54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

豊田佐吉 選挙演説石原東国原 三陸旅85.9.25他

2011-04-04 15:18:14 | 日記・雑記2011.1~
今日の新聞から
*大正12年の関東大震災の時、外国車が復旧に大活躍するのを見た豊田佐吉が
息子の喜一郎に国産自動車の製造を勧めた 一方本田宗一郎はその頃
東京の自動車修理工場で見習い奉公をしていた 発生と同時に近所から火の手が上がり、
預かった自動車を安全な場所に運ぶよう主人に言われ、始めて運転する機会を得た
あらゆる修理を任されたお蔭で腕が上がったと青春の日を後年懐かしく語っている
青山にあるホンダの本社ビルは、全部の階にバルコニーがあるユニークな形をしている
「どんな地震が起きてもガラスが外に落ちて迷惑がかからないようにしてくれ」。
これが本田のつけたたったひとつの注文だったという

*高校野球が終わった 開催か中止か論議の末の大会は、開会式で女子高生の
美しい歌声!、宣誓!の心にしみ入る誓いは、みんなを感動させた 
被災地からの出場、応援する姿 なんと青春って良いんだろう!と思わせる選手の
顔・顔・顔  あ~ 日本は良い国になる!と、「東海大相模の2度目V」の笑顔の
写真記事を見ながら再度確信した

*統一選選挙運動は、石原さんは最終日の街頭演説のみ予定で、3日に明治神宮・
靖国神社・日枝神社で救国祈願し、震災対策に専念すると 
東国原さんはマイクなしでは声が聞き取れず不評で「自粛」も限界とか
(それにしても船橋の選挙はどうにかできないのかな~?)

「南三陸町集団避難 まず500人」 の写真は、見送る二人のお年寄りの
後姿に胸がつまった 丁寧に切り抜きながらこのブログを書いておきたくなった
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私は三陸方面に余り縁はないが列車旅を3回した
*1985.9.25田野畑村の羅賀荘に1泊し、乗船して見たリアス式の美しい景色がカモメと共に
思い出される その時は中尊寺が目的で宮古から盛岡へは路線バスで戻った
*2001.9.18-19青森から三厩まで行き弘前で一泊し、象潟・九十九島に回った
*2005.3.06-08東京→弥彦→新発田→村上→汐見荘伯→余目→新庄→上山→山寺→
作並温泉泊→仙台→気仙沼→大船渡→一関→仙台→本塩釜(塩釜神社)→仙台→東京

*1998.12.08東京駅からバスでいわきの友人宅へ(1泊)車で阿弥陀堂、塩野崎、
三崎潮見台、勿来の関跡、文学歴史館、五浦六角堂を案内していただいた
先日新聞で六角堂が土台だけになっていたのを見てショックだった
      
この地図も書きなおすことになるのですね  大船渡 三陸リアス式海岸 
        
塩釜神社    いわきの阿弥陀堂 六角堂はパンフレットから

 

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