初女先生の新刊「いのちを養う 食」を読んだ知人から、初女先生
のお料理に対する質問がいくつか来ました。
初女先生のお料理を食べてみれば、なんの説明の必要もなく分かる
のですが、言葉で先生のお料理を伝える難しさを感じています。
「食はいのち」ということも、色々な人が発信し出しているし…
「いのちをいただく」ということは、私たちの民族は昔から
その精神を持ち続けて来たし…
確かに、近年色あせて来ているかもしれないけれど、そのことに
奇異な感情を持つ人は、少ないと思います。
そして、美味しいお料理を作るひとは、数えきれないほど
いると思います。
では、初女先生のお料理は、何処が違うのでしょう…
心の底にある深い悲しみや苦しみに、寄り添ってくれ、生きる
エネルギーを与えてくれます。
拒食症などで、生きることに背を向け、食べることを拒絶した
人たちが、初女先生のお料理を目の前にすると、嘘のように
食べだすのです。
私がイスキアで出会った方は、「つかえてていたものが、すーと
とれて、食べれちゃうの」と言ってました。
先生のお料理をどう言葉にすればいいだろうと思っていたら、
「朝一番のおいしいにおい」(佐藤初女著)の中で、語って
いる方がいました。
「悩める青年も、自閉症の娘さんも、生きる力を失った人も
佐藤さんの出される「生命」をいただくと、心と体の中に
生きる希望と力が蘇ってくる
この世の創造主は、私たちにすべてを与えて下さった。
自分の生命がこの宇宙に存在するすべての生命と繋がって
いることに気づくと、今まで悩んでいたことも苦しんで
いたことがすべて消えて無くなる。
佐藤さんの作られる料理は、わたしたちの生命が宇宙の大きな
生命の鎖の一つの輪であることに気づかせてくれる
「森のイスキア」に新しい光を求めて日本中から人々が
来ている。また日本各地から佐藤さんは招かれそれの答えて
おられる。生命を大切にする時代をひらいていくために、
自分の心の中に神の存在を見出すために、もう一度
佐藤さんの料理をいただきたい。(小林 善則)
のお料理に対する質問がいくつか来ました。
初女先生のお料理を食べてみれば、なんの説明の必要もなく分かる
のですが、言葉で先生のお料理を伝える難しさを感じています。
「食はいのち」ということも、色々な人が発信し出しているし…
「いのちをいただく」ということは、私たちの民族は昔から
その精神を持ち続けて来たし…
確かに、近年色あせて来ているかもしれないけれど、そのことに
奇異な感情を持つ人は、少ないと思います。
そして、美味しいお料理を作るひとは、数えきれないほど
いると思います。
では、初女先生のお料理は、何処が違うのでしょう…
心の底にある深い悲しみや苦しみに、寄り添ってくれ、生きる
エネルギーを与えてくれます。
拒食症などで、生きることに背を向け、食べることを拒絶した
人たちが、初女先生のお料理を目の前にすると、嘘のように
食べだすのです。
私がイスキアで出会った方は、「つかえてていたものが、すーと
とれて、食べれちゃうの」と言ってました。
先生のお料理をどう言葉にすればいいだろうと思っていたら、
「朝一番のおいしいにおい」(佐藤初女著)の中で、語って
いる方がいました。
「悩める青年も、自閉症の娘さんも、生きる力を失った人も
佐藤さんの出される「生命」をいただくと、心と体の中に
生きる希望と力が蘇ってくる
この世の創造主は、私たちにすべてを与えて下さった。
自分の生命がこの宇宙に存在するすべての生命と繋がって
いることに気づくと、今まで悩んでいたことも苦しんで
いたことがすべて消えて無くなる。
佐藤さんの作られる料理は、わたしたちの生命が宇宙の大きな
生命の鎖の一つの輪であることに気づかせてくれる
「森のイスキア」に新しい光を求めて日本中から人々が
来ている。また日本各地から佐藤さんは招かれそれの答えて
おられる。生命を大切にする時代をひらいていくために、
自分の心の中に神の存在を見出すために、もう一度
佐藤さんの料理をいただきたい。(小林 善則)