作家の藤本儀一さんのところに、東日本大震災のあとすぐに
新聞社から、阪神からどう見えたか という原稿の依頼がきた
そうです。
藤本氏が二日がかりで書いたのは、震災のことではなく、戦争中友達
6人と鉄橋を渡っていた時、グラマンの機銃掃射を浴び、先頭にいた
K君が、即死したことを書いたそうです。
藤本氏は、大津波もストロンチウムも阪神にはなかった。比較すら
できない。阪神の体験がそのまま東北の被災者に安らぎを与える
とは思えなかった。
ただ、大切な人を失った人達に伝えたかったので、
「人間、生きて行くためには、生きることを教えてくれた人を
思い出さなくてはいけません。」と、書いたそうです。
この言葉を目にした時、言葉がいきなり魂に飛び込んできました。
一人の私の周りに、どれだけ生きることを教えてくれた人が
いただろう…
そして、今もいる…
息子が亡くなった時、あの子はいのちを掛けて私に、生きるという
ことを、教えてくれていると思いました。
あの時、直感のように思ったことは、真実だったんですね。
人は一人では生きていない、亡くなった人達にも支えられ
導かれ生きているんですね。
初女先生が、亡くなった人を復活させてあげなくちゃと、言われて
いるのは、そういうことだったんですね。
今日は、ものすごく寒く、息子が生まれた年も寒い冬だったと
そんなことが、ふと思い出されました。
そして、その後に藤本氏のこの文章と出会ったのです。
明日は、天国の息子と共に初女先生に会いに行こう!
そして、私も「おむすびの祈り」を結ぼう…
新聞社から、阪神からどう見えたか という原稿の依頼がきた
そうです。
藤本氏が二日がかりで書いたのは、震災のことではなく、戦争中友達
6人と鉄橋を渡っていた時、グラマンの機銃掃射を浴び、先頭にいた
K君が、即死したことを書いたそうです。
藤本氏は、大津波もストロンチウムも阪神にはなかった。比較すら
できない。阪神の体験がそのまま東北の被災者に安らぎを与える
とは思えなかった。
ただ、大切な人を失った人達に伝えたかったので、
「人間、生きて行くためには、生きることを教えてくれた人を
思い出さなくてはいけません。」と、書いたそうです。
この言葉を目にした時、言葉がいきなり魂に飛び込んできました。
一人の私の周りに、どれだけ生きることを教えてくれた人が
いただろう…
そして、今もいる…
息子が亡くなった時、あの子はいのちを掛けて私に、生きるという
ことを、教えてくれていると思いました。
あの時、直感のように思ったことは、真実だったんですね。
人は一人では生きていない、亡くなった人達にも支えられ
導かれ生きているんですね。
初女先生が、亡くなった人を復活させてあげなくちゃと、言われて
いるのは、そういうことだったんですね。
今日は、ものすごく寒く、息子が生まれた年も寒い冬だったと
そんなことが、ふと思い出されました。
そして、その後に藤本氏のこの文章と出会ったのです。
明日は、天国の息子と共に初女先生に会いに行こう!
そして、私も「おむすびの祈り」を結ぼう…