日本で国産からなるオートバイメーカーが出現した初期の頃(大体1950年代〜)ってのは、様々な仕様のオートバイが生まれては消え去る
戦国時代と言った状況があり、中には、当時で電気バイクを開発して売ってた、町工場レベルのオートバイメーカーなんかもあったりしたん
ですよね(笑)。いわゆる静岡県の浜松市にあった100社以上からなるオートバイメーカーがひしめいていた時代のお話です。またそんな中、
次第にオートバイメーカーが淘汰(とうた)されて行く事で、現在の4大メーカーと内燃機関を持つエンジンが生き残るのですが、この時代
(1960年代〜)の割合で見ると「2ストエンジン」を搭載したモデルが圧倒的に多かったんですよね。理由は「単純な構造」と「低排気量で
大きなパワーを出しやすい」ところにあったと言われています。しかし国内最大メーカーへと成長していたホンダがその後「4ストエンジン」
を中心にオートバイ開発を進めて行く事で「4ストエンジン」がその数を増して行く傾向となり、どことなく広まって行く事になります。また
1970年代に入り、自動車の世界(業界)ではアメリカを中心に「公害問題」からなる「排気ガス規制」の動きが活発になった事で、環境に
優しいエンジン(ホンダのCVCCエンジンなど)が求められるようになると、オートバイ業界も次第に「2ストエンジン」を搭載したモデル
を開発しなくなる傾向に向かって行くんですよね。しかし昔から「2ストエンジン」に力入れてたヤマハは、それに抗(あらが)うカタチで
ヤマハ社員たちにとっても「最後の2ストマシン」として、1981年に登場させたのが名車「RZ250/350」だった訳です。なので我々からする
と高性能な「2ストエンジン」を搭載したモデルって「ここから始まった!」って印象が強いですが、実は「最後の2ストのつもりだった」と
言う状況だったんですよね(笑)。また結果的にはオートバイの世界にまで「排気ガス規制」が厳しくなるのは先の話となり、結果として
1980年代は「2ストの時代」と言っても過言じゃ無い状況になって行く事になりますよね。この現状はヤマハが送り出した「RZ250/350」が
発端であった事は間違いなく、後にスズキの「RG250ガンマ」や、ホンダも「MVX250F」や「NS250R/F」を開発、あのカワサキからも
「KR250」などが登場し、走りの時代と共に「2ストマシン」が脚光を浴びる時代が続く訳です。そもそも、1980年代の2ストブームを作った
ヤマハですが、振り返り流れを見ていきますと、1970年代に「トレーサー」と言われるジャンルや「モトクロス系」モデル、はたまた今で言う
「デュアルバーパス」的なモデルを「2ストエンジン」で多く輩出しており、それらがヤマハの原動力となってた事が大きな要因としてあった
んですよね。逆に「4ストエンジン」に関しては他社に対して「遅れを取ってた」感があり、頑張って登場させた「XS」シリーズも大型排気量
でありながら2気筒までと、他社が4スト4気筒エンジンを送り出す中、4ストエンジンへの新開発の移行がスムースに進まず、4ストエンジンを
搭載したモデルで、他社を圧倒する事が難しかったと言う状況もあった訳です。いわゆるヤマハとして「強い2ストへの自信」と「4スト開発の
遅れ」が生み出したとも言える状況だったと考えられます。ただヤマハと言うオートバイメーカーが「2ストエンジン」でのし上がって来た経緯
ってのは間違いない事で、それが故にの流れであったと言えそうです。まぁ、現在とは随分と様子が違いますよね!(笑)