風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

今ごろ、中森明菜

2017-07-24 23:00:47 | スポーツ・芸能好き
 前回に続き、シンガポールからの帰国便の機内で「君の名は。」を観終わって、さて、子守唄代わりに聞いた音楽は、高橋真梨子と中森明菜だった。齢をとるにつれ新しい音楽を進んで吸収しなくなったせいもあるが、自分が若い頃のアイドル(ステーヴ・ジョッブズ的な意味合いで・・・ということは要は「歌姫」というアイコン)からはなかなか逃れられるものではない(笑)。
 高橋真梨子は「Dramatic Best ~ドラマ・映画主題歌集~」(2017年5月)からの抜粋で、かつての歌声はともかく比較的最近の楽曲でも変わらぬ調子で、衰えを知らず歌い続ける息の長い彼女の本領発揮は、ある意味で不気味ですらある。一方、中森明菜は「Akina Nakamori〜歌姫ダブル・ディケイド」(2002年12月)からの抜粋で、全編、タンゴやサルサやボサノバ調など、原曲とは別のアレンジになっていて、なかなか聴きごたえがある。この時、明菜はデビュー満20周年で、37歳、Wikipediaをつらつら見ると、この年末に14年振りに紅白歌合戦に出場し、本アルバムのバージョンの「飾りじゃないのよ涙は」を披露したとある。いや、何故わざわざWikipediaを確認したかというと、私にとっての中森明菜は「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」(1985年)あたりで止まっていて、その後の記憶がどうにも思い出せないからだ。実際、このアルバムでは、若い頃の明るく張りのある伸びやかな歌声はナリをひそめて、ちょっと(どころかかなり)疲れているように思うのが、高橋真梨子とは対照的なのだ。酒で喉を潰したのではないかと思われるような低音で、勝手な言い草だが、なんだかその後の人生の不摂生は隠しようがないような感じだ(と言っても、彼女の私生活のことはもとより知らないし興味もない)。しかし、そう切り捨ててしまうのは惜しくて、囁くような歌声は艶っぽいし、当時と比べるべくもない高音だとは言っても、やはり伸びがあって、ノリが良くてパンチが効いている。
 これに関連して、思い出すことがある。
 かつて大森のオフィス・ビルに勤務したことがあって、なにしろ都内勤務では港区が多かったので、物珍しさも手伝って、近隣を飲み歩く内に、一軒のスナックに行き当たった。大森海岸駅のすぐ傍で、ママさん一人で切り盛りする小ぢんまりした店だった。昼に手造りの昼食バッフェをやっていたところに偶々立ち寄ったのがキッカケで、夜も通うようになったのだが、そのママさんがどうやらタダモノではない。長らく銀座にいたが、最近、引き揚げてきたという。何があったか、年齢のせいなのか、多くは語らない。60歳くらい(あるいはもっと若くて50そこそこだったかも知れない、当時、自分よりも年上だったので、今でも自分の歳より上だと思ってしまう)で、さっぱりした化粧ながら、ぱりっと着物を着こなし、ぴんと背筋を伸ばした居ずまいが凛々しい。そのママさんの声も、酒で喉を潰したのか(などと勝手な言い草だが)低音で、人生の酸いも甘いも噛み分けた静かな語り口に迫力があって、それでいて人好きのするタイプでユーモアがあった(客商売だから当然か)。その当時でも二週間に一度は銀座の美容室に通うと豪語していたが、それも含めて全てが本当なのか妄想なのか分からない。仮に事実だとして(多分、間違いないが)、それを落ちぶれたとは思わない。
 暫く明菜をテレビで見ていないが、願わくは明菜には、大森のママさんが着物をぱりっと着こなしていたように、当時のツッパリが歳とったらこうなるといったような、アバズレっぽい乱れた髪型ながらも、ハイヒールと黒っぽいタイツでスリムな脚線美を露わに、何より赤いルージュが似合う女性であって欲しい・・・というのは私の単なる我が儘な願望だけではなく、きっと彼女の矜持でもあって、痩せても枯れても、それでいてこそ明菜の歌には「人生いろいろ」を経て聴かせるだけの魅力があるのだと思った次第である。
コメント
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