~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

初女先生の講演会in木更津

2011-12-13 23:27:38 | 日記
12月10日に今年最後の東京での、初女先生の講演会が終わり

ました。

そして、来年の1月22日は森のこだま主催の木更津です。

震災後の先生の講演では、一人ひとりが自分で判断し、立ち上がり

自分の足で歩く強さを持ってほしいということが、伝わってきます。

そして、今まで以上に食の大切さを訴えていらっしゃいます。

大きな犠牲の上に、今の私たちがいるということは、生き方

そのものが問われている気がします。

9.11のテロが起きた時、ロサンゼルスで初女先生の講演を

聴き、おむすび講習を受けた人達が、テロの後、みんな怖くて

落ち着かなかったので、ある方が「みんなでお祈りしましょう」

と呼びかけたら「不安で不安で、お祈りもできない」というので

「それじゃあ、初女さんに教わったおむすびを、みんなで結び

ましょう」と言って、おむすびを作り、みんなで一緒に

いただいたら、心が穏やかになったそうです。

私も震災の後、自分を見失いオロオロしていた時、森のこだまさん

から、おむすび作ったらと言われ、おむすびを結ぶことによって

自分を取り戻して行きました。

そして、今こそおむすびの祈りなんだ!と思いました。

森のこだまさんの講演会の演題は「おむすびの祈り」です。

先生が、今私たちに伝えたいことが、この演題に詰まって

いるように思えます。

この講演会のチラシは、そんな先生の深い思いが伝わって

きます。

1月22日、木更津で「おむすびの祈り」を…


   

   



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鎮魂のクリスマスツリー

2011-12-12 23:46:02 | 日記
新聞に、絵画の様なクリスマスツリーの写真が載ってました。

暗い部屋で、光り輝くツリー見上げる大人たち

深い祈りが届いてくるような写真です。

東日本大震災の津波で、全児童108人が亡くなり、4人が行方不明に

なった、石巻の大川小の校舎に飾られたクリスマスツリーです。

光り輝くツリーには、子供達がいるように感じられます。

6年生の長男を亡くし、4年生の長女が未だ行方不明のお母さんは

「ツリーを見て、こんなに泣けることはない」と言っていました。

親たちはどんな思いで、この校舎の中のクリスマスツリーを

見つめているのでしょうか…

鎮魂のクリスマスツリーは、あまりに美しい

子供達の清らかな魂が、そこに輝いているようで…
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初女先生の言葉から3・11を考える

2011-12-11 13:54:12 | 日記
昨日の初女先生のお話の中で、心に引っかかったことがありました。

先生が「震災の後、農業に向かっている、(日本は農業国である

のに頭を使って街に出て行ったけれど)、農業国にかわっている。

農に進まなければいけない。」と言われたことです。

記憶力が乏しくなった私のメモなので、多少の言葉は違っているかも

しれないけれど…

私は、3月11日の津波にのまれて行く田畑を見た時、東北の農業は

もうダメなのではないかと思いました。

海水が入った農地を蘇らせることが出来るだろうかと…

そして、それと同時にエネルギーを消費し、食材をすべて買う事に

よってまかなっている生活の危うさを感じました。

先生に「農業国」と言われた時に、ハッとしました。

私の頭の中では、日本は農業国ではなくなっていたし、

私たちが、農耕民族だったことなんて、歴史の教科書の1ページに

すぎなかったのです。

「農に進まなければいけないと」と先生にきっぱりと言われた時

その言葉の前で立ちすくむ自分がいました。

この言葉の奥にあるものはなんだろう…

そして今朝、その答えのヒントと出会った気がしたのです。

新聞にあった、2011年「この3冊」という特集に、各界の人が

選んだ本が載っていました。

その中で、歌人の小島ゆかりさんが、池澤夏樹の

「春を恨んだりはしない 震災をめぐって考えたこと」という本を

選んだ理由が載っていたのです。

  震災以降の不安定な心と体を、どうしたらいいのか。

  「春を恨んだりしない」は、被災地の現場から出発して、

  混乱した思考の迷路をゆっくりほどく。

  日本はどういう国で、私たちはどのような精神史を持つ

  民族なのかを考える。

  性急な答えではなく、茫漠とした問いに向かって、

  心身の軸がしずかに定まる。

この短い文章を読んだ時、初女先生の「農業国」と言う言葉

「農に進まなければいけない。」ということ…

イスキアで畑を始めたこと…

「ただの畑でなく、皆が立ち寄って、作って収穫して喜びを

分かち合えたらいい」という言葉が、私の中で立ちあがって

きました。

この国の大きな大きな犠牲の上で、被災地にいなくても

私たちは生き残った者として、何をすべきかを真剣に

考え行動していかなければいけないと思いました。

震災後、初女先生は「死んでられない」と90歳という

高齢にもかかわらず、休む間もなく講演されてます。

そのことと、しっかり向き合わなければ…

「初女先生に会うと、イスキアに行くと癒されるんでしょ!」という

ところで留まっていてはいけないんだと思いました。

あの3月11日から9カ月

自分はいったい何を考え何をしていたのだろうか…

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感謝一杯の一日

2011-12-10 23:41:20 | 日記
朝8時過ぎ、宅配のおじちゃんから約束通り電話がかかり、チラシを

取りに飛んで行きました。

チラシの束を手にした時、思わずチラシに「よく間にあったね。

偉かったよ。」と言ってしまいました。

開場前にチラシを置いてもらおうと、受付の学生さんの処に行くと

主催者の用意した印刷物の方が、私が持って行ったチラシより

少ないので、おずおずと「たくさんありますが、残ったら持って

帰りますから」と言うと、皆さんに一枚づつ渡しましょうと、

思ってもいなかった嬉しい言葉が…

会場は、少し前まで200人の申し込みと、心配していたのに

何と400ほぼ満席!

初女先生も、学習院での講演を楽しみにしていただけあって、

この日は、元気リンリン!

おまけに龍村監督ファミリーも駆けつけ、盛り上がって

いました。

ガイア上映に先生の講演、分かち合いそして舞台の上での

おむすび講習会

本当に、盛り盛りたくさんの講演会でした。

先生は、震災が大きなことを与えてる、一人ではなくみんなで

支えながらやっていこうというように…

そして、農業に向かっている人が増えているのは

日本は農業国なのに、頭を使って街へ出ていったのが

震災以後、農業国にかわってきているのではと…

イスキアも畑を始め、大根が70本くらい採れたそうです。

先生は、ただの畑ではなく皆が立ち寄って、作って収穫して

喜びを分かち合えたらいいなーと言われていました。

初女先生の好きな言葉は?という質問に、先生のお答えは

「感謝」でした。

そういえば、今日の私は宅配のおじちゃんに感謝

間に合ってくれたチラシに感謝

チラシを皆に手渡してくれた、学習院の学生さんに感謝

こういう機会を与えてくれた、森のこだまさんに感謝

感謝一杯の一日でした。

感謝なしでは前には進んでいけないという、先生の言葉が

私を後押ししてくれているようです。

今日という日に、感謝!

そして、そして初女先生に、てんこ盛りの感謝…
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初女先生のチラシ

2011-12-09 23:23:37 | 日記





明日は、今年最後の初女先生の講演会が、高田馬場の学習院

女子大であります。

私は、講演会の実行委員会に手紙を書いて、森のこだまの初女先生

の講演会のチラシを置いて下いと、お願いしました。

実行委員の方から、お電話を頂き「どうぞ」という快いお返事が…

「ヨッシャー!」と、早速森のこだまさんに連絡を入れたのですが

今日になってもチラシが届かない…

忙しい中、急かしてもと躊躇してたのがいけなかったのです。

森のこだまさんは、すっかり日にちを間違えていました。

それから、特別の便で、明日の朝8時から10時までに着く様に出した

との連絡がきました。

荷物に「着いてね」と、お願いしたからと…

宅配が着くのが10時だと、私は家を出ているし、こうなったら

宅配のおじさんと直談判と、夜9時に近くの宅配の集配所に行き

私が、朝一番でその荷物を欲しいと必死に言うと、皆が

集まって来てくれ、その中の一人のおじさんが、「明日の朝は

オレが当番だから、オレが山さんの荷物分かる様にしとくよ

8時においで」と言ってくれたのです。

もう、私は感激しちゃいました。

何だか、町のおじちゃんにも、支えてもらっているんだと

思えて…

初女先生のチラシが、皆を繋げてくれているようです。

森のこだまさんが、「魂がワクワクして、どこかの誰かと

おむすびの祈りで繋がれている毎日です」と言ってましたが、

何だか、宅配便のおじちゃん共、おむすびの祈りが繋がって

いるようで嬉しくなりました。

初女先生のこのチラシは、必要な人にはちゃんと届く!

そんな思いで、私もおむすびの祈りをむすんでいます。



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魂に届く音

2011-12-08 17:00:39 | 日記
昨日は、松尾慧さんのコンサートのお手伝いに行ってきました。

自分の体の中の魂を感じることって、滅多にありませんが、慧さんの

笛の音を聴くと、魂に真っ直ぐに音が飛び込ん来る気がします。

ぼんやり生きていても、あ!魂があったと気づかせてくれる笛の音

です。

自然のもので作った楽器は(ここでは竹ですが)、私たちの耳には

聴こえない音を魂に運んで来てくれる気がします。

慧さんの何処までも澄んでいて、しかもしっかりと芯がある音は

どこからくるのだろうと、思っていましたが、今日なんだか

それは、慧さんの生き方にあるのでは、と思えました。

昨日の演奏会を終え、今日はどんなにお疲れだろうと思って

いましたが、「今日はボランティアの日なの」と…

私は思わず「え!あの寿町のどやがいボランティアまだやっているの」

と聞いてしまいました。

慧さんは、何でもない様に「やっているわよ。もう5年になるのよ」と

どやがいにある診療所で、月に一回笛を吹いているのです。

精神科があり、アルコール中毒の人などもいて、怒鳴られる時も

あるといいます。

「待合室で吹いたら、うるさいわよねー」と慧さん

私が、行きたいというと、一人で来たら怖いかもと…

そういうところに、慧さんは5年も通っているのです。

生きることに疲れたどやがいのおじさん達の魂に、慧さんの

笛の音はどのように響いているのでしょう…

昨日、会場を後にされる皆さんの、満たされた笑顔が忘れられ

ません。

時々、慧さんの笛の音を聴いて、自分の魂を感じたいと

思いました。



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クリスマスツリー

2011-12-05 23:05:23 | 日記
子供達が、小さい時からクリスマスが一年で一番楽しみ!と言ってた

ので、その期待にこたえるように、我が家のツリーは天井に届く高さ。

でも、あんまり大きくてツリーをしまって置く場所がなくて、息子の

ベットの脇がツリー置き場になっていて、息子はツリーの箱と共に

寝ているのです。

大学生になった息子は、もうクリスマスツリーなんて飾らないだろうと

思っていたら、夜に突然ツリーを飾ると言いだして、一人で飾り

つけていました。

お兄ちゃんがいなくなってから、お父さんが毎年一つ新しい飾りを

買っていこうと言いだし、その年の年齢をその飾りに書いて

きました。

11歳・12歳・13歳…自分の年齢が記してある飾りを並べていた

息子が、「去年のだけないよ!」と言いだし、「去年は受験で

ツリーも飾らなかったんじゃない」というと、残念そうに

「そうか…」と言ってました。

クリスマスが近ずくと、サンタさんに手紙を書いて、ツリーにその

手紙を置いておくと、いつの間にか手紙がなくなっていて、

クリスマスには、お願いしたプレゼントが来ていると言うのが

我が家のクリスマスでした。

お兄ちゃんが亡くなった時、10歳だった息子は、サンタさんに

おにいちゃんのプレゼントをお願いしてました。

私は「お兄ちゃんは、神様からもらうから」と言うのが精一杯

でした。

クリスマスにお正月と街が華やかになるほど、悲しみが深くなり

三人で一生懸命に、ツリーを飾ったものです。

ハナ歌を歌いながら、ツリーを飾りつけている息子を見て

我が家の悲しみも、もう大丈夫と思えました。

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天空の響き

2011-12-04 19:07:36 | 日記
松尾慧さんの笛の音を聴いた時、涙が止まらなくなりました。

止まらぬ涙に戸惑いながら、コンサートが終わった時

その涙の訳が分かりました。

笛は、太古の昔から天との交信に使ったそうです。

慧さんは、祈りとしての笛を吹きたいと言ってました。

笛の音が、魂にいきなり飛び込んできた気がしたのは、祈りの

笛だったからなのでしょうか…

天との交信が出来るなら、私も笛を吹いて息子にこの思いを伝えたい

と、思いました。

それ以来私は、松尾慧さんの笛が大好きになりました。

その慧さんのコンサートが、7日に横浜のかなっくホールで

ひらかれます。

今回は、チェレスタの森ミドリさんとのジョイントコンサート

今日、プログラムを見せて頂き嬉しくなりました。

慧さんとミドリさんが作曲した、岩木山をモチーフとした

曲があるのです。

慧さんは、イスキアで演奏したことも有ります。

     慧さんのプログラムから

 津軽平野に美しい稜線を描く独立峰、岩木山。

 聖なり頂、信仰の山として人々の心をつかんではなしません。

 毎年の御山参詣の行事では、男たちが白装束で笛と太鼓と鉦を

 演奏しながら頂上をめざします。

 登山囃子の笛のメロディーと唄はすばらしい音楽だと思います

 笛の調律は実に独特でその土地で制作した笛でないと、うまく

 演奏できません。

  この曲は、祈りの山、岩木山への思いをのせた短いモチーフを

 もとに即興を展開し、その中に遠くから登山囃子と唄が聞こえて

 くるようにしたいと思います。

 精霊のやどる聖なる山と、それを取り巻く美しい風物、人々の

 力強い生活と芸能。大好きな岩木山へ贈る曲になったらいいなと

 思っています。    (松尾 慧)

  
まだ、チケットはあります。是非一度、慧さんの天空の響きを聴いて

下さい。


    「音のゆくへ」 天空の響きとともに

  12月7日(水)19時15分 開演 かなっくホール(東神奈川)

  会費 3000円

  問い合わせ・申し込み 電話・fax 0466-23-4855  

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感謝の心をいつも

2011-12-03 18:31:00 | 日記
昨日はこの冬一番の寒さでした。

初女先生に会いに張り切って家を出たのですが、何と電車が信号

故障で動いてないのです。

「もう暫らくお待ちください」の放送を信じて待っていたら突然

「振替乗車致します」にかわり、慌ててバスでJRの駅へ

電車一本で着く筈が、とんでもなく時間がかかり、

やっとの思いでホテルに着くと、目の前に先生が坐っていらして

「初女先生!」と掛けよると、冷たくなった私の手を握って

「いつもこんなに冷たいの?」と言ってじっと温めて下さいました。

先生に「今日は特別寒いもの」と言うと、「暖かいよ」と答えた

先生は何とスカート姿…

そんなこんなで、お昼も食べてなかった私は、先生の作ったお弁当の

おかずを頂いて、身も心も一杯になりました。

会場に行くときも、先生だけはコートなし

会館のロビーには、開場を待つ人たちが沢山来ていました。

控室がないのか、担当の方がロビーの椅子を先生に勧め、

「もう少し、お待ち下い」と言われ準備に行かれました。

先生は、私に小さい声で「ここが会場なの?照明がないよ」と

言ったので、私は思わず「先生、ここでやったら徹子の部屋

になっちゃう」と言ってしまいました。

今回は、いのちの電話 自殺防止公開講座となっているので

先生の講演も自死という重い問題から入っていかれました。

先生の眼差しは、どこまでも優しく、自死を責めるのではなく

望んで逝ったのだから、遺された者はその人が生前望んだように

生きていけばと…

「誰も、死にたくないんですよ」という先生の言葉が私の心に

くさびを打ち込んだかのように今も残っています。

「私たちの生活に、感謝がないと前に進んでいけない

感謝を感じた時、前に進んでいける」先生のこのお言葉に

感謝の心が、先生の信仰の核となっているんだなと感じました。

そして、感謝の心がまだまだ小さい自分を感じました。

マザーテレサに会った方が、マザーと初女先生の抱えている

空気が同じだと、マザーも初女先生と同じく

とてもチャーミングだったと言われていたそうです。

もしかしたら、神様が遣わして下さった天の母さまに私たちは

会っているのでしょうか…

そんな気がしてきました。

木枯らしが吹いていたけれど、心は愛の灯がともり、とても

温かでした。

感謝の心をいつも…ですね。初女先生!




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初女先生~生きることとは

2011-12-01 18:40:20 | 日記
今日から師走

12月の声を聞いた途端のこの寒さです。

明日も寒いとか、明日は川崎で(主催いのちの電話川崎)、6時半から

初女先生の講演会があります。

少しでも暖かくなればなーと思っていますが…

今年も残すところ、あと一カ月になりましたが、私たちが

今まで経験もしたことのない年となりました。

初女先生は「震災は私達に、生きるための道を示している

ように思われる」と言われ、身を粉にして講演を続けて

いらっしゃいます。

震災後、先生の伝えたいという思いはより強くなり、初女先生を

求める人たちは益々増えてきているようです。

震災によって、私たちは生き方を問われたのだと思います。

「生きることとは、人さまのお役に立つように働くことです。」と

言われ、そのように生きて来られた初女先生

その先生の生き方が、私たちの希望であり、これからの私たちの

道しるべにもなっています。

明日、先生は青森から来られ、6時半から講演されます。

来週、12月10日は学習院女子大で

初女先生の講演会があります。詳細はこちらをごらんください。

400名の定員のところ、まだ200名ぐらいのお申し込みだそうです。

一人でも多くの方に、初女先生と出会って欲しい!

初女先生の行動が示す「生きるための道」を自分の人生の中に

見つけていきた!と、思っています。
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