かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

あらたまの2011年

2011-01-01 12:06:57 | わがうちなるつれづれの記

 うらうらと陽が射す居間で年賀状を読んだ。山口さんからは、封書が来ていた。手紙とともに、彼が書いたエッセイが同封されていた。一回読んで、小浪に回し、戻ってきてもう一度読んだ。 山口さんに返信を、やはり封書で送った。
「あけましておめでとうございます。
 手紙は元旦の朝に受け取りました。大晦日の雪模様とはうって変わって、居間には陽光がうらうらと差し込んでいました。山口さんたちの近況をエッセイなどで読ませてもらいました。年のはじめに、こういう文章を読んで、しみじみとした気持になりました。小浪から、「一気に読めちゃったわ」と感想が聞こえてきました。「親の介護のため、出雲に移った」と言えば、「ああ、そーう。誰かが世話しないとね」ぐらいで済むのかもしれない。そこでどんなことが、一人ひとりのなかで、またお互いの間であったかとなったら、そこには、些細な、微細な日常の一コマ一コマを丁寧に見つめて、かかわらないこともふくめて、かかわっていく、間合いが家族の顕れのように感じられました。「年をとることは、初めてだからなあ」という亡父の述懐は、父上のなかでなにが起きているのか、じわっとつたわってくるものがありました。
 鈴鹿には11月20日に引っ越しました。12月初めごろには、なんとか暮らせるかというところまできました。そのころになって、娘桃子ら夫婦が離婚条件を話し合うところまできているのに、話しができないということが分かってきました。娘は過呼吸状態で寝れない、食べられなくなったりしていた。小浪といろいろかかわって、なんとか二人で協議離婚が出来て、鈴鹿に引っ越してきたのが、師走の25日。船田さんたちがいるセゾン小林の一階の部屋です。大晦日までは、寝るところも一緒で、8畳間に5人雑魚寝をしていました。いまは、食事だけは、ぼくらと一緒です。小学3年の女の子と5才の男の子。はらから声をだして、叫ぶし、泣くし、笑います。けんかもします。遊びもします。
 雄一くんは、彼なりに、じっくりと体調を見ながら、じぶんと向き合っている感じです。ときどき、「話しを聞いてもらってもいいっすか」と言いながら、話すときがあります。彼の話の合間で、ぼくなりに、「こういうことになるのかなあ」とか差し挟むと、そのときは口にださなくても、あとで、雄一くんから「宮地さん、話し聞いてもらっといて、こんなこというのはえらそうかもしんないけど、あのときは、そんな宮地さんの意見を聞きたいわけじゃなかったんすよ、生意気みたいなんですけど・・」と聞くことがあります。こんどは、ぼく自身を見ていくのに、とても刺激になります。」
山口さんのエッセイ
「今、ここに在る幸せを」
「義父と暮らして」