今日は1月17日、阪神淡路大震災から17年が経ちました。
17年経っても、あの震災前日に見た、大きな赤い月が私の脳裏に
くっきりと残っています。
これも又、消えない記憶の一つかもしれない…
神戸の震災で、子供を亡くしたお母さんが、いつか娘に会ったら
頑張って生きて来たよと言いたい。と言っているのを新聞で見て
私も「いつか創に会った時、母さん悲しみに負けないで頑張って
生きて来たよ」と言いたいと、それを支えに必死に頑張っていた
時がありました。
まだ、初女先生とは巡り合っていなかった頃です。
寒風の中、背筋を真っ直ぐにして咲く水仙の花を見ると
私も頑張って生きて行こうと思いました。
今は、「頑張れと言ってはいけない」とか「頑張らなくていい」と
言いますが、あの頃は頑張らないと一日も生きられない気が
してました。
福島の詩人、和合亮一さんが3月11日深夜のことを記して
いました。
「3月11日。相変わらずの余震。
震度5、6、強、弱。私たちは時には声をたてて静まるのを
祈った。ラジオを点けたまま暗闇を見ていると、アナウンサーが
震えながら告げた。「仙台市若林区では津波の後に、300人の
遺体が見つかりました」
日付が変わる頃に、このことを耳にして背筋が凍ったことを
思い出した。
生きていること、感謝しなくちゃいけない。
ありがとうございます。 命を頑張ります。
暗闇で、震えて、家族みんなで手をあわせたことを…」
和合さんのこの文章を読んだ時、命を頑張ります。が
胸に響きました。
人は、本当に頑張らなくては生きていけない時があるから…
頑張って頑張って、これ以上頑張れないくらい頑張って…
でも、その悲しみや苦しみを丸ごと受けとめて貰えた時に
初めて、そんなに頑張らなくても生きていけるんだ!と
分かりました。
今、私たちのこの国で、どれ程頑張っている子どもが・大人が
いることでしょう…
「頑張らなくていいよ」という前に、その人達の話に耳を
傾けることが、大切なのかもしれない…
人は、自分のことを本当に分かってくれる人が一人いれば、
生きていけるから…
17年経っても、あの震災前日に見た、大きな赤い月が私の脳裏に
くっきりと残っています。
これも又、消えない記憶の一つかもしれない…
神戸の震災で、子供を亡くしたお母さんが、いつか娘に会ったら
頑張って生きて来たよと言いたい。と言っているのを新聞で見て
私も「いつか創に会った時、母さん悲しみに負けないで頑張って
生きて来たよ」と言いたいと、それを支えに必死に頑張っていた
時がありました。
まだ、初女先生とは巡り合っていなかった頃です。
寒風の中、背筋を真っ直ぐにして咲く水仙の花を見ると
私も頑張って生きて行こうと思いました。
今は、「頑張れと言ってはいけない」とか「頑張らなくていい」と
言いますが、あの頃は頑張らないと一日も生きられない気が
してました。
福島の詩人、和合亮一さんが3月11日深夜のことを記して
いました。
「3月11日。相変わらずの余震。
震度5、6、強、弱。私たちは時には声をたてて静まるのを
祈った。ラジオを点けたまま暗闇を見ていると、アナウンサーが
震えながら告げた。「仙台市若林区では津波の後に、300人の
遺体が見つかりました」
日付が変わる頃に、このことを耳にして背筋が凍ったことを
思い出した。
生きていること、感謝しなくちゃいけない。
ありがとうございます。 命を頑張ります。
暗闇で、震えて、家族みんなで手をあわせたことを…」
和合さんのこの文章を読んだ時、命を頑張ります。が
胸に響きました。
人は、本当に頑張らなくては生きていけない時があるから…
頑張って頑張って、これ以上頑張れないくらい頑張って…
でも、その悲しみや苦しみを丸ごと受けとめて貰えた時に
初めて、そんなに頑張らなくても生きていけるんだ!と
分かりました。
今、私たちのこの国で、どれ程頑張っている子どもが・大人が
いることでしょう…
「頑張らなくていいよ」という前に、その人達の話に耳を
傾けることが、大切なのかもしれない…
人は、自分のことを本当に分かってくれる人が一人いれば、
生きていけるから…