今日、久しぶりに神田の古書店街をぶらついて、矢野仁一さん(京都帝国大学名誉教授、1970年没)の本を見つけて衝動買いしてしまった。『大東亜史の構想』(昭和19年、目黒書店)という晩年の作品で、我ながらマニアックで呆れてしまう。
矢野仁一さんは、かねて『近代支那論』(大正13年、弘文堂書房)で、中国に国境の観念はない、つまり国力が伸長すれば国境も伸長すると主張されて、政治地理学の祖とされるフリードリヒ・ラッツェル(1844~1904年)に近い考えを提示されていて、気になっていた。それが一種の勢力圏の考え方であり、ロシアを見てもわかるように、大陸国家のメンタリティなのだろう。
あらためてWikipediaで「矢野仁一」を調べてみると、「中国近現代史研究の先駆者の一人であり、戦時期には『中国非国論』を主張して満州国建国を擁護する論陣を張った」とある。なんと大胆なことを・・・とリベラルなことを言う勿れ。中国二千年の歴史を振り返れば、果たして中国は「国」なのか?「地域」なのか?疑問である。近代国民国家の概念を当て嵌めれば、明らかに「国」が継続して来たとは言えず、むしろ「非国」と言われて腑に落ちる。例えば、モンゴル人や満州人が中華の地に「国」を樹立して、それぞれ元朝や清朝を名乗ったのに、日本人が今の華北の地に満州国を樹立して何が違うというのだろうか? 時代が違えば、それが悪いわけではあるまい。勿論、リットン調査団は周知の通りで、彼らはその時の中華民国を(どんなに分裂して国の体を成していなかったにしても)カタチの上で国民党政府の「国」と見做したことだろう。さらに中国共産党は、中華民国の五族共和や満州国の五族協和を真似て、五十五の民族からなる帝国だと強弁し、そうすることで二千年の歴史を遡って中国という「国」がさも連綿と続いて来たかのように装う。しかし学術的には「中国非国論」は十分に成り立ち得る。
以前、やはり神田の古書店街で、『英国の観た日支関係』(昭和13年、清和書店)という古書を衝動買いして読んだことがある。これは当時のロンドン王室国際問題研究所のレポートを邦訳したもので、私には馴染みのない歴史だったことに些か驚かされた。と言うのは、日支関係が「国民党」と日本の関係だったからだ。今、私たちに馴染みのある戦前・戦中の日支関係は、中国共産党に忖度し、その歴史(正史)を受け容れて、「共産党」と日本の関係に置き換わってしまった。「抗日戦に勝利した」という中国共産党の美しい建国物語が綴られるが、史実は、日本と正面で戦っていたのは飽くまで国民党であって共産党ではなく、共産党は国民党の影に隠れて体力を温存し、日本との戦いで疲弊した国民党が国共内戦に敗れて共産党の世になったのだった。
もしこのまま台湾が独立してしまうと、国民党政府は中国という国の歴史にならず、結果、中国の歴史は1949年以来74年しかないことになってしまう(国民党政府を含めても1912年から111年にしかならないが)。
こんなマニアックなことを中国本土でやると、数年前の北海道大学教授のように、今では「反スパイ法」で、確実に拘束されてしまいそうだ。くわばら、くわばら・・・。