小さい時私は、変な子だったのではないかと
思うのです。
朝が来ると、死ぬ日が近づいたと毎朝泣いて
いたのですから…
目覚めると泣く私に、母が何と言っていたかは
覚えてないのですが、多分相当困っていたと思います
幼い私はいのちに限りがあることを、何で感じて
いたのでしょうか…
夜眠りについて、朝が来ると目覚める
当たり前のように思えるこのことですが、ちょっと
立ち止まって考えてみると、不思議を感じます。
寝ている間、私の体を動かしている、
生かしてくれているエネルギーとは何だろう…
そんなことを考えると、朝が来たから目が覚める
ということに有り難さを感じます。
だから、辛いことがあっても朝は、感謝で
迎えたいと思うのです。
息子が亡くなった後、目覚めるとまた今日も
息子のいない日常を生きなければいけないと
その辛さに泣いていました。
もうあんな朝は迎えたくないです。
ティグ・ナット・ハンの本に目覚めについて
書いてありました。
『一日の始まりは、幸せのほほえみをたたえながら
慈しみ理解の道を歩もうとする決意を心にとどめて
スタートしましょう。
今日という日は真新しい一日で、生きるための
かけがえのない24時間が待っていることを
確かめます。
「朝 目覚めて 私はほほえむ
行方には 生まれたての24時間が待っている
私は約束する どの一瞬も精一杯に生き
生きとし生けるものを慈愛の眼で観ることを」』
この言葉を目が覚めた時に、唱えると良いと
書いてありました。
感謝を持って、一日がスタートしたら
日常を、もっと大切に生きられるかもしれない…