気仙沼の階上中の梶原裕太君の答辞を、テレビで聞いて涙が出て
しまいました。
彼の答辞は、悲しみを超えた向こうにある人間の素晴らしさを感じ
させてくれるものだったからです。
答辞 梶原 裕太
階上中学校といえば、防災教育といわれ、内外から高く評価され
十分な訓練もしてきた私達でした。
しかし、自然の猛威の前には人間の力は、あまりに無力であり
私達から大切なものを容赦なく奪っていきました。
しかし、苦境にあっても天を恨まず、運命に耐え助け合って
生きて行くことが、これからの私たちの使命です。
これが、あの大震災を体験した中学3年生の答辞です。
この大震災で、どれだけの人が「なぜ」「なんで」を叫んだだろう…
震災を体験しなかった人達も、同じように「なぜ」と言い
日本中の人が、あの映像を見ながら「なぜ」「なんで」と呟いた…
答えの出ないこの問いを、問わずにはいられなかったのだ。
でも、大人達は言えなかった。
天を恨まずとは…
被災地の人達は、悲しみ苦しみに耐え、助け合っていました。
その姿の中に、子供達は自分達の使命を感じていたのです。
ある本に「この世は、実にわからない。
わからないから、実につらい。なぜ自分がこんな苦しい病気に
なったのか。なぜ我が子がこんな困難な障害を背負わされて
いるのか。なぜあんないい人が、こんな事故でいのちを
落とさなければならないのか。だれひとり、納得のいく説明を
してくれないし、どんな理由を並べられても納得できるはずもない
しかし、人間のすばらしさは、分からない事を受け入れて、
尚も生き続けることが出来るというところにある。
人間は、わからなくても信じることができる生き物なのだ。」と、
ありました。
私は、この答辞に、大きな苦しみと深い悲しみの中から放たれる
眩しいばかり光を感じました。
未来は光の中にあることを信じていこう…と思いました。
しまいました。
彼の答辞は、悲しみを超えた向こうにある人間の素晴らしさを感じ
させてくれるものだったからです。
答辞 梶原 裕太
階上中学校といえば、防災教育といわれ、内外から高く評価され
十分な訓練もしてきた私達でした。
しかし、自然の猛威の前には人間の力は、あまりに無力であり
私達から大切なものを容赦なく奪っていきました。
しかし、苦境にあっても天を恨まず、運命に耐え助け合って
生きて行くことが、これからの私たちの使命です。
これが、あの大震災を体験した中学3年生の答辞です。
この大震災で、どれだけの人が「なぜ」「なんで」を叫んだだろう…
震災を体験しなかった人達も、同じように「なぜ」と言い
日本中の人が、あの映像を見ながら「なぜ」「なんで」と呟いた…
答えの出ないこの問いを、問わずにはいられなかったのだ。
でも、大人達は言えなかった。
天を恨まずとは…
被災地の人達は、悲しみ苦しみに耐え、助け合っていました。
その姿の中に、子供達は自分達の使命を感じていたのです。
ある本に「この世は、実にわからない。
わからないから、実につらい。なぜ自分がこんな苦しい病気に
なったのか。なぜ我が子がこんな困難な障害を背負わされて
いるのか。なぜあんないい人が、こんな事故でいのちを
落とさなければならないのか。だれひとり、納得のいく説明を
してくれないし、どんな理由を並べられても納得できるはずもない
しかし、人間のすばらしさは、分からない事を受け入れて、
尚も生き続けることが出来るというところにある。
人間は、わからなくても信じることができる生き物なのだ。」と、
ありました。
私は、この答辞に、大きな苦しみと深い悲しみの中から放たれる
眩しいばかり光を感じました。
未来は光の中にあることを信じていこう…と思いました。