ももすけの日記

黙祷して平和を願ふ終戦忌
ああ面白かったと言って死ねたらいいな

浦島太郎

2012年03月06日 23時35分05秒 | 日記

竜宮城から帰った浦島太郎が開けてはいけないと言われた玉手箱を開けたとたん、白髪のおじいさんになるというお話はぼくでも知ってる。

このお話は1300年昔の「丹後風土記」から語り継がれてきた物語なのだそう。

謡のおけいこをしているお友だちから、是非来てね、と誘われて「能講演会~心と身体に響く日本文化・能の世界」という講演会におかあさんは今日、行ってきました。

まったく、そのような文化というものを知らないおかあさん、最初に、少しお能のお披露目があって、そのあたりは珍しくてしっかり見ていたのでしたが、先生のお話になると途端に眠くなってしまうのは、若いころと同じです。

ところどころ覚えているのは「浦島太郎」という昔話は日本に70冊以上も絵本があり、ドイツ語英語にも翻訳されているということ。

浦島が竜宮城にいた期間が3年だったり、300年だったり、700年だったり、それは国定教科書のせいだとか。

それからが、おかあさんにはちっともわからなかった。。

ユークリッド幾何学たら、アインシュタインの相対性理論たら。。。

その女先生は仙台の出身で去年の3月11日にたまたま地元にいて地震に遭われたのだった。

しかも、金春流宗家を仙台に招いていた。

女先生は30歳のときにヨーロッパに行って、ベートーヴェンやシェークスピアは知っているのに、日本文化のことを何も知らない、ということに気付き、それから能のお勉強をするようになった、ということでした。

地元、東北大学の原子力研究の先生方はいち早く山形方面に避難したとの噂が入ってき、通行可能な道路は渋滞、6日後にようやく新潟に出て大阪に向かったと。

その先生はすごく用心深い、車のガソリンタンクは3分の1くらい減ると補充していつも満タン状態にしていたと。(このような話になると、おかあさんは俄然、目が覚めてくるのです。ふうん、そうしておくといいかなぁ、)

大阪に戻って、ガソリンと水を調達して、また、新潟経由で仙台へ、その苦労話にも聞き入りました。

ガソリンタンクは時々蓋をあけて気化したものを発散させてやらないといけないのだとか、そんなことも知らなかった!

 

3月11日が近づくにつれ、テレビや新聞は「忘れてはいないよ」と繰り返すようになりました。

人間はもちろんお気の毒ですが、飼い主のいなくなった牛や犬や猫たちがかわいそうでなりません。

 

今日もらったレジメには

「ユークリッド空間を飛びだす 伝え続けられてきた浦島太郎に感謝して」

現代のわれわれは放射性元素をエネルギーをして使用しその後の使用済み放射性物質の廃棄に苦労している。使用済み物質を閉じ込め地中深く保存しようとしてその表示には今仕様されている地球上の全ての言語と絵、記号を用いて「この箱開けるべからす」と書き人類を遠ざけようとする。科学者の議論のなかにはその存在を忘れさせる方がよいという意見もある。たかだか3000年昔に滅亡した古代社会の文字の解読すら今のわれわれには完全に出来ていない。戦争や天災によって現代の社会が崩壊した後の人類がこの箱を見つけた時、箱を開けずにいられるだろうか。好奇心旺盛な未来の人類はその開けるなと言われた「玉手箱」を開けてしまうのではないか。その時、前回の浦島太郎は年をとって鶴になり、亀姫のもとで幸せな余生を送ったが、今度の「玉手箱」は開けてしまえば再び人類の滅亡が待っているのだ。         大阪女子短期大学教授  本屋禎子