~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

マザー初女

2010-08-07 18:51:46 | 日記
今日も暑いと空を見上げたら、秋の空の気配を感じました。
自分の感覚が変のかと、暦を見たらなんと今日は立秋
自然は留まっていないんだ、どんなに猛暑と言われても、ちゃんと
秋は訪れる準備をしているのだと、ちょっと感激しました。
もうすぐお盆です。
お盆というと、イスキアでのお盆を思い出します。
あの時、初女先生はお盆だからイスキアの庭で焚き火をしましょうと
言われたのです。
私はクリスチャンの先生が、お盆をされるの?と驚きましたが
「ここには、大切な人を亡くした人がいるでしょ」と、送り火の
代わりに焚き火をしました。
その時、子供を亡くした人だけでも、先生を含め4人いました。
イスキアの庭での焚き火の送り火を、私は一生忘れないと思います。
慈愛というのは、本当に深いものだと初女先生を見ていると思います。
 初女先生を知らない方に、先生をどのようにお伝えすればよいか
色々悩み説明しましたが、誰もが「あー 」と納得して下さるのが
「マザーテレサのような方です」という言い方です。
言っている私も、マザーテレサを詳しく知っている訳ではないのですが
多分、お二人に共通することが、慈愛であり母性なのかもしれません。
たくさんの方が、初女先生を求めて求めて来られるのは、
先生の母性と慈愛を求めて来られるのでしょう。
イスキアの焚き火の送り火に、初女先生の思いの深さを感じます。
マザー初女に出会えてよかった!
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8月6日

2010-08-06 20:17:29 | 日記
子供の頃から、8月6日は家族がテレビの前に揃い8時15分に
黙祷するのが、我が家のきまりでした.
結婚しても、このきまりは守っていました。
今年はテレビが壊れているし、映像なしで広島を感じようと
思っていたら、黄色と緑の画面だったのが、8時頃突然まるで
雲が晴れたように、綺麗な映像が映し出されたのです。
やっぱり、うちのテレビには意思があると思いながら、黙祷を捧げ
ました。
何年か前に、8月6日の広島平和記念公園での平和コンサートに
行ったことがあります。
息子を亡くした後だったので、大切な人を失う悲しみを感じながら
暑い広島の街を一人泣きながら歩いていました。
原爆ドームのところで灯篭を求め、息子の名前を書いて流してもらい
ました。
生があれば死があります。そして人は必ず死を迎えます。
でも、その死は戦争によってもたらされる死であってはならないと
私の体に刻み込まれた8月6日でした。
今朝の晴れ渡った夏空は、広島で見た青空と重なりました。
この平和が永遠に続きますように!
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超厚型テレビ

2010-08-05 23:11:16 | 日記
うちのテレビは、超厚型です。
頼みもしないのに、スイッチを入れる度にアナログと表示される
ローカルなテレビです。
そのテレビに、意思があるのではと思う事があります。
スイッチを入れても、ついたりつかなかったり、テレビの気分しだい。
やっと映っても、突然消えるのです。
先日は、どこのチャンネルに回しても、画面は変わるのに、音声は全て
NHKがながれるという、奇怪な現象まで起きました。
そして昨日ついに、完全に画面が、黄色と緑になったのです。
私はこれを機会に、テレビのない生活もいいなーと思っているの
ですが、息子も主人も、一日でギブアップの様子。
 昔、テレビはこれ程生活に食い込んでいませんでした。
テレビを観る時間というのがあって、何かしながら観るのではなく、
皆がテレビの前にちゃんと座ってみたものでした。
その番組が終わると、まるで舞台の緞帳のように、テレビカバーの
幕を下ろし、テレビの時間は終わりました。
人の生活がテレビで振り回されることがなかったあの頃の方が、
今より秩序があったような気がします。
主人と息子は、今すぐにでもテレビを買おうと言っています。
私は、長い間使ったテレビが壊れたのだから、少しは喪に服したらと
思っています。
初女先生が、「私は、殆んどテレビを観ないの」と言って
タクシーの中にあったテレビを食い入るように観ていたことを
ふと、思い出しました。
我が家のテレビの喪は何日で明けるのだろう…
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ふるさと

2010-08-04 10:42:48 | 日記
生れも育ちも神奈川の私は、「ふるさと」と言われ思い浮かぶ
風景がありません。
主人に度々「君は故郷への思いが分からないんだ」と言われましたが
都会は、故郷の気配を消し去って、成長してきたところがあるので、
「ふるさと」と言われて、目の前に広がる風景を私は持っていません。
でも、心のふるさとはと問われれば、イスキアの梅を干している
あの景色が、思い浮かびます。
初女先生は、北海道から青森に来た時、海が見えなくて苦しかったと
言われていましたが、今は講演会の一番最初に話されるのが
岩木山のことです。
ふるさとを持たない私ですが、石川啄木の「故郷の山に向かいて
言うことなし、故郷の山は有難きかな」という歌がとても好きです。
この山が岩木山であると知ってからは、岩木山が自分の故郷の山の
ようで、益々好きになりました。
室生犀星は「ふるさとは遠きにありて思うもの そして悲しく
歌うもの」と歌ってますが、今 歌で故郷を元気づけようと
している方がいます。
16日の初女先生の講演会でも歌って下さった、高山千代美さんです。
高山さんは、昨年から故郷の宮崎でコンサートをひらいています。
宮崎と言えば、今年「口蹄疫」で大きな大きな打撃を受けました。
そんな故郷を歌で元気づけたいと、高山さんはコンサートに
熱い思いを寄せています。
コンサートの前後には、刑務所を慰問されるそうです。
故郷を思う高山さんの歌は、宮崎の人達に明日への元気を、そして
再び歩きだす力を与えてくれるでしょう。
故郷の優しさが、高山さんの歌をより温かく豊かなものにして
くれるでしょう。
ふるさとという響きに「母の心」を感じるのは、私だけかしら…
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いのちの平等

2010-08-03 20:57:07 | 日記
今日、バス停に行くまでの道に蝉の死骸を2つ見つけました。
蝉は、7年間ぐらい土の中にいて地上でのいのちは一週間だと
聞いたことがあります。
たった一週間…
でも、蝉たちの鳴き声聞いていると、そんな不満は微塵も
感じられません。
もし「今、この時をいのち一杯生きる」という課題が、すべての生命体に
与えられているなら、一週間の蝉のいのちも70年80年という
人間のいのちも、神様の前では平等ということになるのでしょうか。
 息子が小さい頃、私は口癖のように「この子といると、生きてるー
っていう感じがすごくするの!」と言ってました。
あの子は、遊ぶ時も運動する時も、いつも全力でした…
2匹の蝉の死骸から、駆け抜けたあの子のいのちを思い出したのは
なぜだろう…
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生き方

2010-08-02 00:26:58 | 日記
私の好きな番組に、日曜美術館があります。
番組のナビゲーターが姜尚中になってから、益々好きになり
日曜の朝の楽しみになっています。
今日は、シベリア抑留の鎮魂の思いを絵や彫刻に託して描いている
宮崎進さんでした。
シベリア抑留体験が、宮崎さんの作品の根底にあり
88歳の今も制作に意欲をもやしているそうです。
シベリアでは、仲間は餓死や病死、発狂や自殺で亡くなっていった
そうです。
その壮絶な体験があっても、宮崎さんは人間は素晴らしい
絶望から這い上がろうとする人間は素晴らしい!と語っていました。
シベリアでは、日本兵は家畜以下の扱いを受けていたと言います。
その中にあっても、人間は素晴らしいと感じる宮崎さんは、戦争という
非人間的なことを人間的な目で見ようとしていた人だったようです。
生きることだけを考えて生きてきたそうです。
宮崎さんの作品の深い沈黙は、より深い悲しみや苦しみを観ている
人に語りかけて来るようです。
宮崎さんは、人はそれぞれ生きるべき生き方がある。
それが見つからず、ちょろちょろしていると言われていました。
「生きるべき生き方」何だか心にずしりと降りてくる言葉です。
この言葉を聞いた時、初女先生の姿が浮かんできました。
生きるべき生き方とは、やはり今 ここをどう生きるかということに
なるのでしょう。
私の生きるべき生き方は…
いつか、宮崎さんの作品に会いに行こう…
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