54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

海外旅行記冊子より「ツアー1」

2011-04-27 20:31:27 | 『冊子50歳…』ツアー3含

《ツァー旅行》  
*1回目のツアー旅行   1987年7月30日~8月10日 (12日間 約65万円)
 ウィーン、ザルツブルク、ロマンチック街道  (参加者25名 差額なし一人部屋)
 日本モーツアルト協会主催12日間のツアーに参加。成田からアンカレッジまで6時間30分、更に8時間45分でデュッセルドルフ、また乗り換えてウィーンに到着という機内だけでも16時間以上掛かるものだった。私以外はクラシック音楽の知識人で綿密で魅力的な内容に埋め尽くされていた。
 ウィーン空港到着後、この旅行中お世話になる手配済みのバスで、まず中央墓地に寄って偉大な音楽家のお墓を各人自由に訪れてから、名門のホテル・インペリアルに向かった。着くとすぐ豪華なロビーやお部屋にウットリする時間も惜しんで、それぞれケルントナー通り散策に。その夜は国立劇場の“夏の音楽祭”、「魔笛」を2階正面席で観たのだが、長旅の疲れで睡魔との闘いだったことを思い出す。H.インペリアル3泊中はバーデン、ハイリゲンシュタット、プラター公園など適当にグループを作り自由にウィーンを楽しんだ。
 5日目、貸し切りバスでザルツブルクへ。メルクの壮大な修道院、ブルックナーの生地St.フローリアン、車窓の美しいザルツカンマーグートと感動のうちに340km、4時間でザルツブルク、ミラベル庭園そばのH・アウストロッテルに着いた。その夜は、この旅行のメイン“ザルツブルク祝祭劇場音楽祭”の「フィガロの結婚」指揮J・レバイン鑑賞。私たちも和服、ロングドレス、モーニングと伝統の雰囲気を壊さないような衣服を持参しドレスアップ。ここに集まる世界中の富豪の姿を見るのを楽しむ人たちも町に溢れていた。次の日は思い思いにザルツブルクを味わった。私は一人でホーエンザルツブルクへ歩いて上った。その時お城の歴史などを教えてくれたこの地に住む日本人に、人気のお店のランチまでご一緒していただけてラッキーな一日になった。次の日は貸し切りバスでドイツのケーニッヒゼーへ。ヒットラーの山荘近くだ。途中“塩の湖底”見学のスリルを体験した(ハラインの岩塩坑)。 夜は指揮アバド、ピアノはブレンデルの“室内楽の夕べ”へ。
 ザルツブルクに3泊した後、貸し切りバスでアウグスブルクへ向かった。モーツアルトの父の家、フッカライ、金箔ずくめの市庁舎などをめぐり、モーツアルト父子が宿泊したドライモーレンホテルに1泊。
 9~10日目は貸し切りバスでのロマンチック街道だ。ネルトリンゲン→ディンケルスヴュール→ローテンブルク町散策の後シュバービッシュハルで1泊、次の日はハイデルべルクをゆっくり楽しんでからヴァイルブルク4:30着、もう最後の夜だ。シュロスホテルに泊まった。11日目、フランクフルト発14:30アンカレッジを経由して12日目14:45成田に着いた。
 高額だったが何もかも満足できる旅行だった。帰国後も写真交換会などに出席、興奮は続いた。当時、勤めていたのでこんな機会にめぐり合えたのだが51歳という節目に初めて海外旅行に踏み切れたのはやはりモーツアルトを聴く毎日があったからだと思う。


ウィーン Hインペリアル 国立歌劇場2枚 市内2枚

ウィーンプラター公園観覧車上から バーデン2枚 ハイリゲンシュタット2枚

メルク修道院 Stフローリアン3枚ブルックナーの墓とオルガン ザルツカンマーグート
     
ザルツブルク3枚 祝祭劇場、城からの眺め アウグスブルク モーツアルト父の家
     
ネルトリンゲン1枚 ディンケルスビュール4枚
    
ローテンブルク シュヴェービッシュ・ハル2枚 ハイデルベルク 
   
最後の宿泊シュロスホテル ヴァイルブルク4枚

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