54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

海外旅行記2007.8作成の冊子から 5

2011-04-21 13:25:21 | 『冊子50歳…』ツアー3含
《思い出》
*まず浮かんだのはジュネーブで近くのサレーブ山(1100mフランス領)に行った時のこと。山頂でハングライダーが次々とレマン湖へ飛立って行くのに見とれ時間も経ち、写真も撮りすぎたのでバス停に戻ったら、そこに10才位の2人の女の子がいた。ジュネーブはフランス語なのでバスの切符の買い方が分からず、来る時はバスの運転手が、いい!いうのでただ乗りになってしまった。今度は自販機があるから買えると思い、買い方を女の子に聞くとそれがなかなか理解できない。他に人はいないし「コルナヴァン行き」でないバスが来ると彼女たちはそれはダメといって教えてくれる。そのうち自分達のお財布を出して切符を買ってくれた。私がお金を渡しても受け取らない。バスがなかなか来ないし時刻表も見当たらず30分位経ってしまった時、切符をまた新しいのに買い替えてくれたのだ。もうこの切符は時間が過ぎて使えないから、という。バスを待つ間ずっとそばにいてくれた。私はフィルムが無くて彼女達を撮ることができないのを残念がった。それを知った彼女達は持っていたノートを切り取って自分たちの顔を描き発車間際のバスに走って持ってきてくれたのだ。いつまでも手を振って送ってくれた。その可愛らしい絵は大切にアルバムに張ってある

*次に浮かんだのはオーストリアのクリスティネ。彼女とはリエンツの教会で知り合った。30代の活発できれいな独身の人だ。教会で聴いたコンサートの指揮者とも知り合いらしく、その時のカセットテープもプレゼントしてもらい、レストランで食事までご馳走になった。私は安ホテルだったが部屋に案内して、家族の写真を見せたり折り紙で鶴を折って楽しく過ごした。来年は、ぜひ家に来るように!と言われていたので、翌年バーゼルのお宅のあとクリスティネ宅に向った。バーゼルからパノラマ列車に乗る私をブルノご夫妻に見送ってもらい、インスブルック経由6時間半列車に乗ってオーストリアのシュピタールに着いた。彼女がホームで待っていた。教会や彼女の父のお墓によってから、なんとも酷いポンコツ車で山の上の一軒家に向かった。途中で車が止まってしまうし暗くなるしエンジンは掛からず、どうなるのかと心配したが無事家に着いた。家の入り口近くの道にキリスト像もあった。家の人が狩猟した毛皮が壁一面に飾られ、用意してくれた部屋のベットにはチョコレートまで置いてあった。お母さんの焼くパンの釜の暖かさで家中が心地よかった。 次の日その家の周りにたくさん熟しているグミを取ってジュースにする手伝いもした。下を眺めると昨日乗ってきた列車が小さく見えた。あのポンコツ車で出かけるより私はここで一日過ごしたかったのだがハイリゲンブルート(1301m)へ連れて行くという。帰りはリエンツも回ってオーストリアの山(ドロミテ)を満喫した。でも7時間のドライブは気も遣うし疲れた。彼女は平和運動に関心があるようだった。2泊させてもらってから、大好きなミッテンヴァルトでこの旅の最後の夜を過ごした。 帰国後クリスティネが描く和服には遠く及ばないがユカタと簡単な帯、下駄など送った。彼女から大きなハートマークいっぱいの手紙が頻繁にきていたが途絶えてしまった。私の手紙は2回ともはるばる戻ってきている。

*バーゼルのブルノご夫妻とはスイスのクールからイタリアのティラノへ往復したとき帰りに知り合った。私はティラノに着いてもイタリア通貨はないし発車までの1時間を駅の周りや「箱根」という文字が機関車にあるのを写真に撮ったりして過ごした。列車に乗って待っているとブルノさん夫妻とお母さんが同席になった。ブルノさんは機関車に興味があり発車間際まで席に戻らなかった。しばらくして“これを食べませんか?”とサンドウィッチを勧められたので遠慮なくいただき、拙いドイツ語でクールまでの4時間半、会話したり車窓に感動の声を上げて過ごし再開を約束して別れた。そして次の年にバーゼルのホームでご夫妻の暖かい出迎えを受けた。お宅には私が出した手紙がきちんとファイルされていた。バーゼル市内を一緒に歩き回りレストランで食事をご馳走になった。翌年には、またバーゼル駅に出迎えていただき車でヌーシャテル湖畔の別荘に行った。別荘まで2時間以上とのこと。途中ドライブインのようなスーパーのような所に寄り、チーズフォンジュの材料を買ったり(私が食べたことないと言ったので)、明日は山に連れて行くといってブルノさんはリュックまで買った。別荘はフランス語圏で眼下にヌーシャテル湖を見渡す素晴らしい所。散歩をしながらサクランボをつんで食べたり、小さな教会に寄ったりした。翌日、私はお腹をこわしてしまいせっかくの山行きは止めになった。次の日は予定通り一人旅に出たのだが出てすぐ近くのローザンヌで列車事故がありブルノさんには随分心配をかけてしまった。その朝夫人はサンドイッチを作ってくれた。この素晴らしい別荘に4泊させていただいた。

*思い出は尽きない シャルニッツのミハエラ家、ルーデンのインゲボルク家、バーデンのクロニック家、ツェレのマーツさん、スイスではマイリンゲンのマリエさん、ヴィルのトーマさん、リースのドーラさん… 私の一人旅の恩人フィンランドのホータリ家とドイツのマーティン家 つづきはまたの機会に…


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