風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

大陸国家・ロシア

2022-05-05 12:08:27 | 時事放談
 「宣言」のないゴールデンウィークは三年振りとのことで、街は賑わっているようだ。Facebookを見ていると、明らかに遠出する知人の投稿が増えているように感じる。連休明けにはまた感染者数が多少は増えそうだが、世の中が平常に戻ることへの安心感には代えられない。しかし、地球の裏側・ウクライナでは、5月9日が近づいて、予断を許さない一進一退の状況が続いている。勝利宣言は諦めて(特別軍事作戦から格上げして)宣戦布告する(それによってあらためて総動員をかける)のではないかと警戒する声もあがっている。他方で、ロシア外務省は、日本政府が発動した対ロシア制裁への報復措置として、岸田文雄首相をはじめとする日本人63人のロシア入国禁止を発表した。多くは政治家だが、少数ながら袴田茂樹氏や神谷万丈氏や櫻田淳氏や鈴木一人氏といった、私が注目する学者が含まれており、誠に名誉なことだ。何しろロシアに日和った言論ではないことを証明してくれたようなものだから・・・。
 前回は、プーチン氏を駆り立てる情念について、勝手ながら「歴史に対する報復」だろうと推し量った。まさか彼が戦争(彼の言い方では特別軍事作戦)に打って出るとは思いもよらなかったので、彼の狙いは彼の頭の中を覗いてみないと分からないと言われたものだが、その言動をもとに専門家の話を総合すると、事前に主張していたようにNATOの東方拡大を止めること、それは決して被害妄想でも何でもなく、そのためにウクライナを中立化すること(例えばフィンランドのように)、ゼレンスキー氏を追い出してロシア寄りの傀儡政権をうち立て、防御壁の如くとすること、ということになりそうだ。伝統的に焦土作戦が得意なロシアが、当初、キーウ(キエフ)攻略に失敗したのは、緩衝地帯として温存するべく手加減したせいかも知れない。
 思えば、明治以来の日本は、南下するロシアの脅威を感じて、事大主義に陥りがちな朝鮮王朝を緩衝地帯とするべく、自主独立を促したが、どうにも頼りにならないので、結局、日清・日露の二度の戦争を経て、日本自ら半島経営に乗り出さざるを得なくなった。国境を接して臨戦態勢にある緊張状態よりも、多少なりとも距離を置く方が安心を得られるし、態勢を整えるまでの時間を稼ぐことが出来る(現代風に言えば、ミサイルが飛んで来るまでの時間を多少なりとも稼ぐことが出来る)。ロシアや中国のように統治そのものに脆弱性を抱えた国にとっては、イデオロギー(あるいはディス・インフォーメーションなど)の流入(その影響力)を多少なりとも堰き止めることが出来る。象徴的とも言えるのが、チョルノービリ(チェルノブイリ)原子力発電所の事故で最も被害を受けたのがロシアではなくベラルーシだったことだろう。国境を接する、近接するというのは、リスクなのだ。
 最近出版された『13歳からの地政学:カイゾクとの地球儀航海』(田中孝幸著、東洋経済新報社)のためのプロモーション記事(*)によると、ロシアも中国も大きな国なのに、なぜ領土にこだわるのか?という核心的な問いに言及し、「カイゾク」に、「いくら領土を広げても安心できなくなる心理」を語らせている。自分の領土を守るために、周りの国を攻め取って自分のものにする、その新たに取った部分は外に面して安全ではないから、さらに周りの土地を取っていこうと考えるようになる、あるいは自分のものにできなかったとしても、自分の言いなりになる子分にしようと思うようになる、と。本を読んでいないので何とも言えないが、誰しも能力を超えることは出来ないので、無限のループに入ることはなく、結果、緩衝地帯を設定したり、同盟戦略を検討したりするようになる。それが大陸国家の習性なのだろう。
 此度のロシアのように、19世紀的な帝国主義者としての行動を示すまで、覇権を論じる地政学が言うところの「大陸国家」なるものの性格について、正直なところ感覚的に理解出来ないでいた。島国・日本であればこそ、なのだが、根本的にその限りでのDNAが欠落しているのだろう。ところが、ロシアを見ていて、ポスト・モダンのリベラルな装いを剥ぎ取った「大陸国家」の姿はそんなものだろうと理解せざるを得ないと、今のところは感じている。
 中国の中華思想あるいは華夷秩序観も、中心(中華)を離れるほど野蛮で、中心により近い韓国ほど(遠い日本よりも)文明的だと、道徳的な自己満足として捉えられるのは、時代を経て風化した考え方に過ぎず、本来は中心(自国)に近い近隣を手なずけ、その周辺を警戒する安全保障観を表現したものだったのではないかと想像させ、ロシアの勢力圏の考え方に近いものを感じさせる。かつて矢野仁一京都帝大教授は、『近代支那論』(昭和2年)の中で、中国には国境の観念がないようなことを述べたらしく、南・東シナ海での海洋進出や、最近、話題になった「国恥地図」を見ていると、島国のように固定的な地理環境と違って、自らの支配の及ぶ範囲が変幻自在に自らの領域と見做す性癖は、中国に限らず大陸国家らしい発想なのかも知れないと思ったりもする。また、自らの運命を自ら決することが出来ないような中小国(例えば同盟に安全保障を委ねる日本やドイツなどですら)は相手にしないとか、中小国は所詮は大国に従うべきだ、などといった横柄な大国主義の意識は、ロシアにも中国にも共通する。ロシアが序盤のハイブリッド戦争、特にサイバー戦争で奏功しなかったのは、ウクライナがクリミア併合を契機に目覚めたからだし、アメリカなどの支援のお陰だろうが、結果として一点豪華主義のように大量破壊兵器(核や生物・化学兵器とその運搬手段としてのミサイル)に頼るロシア軍の通常戦力(及びその他のハイブリッド戦力)のお粗末さを見ていると、図体が大きい北朝鮮のような存在でしかないのではないか、との思いを強くする。今回のロシアの行動から、北朝鮮が核への信奉を益々強める悪影響を心配する声があるが、そもそもロシアにしても北朝鮮にしても、経済力の現実を虚心坦懐に眺めれば、本来の能力を超えた軍事力に依存し(より正確に言うと、「貧者の兵器」としての核や生物・化学兵器に頼り)、破滅への道を歩む同類にしか見えない。これも過敏・過剰な国境意識をもつ大陸国家の宿命なのだろうか。

(*)https://toyokeizai.net/articles/-/584807
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