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スポーツクラブ 16回 絵画教室 1回 読書 2冊(「宗教-この一冊で宗教が分かる」「死のクレバス-アンデス氷壁の遭難」)
その他 6(町会行事-趣味のアート展会議・展示など)
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スポーツクラブ 16回 絵画教室 1回 読書 2冊(「宗教-この一冊で宗教が分かる」「死のクレバス-アンデス氷壁の遭難」)
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上の画像は、本書から引用し一部色づけして分かりやすくした。
1985年、著者の英国人ジョーとシンプソンはアンデスのシウラ・グランデ西壁を初登頂(6,356m)後下山途中上図のA地点でジョーが右足を骨折し90mのザイルで確保しながら降りたが再度の事故に遭い(x地点)確保していたシンプソンが止むなくザイルを切断した。
当然のことながらジョーは絶体絶命だったが、幸運にもクレバスの途中の棚に落ちて一命を取り留めた。骨折で歩行不能にもかかわらず、彼の強靱な体力・冷静な判断と行動力が生へと繋がった、感動のノンフィクションだ。
6日午後から最終日の今日16時までで、778人来場者があった。過去10年で最も多かった。出品も114人2団体で、148点だった。
全出品画像
私の出品(油彩-P50-アグリジェント風景、写真A3ノビ-不思議な日の出風景、ナイル河の夕陽、マーモット)
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10/29-11/25 の間 1、371 人 7、609 ベージビュー でした ありがとうございました
スポーツクラブ 18回 絵画教室 3回 読書 2冊(「忘却の引き揚げ史」「遺し書き」)
その他 8(町会行事-趣味のアート展会議・準備、美容院、自動車運転免許更新講習、病院など)
これは読み進むのがとても辛いが、関係者の努力に頭が下がる。
敗戦時、つまり大日本帝国の滅亡-国が無くなるのと等しいともいえる事態だ。その時、外地に660万人もの日本人がいた(軍隊353万人、一般邦人306万人)。敗戦と同時に現地人や参戦していたロシア人などが一般人にも襲いかかってくる状況下、やっとの思いで引き揚げ船で戻ってきた。
その引上げ港の一つ佐世保の浦頭埠頭には139万人余が上陸した。その中には、ソ連兵などにより陵辱を受けた女性が多数いてその救済(当時違法とされた堕胎-400~500人-、それに性病治療)に当たったのが本書の主人公達だった。
戦後70年経って、その事実自体が忘れ去られることに、著者は危機感を抱き本書を上梓したように思う。貴重な書物で、戦争は一番弱い立場の人たちに過酷な運命を背負わせるように出来ている。
戦争はやってはならないという、この単純な事実を改めて考えさせられる。最近のきな臭い政治の世界が嘆かわしい。
「役者は嫌いだ」(242ページ-2007年のインタビュー)という氏の自伝。第一章「男が独りになった時」が何といっても出色の出来映え。
人気女優だった宮崎恭子が女優を諦めて未だ駆け出しだった氏と結婚、後に脚本家・演出家(ペンネーム隆 巴-りゅう ともえ-)として、また無名塾を立ちあげ後輩の育成と氏を支え続けたが95年に65歳で亡くなった。
その妻との出会いから亡くなくなるまでとその後を、語っている。
2章 生い立ち、思出の記、3章 二人でひとり 第二部 役者人生を語る の構成。飾らない氏の人柄がにじみ出ていて、本書を購入した能登演劇堂での熱演ぶりを思い出し、とても印象深い読後感だった。もう85歳だという、ご健勝でご活躍を祈念したい。
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09/24-10/28 の間 2、327 人 9、909 ベージビュー でした ありがとうございました
スポーツクラブ 7回 絵画教室 1回 旅行 8泊9日の観劇(肝っ玉おっかあと子供たち)旅行
その他 3(町会行事-体育祭、ウオーキング、美容院)
特記事項 1 台風20・21号2週末連続で関東付近を通る
2 衆議院議員選挙(22日)-与党大勝(自民284変わらず、公明6減の29)、野党分裂(立憲民主55,希望50,共産12など)
それは家にかかってきた一本の電話から始まった。Tデパートからのもので、他人にクレジットカードを預けて買い物を頼んだかといい、カードの暗証番号が漏れているので、交換しないと駄目というものだった。
間もなく全国銀行協会という人物が現れカードを受け取り、暗証番号などを控え新しいものは後日郵送するということで帰ったという。
不審に思った家人は警察に連絡したところ、この日は周辺一帯で同様の事件が発生していて、各地を移動しながらのグループによる詐欺の可能性を指摘された。
ATMによる引き出し限度額の金額が被害に遭ったようだ。
警察からは住宅の電話機はナンバーディスプレイの手続きをすること、また留守電対応にしておいて確認後電話に出るようにとの指導を戴いた。
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スポーツクラブ 14回 絵画教室 4回 読書 2冊(「姥ざかり花の旅笠」「虹の鳥」)
その他 2(食事会、農林公園)
特記事項 22日から風邪を引いてしまって病院通いだった
新装版とあるように初出は2004年(単行本は2006年)である。最初、皮相的な読み方きり出来なかったので、単なるバイオレンス小説か…と、がっかりした。
ところが、読書メーターというホームページで、金七生氏がカツヤ(比嘉に絶対服従で女を管理して売春させ,証拠写真を撮り脅しの材料提供)を日本、比嘉(カツヤの上級生で暴力団の構成員、学生たちを喝上げ・暴力を振るう)をアメリカ、マユ(薬漬けでカツヤに預けられ売春に従事)を沖縄になぞらえて「怒りと告発の書」と断じている。成る程と腑に落ちる物があった。
毎日新聞書評欄(8月13日池澤夏樹氏)も「現代の沖縄を描いた傑作」と書いているのを見て、読んでみたもの。
副題にある「東路日記」の著者(筑前底井野-現福岡県中間市の商家の主婦53歳)は、和歌を通じての友人でもある桑原久子(商家の主婦51歳)と天保12年(明治維新の27年前に当たる1841年)正月16日に供3人を連れ伊勢に向け出立した。
下の写真3枚目の絵図のコースを5ヶ月間(144日-800里というから3000㎞余ということになる)見聞して無事帰郷し、日記を10年後に発刊した。同行の久子さんも「二荒詣日記」を3年後に著している。因みに旅行費用は試算によると1人126万3600円という(321ページ)。
本書はこの日記を翻案したものといえる。先に亡くなった俳優の高倉健氏が知人に「先祖(高倉氏の5代前)が書き残した日記があるが読みやすく出来ないだろうか」というのが発端で、田辺氏が本作を著すことになったという。
初出は1998年雑誌「すばる」である。本書は長い間書棚で積ん読だった(2001年6月初版)のが悔やまれる。当時の世相がいきいきと書かれ、著者の博学も随所で見られとても楽しい時間を過ごすことが出来た。
下の写真は本書からのコピーである。
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07/03-08/26 の間 1、326 人 8、040 ベージビュー でした ありがとうございました
スポーツクラブ 16回 読書 1冊(「権力と孤独」)
その他 7(美容院、盆踊り、通夜・告別式など)
特記事項 カメラの買い換え(オリンパス TG-1から同5へ)
4年ほど前に購入した同じブランドのTG-1を下取りに出して購入したもの。
但しこのカメラの出番は余りない。水の中では撮らないので(というか、泳げない)もっぱら雨の時だけということになるが、機会は少ない。
Mカメラ店に先月下旬に発注したときは納品まで2ヶ月と言われたのが意外と早く届いた。試し撮りしたので載せてみる。
これがTG-5
下取りに出したのはこれ
もう終わりかけたムラサキシキブの花を撮ったもので、これはマクロで普通に撮ったもの
深度合成で撮ってみたものだが、手持ちのためアングルが狂っている
ピントの合う範囲が花全体に及んでいていい感じかな、と思う。但しこれを使うときは三脚が必須かもしれない。
最後に花に止まったシジミチョウを撮ったのを載せてみる
昨年80歳で亡くなった氏の評伝。
著者は永年氏の謦咳に接していただけに、演劇に対する氏の情熱が伝わってくる好著となっている。
東京芸大美術学部の油画を落ちて、1955年劇団青俳の研究生を経て新劇デビュー、ところが、状況劇場の唐十郎の戯曲を観て俳優をあっさり諦めてしまう。「唐の戯曲を演じる身体が僕にはない」(20ページ)という理由からだった。
1968年には、蟹江敬三・石橋蓮司らと現代人劇場を結成してアートシアター新宿座で初演出をする(29ページ)。その後幾星霜、ついに世界の蜷川と称されるまでになるのだが、1人の男の生き方として素晴らしいと思う。
私も、さい劇などでシェクスピア劇シリーズ他、多くを楽しませてもらった。合掌
本書は、先月21日に「NINAGAWA マクベス」を鑑賞したときに会場で買い求めてきたもの。