裏表紙にある氏の足跡図
著者は戦地で死んだものと戸籍は抹消、両親も死んだものと諦めていたところへ、昭和25年帰郷した。
そこへGHQから出頭命令が来て、1年間にわたり戦地での任務と行動を聴取された。因みに日当は千円、調書の原稿は数千枚に及び担当者はこの功により2階級特進したという。
著者の略歴は次の通り(18・19頁)
昭和11年福岡の修猷館中学卒業後満鉄入社
支那事変勃発と共に北京・包頭に派遣
昭和15年内蒙古華北消費生計所長になったが、安穏な生活に耐えられず
外務省の興亜義塾(いわゆるスパイ養成所か?)に入塾、25人の同士と共に2年間に3カ国語(蒙・支・露)と西域の地理、歴史、政治・経済と軍事訓練を受け、1年間日本人の住んでいない蒙古草原に一人で放り出されラマ僧に混じって勉強した、ここを卒業後
昭和18年東条総理の命令書(西北支那に潜入し、支那辺境民族の友となり、永住せよ)を受け取り、10月数人の蒙古人とラクダ引きのラマ僧に化けて(ロブサン・サンボウと蒙古人に変名)遂にゴビ砂漠に潜入の第一歩を記した
8年間かけてチベットからヒマラヤを経てインドに潜入・逮捕を経て、25年に帰国
GHQから解放されると、決してGHQには売らない八年間の自分の足跡というものを自分のものとして真実の記録として残すことにした(17頁)。こうして出来たのが本書(上・中・別巻)で、昭和42年芙蓉書房から発刊された。
あの「敦煌」の著者井上靖氏は本書の序文に「八年にわたって西域を潜行していた著者の記録が面白くなかろうはずはない。私は著者西川一三氏の希有な運命に対して大きい嫉妬を感じるものである」と言わしめるほどの傑作。
幸運にも、初版本(上・下・別巻)を山口県の古書店から購入できた。毎朝開くのが楽しみな読書であった。