54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

海外旅行記2007.8作成の冊子から 4

2011-04-19 11:27:47 | 『冊子50歳…』ツアー3含
*荷物、服装
・荷物を出来る限り少なくする事はとても重要。多いと失くす、探す、くたびれる…と良いことはない。私は回を重ねるごとに減って、近年家を出る時はリュックの中に機内で身近に置くショルダーバックまで入れてしまう。リュックは2回目の旅行中に買った物を使い続けている。傘はポルトガルのを日ごろ愛用。必要になった時、現地調達することにして絞りきる。
・苦労するのは資料を減らすことだ。コピーは読める範囲に縮小する。小分けする封筒も無地にし、書くことを決めて使う。(ジッパー式は、かさ張るしメモ代わりにならない)印刷物の空きスペースには両面ぎっしり使って書き留めて紙数を増やさない。
・洗剤は空のフィルムケース2個に入れた分で間に合うし、化粧品は小さな提供品を使い切ってくる。(私が泊まった宿の殆どにタオルやボディ兼用のシャンプーはあった)
・着るものは洗ってすぐ乾く軽い物だけ厳選する。(宿に着いたらまず洗濯を優先し、生渇きになると思ったら明日も着ることにする)圧縮袋を利用した事があるが袋の分だけ重くなるし面倒だった。下着、Tシャツ等は柔らかなスカーフに包み、代えズボンや靴下はリュックの隙間にそのままつめる。 フォーマル用には絹のスカーフとイヤリングを手製の小袋に入れ、白い薄手のブラウスを持った。
・高価な品物は持たない。失くすことを考え時計も手持ちの安い方にする。
・しっかりと防水をする。(リュック、ショルダー、帽子、ズボン)
・カメラはミノルタ・ミューを8年愛用、140gでズームも無い2万円位の品だが現地でも自慢だった。
・フィルムは36枚撮り10個のと5個入り持参が多い。感度は100、メーカーに拘らずその時の特売品にする。買うまではあれこれ迷うが手振れと光量と構図の問題だと納得している。
・役立ちグッズとして日本の使用済み切手やテレフォンカ-ド、8cmサイズの和風の折り紙、ボールペンや鉛筆も日本語の入ったのを持っていくと交換したり上げたりして楽しい時間ができる。
・履物は履きなれたウォーキング用で、夜の音楽会でも目立たないものとか、現地で買い換えて捨てられるようなものにし換え用の靴は重くなるので持たない。外にも出られる軽いサンダルは必需品。
・眼鏡の予備も持つ。かなりの近眼なのでぶつかったり落としたら大変だから。
・薬は睡眠薬、痛み止め、胃腸薬、風邪薬をいつも持参するが、睡眠薬以外の出番はなかった。
・それまでの旅行記録(現地語表記)と、家族などの写真をL版24枚の簡単なアルバムに入れ、言葉が通じず、信用されない時に役立つかもしれないので必ず持っていく。
・雨の日や寒いとき用にフード付きの軽いコートも持つ。時期によっては折りたたみ傘も。 持ってくればよかったと後悔したことは無い。現地で調達したソックス、Tシャツ、歯ブラシ、栓ぬき、財布、ハサミ、口紅など思い出品として残った。 反対に持ってくるんじゃなかった! と後悔し苦労した経験が多い。そんな時は持参したもの(セーター、カセット、履物など)を船便で家に戻した。
・服装は着慣れてポケットが内と外にある上着、機内で楽なもの、直ぐ乾き軽い事に徹底的に拘る。
・旅に慣れるほど荷物は信じられないほど減った 無いなりに何とかなるし楽だから。

《体験記》
*ヒャーッとしたこと
・ブリュッセルに着き日本で直前に両替した現地紙幣が使えないと言われたこと。成田から直行便で着き、これから旅が始まるというのに駅で旧札だから切符が買えないという。後ろにはもう何人もの人が待っている。私は日本円で500円位の現地紙幣を20枚ほど大手の銀行で両替してきたのだ。明日国立銀行で両替できるということだが今どうしたら良いのか、困っていたら後ろの人が買ってくれた。150円位なのだがうれしかった。翌日は大きな国立銀行の入り口探しだけで疲れてしまったが、両替できてホッとすると同時になぜこんな紙幣を両替してよこしたのか腹が立った。帰国後その銀行に行って報告はしたが、ベルギーの紙幣はよく変わるとかの説明だけだった。こんな事もアリなので初日は宿も空港から近くし、ゆとりをとる事がベターだ。
・もう一つブリュッセルで出くわしたのだが、中央駅から空港行きの電車が30分経っても発車しなかったのだ。移動日なので2時間位ゆとりを取って出たがアナウンスも無く時々電気が消えて車内が真っ暗になったりした。 ベルギー3日間の旅の後ウィーンに行くところで、まだこれからの予定はいっぱいだ。そのうちに静かに座っていた人達が動き出した。前の座席の紳士に話しかけてみたら何とウィーンの人でこれから帰るのだという。そして“急いでタクシーで行きましょう、心配しなくても大丈夫!”といって、外へ出てタクシー探しをしたのだが、走って先回りをしないとつかまらずこれもヒヤヒヤした。その人のお蔭でウィーンに着くことが出来た。帰国後拙いドイツ語でお礼の手紙を書き日本的なものを同封して送った。
・オランダのホールンでこれから15日間続けて使用するユーロパスにデリバリースタンプを押してもらいに駅に行ったら「記入の文字が不鮮明」でダメだといわれたのだ。駅員はその大事なパスを奥の方に持っていってしまい、どうなるのかと気をもんだ。それまでの3日間はオランダでは切符を買って過ごし、これからオランダを出てドイツやスイスを回ることにしていたのだが、大事に体につけてリュックを背負ったりしている内に皺が出来てしまったのだ。やっとブツブツ言いながらそれでも笑顔でスタンプを押してもらえてホッとした。(旅行中最も大事なものはハンカチで作った袋状のものに細いゴムをつけ腹巻のように身につけていた)
・ドイツでは日本のニュースにも載った大きなICE列車事故の最中に旅行をしていた。コブレンツ滞在中で、その日あちこち列車に乗っていたのだがホームは静かで人は少ないし列車が遅れて何か変だと思ったが事故を知ったのは2日後だった。コッヘムの宿に21時(6月だからまだ明るい)には戻るつもりだったのが23時に駅に着いた。暗くなり人もいない道を15分、夢中で宿に戻った。次の日コッヘムで宿の人に薦められロープウエイで近くの山に登った。尾根を歩いてコッヘムの隣のクローテン駅へ下るのだが茂った森の中にだれも来ない。かすかに若いグループの声が聞こえ、間もなく挨拶を交わしてすれ違い、やっとこの道で大丈夫だ!と安心したが心細い思いをした。 1時間位で尾根を抜けると下には一面モーゼルワインになるブドウ畑が広がり小さく目指すクローテン駅が見えた。
・オーストリアでは2度水害の影響を受けた。1度目はボーデン湖の水が溢れブレゲンツ駅前も水浸しになっていたこと。その時、駅前に人は少なく、でも慌てる様子もないのが不思議だった。私は翌朝にわか作りの板を並べた遠回りの道を通り、駅に行き駅員に訪ねて、60歳以上は日曜はバスがタダということを知った。それなら急げ!と、貰った資料でエッグ、ショッペナウ、ベッツァウと次々に予定外のすばらしい景色を一日中堪能することができた。
2度目は2005年9月インスブルック~St.アントンが大水害で幹線の列車が復旧に3ヶ月以上掛かるという時だ。事前に知る事も出来た筈なのに…。ランデック~ブルデンツ~シュルンスと手軽に行けるつもりが列車は全く通らず、代替バスがずらりと行き先ごとに並んでいる中から確かめるという複雑なものになってしまった。バスの中から見た川の氾濫痕はすさまじく懸命に復旧作業をしていた人々の姿は忘れられない。この体験も無駄ではなく列車では見れない山々を眺め、いくつもの長いトンネルに驚き、人々の違う姿に接することができた。そしてプランも予定通りにこなした。
・スイスでは文化遺産のミシュスタイアに行った帰り、列車を乗り損ねそうになったのだ。サンモリッツからツェルネッツへ行き、それから1時間半バスに乗って(車窓が最高!)ミシュタイアに着き1時間15分教会などを見てからツェルネッツに戻り、また列車でグァルダ、シュクオールと足を伸ばした。シュクオールを17:45に乗りサンモリッツに帰る途中、往きの列車から見かけた教会に寄りたくなって18:00にラヴィンという小さな駅に途中下車した。時刻表では次の列車が18:48なので駅前のその教会の中をゆっくり見て駅に戻って待っていた。駅員も人もいないがスイスの事だし気にしていなかったのだが、列車の来るちょっと前に車できた人が、“このベルを押さないと通り過ぎてしまいますよ!”と教えてくれて間にあった。
・飛行機では成田からウィーン経由でミラノに行く時、大幅に遅れてウィーン発が最終便になった。ジュネーブから帰国する時、サベナベルギーが飛ばずエールフランスに変わった。ベルギーからの帰国便が大幅に遅れたが食事券が出たうえ、ビジネス座席に変更になった。 こうして書いてみると“ラッキーだったなあ”と。でもその時点ではハラハラした。

*出会い・一人旅だから出来ること
・旅行中は積極的にならなければ楽しくないと思う。幸い私はドイツ語をできるだけ使いたいという目的がある。一生懸命どの町に行きたいか考えて、ここを選んで来ているのだから町の人々には通じると思ってどんどん話しかけるようにした。教会や車中で知り合い10年以上文通している人が今も10人ほどいる。お招きにも遠慮せず便乗し、出会った翌年にお宅を訪問した家は5軒あり、2年続けてお世話になったお宅もある。文通は勉強になるしモーツアルトの切手が貼ってあったりしてツアーでは得られないことはいっぱいある。語学力、体力、気力が落ちてだんだん疎遠になるのが寂しい。でもその人達の笑顔と親切はいつまでも忘れることはない。
・一人旅はなんと言っても自由がいい。気に入れば気が済むまでいる、具合が悪ければ予定を変える、食べたくなければ食べない、寝たいとき寝るなどときりなく私向きなのだ。人それぞれ苦手なものがあるのだから無理をしない方がいい。



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