かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

街歩き白子 (上)

2016-05-08 10:39:22 | 鈴鹿川流域の暮らし

    1、白子の街に行く

なんという気持ちの良い日だろう。

5月5日。

メガネの修理で、白子の街に車で出かけた。

メガネ屋さんのあと、隣の文房具屋さんで、4色ボールペンと折れない

シャーペンとノートを買った。

ボールペンは何本もあるけど、これは使いやすいというのがなかった。

シャーペンは高価なやつを最近無くし、今使っているのが、ペン圧の

強いぼくのクセでは、すぐ折れていた。

白子を歩こうと思った。

白子港から、海岸に沿って南に行き、寺家町という昔ながらの街の

たたずまいが残っているあたりを。

 

 

    2、浜辺逍遥

白子駅から西に向かうと白子漁港にぶつかる。

入り江には白い色の船が身を寄せ合っている。

船という物体というより、漁に出ない間、波もない入り江で仲間と

憩っているように見えた。


 

橋を渡り、白子海岸に行く。

堤防沿いの道に入り、堤防の切れ目から車を海岸に入れた。

浜辺を歩いてみよう。

 

錆びついた赤いエンジン発動機が打ち捨てられていた。


ここは、往時、小女子の天日干しの作業場だったところだ。

今は見る影も無い。

作業場の棟が堤防沿いに十数件たたずんでいるけど、すべて

廃屋のようだった。

6年前は、まだ使われていたという形跡があったんだけど。

 

 

海岸では、若い男女が貝か何かを拾っていた。

とても集中している。


浪打際にたつと、ざざざつ、ざざっという音だけが、シンとした浜辺に

響いている。なんという規則正しさ。

これが、あの大津波に変貌するなんて!

 

風が光っている。

遠い沖合いに帆が見える。ヨットらしきもの一隻。

風は北から吹いている。さらっととしていて、肌を撫でて行く。

暑くもなし、冷たくもなし。心地いい。

浜辺を北に向かって歩くと、テントが立っていて、その周りを子どもたち

が遊んでいる。

大人たちはバーベキューをやっている。いい香り。肉が焼ける匂い。


こうやって、5月晴れの時間を過ごせるなん!

人々は、めいめい、ゆったり寛いでいる。

時間がここでは止まっている。

 

 

大黒屋光太夫の記念公園にぶつかった。白子漁港の隣にある。


何度も訪れているけど、そこから海を眺めてみたかった。

1700年代、白子の浦を出航して、江戸に向かう途中嵐に遭って、

カムチャッカの島に漂着して、その後8年ロシアの皇帝に

まで会い、日本にもどってくるという壮大な物語。

その海を遠望する。波静かである。

 

浜辺をもと来た方に引き返す。

若い、高校生ぐらいのカップルがまだいた。

浜辺に寄せられた貝殻のなかから、何かを見つけようとしているらしい。

「何、探しているの?」女の子に尋ねた。

「えっ」と一瞬、怪訝そうだった。

、「しーがらす」と女の子は、恥らうようすで、でも楽しそうな言葉を

発した。

「えっ、どういうもの」返答に???だった。

「海のガラス」女の子は言い換えてくれた。

タオルに何か包んで抱えていた。

「そのシーガラス、見せてくれる?」

たしかに、ガラスのように透き通った貝が女の子の手にのっていた。

「写真撮ってもいい?」

このカップルは、なにか時計の時間とは異う時間を過ごしているなと

感じた。

               (つづく)

 

 

 


憲法記念日

2016-05-04 07:56:21 | わがうちなるつれづれの記

5月3日は、憲法記念日。

いままで、こんなにもこの日を意識したことがなかった。

自分以外の人の指示で、自分が人を殺す、場合によって

殺される。

そういうことが、はじまる。

人が人を殺すというのが分からない。

自分は殺したくないし、殺されたくもない。

人を傷つけたり、傷つけられたり、したくない。

争いたくない。争いは、気持ちがいいものではない。

 

5月3日は、1947年に憲法が施行された日として、風薫る

5月の爽やかな季節に記念日となった。

1947年3月生まれのぼくは、考えてみると、この憲法とともに

今日まで生きてきた。

憲法をめぐって、世の中ではどんなことが起きていたのか、

子どものころは、ほとんど知ることがなかった。関心がなかった。

高校、大学年代になり、いっぱしに本など読みながら、憲法に

ついての意見の切れ切れを目や耳にすることになった。

 

「戦争放棄」に疑問はなかった。いいじゃん!

「国」と「国」の問題解決に、武力を用いない。これも、そうだ

と思った。

そのため、「陸・海・空の戦力は持たない」きっぱりしている。

当然の帰結だとおもった。

戦争を放棄した日本の国民は、国の間の紛争は、国際的な

相互の信頼のもと。話し合いで解決しよう。

これしかないかな、とおもった。

「じゃあ、ほかの国が理不尽に攻めてきたらどうするのか?」

この理屈については、じぶんのなかで考えてきた。

攻めてきたら、逃げるだろう、とおもった。やめてほしいと思い、

その気持ちを言うかも。

相手がそのことを聞かないで、武器を向けてきたら、殺される

lこともあるかも。ぼく個人としたら、人を殺すくらいなら、自分が

死ぬほうを選ぼうと、今でも思っている。

これは、憲法というよい、自分の気持ちだ。

こんなときは、国がどうだとか、自分の気持ちから離れた

ことはしたくない。

「近しい人が、殺されたりしたら」

「うーん、分からない。どんな自分になるんだろう?」

そのときになってみないと分からない。

 

戦争は、正しい戦争、正しくない戦争というのはないと

思っている。

人が人を殺す戦争は、どんな理屈があるにせよ、間違っている。

そういう自分のなかからのもので、反応していきたい。

これも、そのときになったらどうなるか、分からないけど・・・

そう決めておく。

 

今、実権をもっている人たちは、ほんとに戦争をやる気らしい。

狂気というほかない。

武器輸出のための展示会をやるらしい。そこに集まる人たちは

自身のなかに闇を抱えて集まってくるのだろう。

「いくら売り上げが上がっても、人を殺す道具を売ってではなあ・・」

とか。

高校とかに、自衛官募集が当たり前に行われていきそうだ。

世界各地に武器を持って出かけて、戦争に加担する自衛隊が

よくぞ、未来のある子どもにそのような誘いができるもんだ。

子どもたちや若者たちは、戦争の要らない社会へ知恵を絞って

あゆんでほしい。

一般貨物船の船員が、戦時には戦争物資の運送に従事する

という考えを自衛隊で計画しているという。

「そんなこと、一人ひとりの気持ちや意志があるのに、誰かが

どこかで決めて、させるなんてこと、できるのかなあ」

できると思っている人たちがいる。

憲法を改正して、緊急事態条項をつくり、そのときの政府の

方針に従いなさい、とできる状態をつくりたいようだ。

そんなこと、今の世の中で、まともに考えたら、可笑しなことだと

思うんだけど、大の大人が大真面目でそうしようとしている。

うーん。

戦争を放棄している憲法があるから、そう思っているわけじゃない。

 

大手の新聞・テレビは、今の政府に都合わるいことは、

報道しないようになってきている。

政府は秘密保護法をたてに、都合の悪いことは、国民に

知らせないで、事を進めようとしている。

個人の通話も、いつでも警察が盗聴できるようになった。

 力もっている政府、政治家、官僚の人たちが、日々このような

仕組みを日常化している。

人の話は聞かないという空気がただよっている。

この進行は生半可なことで止めようがない。


こんなこと、暴走というしかないが、こんなこといつまでもつづく

はずがない。

いつかは、「こりゃ、まずい」というときがくると思う。

暴走列車に乗りながら、やれることはやりながら、暴走が

止まったときに、すでにそこに、誰もが願っていて、誰もが

安心して暮らせる社会がもう誰の目にはっきりあったと

なっているようでありたい。

 

 5月の空は明るい。

「そんなことできっこないよ」という声も聞くけど、知恵を絞り、

心を寄せたら、出来ないともいえないんじゃないか。

いつまでも、相手が攻めてくるから争うのは当然と、闇を

抱えた人たちが、そんなの恥ずかしくて、やってられないと

なるような、爽やかな風がわいてくるようにしたいなあ。