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スポーツクラブ 18回 絵画教室 3回 読書 2冊(「忘却の引き揚げ史」「遺し書き」)
その他 8(町会行事-趣味のアート展会議・準備、美容院、自動車運転免許更新講習、病院など)
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スポーツクラブ 18回 絵画教室 3回 読書 2冊(「忘却の引き揚げ史」「遺し書き」)
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これは読み進むのがとても辛いが、関係者の努力に頭が下がる。
敗戦時、つまり大日本帝国の滅亡-国が無くなるのと等しいともいえる事態だ。その時、外地に660万人もの日本人がいた(軍隊353万人、一般邦人306万人)。敗戦と同時に現地人や参戦していたロシア人などが一般人にも襲いかかってくる状況下、やっとの思いで引き揚げ船で戻ってきた。
その引上げ港の一つ佐世保の浦頭埠頭には139万人余が上陸した。その中には、ソ連兵などにより陵辱を受けた女性が多数いてその救済(当時違法とされた堕胎-400~500人-、それに性病治療)に当たったのが本書の主人公達だった。
戦後70年経って、その事実自体が忘れ去られることに、著者は危機感を抱き本書を上梓したように思う。貴重な書物で、戦争は一番弱い立場の人たちに過酷な運命を背負わせるように出来ている。
戦争はやってはならないという、この単純な事実を改めて考えさせられる。最近のきな臭い政治の世界が嘆かわしい。
「役者は嫌いだ」(242ページ-2007年のインタビュー)という氏の自伝。第一章「男が独りになった時」が何といっても出色の出来映え。
人気女優だった宮崎恭子が女優を諦めて未だ駆け出しだった氏と結婚、後に脚本家・演出家(ペンネーム隆 巴-りゅう ともえ-)として、また無名塾を立ちあげ後輩の育成と氏を支え続けたが95年に65歳で亡くなった。
その妻との出会いから亡くなくなるまでとその後を、語っている。
2章 生い立ち、思出の記、3章 二人でひとり 第二部 役者人生を語る の構成。飾らない氏の人柄がにじみ出ていて、本書を購入した能登演劇堂での熱演ぶりを思い出し、とても印象深い読後感だった。もう85歳だという、ご健勝でご活躍を祈念したい。
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スポーツクラブ 7回 絵画教室 1回 旅行 8泊9日の観劇(肝っ玉おっかあと子供たち)旅行
その他 3(町会行事-体育祭、ウオーキング、美容院)
特記事項 1 台風20・21号2週末連続で関東付近を通る
2 衆議院議員選挙(22日)-与党大勝(自民284変わらず、公明6減の29)、野党分裂(立憲民主55,希望50,共産12など)