事業区画(島の東部)は早い段階で更地にされたようなのですが、閉山直後は結構な建物や資材が残されていたことが分かります。「青春軍艦島」の大橋氏が操作したという大型クレーンも残されています。とはいえそのまま残されているわけではなくて、地面にキャタピラの痕があるので、大型の重機である程度の解体作業がされたことが伺えます。

また、以後比較的早い段階で崩壊してしまった木造建築の様子も貴重です。床の間のある日本家屋は鉱長の社宅でしょうか。あと、犬や猫の姿も写されていてちょっとびっくり。島内の自動車は「オート3輪1台のみがあった」と複数の書籍で書かれてますが、この映像には軽トラ(ミニキャブとかそうういうの。詳しくないので車種の特定はできないんですけど)が写っています。閉山の頃にはオート3輪から軽トラに変えられていたのかもしれませんね。

というわけで、関連資料の紹介は以上です。さて、建物というのは人が住んでいないとどんどん痛み崩壊していきます。外海にあるため台風の被害をダイレクトに受ける端島はなおさらで、閉山時から崩壊していく運命にあったともいえます。先日、30号棟の一部が崩落する動画を観ましたが、なんともいえない哀しい気分になりました。建物全てを保護保全してほしいという意見もあるとは思いますが(私ももちろんそうです)残念ながらかなり難しいでしょうね。できることがあるとすれば、可能な限り現状を記録していくことぐらいでしょうか。そういう意味でも、これら各種資料は大切なものなんだと思います。

映像記録でいえば、島を舞台に撮影された映画に「緑なき島」(松竹映画 1948年)があります。残念ながらフィルムが行方不明だそうです。これもほんと観てみたいんですけどね、、。いつか発見されることを願っています。

先に書きましたが、以前は端島は「知ってる人は知ってる」くらいでしたが今では「誰もが知ってる」存在となりました。「海に眠るダイヤモンド」のようなドラマが作られるようになったのはその証でしょう。ここまで有名になったのは「世界遺産にする会」はじめ関係各位の方々の努力の賜物と思います。あくまで個人的な印象なのですが以前と現在では関連書籍の発行点数も違ってきたように感じます。要は、有名になると企画が通りやすくなるってことなんでしょうね。いちマニアとしては感謝の言葉もありません(感謝されても困るでしょうけど。でもほんと有難いんです)。

さて、ドラマは最初に書いたようにとても素晴らしいんです。私はそれほど島について詳しくないのですが、それでもドラマを観ていたらメチャクチャ調べた上で製作されているということは分かります。舞台や大道具小道具、脚本に至るまで練りに練られています。

もちろん、端島についての知識がなくても十分に楽しめる内容です。知らないから分からない、という風になっていないのも作品として優れている証でしょう。ただ、以上紹介した本などで端島の知識を得ているとより一層楽しめることは間違いないです。っていうか知ってるとメチャ興味深く鑑賞できます。「あー!ここはこうきたか!」「これはあれを受けてのこれなんだな!」みたいな。

例えば、進平兄ちゃん(このドラマで一番好きなキャラ。男前で渋いし影があるし、しかも軍隊上がりで拳銃を普通に扱えるとか、もう、、、)がいつも佇んでる岸壁があるでしょう。あそこは島のゴミ捨て場なんですね。岸壁の扉の穴からは隣の高島が見えるのですが、この穴から見ると高島が目の錯覚で大きく見えるので「メガネ」と呼ばれていました。進平兄ちゃんの奥さんはそこで波にさらわれて行方不明になったんですが、実際にそういう事故があったんだそうです。そのため、以後ここからのゴミの投棄は禁止されました。

とまあ、そういう知識があると「おおおお!」ってなるんですよ。ほんとよく調べた上で製作されているなあ、と感服します。で、こういうところは映画「タイタニック」に似ている気がします。この映画も、タイタニックについてメチャクチャ調べて映像に反映しているので、ちょっと知ってるだけでも面白さがグンと増すんですよね。

なので、ドラマを観て端島を知って興味を持たれた方は、もしよろしければこれらの本のどれでもいいですから読んでみてください。再度観た際はまた別の面白さに気付くことがあるかもです。ってなんか偉そうですいません。もちろん私もまだまだですから、もっと勉強していきたいと思ってます。でもまあ、誰に頼まれたわけでもないし、義務でも何でもないんですけどね。けどほんと、端島って私にとってずっと気になる存在なんです。縁もゆかりもないんですけどね。不思議です。でもまあ趣味とかってそういうもんですよね。だからこれでいいのだ!(笑)

というわけでお終いです。ドラマはそろそろ終盤に差し掛かってます。「ほんとどーなるんだ!!」の連続でドキドキしてます。いやー、こういうの久しぶりの感覚でとても楽しいです。

それでは。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松本零士氏を偲んで

2023年03月11日 | 書評
漫画家・松本零士氏が2023年2月13日、逝去されました。心よりご冥福をお祈り致します。

私は松本氏のファンで、作品から多々影響を受けました。今回はファンの端くれとして、氏の作品について自分なりに感じたこと、受け取ったことなどを書きたいと思います。

もちろん「何をいまさら」的なことの羅列になるかもしれません。その旨ご了承下さい。しかし、いちファンが自分の思いを綴っておくことも何がしかの意味はあるのではないかと思い、書くことにしました。

さて、先に私は松本氏のファンと書きましたが、正直氏の作品を網羅しているわけではありません。むしろ触れたことのない作品の方が多いです。例えばアニメ「宇宙戦艦ヤマト」は観たことがありません(あらすじとかメインキャラの名前くらいはわかりますが)。漫画もほとんど読んでいません。「銀河鉄道999」や「男おいどん」は読みましたけど記憶はおぼろげです(どっちも好きなんですけど、かなり前にいろいろあって単行本を売ってしまったのです。当時版だったのに、、。後悔してます)。あ、あと「ガンフロンティア」は好きです。これは文庫版持ってます。とまあ、こんな感じなのです。

「お前、ほんとにファンなのか」って怒られるレベルです。でもファンなのです。じゃあ何をもってファンを自称しているかというと「戦場まんがシリーズ」が大好きなのです。これはほんとに何度も何度も読みました。私が出会った最初の戦争漫画です。

「戦場まんがシリーズ」というのは氏の戦争漫画の初期の単行本(少年サンデーコミックス 全9巻 小学館)に付けられた名称です。後にこのシリーズを含む氏の戦争漫画の総称として「ザ・コクピット」となったようです(とはいえこの辺のくくり・区別が正式なものかどうかはよくわからないです。自叙伝「遠く時の輪の接する処」( 東京書籍) ではご自身が全てを「「ザ・コクピット」の戦場漫画シリーズ」」と表現しています)。

私は当然「ザ・コクピット」はほぼ全て読んでいます。ほぼ、というのは情けない話ですがこのシリーズの作品は非常に多く(「松本零士 戦場漫画クロニクル」(小学館)によると2015年までで153本)、長期間にわたり発売された多数の単行本(文庫、愛蔵版含む)に分かれて収録されている上に未収録作品もあり、網羅することは簡単ではありません。これは言い訳なのですが、、。

今回は「戦場まんが&ザ・コクピット」シリーズを軸に、私の受けた影響や作品について思うところを書きます。前書きが長くなりました。以下よろしければお付き合い下さい。また、以降各シリーズを「戦場まんが」「コクピット」と表記します。「コクピット」は全シリーズの総称としてお考え下さい。個別の作品紹介は「戦場まんが」からは①ー●(巻数)と表記、「コクピット」からは書名をその都度表記します。

先に書きましたが、私が初めて出会った戦争漫画がこれでした。確か小学校3年生くらいです。そのちょっと前(小1-小2くらい)から戦闘機や戦車に興味を持ち、プラモを作ったりゼロ戦やドイツ戦車の児童書(要はジャガーバックス)を読んだりしていました。漫画も読んでましたが、自分で買うことはなく(子供すぎて何を買ったらいいのかも分からなかった)、姉や従姉妹の「ドラえもん」などを読ませてもらうといった感じでした。ミリタリーも漫画もどっちも好きだったのですが、それぞれがつながりのない別世界のものだったわけです。

で、従姉妹から借りた漫画(確か「まことちゃん」)の巻末に「戦場まんがシリーズ」の宣伝があり「んんっ?」となりました。「戦争の漫画があるのか、、。戦争が漫画になるのか、、」と思ったことは覚えています。しかし、その後本屋で探して買ったかどうかはよく覚えてないのです。多分そのはずです。姉や従姉妹が興味を持つ漫画ではなく、自分で買わないと読めないですから。ふと気が付くと手に入れてて、夢中で読んで模写してた、という感じなのです。

記憶がジャンプしてるんですね。最初に読んだ時の衝撃とかそういうのが全くないのはなぜだろう、と今でも不思議です。どうも、以後何度も何度も読んだので、そういう最初の出会いの記憶が薄れてしまったのではないかと思ってます。

初めて出会った戦争漫画だったので私の中ではずっと「こういう漫画が戦争漫画なのだ」という印象が根強くありました。「コクピット」は「戦争を描いた代表的な漫画作品群」と評価されています。その評価はもちろん揺るぎないものですし、広くそう認識されています(逝去の際もそういう声が多々ありましたね)。それは確かにその通りと、私も思ってます。

しかし、出会ってからその後歳をとってくると、そういう「コクピット」の評価とはまた別の考え方をするようになりました。作品の主題は「戦争と兵器」なのですが、松本氏が描こうとしたのは「状況と道具」という私たちにとってより身近なことなのではないか?と。そしてさらに「人が状況と道具にかかわるときの、氏の信念や哲学」が込められているのではないか?だからこそ傑作となりえたのではないか?と。

以下その辺を説明してみます。

まず、兵器についてです。「コクピット」の特長として、兵器が物語の要となっているのは、説明する必要もないでしょう。主人公はもちろん兵士たちですが、兵器も重要な「登場人物」です。例えば「わが青春のアルカディア」(①-4 メッサーシュミット戦闘機&レビ照準器)、「鉄の竜騎兵」(①-2 サイドカー)、「独立重機関銃隊」(①-1 九二式重機関銃)、「グリーンスナイパー」(①-2 自動小銃)などなど)。その描画は精密で、かつ独特のタッチにより非常に魅力的に描かれています。飛行機のラインはうっとりします(零戦はいかにも零戦!という感じです)し、黒光りする銃器の質感は松本氏以外には表現できないと思います。しかし、これら兵器は外観の描写が素晴らしいだけではありません。

松本氏は兵器を「かけがえのない、生きたひとりの兵士」として描いています。それが魅力的に見える大きな理由と思います。先に書いたように、その兵器でなければ物語が成立しないほど、大切な要となっています。大量生産され同じものがいくつも存在する兵器なのに、唯一無二の個性があり、生きているように見える。これはかなりの表現力がなければ成しえないことです。

兵器はもちろん無機物です。生き物ではありません。しかし、この漫画では兵士とともに息を吐き血を流し、もがき苦しみながら死んでいきます。読んでいるうちに、兵器に感情移入してしまいます。兵器の描写力の凄い作家は松本氏以外にも多々います。しかし、感情移入してしまうような兵器を描ける作家はまあなかなかいません。「コクピット」では「当たり前」すぎるので気付きにくいのですが、よくよく考えるとほんとうに「ありそうでない、唯一無二の漫画」なんですね。

兵士たちが兵器に対して人のように接したり話しかけたりするのも「コクピット」の特長です。「ラインの虎」(①-3)のラストで、主人公はタイガー戦車に「自分たちを忘れないでくれ」と語りかけ、「独立重機関銃隊」では敵の米兵が、主人を亡くし雨に塗れる重機を見て「泣いているようだ」とつぶやきます。「弾道トンネル150」(ザ・コクピット4 ハードカバー版 小学館)の主人公の日本軍砲兵は重砲を家族とみなし、彼は砲と一緒に死ぬことを選びます。

先に書いたように、兵器は無機物ですから感情も心もありません。いくら話しかけても耳を傾けてはくれませんし、愛情を注いでも感謝の返事をしてくれることはありません。それは兵器に限らず道具全般にいえることです。当然です。客観的には、道具を人として捉えたり接したりするのは人間側の勝手な思い込みによるもので、独り相撲です。

しかし、決してそうではないことを私たちは知っています。車やバイクに乗っている人はよくわかりますよね? 乗り物でなくとも、工具や楽器、食器なども同様です(私は楽器は操れないのですが、多分)。道具は、愛情を持って手入れして使っていると、その想いに道具が答えてくれているような手応えを感じることがあります。それは錯覚という言葉ではとても片付けられないような感覚です。漫画内で兵士が兵器に語りかける様子に違和感を抱かないのは、そういう実感や経験が少なからずあるからです。

そして、その道具たちとのかかわり方について、要所要所で松本氏はその信念・哲学を提示しているように思います。

「パイロットハンター」(①-1)の「おれには、これしかないんだ!だから、これがいちばんいいんだ!」というセリフがそれをよく表しているのではないかと。ファンの間でも「戦場まんがといえば、、」というとまず出てくるといっていいほど有名なセリフです。

これは、戦場に取り残され単独で戦っている日本軍狙撃兵のセリフです。狙撃兵は日本軍パイロットと出会い、彼の十四年式拳銃を欲しがります。パイロットは「こんなもんでよければ」と渡そうとしますが、狙撃兵は「こんなもんとはなんだ」と気分を害します。パイロットは、世界にはもっといい拳銃や狙撃銃があり、腕のいい狙撃兵にはそういう銃を持って欲しいという意図でそう表現したと説明します。

狙撃兵は激怒し三八式歩兵銃を握り締め「いいか、これは、この世界でいちばんいい銃だ!いちばんすぐれた小銃なんだ!! おれには、これしかないんだ!だから、これがいちばんいいんだ!」とパイロットに訴えます。

兵器というのは優劣があり、優れたものを持ってるほうがいいのはいうまでもありません。しかし、戦場で自分がそれを持つことができるとは限りません。狙撃兵はそういう現実を身に染みて知っています。そして、その現実を認めかつ正当化するためにアクロバチックな解釈をしているわけです。狙撃兵が物質的にも精神的にも苦しんでいることがひしひしと伝わってくる名ゼリフです。優秀な兵士である狙撃兵の信念として、説得力を持って心に響いてきます。これは松本氏の信念でもあると思います。

そして、これは私たちにも共有できる信念です。戦場でなくとも、自身が望む優秀な道具を手に入れられないことは多々あります。卑近な話ですがまずお金が無いといい道具は買えません。人気のある道具は買い逃すこともあるでしょう。それは仕方がない。しかし、それを自分が至らないことの原因・理由にするのかどうか、という態度の問題なのですね。

「道具が劣っているからと言い訳する奴と、手持ちの道具で最善を尽くそうとする奴、どっちが潔いと思う?」と狙撃兵、いや松本氏は問うているわけです。これは一例で、そのつもりで読むと「人と道具」について考えさせられる要素がたくさん詰まっていることに気付きます。

余談ですが「パイロットハンター」のこのやり取りで「こんなもん」といわれた十四年式拳銃や三八式歩兵銃は決して二流三流の銃ではありません。三八式は特にそうですが、当時、いや今でもちょっとない最高品質の非常に優秀な小銃です。話の流れ上、二流ととられるような感じになっていますが、よく読むとそうではないことがわかります。パイロットは「もっといいものがある」といっているだけです。そもそも、狙撃兵はその銃でかなりの腕前を見せていますしね。松本氏のことですから、この辺については重々承知していたと思います。

閑話休題。先に「コクピット」には「人が状況と道具とかかわるときの松本氏の信念や哲学」が込められているかも」と書きました。「道具」については以上です。次は「状況」についてです。「状況」というのは「戦争」のことです。

そもそもですが、戦争とは国対国のケンカです。自国の主張や要求を、相手国を武力で屈服させ呑ませようとする行為です。つまり国が行う、公的なものです。兵士はじめ国民は国のために尽くす・従事する立場であって、自分のためではありません(当然ですが。ただ大雑把な説明なのでもちろん例外などはあります)。要は、個人的な欲求や要望が入り込む余地はないというのが戦争です。

しかし「コクピット」の主人公たちは違います。自分のため、仲間のため、家族のため、などなど自分個人の目的のために「自分の戦争」を完遂しようとします。「国のため」と「自分のため」が複雑に絡みあっている。

「戦場まんが」の中で特に好きな作品はいくつかありますが、その内のひとつが「紫電」(①-5)です。これはその「公と私」の複雑な関係が際立っています。主人公の紫電パイロットは、P38に撃墜されて降下後に逃げ回る姿を撮影され、記録映画として全世界に公開されてしまいます。彼はP38のパイロットを倒し汚名をそそぐことを誓います。そのためには、米パイロットに出会うまで、戦いながら生き残らないといけません。個人的な目的が戦う理由になっているわけです。しかしそもそもは主人公が公的な戦争に参加していたから、そういうことになったのです。因果関係や目的と手段など多くの要素が絡み合って不可分になっています。そういう戦争の不可思議な不条理さを浮き彫りにした優れた一篇です。

「紫電」以外の作品にもそういう構造がみられます。「スタンレーの魔女」(①-1)の主役、一式陸攻のパイロットは、敵基地の爆撃(公)とスタンレーの山越え(私)の2つの目的があり、それを果たそうとします。「成層圏戦闘機」(①-1)では、B29の撃墜と兄弟の敵討ち、「衝撃降下90度」(①-5)では音速の突破(これは公私が共通)、などなど。

当然ながら、公的な戦争で私的な目的を優先することは許されません(主人公を生き残らせるため、機体をわざと不調にした「紫電」の整備班長曰く「バレたら銃殺でっせ」)。主人公を取り巻く戦争という状況は、常に生命の危険があり、かつ私情を排除するのが前提で、そもそもそんな余裕はありません。しかし彼らはその厳しい中でも、断固として自分自身の意思を貫き、目的を達成しようとします。

とはいえ登場人物たちは、自分のことだけを考え行動しているわけではありません。戦争に対して疑問を抱いたり異を唱えたりすることはありますが、大枠ではその状況を受け入れ全力で戦います。戦闘を放棄して逃げるということは絶対にしません。これは彼らが好戦的だから、というわけではありません。自分の置かれた状況を受け入れ、義務を果たそうとしているだけです。その上で自分の気持ちに正直・忠実であろうとする。それはなかなかできることではありません。普通なら義務を果たすことで精一杯です。だからこそ、私たちはそういう姿を見て心を動かされるわけです。

先に書いたように、戦争自体に対する批判は直接的にはでてきません。いいとかわるいとかではなく、ただただそういう状況に陥った兵士たちがいる。個人が戦争に直面するときには、既に状況にとり囲まれて身動きがとれなくなっているのです。そこでその状況の善悪をジャッジしても意味がないのです。これは諦観ではありません。戦争の肯定でももちろんありません。それが戦争の現実だと思います。氏はそういう状況を非常に的確に描いている。そしてそこで大事になってくるのは「じゃあ自分はそういうときにどうするのか」という極めて個人的かつ現実的な判断です。

また、彼らの関心は自分の意思をどう貫けるかにあり、自身の生死については重きを置いていません。目的のために死ぬことを厭いませんし、事実多くの登場人物が命を落とします。これは彼らが自身の命を軽んじているということでは決してありません(この点は誤解されてることが多いかも)。

これは戦場で彼らの選んだ「生き様」が結果として死を招くものだった、ということです。逆にいうと死ぬことで「生き様」を完遂できたのです。もちろん、戦争がなければ死なずに別の形の「生き様」を示し続けることができたかもしれないのですが、、。

「鉄の竜騎兵」の主人公、元バイクレーサーの「おっさん」はレースではいつもゴールできず負け続けたという経歴の持ち主。彼はフィリピンの戦場でサイドカー乗りの伝令の若い兵士と出会います。壊れたサイドカーを再生したおっさんは、2人で伝令を待つ味方の飛行場を目指します。しかし飛行場はすでに敵が占領しており、彼は若い兵士を置き去りにしてひとりサイドカーで飛行場に突入。しかしここでもゴールできずに銃弾に倒れます。最期に「おれはせいいっぱいやった、、、。死ぬまで走りぬいたから、、。満足だ、とても満足だ、、」とつぶやいて、、。

彼は、死ぬために突入したのでしょうか? いや、彼は自身の生を完成させるために死んだのです。 

これは一例ですが、松本氏は「こうであれとする生き様」を兵士たちを通じて示してくれているような、そんな気がします。そしてその生き様は、ぬるく生きている自分にカツを入れられるような、身に染みいるようなものばかりです。読んだ後に「あー、俺もちゃんとしなきゃなあ、、」としみじみとなってしまいます。それは、氏がそういうメッセージを丁寧に織り込んでいるからこそ、そう感じるんだろうな、と。

長々と書きましたが、私がいいたかったことは大体こんな感じです。しかしこれが全てではありませんし、たかだかこれくらいで言い尽くすことは不可能です。全作品が「道具と状況」「生き様死に様」という言葉だけで解説しきれるような生半可なシリーズではありません。「作品の重要な鍵の一部はこれなのでは?」位に考えていただければと思います。

言い尽くすことは不可能と書きましたが、このシリーズはほんとうに多種多様です。先に上げた以外にも好きな作品を少し紹介してみます。

「死神の羽音」(①-6)
戦闘で出会った彼我のパイロットがことごとく死んでしまうことに疑問を持った、日本軍パイロットの話。ストーリーの構成が見事で、オチにゾッとしたことを今でも覚えてます。九七戦とか九九式短小銃の末期型とか、氏の漫画にはあまり出てこない機種が出てくるのも印象深いです。

「幻影第800」(ハードメタル 小学館)
謀略のために作られた日本軍部隊が登場します。彼らは米軍を騙すためにわざと粗製乱造した兵器を使い、風紀の乱れた様子を演じるのですが、その描写が凄く印象的でした。冒頭で暴発する十四年式拳銃がとてもインパクトがあって、初めて読んだ時のことをよく覚えてます。床屋の待ち時間に手に取ったビッグコミックでした。そういえば、このころの「コクピット」は床屋で読んだものがいくつかあります。掲載年を見たら10歳ごろです。ちょっとアダルトに過ぎますね、、。

「消滅線雷撃」(①-7)
運命について考え続ける日米の兵士がある日戦場で出会い、その瞬間2人は自分の運命を察知します。運命・宿命について考えさせられる一本。ページ全体に「運命」がのしかかっているような、重い空気感が印象的です。そういえば「コクピット」はほとんどが日米の兵士の話ですね。あとは独兵のみです。英兵はたまにでて来る程度。ソ連兵は一度も出てこないです。日独兵が戦うのは英米兵のみ。この辺も興味深いです。

「妖機 黒衣の未亡人」(①-5)
日本軍が女仕掛けでP61を鹵獲するというドタバタ劇。しんみりしたものが多いシリーズですが、たまにこういうホッとする作品もあるのがいいです。しかも一人も死にません(シリーズで唯一かも)。そしてアダルトすぎるという意味でも貴重。最初読んだ小学生の時、セリフの一部が理解できませんでした、、。P61が好きということもあって忘れられない一本です。

「富嶽のいたところ」(ザ・コクピット5 ハードカバー版 小学館 )
終戦が一年遅れた世界線の現代日本に、ある漫画家(松本氏)が迷い込んでしまいます。その日本は分割統治された哀れな状態。彼はレストアされ飛行する富嶽と震電(どちらも戦争に間に合った)を目撃します。これはSFとしてもほんとに衝撃でした。今から考えると本土決戦ジオラマのアイデアの端緒のひとつとなったように思います。

などなど。今回紹介した作品を中心に一部だけながら読み返したのですが、改めて松本氏のバイタリティの超絶さが理解できました。で、「コクピット」を読んだことがないけれど、この文章をここまで読み進めた方は少しでも興味を持ったということですよね? ほんとに素晴らしいシリーズなので、ぜひ手に取ってみてください。

そして、松本氏の自叙伝「遠く時の輪の接する処」( 東京書籍)もお勧めです。これを読むと、氏が人生で出会った人々や経験が作品に強い影響を与えたことがとてもよくわかります。「あ、あれはこれが元になったのか」という発見の連続です。「コクピット」に限らず、他の作品の原点を知ることができ、より深く作品を味わえるようになると思います。ファンで未読の方がおられたらぜひお読みになってみてください。また、氏が漫画家として大成するまでの苦労(本当に大変だったようです、、)が、各作品の、そして創作者としての大きな背骨となっていることがよく分かり本当に驚かされます。何かを成そうと志す人にとって精神的に強力な参考書となってくれるはずです。

というわけでそろそろ最後です。本当に長くなりました。

「コクピット」は私にとって重要な位置を占める大切な漫画です。少しでもその魅力を伝えたいと思いながらあれこれと書きました。見当違いなことも多々書いているかもしれません。その辺は私の勝手な思い込み、ということで何卒ご了承下さい。あくまでファンの独り言、と参考程度に受け止めていただければ幸いです。

最後に、この漫画を私に届けて下さった松本氏にはどういう風に感謝すればいいのか見当もつきません。逝去されたことは本当に本当に残念です。こういう形でしか氏への感謝の想いを表すことができないのが非常に歯がゆいのですが、今はこの一文を自分なりの追悼とさせて頂きます。そして、今後自分がつくっていくもので、その感謝の気持ちを具体的に示していきたいと思っています。

それでは。







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思い出の本たち(その2)

2023年02月12日 | 書評
今回は、手持ちのジャガーバックスを2冊紹介します。ジャガーバックスというのは、70-80年ごろに立風書房(2004年に学研に吸収合併)が出版していた児童書のシリーズです。児童書とはいえ、ミリタリーや妖怪などマニアックな題材を1冊1テーマで紹介する、ちょっと異色なシリーズでした。

私は子供(5-6歳)の頃にプラモやミリタリー方面にはまって今に至るわけですが、そのきっかけのひとつがジャガーバックスでした。このブログでも以前「壮烈!ドイツ機甲軍団」などを紹介してます。今回はその続きという訳ですね。

まず1冊目。「強烈マシン ドイツ兵器大図鑑」(1979年)です。
タイトル通り、ドイツ軍の兵器を紹介する内容です。「ドイツ機甲軍団」はドイツ軍の戦車やその活躍ぶりを紹介していましたが、こちらは銃とか大砲などの火器、兵士の装備などがテーマとなってます。

著書は本島オサム氏。ミリタリー趣味を齧ってる人なら知らない人はいないという方ですね。ドイツ物主体の老舗ミリタリーショップ「サムズミリタリヤ」を経営し、コンバットマガジンやアームズマガジンに記事(どれも軽妙かつ詳しくて最高でした)を多々寄稿されてました。また、伝説のAFV模型サークル「カンプ・グルッペ・ジーベン」の初期メンバーです(本の協力者クレジットにも同会の名があります)。

なので、内容はもうメチャクチャ濃いです。っていうか、ジャガーバックスはそんな本ばっかなんですけどね(笑)

拳銃から列車砲までとにかくドイツ軍の火器をこれでもかと解説してくれてます。まず拳銃と小銃から、、ってほんと濃いなあ、、。

写真も豊富で、イラストの説明も丁寧(メインのイラストレーターは上田信氏)で各種兵器の構造・機能がよく理解できます。

私は小学校低学年のころから戦車や飛行機が好きだったのですが、同じくらい銃器にも興味を持っていました。しかしちゃんとした本がなくていまいち系統立った知識(これ大事)が得られてませんでした。Gun誌やコンバットマガジン誌は当時既にありましたけど、それらの存在に気付くのはもう少し後です。なので、この本はほんとにありがたかったですね。

しかも大好きなドイツ軍の兵器だったのでなおさらです。そして「機甲軍団」とこの本があれば、ドイツ地上軍のことがほぼ分かる、というと言い過ぎですが、少なくともドイツ軍のプラモを作るには子供にとって完璧なものでした。

児童書とはいえ手を抜いているということはなく、実に懇切丁寧に色々と基本から教えてくれます。その後、先の銃器雑誌を読むようになったときも(基本立ち読みでしたけど)、この本で基礎知識を得ていたので内容はスルスルと頭に入りましたね。まあこの辺は「ドイツ機甲軍団」や「ゼロ戦大百科」と同じ経緯なのですが。

マイナーな兵器もきちんとフォローしてくれてるのもイイです。無反動砲に曲射銃、ムカデ砲(ホッホドルックプンぺ)まで載ってましたからねえ。MG13とか田舎の小学生(買ったのは3年生くらい)がその存在を知ることなんてまあできません。そういえば、当時このページのMG08(/15と書かれてないのはご愛嬌)を見ながら画用紙でモデルガン(?)を頑張って作ったですね。アホですね(笑)

写真も豊富、と書きましたが珍しく渋いものが多くて今でもこの本以外では見たことないのが多々あります。このページのもそうですね。MG13のとか、兵士のヘルメットがアレですよアレ!(正式名称知らない、、(笑))

本の構成としては、巻頭で各種兵器を紹介してから戦争の進捗・局面に応じて作戦や兵器を解説するという感じ。

こちらも写真とイラストで分かりやすい内容になってます。それにしても戦車や装甲兵員輸送車を使った敵集落の占領方法を子供に教えてどうしようというのか、、。

クルスクやベルリン、ノルマンディーなど、主要な戦闘をこういう風に彼我の使用兵器のイラストと地図で解説してるのも勉強になりました。イラストはご覧の通り上田氏の手によるもの。

ドイツ軍の本ながら、米英ソのAFVや火砲の知識を得られるのもよかった。85ミリ高射砲とか、子供が他の媒体から知ることなんてまあ無理ですよね。

で、実は今でも資料本として使ってます。それくらいしっかりした内容なんですね。このページは勲章についての解説です。この写真をみればどこにどんな勲章を付けてたのかが分かるわけです。案外そういう資料ってすぐ出てこないんですよね。この本は子供の頃何度も読んだので「あ、アレ載ってたな」ってすぐ思い出せるんです(笑)

というわけで先日もお世話になりました(笑) また、これ以上の情報を知りたい場合でも、調べものの取っ掛かりとして非常に役に立つわけです。

最後にはこんなページも。私は当時日本にあったドイツ兵器についてとても興味があるのですが、よくよく思い出すとこのページがそもそものきっかけだったのかも、と。

ルガーは「オランダ軍のを鹵獲し菊の刻印を打って使用した」とあるなど、まあそういう記述もあるのですが(鹵獲して使用したのは事実。でも菊刻印のルガーは多分戦後のフェイク品で、蘭印軍のとは無関係)、こういうのはもう仕方がないっていうか、当時でここまでの情報どうやって集めたんだろうということにびっくりです。ほんとに刺激的かつ興味深いページでした。

で、本題からはちと外れるのですが「この本は知られているようで知られてない。でも知ってる人は知ってる」という不思議な本なのですね。

「機甲軍団」は、もう説明不要なくらいメチャクチャ有名です。こっち方面の趣味の人なら誰でも知ってます(多分)。先日復刊されたほどですからね。でもこの本の知名度はそうでもないです。しかし私のようにずっぱまりになった人は確かに多々いるようです。

発行部数が少なかったのか、それとも発売時期が遅かったのか分かりませんが、ほんと不思議です。なんとなくの印象ですが、私より上の世代(私は70年代半ばの生まれ)は知らない人が多いような感じです。

多分、上の世代の人は年齢的に児童書から一般書に興味を持つようになったころに発売されたのかな?と。私もその後そんな感じになって、以後児童書コーナーには行かなくなりましたから。実際、ケイブンシャのプラモシリーズでも新しめのは存在すら知らないのがありました。それが出たのは当然私がそんな風になり始めた頃だったという。よくよく考えたら当たり前なんですけどね。

そういう風に考えると、児童書ってなんか気の毒ですね。子供の頃は「おおお!」って飛びつかれて何度も何度も読まれる人気者なのですが、以後子供が成長するともっと詳しく渋い一般書に気付いて忘れられ、かつ「子供っぽいな」と軽んじられちゃう、という、、、。私もジャガーバックスはじめ、児童書は多々捨ててしまいました。この「ドイツ兵器大図鑑」はずっと持ってましたが。

で、大人になってふと思い出して買い直したのもあるわけです。2冊目のこれもそう。「えらび方つくり方 プラモ世界の戦車」(1980年)です。

タイトル通り、こちらはプラモの戦車ガイドブックです。

内容としてはキットの紹介がメインです。キットと製作ポイント、実車のデータ、プロフィールを1車両1Pで紹介するというもの。

ご覧の通り、対象年齢はちょっと低めですね。キット紹介もちと適当な感じがしないこともないです(笑) でもこれまた情報の取っ掛かりとしては充分でした。

紹介されているメーカーはタミヤがメインで、バンダイとトミー、ハセガワが少しずつ、という感じ。タミヤのはタミヤカタログの写真が流用されているのが多いです。当然、カタログよりも大判で、眺めてて楽しいです。タミヤカタログのMMの写真って好きなんですよね。変化球的な楽しみ方ですけど(笑)
チハとカーロアルマートがならんでるのはなんとも(笑)それにしてもタミヤカタログのチハの見本写真は素晴らしいですね。このテイスト、なんとか再現してみたいです。

トミー製品は、イタラエリイ(笑)と旧マックスキットの両方が紹介されてます。あ、RSOはマックスでは発売されずトミーブランドが初でしたね。

こうやって見返していると「そういや、クルップボクサー作ったことないなあ、、作ろうかなあ、、」とかあれこれ思うところが出てきて楽しい(笑)

マックスのはほぼ全部紹介されてるかも。M26まで載っててびっくり。当時まだ売ってたんですね。

でも、私は当時トミーのキットを見たことがなくて「こんなのどこに売ってるんだろ」って思ってました。バンダイの48も同様でした。トミーのは特にタミヤのにはない渋いアイテムが多くて(RSOとかクルセーダーとか)欲しかったんですけどね。

この本を買う頃にはすでに模型店には行ってましたが(親同伴でしたけど)、見た記憶がないんですね。大きい店だった(クリッパーという老舗の有名店)のでないはずはなく、時期的にどっちももう絶版になってたのかもしれません。なので、今読み返していると「情報だけ得て実物に出会えない」という行き場のないジリジリした当時の気分が蘇ります(笑)そういえば、タミヤのMMでも店頭で見たことないのが多々ありましたからね。ロシアフィールドカーとかⅢ号戦車すら幻だったんですよ。

で、先に書いたとおり「えらび方」が大半で「つくり方」の指南は少ないです。この相談室もざっくりしてます。

まあ「つくり方」はきっちり説明しようとしたらかなりのページが必要になりますから、こんなものでしょうね。これまた情報の取っ掛かりとなればOKなわけですからね。先のキット紹介と合わせて、当時の私にとってはとてもありがたい情報でした。

先にも書きましたが、昔読んでた本って今読み返すと当時の記憶があれこれ蘇ってくるのがいいですね。ほんと懐かしくなります。こういうのは今から得ようと思って得られることではなく(当然ですが)、まあ財産といっていいんだろうなあ、と。

なので、当時夢中で読んでたいくつかの本(ミリタリー以外のも)は、今見つかれば買うつもりでいます。けどなかなか出てこないし、出てても高いことが多いですね。児童書って基本ボロボロになるまで読まれるので、売れるほど程度のいいものは残らないっていうのも大きいのかな?と。これを読んでる方で、子供のころの本がまだ手元にあるなら大事に持っておいた方がいいと思います。ほんと出てこないので、、。

というわけでお終いです。手持ちの本もまだ紹介してないのもありますし、これから入手できるものもあるでしょう(多分)。またその都度紹介したいと思います。

過去のジャガーバックスの紹介エントリーはこちら。よろしければどうぞ。

「壮烈!ドイツ機甲軍団」と「不滅!ゼロ戦大百科」↓
「戦う自衛隊」↓

※このエントリーは本の「書評」として書きました。しかし書評ながら内容の写真をあげすぎたかな、とは思ってます。表紙以外、解像度は極力下げていますが、関係者の方でもし問題があると判断されることがありましたらご一報下さい。即時消去します。メアドは
です。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第3回酩酊読書会

2022年08月14日 | 書評
今回は、私のお薦めの本を紹介する酩酊読書会です。要するに書評です。明日は終戦記念日ということもあって、日本の戦争に関する本を紹介したいと思います。

●「炎の海」(牧島貞一著・光人社)
太平洋戦争中、報道班の動画カメラマンとして従軍した同氏の回顧録です。報道班というのは、大本営の陸海軍報道部に徴用される形で戦地に派遣され、報道を担った組織です。なので肩書きとしては民間人です(この辺はざっくりした解説なのでご了承を)。
で、この方、もの凄い経験を重ねてます。驚愕しました。読んでて「マジで?マジで?」の連続。例えばミッドウェー海戦で赤城に乗り込んでて、ドントレスの投弾・着弾を目撃・体験してるんですよ。いやー、凄い。

その他の体験も凄い。ざっと内容を列挙すると「南京攻略戦で九四式軽装甲車に同乗、被弾負傷」「重慶爆撃の九六陸攻に同乗」「セイロン沖海戦で赤城に乗艦。ハーミス撃沈の詳細を知る」「重巡熊野に乗艦し、第二次ソロモン海戦を体験」などなど「ほんまかいな?」の連続なんですね。でも実際の体験であることは間違いない。それは記述の端々から感じることができます。

その一つが兵士や将校とのやりとり。実にリアリティがあります。牧島氏は被弾後燃え続ける赤城から幹部らと共に退艦します。避難先となった軽巡長良に向かうカッターの上で同乗した大佐が「こりゃあ、日本の国運を左右するぞ」とつぶやくなど、非常に生々しい。このほか、どの日本軍将兵も実にあけっぴろげで、同氏には胸襟を開いて思ったことをそのまま言っているような印象です。この辺は意外かもですが、なんというか日本軍というか日本人には「人なつっこさ」(逆に悪く言うと「脇が甘い」)特性があるのかなあ、と改めて感じさせられます。もちろん軍機に直接係わることは黙ってたのでしょうけど。また報道班員という立場は「身内ではないけど身近な民間人」としてかなり気を許された存在だったのかもしれません。

この本はある方に教えて頂きました。ありがとうございました。ツイッターとかやってると、ちょくちょくこういう「コレハ!」という本の情報を頂きます。ほんとありがたいです。

●「山中放浪」(今日出海著・中公文庫)
報道班員の回顧録には優れたものが多いように思います。彼らは「表現のプロ」なので当然といえば当然なのでしょうけれど。この本もその例にたがわずとても素晴らしいです。今氏は作家・評論家。昭和19年末に、報道班員として比島に渡った際の回顧録です。氏は比島の戦闘の渦中に放り込まれ、死線を何度も潜り抜け、ギリギリのところで生還します。あの戦いの記録として非常に稀有で興味深いもののひとつではないかと。
戦記というのは基本軍人兵士によるものが多いです(当然ですが)。なのでどうしても見聞できる範囲は所属部隊のそれに限られます(これも当然)。

でも、今氏は民間の報道班員ということで、かなり自由に戦場を移動することができました。そして方々の将官兵士と話をするので、広範囲に戦場を俯瞰で眺めることができ、読者にも当時の状況がよく分かる(ような気がする)んですね。日本軍の比島決戦の準備状況(想像以上にグダグダだった、、)、米軍の攻撃の熾烈(シャレならん、、)さ、フィリピンの人や土地の感じ(温和と残忍さが同居しているのがリアル、、)、などなど。しかも今氏はプロの作家なのでその描写力からくる戦場の臨場感が半端ない。「ほんとこんな感じだったんだろうな」と。

しかし自由に動き回れたといっても、当然物見遊山ではなく、何度も何度も米機の機銃掃射や爆撃を受け、ギリギリで生き延びます。かといって文章は悲壮ではなく実に飄々としている。食料もなく衛生状況も最悪で、今氏も足の骨が見えるほどの皮膚病を患ってしまいます。でも、終始人ごとみたいに書いてる。豪胆、なんですよね。これは先の牧島氏もそうなのですが、ほんと昔の人って軍民問わずとにかく芯が強い。私なんかだと多分ヘタレてすぐ死んじゃっただろうなあと思うような状況でもなんとか切り抜けています。この違いは何なんでしょうねえ、、。

で、その豪胆さと作家ならではの表現・観察能力という「武器」を駆使して今氏は人々の様子を生き生きと描いていきます。困難な状況が続く中でも常に笑いを忘れない日本兵たち、日本女性だけで作られた避難村のほっこりするエピソード(女郎屋の女性が警護の憲兵を色仕掛けでからかうとか)などなど、作家ならではの人間への温かい視点が垣間見れて、悲壮な状況でも読んでいてふと笑いがもれる。極限状態で「ユーモア」「笑い」がいかに大切なのかがひしひしと伝わってきます。

兵器マニア的にも興味深い記述がちらほらあります。例えば飛行機を完全に失った陸軍航空隊が、壊れた隼の機体を寄せ集めて飛行可能に修復し、偵察用に飛ばしたという話。戦闘用じゃないのがミソですね。連絡が途絶したため、米軍がどこにどう進出しているのかという情報収集が最優先だったとか。松本零士氏の漫画みたいにはいかんのですねえ、、。

というわけで、いろいろと興味深い本です。それにしても当時の報道班員や新聞記者の方の回顧録ってほんと面白いのが多いです。「第2回酩酊読書会」で紹介した大戦後半のドイツの戦いをレポートした「最後の特派員」(衣奈 多喜男著   朝日ソノラマ)もそうですね。先にも書きましたが、軍人や兵士による戦記とはまたちょっと毛色がちがっていて、「客観的」「横断的」な視点が新鮮です。戦記をメインに読まれてる方は、これら報道系の方々の体験記もチェックされると得られるものは少なくないのではないかと思います。

●「深海の使者」(吉村昭著・文春文庫)
大戦中日本はドイツと連絡を取るために何度も潜水艦を派遣していました。これらを総称して「遣独潜水艦作戦」と呼ばれています。これはその作戦の全容を描いた傑作ノンフィクションです。

当然、連合軍の支配下である海域を航行するため、かなり困難な作戦です。しかし、日本海軍は可能の限りを尽くしていたことがよく分かります。

日本は計5回派遣してるんですが、無事往復できたのは伊八の1隻のみです。少なく感じるかもですが、読んでいくうちに往復完遂が1便だけでもあったのがいかに凄いことだったのかがよく分かります。また、同氏の「戦艦武蔵」もそうですが「戦争という大イベントに注ぎ込まれる人間のエネルギーとスケールの半端なさ」に頭がクラクラします。そしてそれら無数の人の努力が一瞬にして文字通り「水泡に帰す」ことの空しさたるや、、、。しかし携わった人々の献身努力には感服しますし、敬意しか沸いてこないです。それにしても戦争って、ほんとうに何なんだろうなあ、と、、。

この本は潜水艦に限らず、航空機での往来計画についても触れられています。有名な日本のキ77の飛行(途中で行方不明に、、、)のほか、イタリアのSM75の来日(昭和17年)の経緯についても詳しく書かれています。これはあまり知られていないのでは(もちろん私も知らなかった)。かなりの快挙なんですが、当時中立条約を結んでいたソ連領を飛んできた(これはイタリアの独断)ので日本は公表することができず黙殺された、というのはほんと気の毒、、。

で、興味深いのがあの辻政信氏がSM75の復路への搭乗を申し出たという一件。要は「俺が乗ってって、独伊に今後の戦争計画についてハッパかけてくるわ!」と。辻氏は鼻息荒くねじ込んできて、実現しかけたそうです(ここが組織としての日本軍の弱いかつ怖いところ)。

しかし、日本側に冷遇されて(報道含め大々的に歓迎されると思ってたけど、軟禁状態にされた)へそを曲げてたイタリアの飛行隊長が「機体が重くなるからダメ」と突っぱねたそうです。もし、辻氏がこのとき欧州に行ってたら、と考えると、ほんと世界はどーなってたんだろうなあ、、と。

辻氏のバイタリティからすると、むりくりブッキングしてヒトラーとの会見にこぎつける可能性は十分あったように思います。そして会見席でムチャクチャなねじ込みをしたかも(その可能性大)と、、、。もし日本のイタリアへの対応がもう少しソフトで、隊長の日本への心象が悪くなってなければ一体どうなっていたのか、、。歴史ってほんと「さじ加減ひとつ」なんだろうなと思います。

●「伊号潜水艦訪欧記」(光人社NF文庫)
その遣独潜水艦作戦について、参加した各艦の戦歴や伊八乗組員の独での写真集、伊二十九でドイツに渡った田丸直吉海軍技術中佐の回顧録などで構成されているのがこの本です。「深海の使者」を読んで、この作戦についてもっと知りたいと思っていた私にとって、とても参考になる素晴らしい本でした。

特に、田丸中佐の回顧録「竜宮紀行」が素晴らしい。あとがきによるとこの本は「伊呂波会」(海軍潜水艦出身者の交友会)が、この回顧録に付録的に事実関係などを加え、より分かりやすくして発表するために編んだとのこと。確かにそれだけの価値のある貴重な内容です。

中佐はレーダー関係の技術将校だったこともあり、航海中の様子を海軍軍人かつ技術の専門家という視点・立場で実に分かりやすく記録しています。彼我のレーダーの性能差、潜水艦による長距離航海のポイント解説など、ど素人(つまり私のことだ)にも、いかにこの航海が大変だったのかが理解できるように書かれています。

技術・軍事的なことだけでなく食事など艦内の生活についてもきちんと丁寧に記録していてほんと興味深い。例えば元旦(昭19)には心尽くしの食事が出たという記述が。メニューは缶詰の餅、松茸、油揚、三つ葉入りの雑煮、五目寿司、フルーツサラダなど意外と豪華(正月(インド南端から2千マイル地点)の朝昼晩の献立の詳細な表が添付されてます。「刑務所の中」かよ!(笑))。

田丸中佐は非常にバランス感覚のあるクレバーな方だったようで、こういう食事の紹介からもそれが伺えます。ドイツに渡ってからも、海軍技術将校としての任務について詳細に述べているのですが、ドイツの市民(下宿の女主人など)との交流や日常生活などを適宜ちりばめた構成になっていて、実に「血の通った」記録になっています。こういうのはほんと記録者の人柄が反映されるんでしょうね。

で、そもそもはこの本をなぜ読んだかというと、伊八の持ち帰った荷物(ドイツの兵器、図面など)の一覧が載っていると、ある方に教えてもらったからなのです。これも非常に詳細で貴重な資料です。ほんとありがとうございます。

ドイツから、当時の最新の機関銃や突撃銃など陸戦用小火器が日本に持ち込まれてたんじゃないかなあ、と以前から思ってましたが証拠の類はほぼなくて妄想の粋を出ていなかったのでした。なので、伊八のリストに載ってるかも、と思ったのですね。しかし、残念ながら載ってなかったです、、、。

これはかなり細かいリスト(独海軍から委託された郵便物まで載ってる)なので、少なくとも伊八は持ち帰ってないようですね。「研究用陸戦小火器(七・九二粍機関銃、同自動小銃、九粍機関短銃等)」とかいう項目があったらなあ、、と思ったのですが(笑)なんであれ、いろいろスッキリしました。

●「第二次世界大戦紳士録」「第二次世界大戦軍事録」(ホリエカニコ著・ホビージャパン)
戦争に関係した有名な軍人や民間人(主に日独)の個人的な人となりを漫画で紹介する傑作です。軍人というと制服(みんな同じに見える)や仕事内容から画一的に見られがちです。四角四面で厳格で融通が利かず、人としての感情が希薄な人々、というようなイメージが強いような、、。しかし、もちろんそんなことはありません。彼らも一人の人間です。個人的な感情を押し殺し、悩み苦しみながら職務を全うしようともがき続けていたわけで。読んでいて何度も泣きそうになりました。
戦記では●●大佐・▲▲少将などで登場する軍人も皆家庭や友人を持つ一個人です(当然ですが)。でもその辺はまあオミットされます(当然ですが)。しかし、彼らは彼ら個人のそれまでの人生があって(当然ですが)それぞれ思うところがあり、経て経てしてその立場にある。でも、戦記ではその辺はあまり考慮されないわけです。

ホリエ氏はこの「(当然ですが)」を具体的にキッチリと掘り出して彼らの人となりを丁寧に描いています。シリアスとギャグを織り交ぜた「緊張と緩和」を基本にした構成も素晴らしいです。

パウルス、陸奥の三好艦長、南雲中将、二・二六の青年将校たち、ムッソリーニとその愛人クララ・ペタッチなど、名前や歴史上どういう役割を負っていたのかはそれなりに知ってるんだけど彼彼女らが個人としてはどういう人たちだったのか、まあ知りません。この本はそれを逐一教えてくれます。しかもかなり詳しく。

沖縄戦時の島田叡知事(映画「沖縄決戦」で「私が行かないと誰かが行くことになる」というセリフで覚えてる人多いのでは)に荒井退造沖縄県警察部長という同志がいたことを初めて知りました。この2人のエピソードにも涙。ヒトラーとその若い頃の親友グストルとの逸話、フォン・ブラウンの半生にも涙。ほんと涙、涙です(涙)

歴史って、有名無名問わずいろんな人のいろんな人生があって、それぞれが絡み合いながら経て経て、経まくってぇー!(笑)「今」があるんだなあ、と。当然ながら、ホリエ氏は史実を調べてただ列挙しただけではありません。氏ならではの視点でエピソードをピックアップし、彼彼女らの「人間性」をあぶりだしています。そのセンスと力量に感服します。吉村昭氏もそうなのですが、作家の凄さというのはそういうところにあるのではないかと思います。

●「南の島に雪が降る」(加東大介著 知恵の森文庫)
ニューギニアで死に瀕する日本軍将兵に「生きる力」を与え続けた演芸分隊の実話。有名な本ですが恥ずかしながらやっと読みました。凄い物語です。
いまさら読んだ私が言えた義理じゃないですが、これ、絶対読まないとあかん本ですね。加東氏はいわずと知れたあの名優です。読んでて「これほんとに実話なの?」と何度も思っちゃうくらい良くできている。ストーリー、キャスト、脚本、全てが完璧といっていい。で、完璧なのに事実という。「奇跡」ってほんとにあるんだなあ、と。

文章も軽妙洒脱で一瞬でマノクワリ(彼らがいた地名)に連れて行かれます。ざっくり解説すると、ニューギニアにいる日本軍は孤立し、連合軍は日本軍が反撃攻勢するほどの戦力がないと判断し、フィリピンなどその先に矛先を向けます。要するに敵からは無視され、味方からは置き去りにされたわけです。でも日本軍という組織は生きている。戦いはない(爆撃は受ける)けど補給もない。自分たちで生きのびなければならない。当然食料はギリギリ(イモの葉がご馳走、という状況)で、全軍で徐々にジリ貧・死に体となっていきます。しかし、食料がなくとも加東氏らの演芸分隊の娯楽が彼らに生きる気力を与えます。その事実に驚愕しつつも、心からほっとさせられます。「人間にとっての娯楽の価値・素晴らしさ」をここまで証明した作品ってまあないのではないかと。

音楽や演劇などの芸術・娯楽は「生きるための必需品ではない」という人もいます。いわゆる「理屈や理論、合理性が先行する頭のいい人」ほどそういうことを言いがちなような、、。でも、それは妄言だと「完全に証明」しているのが凄いし、感動します。食べ物の栄養などは、目に見える形で「人に必須」とわかるんですけど、「感激」「感動」「楽しみ」のような数値化できない要素って「頭のいい人」に軽く見られがちなんですよね(笑)でもそうやって「目に見えないから」「数字に出ないから」と軽んじること自体が愚かなんだなあと。

そして、ここは大事なんですけど加東氏らは現地の軍上層部の意向を受けて演芸分隊を設立しています。軍が全力で応援した上でのことなんですね。「軍の士気を維持する」という目的あってのことです。ここらへん勘違いするとダメなんですよね。ただのピースフルな話ではない。

でも、だから、いいんですね。軍も、演芸の効果を重々承知していたわけで。そういう文化への理解が軍内に確実にあったということは重要なポイントでしょう。そしてそれは当時の日本の土壌として確実にあった、といってもいいと思います。軍隊というのは、どの国でもそうですけれどそれぞれの国の縮図ですからね。そういうところが垣間見えるのも嬉しい。

でも司令官以下、みんなほんとに音楽とか演劇が大好きで、なんやかんや小難しい理屈をつけながら結局は「自分が楽しみたいから」協力しているのがバレバレなのがとてもいいです(笑)

将官も兵隊もみんな、加東氏への援助を惜しまないんですね。それに感動します。そして、その舞台が太平洋戦争中でもかなり過酷な戦線だった、という。でも、みんな生き生きとしている。でも、毎日のように栄養失調などで1人また1人と斃れていく、、。「生きる喜びと死」がここまで隣り合わせだった例というのは他にあるのかな?と思うほどです。

「山中放浪」の紹介でも書きましたけど「笑い」や「楽しみ」「娯楽」って人が生きていく上でとても大事な活力の一つなんですよね。それが本当によく分かる。そして、それらを感じてもらうためには必死で技を磨かなければいけない。加東氏らがプロとして芸を磨こうとするギラギラした姿勢にも圧倒されます。何らかのもの作りに携わっている人にとっても必読の書じゃないかなあ、と思います。

というわけでお終いです。

私は子供の頃から何故か戦争に興味があって、本でも映画でもテレビでも、戦争に関係するものがあったら飛びついてました。以後も機会があればそういうものに触れています。今もそうです。それからもう何十年もたちますが、戦争って一体なんなのか、全く分からないです。知れば知るほど分からなくなる、というのが正直な実感です。

でも、今回の本のようにあれこれ触れていると、かなりぼんやりとですが分かってきたような気もしています。しかし、このペースだと分からないまま死んでしまうかもしれない(多分そうだろうなあ、とも(笑))

でも、大事なのは「分からないから分かろうとする姿勢」なんだろうなあ、と。さすがにそれくらいは分かるようになりました(笑)なのでこれからもこういう本はちょこちょこ読んでいきたいと思ってます。

そして、私なりに「これ凄いなあ、多くの人に読んで欲しいなあ!」という本をいくつか提示したのが今回のエントリーという訳です。

戦争の記録というと、各国軍隊間の特定の戦闘や、それに巻き込まれた民間人の記録というのが主流です。多くの人が係わったものほど関係書籍が多くなります。それは当然です。でも、今回紹介した本のようにその「主流」からちょっと外れたものもたくさんあります。第二次大戦のように多くの国や人々が関係した戦争になると特にそうです。ほんとにスケールがでかい。

なので、そういう「ちょっと主流から外れた本」を選んでみました。選んだ、というかたまたま、なんですけどね(笑)。まあでも、どの本からも「戦争の本質」のようなものが感じられるのは間違いないと思っています。

書評というと簡単簡便、的確にサラッと書くのが大事とは思うのですが、私は素人なのでつい思い入れがほとばしって(笑)長々と書いてしまいました。でももちろんどの本もほんとうにお勧めですので、興味を持った方がどれか1冊でも手に取ってくれれば嬉しいです。

それでは。

過去の酩酊読書会はこちらです。よろしければどうぞ。
第1回↓
第2回↓

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「本土決戦」(デイヴィッド・ウェストハイマー著 早川書房)という小説について

2021年09月12日 | 書評
今回は「本土決戦」(デイヴィッド・ウェストハイマー著 早川書房 1971年刊)という小説を紹介したいと思います。

この小説はタイトル通り、太平洋戦争末期の連合軍による日本本土への上陸攻撃作戦を題材にしたものです。当然ながらフィクションです。これはもう本当に凄い小説でして、初めて読んだ時は頭がクラクラしてしまいました。しかし、それほどの小説なのにあまり知られていません。とてもいい本なのに非常に残念です。なので今回はこの本についてあれこれ書いてみたいと思います。

ご存知の通り史実では、連合軍(米軍主体)が日本本土への上陸作戦を行う前に戦争は終結しています。しかし、連合軍は日本本土侵攻作戦を練って、準備をしていたこともよく知られていますね。

日本本土侵攻作戦をざっくり説明すると「ダウンフォール(破滅・滅亡の意)作戦」と呼ばれ、2段階で計画されていました。1つが「オリンピック作戦」、2つ目が「コロネット作戦」です。オリンピック作戦は九州に上陸・攻略し、各航空基地を確保するのが主な目的です。そしてそこから出撃する航空機の支援を受けて関東方面に上陸、首都を目指すのがコロネット作戦です。

この小説はオリンピック作戦を描いており、九州が舞台。小説の構成としてはいわゆる群像劇です。日米の兵士や市民が無数に登場し、彼らの人となりや行動を細かく描くことで、恐らく世界史上最悪の戦闘となったであろう、本土決戦の様子を浮き彫りにしていきます。戦記やIF戦記などでよく述べられる「●軍●師団が●方面に展開」といった俯瞰的視点は序章のみで、本章は徹頭徹尾「現場の人々の運命」で綴られています。最悪の戦場での日米両軍の兵士や市民の苦悩苦闘がこれでもかというくらいにありありと描かれ、そして彼彼女らの多くが斃れていきます、、。

で、この小説の何が凄いかといいますと、その登場人物達の圧倒的な存在感・リアリティなんですね。読んでいると、まるで「日本本土決戦に関わった人々に、後日インタビューしてまとめたノンフィクション」を読んでいるような気になります。

突入までのわずかな時間で17年の人生を振り返る白菊の特攻隊員、上陸作戦中親が売った車のことが何故かずっと頭から離れない米の新兵、それを迎え撃つ都会育ちの日本陸軍の上等兵、度重なる戦闘のせいで幻覚を見始めしかしそれを一切認めようとしない腕利きの米歩兵伍長、息子や教え子を引き連れて米軍戦車を攻撃しようとする小学校の校長などなど、登場人物の造型、心理描写が本当に迫真に迫っていて、グイグイと引き込まれます。読んでいてふと「あ、これはフィクションなんだ、、」と気付き「ああ、こういう戦闘がなくて本当によかった、、」とホッとする。読書中、それが何度も何度も繰り返されるんです。こんな小説、まあなかなかあるものではありません。

著者は米国人なのですが、日本人の生活の様子や心理描写がもの凄くリアルでびっくりしてしまいます。日本人でもこれほどのものは書けないんじゃないか、というレベル。例えば、米軍上陸を迎え撃つ日本兵の一人、前田上等兵。彼は都会育ちで、海岸の一つのトーチカの守備を任されます。彼が小さな銃眼から、上陸する米軍の舟艇の様子を見たときの感想は「大阪の梅田映画劇場のお気に入りの席からスクリーンをみつめる感じに似ていた」。

これ、凄すぎる描写です。当時の日本の文化水準や地方と都会人の意職の違いなどなどを理解していなければ書けません。例えば、今の日本人でもステレオタイプな日本兵(農村の出で、文化程度もいまいちで、もっさりした感じ、みたいな)を想像しがちで、こういう表現はまあ出てこないんじゃないかと。でも、当時の日本って都会では現代に通じるような生活をしていました。この辺はちょっと調べたらすぐわかります。しかし、米国の作家がここまでの表現ができた、しかも50年も前に、、。もの凄いことです。

で、この例えはほんの一端の一端で、日本人の気持ちがことごとく的確にかつ濃密に描写されていてゾッとするほどです。「まるで見てきたように書く」のが作家なんでしょうけど、レベルが高すぎます。

デイヴィッド・ウェストハイマー氏(1917-2005)は先に書いたとおり米国の作家。フランク・シナトラ主演の映画「脱走特急」の原作「フォン・ライアン特急」(早川書房)の作者です。その他著作はあるのですが、大変失礼ながら日本でよく知られている作家というわけではないようです。 しかし、その実力はこの本を読むだけで十分わかります。

氏は第二次大戦中、米空軍将校として欧州に従軍。B24爆撃機の航空士でした。イタリア戦線で搭乗機が撃墜され、捕虜となりました。「フォン・ライアン特急」はその経験をもとに書かれたようです。元軍人ということで、軍事知識の素地はあったのでしょうが「本土決戦」は日米の陸海空全ての軍とその兵士が登場し、それぞれの描写は実にリアルで、氏がかなり綿密な調査をしたことが伺えます。

訳者の木村譲二氏のあとがきによると、木村氏は翻訳だけでなく事前調査にも協力しており、こちらもかなりの調査を行っています。日本側の描写の凄さは木村氏に拠るところも大きかったのでしょう。ただ、調査をまとめ小説に仕上げたウェストハイマー氏の力量には疑問の余地はないと思います。原題は「LIGHTER THAN A FEATHER」(羽毛より軽い)です。つまりこれは日本の軍人勅諭の「(軍人の)義は山嶽より重く死は鴻毛より軽し」という一文から来ています。木村氏も書かれていますが、タイトルにこの言葉を選んだという点からも、ウェストハイマー氏の洞察力の深さがうかがえるのではないかと。

実際、登場人物の多くは実にあっさりと死んでしまいます。鴻毛のように、、。これまでの彼彼女らの努力や苦労、そして希望は一瞬で消え去ります。その唐突な、突き放されるような「人の死」を描ける作家はそれほど多くはないんじゃないかと。そして、彼彼女らが命を落とす姿を見ているうちに、戦争の本質(と思われるもの、ですが)が伝わってきます。本当に凄い小説です。

さて、ここで私個人の話になります。私の作る模型の大事な製作テーマの一つとして「日本本土決戦」があります。もう10数年くらい、ちょくちょく作っています。トップの写真はそれらの一部をコラージュしたものです。この本にはかなりの影響を受けました。っていうか、この本がなかったらここまで粘着してなかっただろうな、と。

正確に言うと、この本を読む少し前から本土決戦のジオラマを作っていました。最初作ったとき「これはやりがいのある、続ける意味のあるテーマだな」と思ったんですね。その少し後にこの本を知りました。雑誌(歴史系だったと思う)の書評で紹介されてたんです。

当時、本土決戦についてあれこれ調べてたんですが、そのものの書籍は少なくて「まあ自分で調べるしかないか」と思ってた時期です。なので「あ、面白そう」とすぐ買いました。

読んでみると、先に書いたように驚愕の内容でした。読んだ後、頭がうまく回らなくなる本とか映画って時々ありますけど、これはまさにそれ、でした。「ジスイズイット!」(笑)

先に書いたように「本土決戦というテーマにはなんかあるかも」とは思ってはいましたが、それはかなりぼんやりしたもので、手探りみたいな感じでした。で、これを読んで「これだ!!ここだ!」と思ったんですね。背骨がビッシィ!!と入ったような気がしました。

兵士というのはみんな同じ格好をしています(当然ですが)。でも、それぞれ一人ひとりの唯一無二の人間です。同国人同民族でも生い立ちから考え方からなにからなにまで違います。「日本兵」「米兵」というのは大雑把な括りでしかありません。もちろん一般市民も同様です。当たり前のことですし、それは前から分かっていました。しかし、この本を読むとそのことがより「具体的」に、自分の中で認識できたんですね。

それは、例えば戦記などのノンフィクションを読んでも理解できることですし、実際私もそういう風に考えているつもりでした。しかし、この本の登場人物はとても生き生きとしていて、フィクションなのに本当に「生きている(生きていた)」ように感じられたんです。「ああ、こういう人たちがジオラマにいるように作ればいいのか。いや、作らないといけないんだ」と。

模型を作る際、例えば戦車に乗っているフィギュア一体でも、ただのフィギュアとしてではなく「こいつはどういう奴なのか」と「個人」として考えながら作ったり塗ったりすると、違うものになるような気がするんですね。まあ名前まで考える必要はないと思いますが(笑)でも、名前を考えるくらいの勢いは必要じゃないかと。

フィギュアだけでなく、戦車や建物、小道具でも同じです。ただの模型としてではなく「この家はどういう人が住んでたのかな?」「この鞄の持ち主はどんなだったのかな?」とちょっと考えてみる。そして作ってみる。そうすると「何かが込もる」んじゃないかな、と。なんか呪術・宗教チックですが(笑) しかし模型を作る際、こういうのって案外大事なことなんじゃないかなと思ってます。

そういうのは以前から考えてはいたんですが、この本を読んでからそういうスタンスをもっともっと意識的にしてさらにキッチリやっていこう、と思ったんですね。逆に言うと、その辺を突き詰めないと多分「いいもの」は作れないんじゃないかと。

そうやって「ちょっと考える」ようになるためには、例えばこういう本を読むことは非常に大事なんですね。要するに、先にも書きましたがこの本に出会ったことで私の「本土決戦ジオラマ」に芯・背骨が入ったんです。作りながらこの本を思い出して「この人はああで、この兵士はこうで」と考えると、酔っ払ってても背筋がピシッとなるような(笑)

しかしこの本、2回しか読んでないんです。先日再読しました。10年以上ぶりでしたが、ほとんどの登場人物のことはよく覚えてました。そういう意味でも凄いなあ、と。彼らは「生きてる」んですね。凄い作家ってほんとに凄いんだ、と(語彙力崩壊)

この本はほんとに多くの人に読んで欲しいのですが、残念ながら絶版で入手難です。以前からこの本をブログなどで紹介したいなあと思ってたんですけど、絶版の本をお薦めするのもなんだなあ、とそのままになってました。

しかし、先日再読して「そんなの関係ねえ!いい本はいいんだ!」とツイッターでUPしました。すると、想像以上の反響がありました。有名なフォロワーさんが、購入して下さりご自身で感想をツイート(高評価で嬉しかったです)されたこともあって、反響はさらに広がりました。

で、アマゾンの中古は全部なくなってしまいました。ツイートする前は3000円クラスのが3冊くらいあったったのですが、それはすぐ売れ、1万円越えのプレミアつきのまではけてしまい、びっくり。それはツイートの翌日だったので、まあ多分私のせいなんでしょう(恐ろしいことです、、)。その後日本の古本屋やヤフオクでも見当たらなくなってしまいました、、。なんといいますか、こういう本が読みたいという需要が想像以上にあったということなんでしょう。しかし「読みたいけど売ってない」というコメントもあり、非常に心苦しかったのでした。

すると、私のツイートを見たある方が「復刊ドットコム」でリクエストされていると教えてくれました。ここは、絶版の本のリクエストを個別に募り、ある程度の票が集まると版元に再版を交渉してくれる、というサイト(会社)です。サイトに行って見ると、確かにリクエストされてました。で、こちらも「ツイッターで見たけど売ってないから」(意訳)とコメントが。日付もツイートの翌日(汗)

行き掛かり上、これはもう協力せねば、と私も投票しました。コメントは以下の通り。重複してますが再録します。

「日本本土決戦を描いた小説の大傑作。日米の軍人民間人が入れ替わり立ち代り登場する群像劇です。突入までのわずかな時間で17年の人生を振り返る白菊の特攻隊員、親が売った中古車のことが何故か頭から振りほどけないままま日本本土に上陸する米の新兵、それを迎え撃つ都会育ちの日本軍上等兵、度重なる戦闘のせいで幻覚を見始める腕利きの米歩兵、息子や教え子を引き連れて米軍戦車に向かう小学校の校長などなど、リアルすぎる人物描写に絶句します。読んでいるうちに、自身もその戦闘の渦中にいるような気がして、本土決戦の「ノンフィクション」を読んでいる気になってしまいます。そして、ふと「ああ、これはなかった戦闘だったんだ。小説なんだ」と気が付いて心底ほっとします。小説の「力」を心の底から感じさせてくれる傑作です。今でこそ、多くの人に読んで欲しい1冊です。」

以上です。熱い、というか暑苦しい(笑)

このリクエストは、どうも期限がないようでとにかく投票が集まるのを待つ、というシステムらしいです。もし「読みたい!」という方はぜひ投票して下さい。もちろん匿名・HNで投票できますし、登録は簡単です。

しかし、現在13票。なかなか難しいかもですねえ、、。しかし、他の復刊された本の投票数を見ると数百票で復刊されてたりもするので、投票してみる価値はあると思います。要は「これが復刊されたら買う!」という人がどれくらいいるのかのマーケティング、ということですからね。数百人が意志表明するだけでも、プロの方々は「これは売れる・売れない」が分かるんでしょう。

これとは別に、確実にこの本を読む手段はあります。図書館です。身近な図書館に蔵書がなくとも、リクエストすると蔵書のある近在の図書館から取り寄せて借りることができます。数週間くらいかかる(これは図書館によって違うかも)のですが、一番確実な方法です。どうしてもすぐ読みたい!という方はこちらを利用してみてください。それにしても、図書館はこういうサービスをきちんとしてくれるからほんとにありがたいですね、、。

で、近いうちに早川書房さんに個人的に再版希望のメールを送ろうかな?と思ってます。まあダメもとではありますが、一定数の需要がある、ということだけでもお伝えしておこうかな?と。

それにしても、不思議なんですね。とても素晴らしい小説なのに、なぜ再版も文庫化もされないのか。外国の小説ではありますが日本が舞台ですから関心は高いでしょうし(ツイッターの反響を見てもそれがよくわかります)、営業的にもハードルは低いはずです。ひょっとすると、権利関係などで再版が難しいのかも?とも思ったりもしますが、その辺は部外者には分からないことです。なので、まあいち読者として「とてもいい本なので紹介したい。復刊してほしい」とこういう風にアピールすることは問題ないだろう、とUPした次第です。

というわけでお終いです。今回は文章ばかりでしかも長々と書いてしまいました。ああ、それにしてもこの本たくさんの人に読んでほしいなあ、、。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第2回酩酊読書会

2021年03月20日 | 書評
今回は、私のお薦めの本を紹介する酩酊読書会です。まあ要するに書評ですね。タイトル通り「お酒を飲んで薄らボケになった奴が書くお気楽極楽書評」程度に受け止めて下さい。とはいえどの本もマジメに読んで、お薦めだと思ったので本気で紹介しております。どっちやねん、って感じですがまあいいじゃないですか、今も飲んでますしね(笑)知らん知らん!というわけでスタート!

●「漁船の太平洋戦争」(服部雅徳 編・著  殉国漁船検証委員会)
図書館でたまたま見つけて読みました。本土に来襲する米攻撃機の監視任務のため、日本海軍に徴用された民間漁船(特設監視艇)の記録です。各漁船の細かいデータとともに、米軍の攻撃機や潜水艦との生々しい交戦の様子も詳しく述べられています。米潜水艦やB24相手に明らかに不利な戦闘を強いられる姿は涙なしには読めません。まさに宮崎駿氏の漫画「最貧前線」そのものですね。

それにしても監視艇の任務の過酷さにはほんと絶句します。いくら武装してるったって、元は漁船なんですよ。潜水艦との交戦もかなりあって、執拗に追いかけられたりしてます。でも、何隻か爆雷で沈めてたりして、凄いなあ、、と。戦没された方々に黙祷、、。

これは米機との「合戦図」。合戦図ですよ!


これはとある船の武装状況。「最貧前線」にもこういうコマありましたよね。

この本があまりに漫画そのものなので、これが漫画の元ネタなのかな?と思いきや、漫画が90年2月、本が92年6月発行でした。最初の写真の背景の漫画は雑誌掲載時のもの。単行本は吹き出しが活字なんですよね。宮崎氏の漫画は、文字が手描きの方が断然いいです。なんで活字にしたんだろ、、。 

まあそれはそれとして(笑)、以前この本をツイッターでUPしたところ「漫画の元ネタらしき記事が、昔の「丸」にあった」という情報をいただきました。また別の方からは「近年発行された民間徴用船の本にも載っていたような、、、」という情報も。漫画の元になった話があるのならぜひ知りたいので、もしご存知の方があればぜひお教え下さい。

さて、この本は非常に専門的な書籍の上、出版数も少数かと思います。入手はまあ難しいでしょうね。売りに出てても高いでしょう。私も欲しくて調べたら25000円の値がついてました(元は5000円)。

しかし逆にこういう本は図書館の蔵書になってる可能性も高いので、興味のある方は地元図書館の蔵書検索で調べてみてはいかがでしょうか。地元の図書館の蔵書になくとも、他の蔵書から取り寄せて借り出せるシステムがあります。私もときどき利用します。時間は掛かりますけど無料なのでほんとありがたいです。

●「背中の勲章」(吉村昭著 新潮文庫)
先の本の流れでこちら。徴用漁船の乗組員のノンフィクション。東京を初空襲したB25の母艦ホーネットを発見、打電後撃沈され俘虜になった方の経験談を小説にしたものです。

太平洋戦争の捕虜第一号は、ハワイ攻撃時の特殊潜航艇に乗り組んでいた酒巻少尉というのはよく知られています。で、第二号は?というとこの漁船の乗組員だったんですね。戦争の転換点ともいえるミッドウェー海戦の端緒となった、東京初空襲と関係しているというのは、偶然にしても「うーん、、」と唸ってしまいます。ちなみに、吉村氏は当時中学生でB25を自宅の物干し台から目撃しています。こういうのも因縁、なんでしょうね。

さらにちなみに、酒巻少尉は私と同郷です。私の県は「弩田舎県」なんですけど、有名な軍人さんが多々おられます。例えば真珠湾で初投弾したといわれている高橋少佐もそうです。あの檜與平少佐もそうです。俺の県凄い、、(いやでも俺は凄くないってのはわかってる)。

閑話休題。彼らの漁船の武装は7.7ミリ機銃1丁と三八式歩兵銃2丁のみ(!)。打電後、米軍の攻撃にこれらで対抗し(対抗ったって、、)、最後には空母に向けて突撃します。海軍、軍属からなる15名の乗組員は次々と敵弾に倒れ、沈没が確実となった際に生き残っていたのは5名。彼らは「自分たちが空母のスクリューに巻きこまれれば多少なりとも損傷を与える」と海に飛び込みますが、その願いは叶わず俘虜となります。す、凄すぎる、、。 

彼らは捕らえられてからも、何度も自決を試みます。米軍は彼らが何故自決しようとするのか理解できず、それを押しとどめます。それにしても、日本の兵士の意思の強さに圧倒されてしまいますね、、。

俘虜になったあとの「生きるべきか死ぬべきか」という彼らの逡巡・葛藤は、ほんと読んでいてつらいです。一方で、米軍の俘虜となった日本兵の「太平洋戦争史」としても興味深いです。前述の酒巻少尉と合流し日々過ごすうち、彼らは生きることを選択し、俘虜としての生活を始めます。そして徐々に各戦線からの俘虜も彼らの元にやってくるようになります。ある日、骸骨みたいな兵士たちが担架で収容所に送られてきて「どこから来た?」と問うと「ガダーカナウ」と(涙) 

非常につらく悲しい小説なのですが、一方で「戦争の中でも表出してくる人間らしさ」の様子にホッとさせられるところもあります。護送中の列車の車中、日本兵がトランプでオイチョカブをしていたら、米軍の護送兵が興味深々となって最後には参加してきたり、森林での労務作業中、看守の女性兵士が気に入った日本兵を誘って双方合意の上でアレをしちゃったりなんかしちゃったり(!)。なんというか「米軍っておおらか過ぎる!」という(笑)。それにしてもアメリカの捕虜への待遇は非常に公明正大で、読んでても感心します。B29の爆撃に象徴されるように、米軍は攻撃に関しては情け容赦ないのですが、敵が「戦力外」となると、とたんに「人道的」になります(あくまで基本的に、ですが)。割り切ってるというか割り切れるんでしょうね。日本は逆に、そういう割り切り方が苦手なんだろうなあ、と。

とまあ、読んでいて日本兵の意職の高さ、意志の強さに感嘆する一方、アメリカのキッチリしつつもテキトーな感じも印象に残ったのでした。アメリカって変な国ですね。でも、どの国もほかから見たら、どっかしら、なにがしか変なんだろうなあ、とも。なんであれ、吉村氏の著作はどれも素晴らしいのでほんとお薦めです。 

●「最後の特派員」(衣奈多喜男著 朝日ソノラマ) 
第二次大戦末期の欧州戦を取材した朝日新聞記者の回顧録です。
当時日本の新聞社は欧州に記者を派遣して、欧州戦の状況を記事にしていました。戦争中、欧州の日本人は軍人や役人だけでなく、そういう「民間人」もいたんですね。で、この方、イタリアとフランスとドイツを行ったり来たりとかなりアグレッシブな取材をしてて、ほんと読み応えがあります。生賴範義氏の表紙イラストもカッコイイです。

彼はドイツ軍のPK(宣伝中隊)に協力してもらい戦闘地域にどんどん入っていって、連合軍のノルマンディ上陸後も「座席の周囲に小銃、自動銃を備え付けた鋼鉄製のオープンカー」に乗り込んで取材してます。キューベルワーゲンのことでしょうね。鋼鉄、というのは筆が滑ったんだろうなあ、と(笑)。

ノルマンディでは当然ヤーボに襲われてます。「運転手以外は4方を注意しながら走り、首と目が疲れると機影発見が遅れて危険率が増大した」って、日本人にヤーボの対処法を教えてもらうとは思いもしなかったです(笑) カーンにも陥落前日(!)に訪問。凄いなあ、、、。ほんと生死ギリギリな感じなのですが、文章は終始飄々としてて、そんなに深刻な感じがしないのが大したものです。昔の新聞記者って肝が据わってたんだなあ、と。 イタリア降伏後のローマのホテルにいたら、完全武装の10数名のドイツ兵がどやどや入ってきて、周りに座って銃をガチャガチャやりながら休憩を始めたので、全員にコニャックをおごってあげた、とか(笑)

びっくりしたのは、この方イタリアの最前線でティーガー(時期的に虎1)を取材してます。車内に入って、車内通話の設備に感嘆してます。どあつかましいことに戦車長に「動かして乗せて欲しい」とお願いするも「戦闘配置についてるからダメ」と断られてます。照準を決めちゃったあとだったんでしょうね。残念。でも恐らくティーガーに乗った唯一の日本の民間人でしょう。写真も撮ってるはずなんですが、持ち帰ってないのかなあ、、。でもまあ、本人が写ってないとただのティーガーの戦場写真なんですが(笑)

そんなこんなで、びっくりな1冊です。この方の体験を元に、漫画とか映画とかにできそうな気もしますね。ノルマンディとかイタリアの戦記はたくさんありますが、日本人記者から見た欧州戦というのは実に新鮮でした。絶版なのが残念ですが、古本で手に入ります。

●「狙撃兵ユーリヤ」(ユーリヤ・ジューコバ著 HOBBY JAPAN軍事選書)

これは先日紹介しましたね。あるソ連軍女性狙撃兵の回顧録です。
戦争は古今東西、基本的に男がするものですが、女性が参加することも少なからずあるのですね。第二次大戦では、英米独ソといった主要参戦国でも女性が軍務に就いたのですが、英米独日は衛生や通信などの後方任務で、女性が直接戦闘に参加したのはソ連だけなんですね。独には対空砲部隊にもいたりしたようですが。まあ要するに、ソ連軍の女性兵士だけが銃を持って敵と戦ってたわけです。

戦場というのはとにかく「男が主導権を握る、男の世界」なわけです。そこに女性が入り込んで戦争に加わる、というのがいかに異常で苦痛に満ちる経験を強いられるのか、というのを逐一教えられる凄い本です。びっくりするのですが、この狙撃兵のユーリヤさん、従軍時10代なんですよ!写真を見ても花も恥らううら若き乙女です。そういう子が阿鼻叫喚の独ソ戦の只中に放り込まれるという、、イヤイヤイヤ、という、、。

どう凄いかという例えのエピソードを出すと、仲間の女性狙撃兵の間では「ドイツ兵に捕まると間違いなく陵辱され拷問されて殺される」という認識だったと。それは実際そういう死体を見てたし、ビラに写真を印刷して撒いていたと、、。ある女性狙撃兵が捕まって、引きずられていく際、遠くにいる仲間の狙撃兵に「私を撃って!」と絶叫した、と。でも、その仲間は「どうしても撃てなかった」と、、。たまらんですよね、、。

とまあ、読んでいると戦場に投入された女性兵士の苦悩苦闘に乱打され頭がクラクラします。また、戦場だけでなく当時のソ連市民も後方で戦場並みの苦しい生活を強いられていたということもよくわかりました。工場での厳しすぎる勤労奉仕、仲間からの密告、逮捕など実に生々しく読めば読むほど辛くなります。

しかしそれでも、彼女たちは祖国のために必死で戦い、祖国に協力したわけです。それはなぜか?なぜこれほどまで自己を犠牲にすることができたのか?ほんといろいろ考えさせられます。 

●「最強の狙撃手」(アルブレヒト・ヴァッカー著 原書房)
で、こちらは彼女らと相対していた独狙撃兵の回顧録です。この本もメチャクチャ凄いです。
狙撃兵というと「戦場の孤高の狩人」みたいな狙撃兵への幻想を抱きがちです。私もそうです。でもそれが見事に吹き飛びました。独ソ戦が、いや戦争がいかに恐ろしいものかがじわじわと身に染みてきます。

この狙撃兵はヨーゼフ・アラーベルガー上級兵長。騎士十字章を授章した山岳猟兵です。彼はソ連から鹵獲した狙撃銃を手にしたことから狙撃兵となり、徐々に経験を積みながら「プロ」になっていきます。

戦闘の描写が実に具体的で参ります。例えば敵歩兵の攻撃時、彼は後方の兵士の腎臓を狙います。腎臓の負傷は即死することはないのですが、メチャクチャ痛いそうです。撃たれた兵士はのたうちまわって絶叫するわけです。前方に進んでいる兵士は背中で聞こえる戦友の悲鳴を聞いて、戦意が衰え浮き足立つんですね。そして、最前方の敵兵を確実に射殺していくわけです。プロって怖いし凄い、、、。

とまあ、こういう「もう勘弁して下さぁい!」なエピソードのオンパレード、、。独ソ両軍の敵捕虜への扱いとかもほんとヒドイです。怖いです。でもこれが戦争の現実なんだなあ、、と。

彼のもの凄い経験を聞いた上で、プロの著者がきちんと文章にして構成しているので読みやすく、ほんとお薦めです。でも、バイオレンスすぎてトラウマになる可能性もあるのでご注意下さい。私は最初に読んだのが10年位前で、かなり凹みましたね、、。

しかし一方で、ミリタリーマニア的にも良書です。装備や銃器への言及が結構多いんですね。大隊にG43が10丁支給されたけど、スコープは3丁分だったと(G43は狙撃銃前提で製造。デフォルトでスコープ用のレールが付けられている)。10丁を兵長が試射して精度のいい3丁に装着したとか、支給された直後のMP44を持つ偵察部隊が、ソ連偵察部隊と交戦して数分で壊滅させた、とか。「ほおー!」という箇所も多いです。「戦争って怖いなあ、嫌だなあ」とか思いつつも、銃の話題になると「ふんふん!」と興味深々になるという。「なんなんだろ俺、、、」と思わなくもないのですが、まあ、仕方ないですねえ、、。

●「ライト兄弟」(富塚清著 三樹書房)
彼らがどのようにして飛行機を発明したのか、ということを実にわかりやすい文章でまとめられた、とてもいい本です。
実に軽妙な語り口で、2人のひととなりと研究・開発の経緯を紹介していて、読んでるうちに知らず知らず2人と飛行機を開発してるような気になります。

これを読むと兄弟が飛行機を開発できたのは必然だな、と思いました。いろんな条件が備わっていたんだなあ、と。以下列記してみます。

①兄弟でかつ対照的な性格で、しかも子供のときから2人とも飛行への夢があったこと。

兄は冷静沈着な慎重型、弟は情熱型。生活を共にしているので四六時中研究についての議論を重ねられたんですね。遠慮もないので議論が深まるわけです。で、意見が別れたとしても家族なので致命的な喧嘩になりにくい。こういうの地味な要素ながら大事ですよね。

②2人とも子供の頃から発明家であり実業家だった

彼らは幼少から工作が好きで、才能もありました。そしてそれを生かして自分たちでお金を稼ぐべくアレコレやってました。子供時代は自作の凧を友達に売り、10代で印刷機を自作(!)して印刷屋を営んでいます。その後は自転車屋を本業にしてます。

つまり、技術をお金に替えることが身についていたわけです。飛行機開発もその延長だったといえますね。 本にもありますが、黎明期の他の飛行機開発者はみんな学者で、技術者ではなかったと。設計は出来ても実際の「飛行機」の形にする際職人に頼むのでどうしても「理想と現実の差」ができていた、と。これも大事ですね。工業でも美術でも、イメージをきちんと形にできるかどうかは、ものづくりにとってかなり重要ですものね。

そして、これははっきりと書かれているわけじゃなくて私の想像なのですが、彼らにとって飛行機開発も事業の一環だったんだろうな、と。実際、その後飛行機会社を設立しています。「飛行する」というのがゴールじゃなくて「飛行機会社を作る」という先を見ていたんでしょう。もちろん飛行への夢という「ロマン」がなければなしえないのですが、それだけではダメだっただろうな、と。飛行機はかなり高度な工業製品ですから、パッとした思いつきでできるものじゃなくて、具体的、現実的かつ着実に進めなければ不可能だったでしょうね。

③自転車屋だったのでバランスとスピードの大切さもよく知っていた。

自転車はバランスとスピードが深く関係する乗り物です。2次元の自転車を3次元に置き換えたものが飛行機、と考えてみると、自転車製作のプロだった彼らは飛行機に非常に近いところにいたわけです。

彼らはグライダーでの操縦訓練をかなり重要視して何度もやってます。動力飛行の前に、飛行中のバランスをちゃんととれるようにしよう、としてたんです。そしてそれは身に染み付いた実感だったわけです。 まあ確かに、自転車に乗れないと、オートバイにいきなり乗ることは無理ですものね。

などなど、本を読んでて「ああ、こりゃライト兄弟が飛行機最初に作るわ」としみじみ思いましたね。っていうか、そういう風に気付かされてくれるとてもいい本でした。ほんとお薦めです。写真も多くて、資料的価値も高いと思います。 

で、巻末におまけとして日本の航空発祥について書かれてるのもいいです。日本人として初飛行した徳川・日野両大尉の取り組みを丁寧に紹介してくれています(これは編者の山﨑明夫氏によるもの)。こういうの、ほんと大切だと思いますね。なんといっても日本人が読む本ですからね。 

あと、不思議なエピソードが書かれてます。公式初飛行の前日、兄弟が作業をしていると、砂丘の中を(2人は飛行するのに適した土地を探した末、風の強いキティホークという片田舎の砂丘を選んだ)ふらりと見知らぬ人がやってきたそうです。その人は、飛行機を見て「これでなにをするつもりなんですか?」と尋ね、兄弟が「これこれこうで」と答えると、彼(男性女性の記述がないんですけどまあ男性でしょう)はふんふんと飛行機を仔細に検分して「なるほど、これなら飛べますよ。あなたたちの言うような風が吹けば」と断言して去っていったそうです。この話、とても気になってるんですけど、ほんとの出来事なんでしょうか? 2人の幻想なのかも?とも。で、私はこの人、神様じゃないかと思ってるんですけどね(笑)

というわけでお終いです。私の趣味的にどうしても戦争関係の本が多くなってしまいました。まあでもそれ以外の本も読んでますので、次回以降はそういう本も紹介できればと思います。あ、あと漫画編もやりたいですね。

そういえば、第1回はなんと5年も前でした。「またやりたいなあ」と思ってるうちにえらい時間が経ってしまいました。今後はちょくちょく書きたいですね。第1回はこちらです。よろしければどうぞ。
久しぶりに見ましたが、これらの本もほんとお薦めです。

それにしても本を読むというのは楽しいですね。そして読んで面白かった本は、人にも読んでほしいなあと思うものです。そういうつもりで書きました。このエントリーを読んで興味を持たれた方が、どの本でも手にとってくれたらとても嬉しいです。

あ、あと今回のエントリーに限らず私はちょくちょく「このこと知ってる人教えて」と書いてます。で、このブログ、パソコンモニターで見ると最初に私のメアドが出てくるのですが、スマホで見ると出てきませんね。最近気付きました。スマホで見てる方からするとなんじゃそら、でしたね。すいません。感想や間違いの指摘など含め、気軽にメール下さい。
アドレスはこちら→morio1945(アットマーク)gmail.com
ツイッターとフェイスブックも「松本森男」でやってます(FBはブログ更新のお知らせのみ)ので、そちらからコメント下さっても全然OKです。

とか書いても全然反応ないんでしょうけど(笑)、まあ、一応、ということで。

それでは。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする