今年も後一週間あまりとなりました。
東日本大震災思うと、この時代を生きている私たち全ての大人に
原発の責任があるのではないかと思ってしまいます。
ですから、安易に出される「収束宣言」に憤りを感じるのです。
明治生まれの詩人、河井酔茗の「ゆづり葉」という詩が、今ひどく
堪えます。
ゆづり葉
子供たちよ
これは譲り葉の木です
この譲り葉は
新しい葉が出来ると
入れ代わってふるい葉が落ちてしまふのです
こんな厚い葉
こんな大きい葉でも
新しい葉が出ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちを譲って
子供たちよ
お前たちは何も欲しがらないでも
凡てのものお前達に譲られるのです
太陽の廻るかぎり
譲られるものは絶えません
輝ける大都会も
そっくりお前たちが譲り受けるのです
読み切れないほどの書物も
みんなお前たちの手に受け取るのです
幸福な子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれど
世のお父さんお母さんたちは
何一つ持ってゆかない
みんなお前たちに譲ってゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを
一生懸命に造っています
今お前たちは気が附かないけれど
ひとりでにいのちは延びる
鳥のようにうたひ、花のように笑っている間に
気が附いてきます
そしたら子供たちよ
もう一度 譲り葉の木の下に立って
譲り葉を見るときが来るでせう
東日本大震災思うと、この時代を生きている私たち全ての大人に
原発の責任があるのではないかと思ってしまいます。
ですから、安易に出される「収束宣言」に憤りを感じるのです。
明治生まれの詩人、河井酔茗の「ゆづり葉」という詩が、今ひどく
堪えます。
ゆづり葉
子供たちよ
これは譲り葉の木です
この譲り葉は
新しい葉が出来ると
入れ代わってふるい葉が落ちてしまふのです
こんな厚い葉
こんな大きい葉でも
新しい葉が出ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちを譲って
子供たちよ
お前たちは何も欲しがらないでも
凡てのものお前達に譲られるのです
太陽の廻るかぎり
譲られるものは絶えません
輝ける大都会も
そっくりお前たちが譲り受けるのです
読み切れないほどの書物も
みんなお前たちの手に受け取るのです
幸福な子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれど
世のお父さんお母さんたちは
何一つ持ってゆかない
みんなお前たちに譲ってゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを
一生懸命に造っています
今お前たちは気が附かないけれど
ひとりでにいのちは延びる
鳥のようにうたひ、花のように笑っている間に
気が附いてきます
そしたら子供たちよ
もう一度 譲り葉の木の下に立って
譲り葉を見るときが来るでせう