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3秒ルールからご飯のチンまで、食品にまつわる12の誤解

2016年07月18日 | 世界びっくりニュース
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 食材を冷凍していいのは買ったその日だけと考える人はイギリス人の半数にも上るそうだ。また調理済みの肉を再冷凍してはけないと信じている人は38%いるという。

 英国食品基準庁が実施した世論調査によれば、冷凍食品の安全性についてかなりの範囲で誤解が見られ、各家庭は週に6食分に相当する食材を捨てているという。冷凍食品以外にも過去1月の間に、パン、野菜や果物、あるいは料理の残り物など、まだ食べられると思われる食材を捨てたことのある人は3分の2にも上る。

 大切な食べ物を無駄にせず、かつ安全に食べるためにも、食品に関する真実をここで明らかにしておこう。

誤解その1. セロリを食べると燃焼カロリーがアップする
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真実
 ダイエット中の人にはお気の毒だが、セロリを食べたからといってカロリーの燃焼は促進されない。よってぜい肉がことさら燃焼されるということもない。が、茎1本あたりたった2キロカロリーで、食物繊維も豊富だ。ダイエット中のおやつに丁度いいことは間違いない。


誤解その2. 冷凍や缶詰の野菜/果物は生より栄養面で劣る
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真実
 缶詰や冷凍される野菜/果物は、通常収穫後すみやかに処理される。つまりそこに含まれるビタミンやミネラルのほとんどが残っているということだ。一方で、生野菜や果物は収穫後に産地から運ばれ、スーパーの棚に並び、さらに消費者のキッチンで保管される。この間、ビタミンCや葉酸は失われてしまう。


誤解その3. 生のニンジンは調理したものより栄養がある
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真実
 ニンジンを調理すると実は栄養価が上がる。硬い細胞壁が壊れ、ビタミンAを作る際に利用されるβカロテンを摂取しやすくなるからだ。軽く脂肪を加えてもいい。βカロテンの吸収が良くなるからだ。少量のオリーブオイルで炒めるといいだろう。


誤解その4. 高コレステロールの卵は食べないほうがいい
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真実
 長い間、高コレステロールの卵は体に良くないと考えられてきた。だが最近では、卵のコレステロールは血中コレステロールにそれほど影響を与えないことが判明している(ただし体質的に高コレステロールになりやすい人は別)。

 実は血中のコレステロールを上昇させるのは、飽和脂肪の摂りすぎだ。これは心臓病などの健康リスクを高める。むしろ卵は安価で良質な高タンパク源だ。ほかにも亜鉛、鉄分、ビタミンDなどの栄養もたっぷり含まれている。。


誤解その5. 熱には小食
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真実
 食欲が減退して、いつもほど食べれなくなることはあるかもしれないが、熱っぽいときに食事を制限する医学的な根拠はない。熱が出ると、体の代謝率は上昇し、より多くのカロリーを消費する。だから多めにカロリーを摂ることは大切なことだ。

 だが、まず優先すべきはきちんと水分を補給すること。熱で汗をかくと体から水分が失われるため、脱水症状になりがちなのだ。


誤解その6. グルテンを含まない食材は健康的
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真実
 セリアック病(小麦・大麦・ライ麦などに含まれるタンパク質の一種であるグルテンに対する免疫反応が引き金になって起こる自己免疫疾患)でもない限りは、わざわざお金をかけてグルテンの入っていない食材を手にいれる必要はない。実はグルテンフリーを銘打つ食材の多くには、脂肪、塩分、糖分がかなり多く含まれている。


誤解その7. 赤肉は体に悪い
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真実
 赤肉はプロテインが豊富で、ビタミンやミネラルもたっぷりだ。とはいえ、やはり食べ過ぎには注意したい。大腸癌のリスクが高まるからだ。イギリス保健省が推奨する赤肉および加工肉の1日の摂取上限は70gである。またできるだけ新鮮な肉を食べることも促している。魚や鶏肉に変えるのもいい。


誤解その8. 3秒ルール
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真実
 うっかり床に落としてしまった食材にはほんの1,000分の1秒で細菌が付着する。3秒以内に拾ったからといって平気だということはない。きちんと水で洗おう。


誤解その9. 子供は糖分を摂ると落ち着きがなくなる
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真実
 糖で子供が過活動になるという証拠はない。だが甘いものが習慣になっていると虫歯や肥満のリスクが高まる。特に糖分が大量に入った飲み物は体重増に効果テキメンで、糖尿病にもなりやすくなる。4~6歳の子供なら1日あたりティースプーン5杯以上の砂糖を摂取してはいけない。6~10歳でも6杯が限度だ。


誤解その10. 寝る前にチーズを食べると悪夢を見る●
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真実
 チーズどころか、特定の食材で悪夢を見るという証拠はない。が、チーズは飽和脂肪が豊富なので、コレステロール値は上がるかもしれない。


誤解その11. ちゃんぽんで悪酔い
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真実
 朝、目が覚めたら喉がカラカラで頭はガンガンする。一体どうやって家に帰ったのかも覚えていない。そうか、ウォッカを飲んで、さらにビールにワインも飲んだか……。

 こうした経験のある方もいるかもしれないが、ちゃんぽんしたからといって二日酔いが酷くなることはない。問題なのは消費したアルコールの総量だ。ついでに言うと、迎え酒も止めたほうがいい。それで気分がよくなるというのは誤解だ。体が分解しなくてはならないアルコール量が増えて、苦痛が長引くことにしかならない。


誤解その12. 米を再加熱してはいけない
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真実
 加熱していない米にはセレウス菌の芽胞が含まれている。セレウス菌自体は熱で死ぬが、芽胞はこれに耐える。そのため炊いた米を常温で放置しておくと、細菌が成長し、食中毒や下痢の原因となる。

 だからといって、残り物の米を食べていけないということではない。炊いた後は1時間ほど冷ましてから、密閉した容器に入れて冷蔵しよう。1日くらいは問題なく食べられる。再度加熱するなら、熱い蒸気でくまなく蒸らすこと。また再加熱は1度だけだ。

via:mirror

☆1つも知らなんだ!

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人類の歴史が変わったかもしれないほどの大きな秘密を墓場まで抱えてこの世を去った10人

2016年07月15日 | 世界びっくりニュース
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 誰にだって人に知られたくないことはある。1つも隠し事がない人物などいないだろう。大抵の場合、そうした秘密は本人にとっては重要でも、世界を揺るがすほどではないだろう。

 だが中には歴史的に重要な秘密もある。もしその秘密が明かされていれば人類の文明の歴史を大きく塗り替えるほどものものまで。

 ここで紹介する10人は、その内容に関して現在まで様々な憶測が流れるような秘密を意図的に、あるいは人に伝える前にこの世を去ってしまった科学者たちや、秘密を知る重要人物である。

10. アルネ・バーリング
鉄壁の暗号「T52」の解読法

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 1940年、動乱のヨーロッパではナチスがノルウェーに侵攻し、フィンランドでもソ連が軍事作戦を展開していた。両国に挟まれたスウェーデンは中立を貫くため、どちらにも加担することなく、じっと情勢に聞き耳を立て、将来の戦いに備えていた。

 ドイツからノルウェーへの通信回線には当時最先端の暗号技術が使用されていたが、スウェーデンはこれを解読することに成功。暗号機エニグマは優れていたが、第二次世界大戦最高の装置ではなかったのだ。そこでドイツではジーメンス・ウント・ハルスケ社がT52というより高度な暗号装置を開発。エニグマを凌駕する複雑な暗号を生成できるT52は、超重要機密の伝達に利用された。

 これに困惑したのがスウェーデンである。T52が生成する暗号文には彼らをもってしてもまるで歯が立たなかった。そこに登場したのが数学者アルネ・バーリングだ。

 彼は指令を受けてからわずか2週間でその解読に成功している。が、その手法については今もなお謎のままだ。一体どうやって解読したのか聞かれると、彼はこう答えたという。「手品師は種明しなどしないよ」と。それから46年後、彼は亡くなった。誰にもその種を明かすことなく。最近でも研究は進められているが、未だに成功していない。いずれにせよ、バーリングの機智のおかげで、スウェーデンはヒトラーのロシア侵攻計画を前もって知ることができた。


9. モーリス・ウォード
不滅のプラスチックの製造方法

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 炎に包まれた飛行機を目撃したことで、イギリスの発明家モーリス・ウォードは何にでも耐える素材の開発を決意した。そして作り出された耐熱プラスチックは10,000度に耐え、広島型原爆の75個分に相当する衝撃に耐えることができた。さらに軽量かつ成形も容易であった。スターライトと名付けられたこのプラスチックにNASAが大いに関心を示したのも当然であったろう。

 だが、ウォードはいくつかの企業が正当な報酬もなしにこの発明を利用しようとしていることに感づき、手放さないことに決めた。そのままスターライトの作り方とともに2011年に亡くなってしまった。生前、その製法について「21種の有機ポリマーとコポリマー、少量のセラミック」と話していたそうだ。しかし、これだけ再現するには情報が少なすぎる。


8. ニコラ・テスラ
ワイヤレス電気の送電装置

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 インターネットという大発明のおかげで、今となってはニコラ・テスラが何者であるか説明しなくてもいいかもしれない。が、ご存じないという方のために一応説明すると、交流電流というエジソンの直流電流よりもはるかに実用的で安全な電流を発明した人物だ。ほかにもテスラコイル、無線トランスミッター、蛍光灯などを発明した業績があり、アメリカ最大の電気技師の1人に名を挙げられる。

 しかし、おそらくは彼の代表的な発明になったであろうものは完成しなかった。すなわち無線で電気を送電する装置である。1905年、彼はJ・P・モルガンから資金援助を受け、ウォーデンクリフ・タワーの建設を開始。これは上空の電離層とその下の惑星全体を導電体として利用するものだった。だが、アメリカを襲った経済不況のために完成に至ることはなかった。

 1943年、テスラは亡くなり、そのアイデアを道連れにした。その後も大勢がテスラのメモを基に実験の再現を試みるが、成功した者はいない。テスラは映像記憶が非常に得意だった人物で、残されたメモはスケッチや書き散らかしでしかなく、ほとんど参考にならないのだという。


7. ヤン・スロート
革新的なデータ圧縮技術

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 オランダの電気技師ヤン・スロートは1990年代初頭に史上最も効率的なデータ圧縮方法を発明したと発表。これは10ギガバイトの動画を画質を損なうことなく8キロバイトにまで圧縮できるものだ。1999年7月11日に心臓発作で突然亡くならなければ、データ送信に革命を起こしたであろう。彼の命日はフィリップス社と契約を交わす前日のことである。

 それでも諦められなかった元CEOのロエル・ピエパーはスロートデジタルコーディングシステムの買収を進める。が、運命によってこのシステムを公開しないよう定められていたらしい。システムが記述されたキーフロッピーディスクが紛失しており、徹底的な捜索にもかかわらず発見されることはなかった。


6. アントニオ・ストラディバリ
完璧な楽器の製法

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 クラシック音楽が好きな人ならば、アントニオ・ストラディバリについてご存じだろう。彼は1644~1737年に生きたイタリアの弦楽器製作者だ。およそ1,100挺の楽器を製作したとされるが、現存するのは650挺である。またそのうち500挺はヴァイオリンだ。現在、最も高価とされるヴァイオリン12挺のうち5挺までが彼の作品であり、その頂点に立つ「メサイア」には2億円相当の価格が付けられる。

 その製法は現在に伝わっていない。ストラディバリが自分の楽器作成法について秘密を明かすことはなかったからだ。昔から科学的な研究対象とされてきており、板の厚みや、接着剤、樹脂、あるいはニスなどが天上の音色の秘訣とされることもあるが、はっきりとしたことはわかっていない。

5. ヨハン・ベスラー
永久運動の謎

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 1712年、オルフィレウスの愛称で知られるドイツの起業家ヨハン・エルンスト・エリアス・ベスラーは、燃料や外部の力なしでも自ら動き続ける装置を発明したと発表。その1717年には、大勢の人物がその革新性を信じるようになる。ある実験では、誰も触らないのに54日間作動し続けたという。
 
 この装置は直径2mに近い車輪で、数ポンドの物を持ち上げることができた。実験の見学者の中には著名な科学者や数学者もいたが、誰もその仕組みを理解できなかった。ベスラーは秘密の対価として2万ポンドを要求。これにロシア皇帝ピョートル1世が関心を示し、ライデン大学の教授にその真偽を評価するよう依頼する。だが、ベスラーはこれを発明を盗むことが目的だと考え、装置を破壊してしまった。彼は1745年に亡くなり、その秘密が後世に伝えられることはなかった。

 この発明は無からは何も作り出せないというエネルギー保存の法則を無視するかのようである。現代の科学者たちはベスラーが残した記述からその仕組みを解き明かそうとしてきたが、今もって謎のままだ。案外、ベスラーは永久機関など発明しておらず、ただ人々が騙されていただけかもしれない。


4. アーセン・ゴーダーティア
盗まれた名画のゆくえ

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 「ヘントの祭壇画」は15世紀初頭に描かれたフーベルト・ファン・エイクの傑作である。世界的にも重要な作品で、最も盗難被害にあった作品と言われている。同時に数度の火災や暴動でも難を逃れた強運にも恵まれている。しかし1934年のある月のない夜、聖バーフ大聖堂の外でパネルのようなものを携えた男2人が車に乗って立ち去る姿が目撃された。翌朝、12枚あったヘントの祭壇画のパネル2枚の盗難が発覚する。

 しばらくすると司教に身代金を要求する手紙が届く。窃盗犯と司教との間で何度も手紙が交わされ、犯人側は信頼を獲得するためにパネルの1枚「洗礼者ヨハネ」を返却までしている。しかし、これを境に手紙はぷっつりと途切れてしまう。

 これとは無関係に思える場所である出来事が起きていた。株ブローカーのアーセン・ゴーダーティアという人物が脳卒中で倒れた後、弁護士との私的な会見を要望したのだ。死の床の中で彼は弁護士に盗まれたパネルの在処を知っていると話し、洋服ダンスを指差した。引き出しの鍵について何事か告げると、そのまま事切れた。
 
 弁護士はタンスを開け鍵を見つけると、それで引き出しを開けた。そこにはなんと司教と窃盗犯の書簡が入っていた。まだ郵送前の手紙もあり、その1節に「正しき裁き人のパネルを周囲の注目を集めずに回収することは誰にもできません。私にも無理でしょう」とあった。その意味するところは不明だ。どこか目に見える状態で隠されているのだろうか? それとも公共の場や建物の中にでもあるのだろうか? ベルギー警察は現在も捜索を続けている。


3. ジョン・コナリー知事
ケネディ大統領の暗殺のカギを握る人物

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 1963年11月22日のケネディ大統領暗殺については様々な憶測が流れている。が、当時のテキサス州知事ジョン・コナリーが同時に重傷を負ったことについてはあまり話題に上らない。実は彼は暗殺の瞬間、車の前のシートに同乗していた。ウォーレン委員会では、1発の弾丸が大統領を殺害し、コナリー知事に重傷を負わせたと説明された。
 
 しかし陰謀論者によれば、車のシートの配置からいって、1発の弾丸がコナリー知事と大統領に同時に命中することはありえないという。もし本当なら、弾丸は空中で方向を変え、ジグザグに飛行したことになる。別の証拠からは2発目の銃弾が発射されていることが示唆されている。そして、知事本人すらオズワルドの単独犯説を信じていながらも、同じ弾丸で撃たれたはずがないと発言している。

 この謎に決着をつけるには、未だ元知事の遺体に残ったままとされる弾丸の破片を調べることだ。1993年、コナリーが死去すると、彼の遺体を掘り起こし、検死を求める請願書が提出された。遺族はこれを拒否し、現在に至るまで真偽は明らかになっていない。


2. エドワード・リーズカルニン
石を動かした魔法の正体

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 エドワード・リーズカルニンはラトビア系の米国移民で、1923年から死去する1951年まで、フロリダ州にコーラルキャッスルという建造物を作り出した人物だ。身長152cm、体重45kgという小柄な彼であるが、どういうわけか30トンもの石を運ぶことができた。

 作業は人知れず1人だけで行われた。作業の様子を唯一目撃したのは2人のティーンエイジャーで、ヘリウム入りの風船のように石が浮いているようだったと証言している。ほかには木製の三脚とロープでできた道具を見たという者がいるだけだ。が、これもまたそれほどの重量を支えられるような代物には見えなかったそうだ。また道具の中には彼が「永久運動ホルダー」と呼んだ謎の小さな装置もあった。

 1951年にリーズカルニンが死ぬと、コーラルキャッスルは人気の観光地となった。1986年、重さ9トンの回転ドアがヒンジが錆びたせいで動かなくなる。だが、それまでは小さな子供でも楽に動かせるほど完璧なバランスを保っていた。修理には8人の作業員と50トンクレーンが動員されたが、リーズカルニンがやったような見事な状態には修復できなかった。生前、彼は大ピラミッドが建築された方法を解き明かしたと話していたようだが、その秘密を明かさぬままこの世を去った。


1. ジェローム
両足を切断されサンディコーブの浜辺に倒れていた男

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 1863年9月8日、カナダ、ノバスコシア州サンディコーブの砂浜で1人の男性が発見された。この男性は膝上のところで両足が切断され、傷口に包帯が巻かれているという状態だった。名前を聞かれると何事かもごもごとつぶやき、ようやく「ジェローム」と聞き取りにくい声で話した。彼がジェロームと呼ばれるのはそういうわけだ。その後は一切口をきかず、動物のような音を発することしかできなかった。おそらくは脳にも損傷があったと思われる。

 数年もすると変わり者として知れ渡り、よそから見物に訪れる者も現れた。そして1912年、自分のことを一切語らぬまま亡くなった。どこから来たのか、なぜ足がないのか何もわからない。

 が、面白いのはその彼が21世紀のノバスコシア州で今も語られていることだ。彼について本が書かれ、1994年には『ジェロームの秘密(Jerome’s Secret)』という映画まで撮影された。ただ語るべきことがなかっただけかもしれない。だが、何も語らなかったがゆえに人々の想像をかき立てて止まない。

via:toptenz

☆好奇心に駆られる記事じゃ!

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まるで深い海のよう!ディープな青のワイン「Gik」の海外販売が開始される

2016年07月13日 | 世界びっくりニュース
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 これまでも青いワインは存在していた。日本には勝沼ブルーワインなるものがあり、シャンパンだが、シャルドネにブルーベリーのエキスで色づけしたブラン・ド・ブルーなんかも有名だ。

 だが今回新登場したスペイン発の「Gik」という名のワイン、青の深さが段違いなのだ。完成には2年の月日が費やされたという。

 青といっても様々だが、このワインの青はインディゴブルーに近い濃いめのブルーだ。海や夜空を連想させるロマンティックな色味である。

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image credit:gik
 
 スペインのクリエイター6人が、バスク大学や食品メーカーの開発機関の協力を経て、2年の歳月をかけて作り上げたという。

 青の色素はブドウの皮に含まれるアントシアニンや、傷薬や青色染料の原料として知られている植物、ホソバタイセイから抽出された植物由来のもので、ベースとなるワインはスペイン産の白ワインと赤ワインが使用されている。

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image credit:gik
 
 アルコール度数は11.5度、お味の方はというとノンカロリー甘味料をくわえ、甘みのある白ワインに近い味だという。冷やして飲むとおいしいそうだ。

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image credit:gik
 
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image credit:gik
 
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image credit:gik
 
 既にスペイン国内ではネット通販されているが、大好評を受け来月より、フランス、オランダ、英国、ドイツに向けて販売が開始されたそうだ。もうちょっと待てば日本にも流れてくることだろう。赤、白、ロゼと続いて青。ワイン業界も色の戦略に突入したようだ。

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☆酒をやめて10年以上になるが、久々に飲みたくなったわい!

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今年で32周年。開発から密輸を経てライセンス争奪戦へ。任天堂も絡んでいるテトリスに関するおもしろ雑学

2016年07月11日 | 世界びっくりニュース
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 これを読み終わるころ、あなたは誰よりもテトリスに詳しくなっているだろう。その起源から世界的に人気が高まるまでの歴史、ライセンス争奪戦からテトリスの名が付いた病気、科学研究にいたるまで、テトリスのすべてが網羅されている。

 激レア扱いとなったメガドライブ版、テトリス争奪戦の真の勝者は任天堂など、テトリスに関する雑学が盛りだくさんだ。

 テトリスの起源
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 1984年、ソビエト連邦(現ロシア)の首都モスクワで、29歳のコンピューター技師アレクセイ・パジトノフはロシア科学アカデミーの建物の奥深くに座っていた。彼は目の前にある馬鹿でかい「エレクトロニカ60」に自身の最新のプログラムを入力しているところだった。あなたが彼の上司であったなら、パジトノフはデバッグの最中だと告げたことだろう。だが、実のところ、彼は取り憑かれていた。

 パジトノフの肩越しに何を作業しているものか覗いてみたとしても、まったく見当もつかなかったことだろう。ただ画面を震えながら落ちる文字が見えるばかりである。エレクトロニカは相当に原始的なコンピューターで、文字しか表示することができなかった。だが、これこそが後に『テトリス』と呼ばれることになるプログラムの初期プロトタイプであった。

 このテトロミノ(正方形を辺でつなげた多角形の一種)とテニスを組み合わせた名称を持つゲームは、やがて世界を席巻することになる。シンプルだが、中毒性の高さゆえだ。

 「プログラムは複雑ではありませんでした」とパジトノフは2009年にガーディアン紙のインタビューで答えている。「スコアもレベルもありませんでしたが、プレイしたら止められなくなりました。そういうわけです」と。

 それから数年で、テトリスの魅力はテレビゲーム業界でも有数の奇妙な成り行きをたどることになる。そこに登場するのは、ロバート・マクスウェル、ミハイル・ゴルバチョフ、アンドルー・ロイド・ウェバーら、80年代、90年代の錚々たる顔ぶれである。


テトリスは密輸から広まった
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 社会主義のソ連において私的なビジネスが違法であったことから、パジトノフはテトリスを売り出そうとしたことで上司が何をしてくるのか気が気ではなかった。それでも同僚ドミトリー・パブロフスキーと若干16歳のプログラマー、ヴァディム・ゲラシモフの助けを借りながら、テトリスの開発は続けられた。

 ゲラシモフは完成版にも見られるアイデアやルールの一部を考案し、さらに重要なことにテトリスをかさばるエレクトロニカ60から一般的なPCへと移植した人物だ。PC版は色付きのグラフィックに対応している。パズルゲームのテトリスに対するその恩恵は明らかだ。1985年になると、パジトノフとゲラシモフは友達たちにPC版のテトリスを配り始める。こうしてテトリスは世に出回り始めた。

 やがてソ連からハンガリーに密輸され、ここからヨーロッパ全土へと拡散する。まるでウイルスのようにコンピューターからコンピューターへと中毒者を増やしていった。


英ミラーソフト社の関与により人気が加速
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 ミラーソフト社は、コンピューターブームに沸く1980年代のイギリスで設立された多くのソフトウェア会社の1つだ。創業者はジム・マコノキーとロバート・マクスウェルである。特にマクスウェルはメディア業界に一時代を築いた非常に有名な人物である。テトリスをZXスペクトラム、アムストラッドCPC、コモドール64に移植し、1987年と88年に初の製品版をリリースしたのが、このミラーソフトだ。

 ミラーソフトによるテトリスでは、パッケージと背景グラフィックにロシアの雰囲気が与えられた(バージョンの1つは、その中毒性からUSSRで禁止されたと触れ込んですらいる)。だが、ミラーソフトがテトリスを発売する権利があったものか控えめに言っても疑わしい。同社はテトリスの版権をまた別の英国企業アンドロメダ社から取得しているのだが、アンドロメダはパジトノフ本人とも、ソ連政府ともきちんとした形の契約を交わしていないのだ。

 にもかかわらず、テトリスは即座にヒットし、熱狂的なレビューが寄せられた。評判はさらに広まり、そのネームバリューが高まると、テトリスの権利を巡って激しい闘争に発展することとなった。


西側諸国でライセンス獲得の争奪戦
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 テトリスにハマった人の中でもキーパーソンの1人だったのがヘンク・ロジャースだ。オランダのテレビゲーム製作者であり、パブリッシャーでもあった人物である。

 彼が初めてテトリスを目にしたのは、1988年1月に開かれたラスベガスのコンピューター・エレクトロニクス・ショーであった。その潜在能力にすぐに気がついた。だが、それはアメリカ、ヨーロッパ、日本、ソ連の業界人も同様であった。

 鉄のカーテンの裏では、国有企業Elektronorgtechnica社(ELORG社)がテトリスの海外における販売権を獲得する。パジトノフらがテトリスを開発したのはロシア科学アカデミーの勤務中のことであり、そのためにテトリスの権利は国家にあった。ELORGが版権を得たのはこうした経緯による。
 
 テトリスに関する権利関係で大いに揉めたのはイギリスだ。ELORGの取締役だったアレクサンドル・アレキシンコがアンドロメダが版権をもたないまま販売していることに気がついたことから、同社はELORGと正式なライセンス契約を交わさざるをえなくなる。

 この間、スペクトラム・ホロバイト社が版権をヘンク・ロジャースのバレットプルーフ・ソフトウェア社にサブライセンスしており、さらにブレットプルーフ・ソフトウェアは日本への販売を目論んでいた。だが、ミラーソフトもまたアメリカと日本での販売を狙うアタリ社とサブライセンス契約を交わしていた。


ここで任天堂が参戦
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 よく分からなくても心配はいらない。その通りだからだ。そして、この混乱をさらに搔き回すかのように、ヘンク・ロジャースはゲームボーイ用テトリスの開発を計画する任天堂と取引を行っていた。だが、その前にロジャースはELORGから携帯機用のテトリスの版権を入手する必要があった。
 
 そして次の出来後によって、まるでゲーム業界発の三文ドラマのような様相を呈するようになる。ロジャースはモスクワに向かい、当局から許可を得ないままELORGとの直接交渉に乗り出した。が、このとき、アンドロメダのロバート・シュタインとミラーソフトのケヴィン・マクスウェル(ロバートの息子)までがモスクワを訪れていたことなど彼に知る由もなかった。

 ロジャースはKGB、弁護士、関係者の面々とテトリスの著作権に関して2時間の会合を持った。そして結果的には、ロバート・マクスウェルが当時のソ連書記長ミハイル・ゴルバチョフに直訴したにもかかわらず、持ち前の魅力を発揮したロジャースがテトリスのコンソール版の版権を勝ち取った。だが、この権利を巡る狂乱はその後数年間も続くことになる(メディア王マクスウェルの死から数年後、FBIは彼がロシアのスパイであった可能性を指摘しているが、それはまた別の話だ)。
<script src="http://karapaia.livedoor.biz/js/sp_karapaia_middle_300x250.js"></script>

レアなアタリのNES版テトリス……
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 版権の獲得競争に参加していたビッグネームにアタリがある。アタリは1988年にアーケード版テトリスを制作しており、翌年5月に子会社テンゲンを通してニンテンドーエンターテインメントシステム(NES。海外向けのファミコン)版をリリースした。

 しかし、アタリは問題に直面する。ヘンク・ロジャースがELORGと独占契約を結んだおかげで、任天堂は裁判でライバルがNESでテトリスを発売する権利を否定する判決を勝ち取ったのだ。アタリにとっては屈辱的な敗北であり、売れ残ったNES版の販売から撤退せざるをえなくなった。NES版テトリスはおそよ10万本が出回ったと考えられている。任天堂が作ったバージョンよりも出来がいいとの評判で、現在ではコレクターズアイテム扱いだ。
 

激レアなのがメガドライブ版
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 セガは80年代後半にテトリスのアーケード版を作成し、その16ビットコンソール機への移植版も準備した。しかし、テトリスにまつわる狂乱のおかげで、セガはゲームを廃棄するように急かされてしまう。それでも、ごくわずかなメガドライブ版は現存する。2011年、パジトノフのサイン入りメガドライブ版テトリスがeBayに出品され、おそろしいことに1億円相当の値をつけた。


テトリス争奪戦の真の勝者は任天堂
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 テトリス争奪戦の真の勝者は任天堂だ。バレットプルーフと共同開発したゲームボーイ版テトリスは、携帯用ゲーム機のまさにキラーアプリであった。テトリスがなくてもゲームボーイはそれなりに成功を収めたかもしれないが、モノクロ画面のこの機体にこれ以上ぴったりなゲームを思い浮かべることは難しいだろう。

 ゲームボーイと短い時間で手軽に没頭できるテトリスとの相性は抜群であった。1989年に同梱販売されると、テトリスはあっというまに世界で最も広く遊ばれるベストセラーゲームとなった。携帯機はもはやテトリス抜きでは考えられない。


アンドルー・ロイド・ウェバーがヒットチャートに送り込んだテトリス
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 テトリスの音楽としては、田中宏和がアレンジしたロシア民謡のコロベイニキがあまりにも有名だ。80年代後半~90年代にかけて、ゲームボーイの小さなスピーカーから流れたこの曲は、大勢の人が耳にしたことがあるだろう。ゲーム音楽ではスーパーマリオブラザーズのテーマと並ぶ、誰もが知る曲である。

 なんとテトリスのコロベイニキは、90年代初頭のヒットチャートにも登場したことがある。『キャッツ』や『オペラ座の怪人』の作曲家として知られるアンドルー・ロイド・ウェバーとレコードプロデューサーのナイジェル・ライトが1992年にダンスリミックス『テトリス』をリリースしたのだ。これはイギリスのチャートで2位を獲得している。

 が、一方のパジトノフはテトリスにロシア民謡が使われたことをあまりよく思っていないようだ。ガーディアン紙のインタビューで、「かなり恥ずかしいです。子供がこれを耳にすると、『テトリス!』って叫び始めるんですよ。ロシア文化には悪影響ですね……」と発言している。


テトリスにちなんだ症状名
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 テトリスを長期間プレイすることで、「テトリス効果」や「テトリス症候群」という症状が発症することがある。身の回りのものがテトリスに見えてきて、どうすれば組み合わさるか勝手に考え始めてしまうのだ。また、寝ているときにテトリスのカラーブロックが落ちてくる夢を見ることもある。

 これはそれほど深刻な症状ではない。それどころか、専門家の中にはテトリスをプレイするといいことがあると主張する者もいる。

 PTSDの患者の治療から喫煙者の禁煙支援まで、大脳皮質を強化するテトリスからは様々な恩恵が得られるというのだ。また空間認知能力も向上するようだ。つまり、80年代、90年代にテトリスで育った世代は、バックでの駐車が大の得意だということだ……多分きっとそう。

テトリスの論文を書いた数学者
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 完成した行を消すこのゲームに熟達すれば、理論的には永遠にプレイし続けることが可能であるとお考えかもしれない。だが、数学者ジョン・ブルズストウスキーによれば、長時間プレイすればかならず敗北で終わるのだそうだ。

 これは1992年に発表した彼の修士論文で、彼の言う”歪型”テトリミノ(S型とZ型のテトリミノ)が大量に出ると、隙間が不可避となり、最終的にはゲームオーバーになるという論旨だ。だが最近のバージョンでは、テトリミノの出現はランダムになるよう調整されており、永遠にプレイすることが可能になっている。


テトリスの中毒性の秘密はツァイガルニク効果
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 パジトノフがテトリスを生み出してから30年、このゲームは今もなお世界で広くプレイされ続けている。最新のゲーム機からスマートフォンまで、様々な機器に移植され、少なくとも10億人はプレイヤーがいると推定される。

 それほどまで人々を熱中させる秘訣は何なのだろうか? 心理学者トム・スタッフォードによれば、それはツァイガルニク効果であるという。これはロシアの心理学者ブルーマ・ツァイガルニクが、大量の注文を記憶するカフェのウェイトレスは注文が完了するとすぐに忘れてしまうことから、脳は未完了の事柄に対しては容量を用意するが、必要がなくなればすぐに廃棄してしまうと提唱した理論だ。

 「テトリスは未完了のタスクを継続的に作り出し、プレイヤーの注意を維持する」とスタッフォードは2012年の論文で論じている。「ゲーム内の各アクションによって、行が埋まり、パズルは部分的に解かれる。しかし、新しい未完の作業も残る。こうした部分的な解決と新しい未完作業の連鎖は数時間におよぶが、それは行が削られるたびに同じような満足が得られる瞬間で満ちている」

 ほとんど偶然であろうが、アレクセイ・パジトノフが作り出したゲームは脳の問題解決領域を刺激するものだったのだ。これが中毒性の源泉である。このために私たちは誕生から30年経った今もテトリスをプレイしている。そして、今後数十年は変わらないであろう。

via:The Incredibly Weird Story Behind Tetris

 実は私もテトリスにはまってしまった人類の1人である。シンプルながらあの中毒性は凄いと思う。様々なパズル系ゲームをプレイしているが、ちょっとしたバグを含めてテトリスの完成度の高さって相当なものだと思う。

☆まだあったんか!

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自身最大の発明を悔やんだ6人の科学者

2016年07月08日 | 世界びっくりニュース
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 科学者たちの発明が文明の発展や技術革新に寄与した例は枚挙にいとまがない。だが時に、自らの作り出したものが戦争に使われてしまい、発明したことを悔やんでいる科学者もいる。

 ここではそんな6人の科学者についてのストーリーを見ていくことにしよう。

アルフレッド・ノーベル
発明品:ダイナマイト
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 スウェーデンの化学者、発明家であるアルフレッド・ノーベルはわずか17歳にして5ヶ国語を操ったという人物だ。ノーベル賞の創始者として有名であるが、これはその財産を「前年に人類のために最大たる貢献をした人々に分配されるものとする」とした彼の遺言が元となっている。

 だがこうした科学で最も栄誉ある賞の源泉となったのは、ノーベルの最も有名な発明、ダイナマイトによってもたらされたものだ。これは彼の弟の命を奪ったニトログリセリンをより安全でより安定したものに改良した建設用爆薬で、1867年に特許出願された。ノーベルが望んだのはニトログリセリンを安定させることで、戦争を終わらせる発明をすることだった。決して戦争を作り出そうと思ったわけではない。

 「おそらく私の工場は議会よりも早く戦争に終止符を打つだろう。その日、両軍の部隊は一瞬でお互いを殲滅させる力を手にいれる。あらゆる国民国家が恐れおののき、軍隊を解体するにちがいない」

 悲しいかな、彼の想像したことは実現しなかった。軍隊はすぐにダイナマイトの兵器としての可能性に気がつく。これによって無数の命が奪われた。あるフランスの新聞がノーベルの死の誤報を掲載したとき、その見出しは「死の商人、死す」であった。

 「それまでにない速やかさで人々の命を奪う方法を見つけ出し、そのために大富豪となったアルフレッド・ノーベル博士が昨日死亡した」と続いたその記事は、まるで祝うような論調であった。これに当惑したノーベルは、死後に自分がどのように記憶されるか意識するようになった。これがノーベル賞設立につながることになる。


アーサー・ガルストン
発明品:枯葉剤(オレンジ剤)

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 アーサー・ガルストンはアメリカの植物学者として植物の成長を助ける方法の研究に身を捧げた人物だ。トリヨード安息香酸(TIBA)という大豆の開花を早めるホルモンの合成に着手するが、これは濃度を高めると落葉を促すものだった。

 そして彼が予想もしなかったことに、細菌兵器を研究する科学者がTIBAに目をつけ、ここから化学兵器を作り出す。オレンジ剤と呼ばれたそれは、ベトナム戦争で枯葉剤として使用された。だがそれだけではなかった。その影響で無数の奇形の子供たちや成人の健康被害までも生み出してしまったのだ。

 これを悔やんだガルストンは、1965年から1971年の禁止にいたるまでオレンジ剤使用に反対するロビー活動を続けることになる。彼は生涯にわたって自らの研究が戦争に利用されたことを悔やんだという。ニューヨークタイムズ紙にこのように語っている。「科学でなされることが必ずしも人類のためになるとは限りませんから。あらゆる発見は善でも悪でもなく、建設的な結果にも、破壊的な結果にもなりうるものだと思います。でも、それは科学のせいではありません」


ミハイル・カラシニコフ
発明品:AK-47

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 ミハイル・カラシニコフが望んだのは祖国を守ること。それ以上でも以下でもない。そのために彼は当時採用されていたライフルの非効率性や危険性について仲間から話を聞き、一つ一つ確認すると、それを克服したライフルを設計する。その成果が制式名称「7.62mm アブトマット・カラシニコバ」、通称AK-47である。これについてワシンントンポスト紙は次のように要約している。

 「世界で最も普及し、かつ効果的な戦闘兵器。安くかつシンプルであり、各国は鶏1羽よりも安く購入できた」

 低コスト、軽量、過酷な気候条件でも運用可能な銃を開発したことで、カラシニコフはロシアの英雄となり、彼自身長い間それを誇りにしていた。が、不運なことに、テロリストなどの過激派グループが密造するようになると、心境に変化が訪れる。彼はガーディアン紙にこう語っている。

 「自分の発明については誇りに思っています。ですが、テロリストに使われるのは悲しいことです……普通の人々が使えるような、農家の人なんかが作業で使えるような……そう、芝刈り機なんかを作ればよかった」

 2009年の時点で1億丁が生産されたAK-47だが、その半数は密造品である。カラシニコフはこれがもたらした流血に心を痛め、ロシア正教の司祭宛に次のような懺悔の手紙を書いた。
 
 「私の心痛は耐え難いほどです。胸の痛みもそうです。答えを出すことのできない疑問が頭から離れません。私のライフルが人々の命を奪っているのならば、93歳になる農家の息子、正教の忠実なる信徒である私ミハイル・カラシニコフは、人々の死に責任を負っているだろうか、と。たとえそれが敵であったとしても」

 教会は彼を赦し、その献身に礼を述べた。それから6ヶ月後、カラシニコフは息を引き取った。

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カムラン・ロフマン
発明品:兵器レベルの唐辛子スプレー

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 唐辛子スプレーはもともと高潔な目的のために作られた。最初に開発されたのは1960年のこと。アメリカの郵便配達員を犬の襲撃から守るためだった。これが効果的であることが判明すると、80年代にFBIが兵器レベルの威力を持つ唐辛子スプレーの開発に着手。こうしてカムラン・ロフマンが発明したオレオジン・カプシクムは、唐辛子によるヒリヒリ感を起こすものと同じ化合物から抽出された非殺傷性の薬剤であった。

 スコヴィル値530万。自然界に存在する最も辛い唐辛子の5倍である。ロフマンは警察がオレオジン・カプシクムを使用すれば、暴漢を傷つけることなく無力化できると考えていた。失明、呼吸困難、咳といったその効果はいずれも有効でありなら、一時的なものでしかなかったからだ。その安全な使用を主張して、採用された国中の警察区のために使用のガイドラインを記し、それに沿った訓練を施した。ロフマンの告白によれば、20年間で大勢の命を救ってきたという。

 しかし2011年、平和的な抗議集会に対してオレオジン・カプシクムが使用された場面を見て、ロフマンは衝撃を受ける。そして、ウォール街を占拠せよ運動に触れてこう語った。

 「最初に私の頭に浮かんだのは警察でも学生でもありません。自分の子供たちでした。自分の意見を持って座り込み、そして化学薬品で退散させられるのです。こんな使い方は常軌を逸しており、私の知るいかなる訓練や警察のやり方とも違います。80年代初頭から90年代にかけて4,000人の警察官を指導してきましたが、こんなことは初めてです……唐辛子スプレーの開発目的はこのようなものでないと世の中に説明すべき市民としての義務を感じています」

 ロフマンは現在その発明品の適切な使用を促すために多大な時間を費やしている。インタビューはこう続く。

 「今ではますます持て囃されるようになっています……化学薬品を意見を持つ人に使用するのは……本来の使い方でありません。これはどんな問題でも解決してくれるものではありませんし、人々黙らせるためのものでもありません。ただのその場しのぎの道具なんです」


オーヴィル・ライト
発明品:飛行機

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 ライト兄弟の人類初の有人飛行については誰もが知っているだろう。だが、その後彼らが生涯をかけて、飛行機の平和的な利用を呼びかけていたことをご存知だろうか。2人とも自分の発明品がまさか戦争に使われるとは思ってもいなかったのだ。1909年に飛行機をアメリカ軍に売却したとき、彼らが予測していた使用法は観測であった。しかし、第一次世界大戦を生き延びたオーヴィルは、飛行機がもたらした破壊を目の当たりにする。

 「飛行機が戦争を恐ろしいものにしました。再び戦争をしたいと思う国が存在するとは思えないほどに」

 5年後、あるラジオ放送で彼はこう発言している。

 「飛行機は政府にそれが持つ破壊の力を知らしめ、結局ところ平和を維持する強力な道具となりました」

 だが、第二次世界大戦で爆撃機による荒廃を再び目にすると、自分の発明品がこのように使われることが避けれないと知り愕然とした。死の直前、ある新聞にこう語っている。

 「私たち(彼とウィルバー)は浅はかにもこの世に長い平和をもたらしてくれるような発明をと願っていました。ですが、私たちは間違っていたのです」


ジュリアス・ロバート・オッペンハイマー
発明品:原子爆弾

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 アインシュタインが原爆を開発したことを後悔していた事実は有名だ。だが、原爆の開発に携わったのは彼1人ではない。「原爆の父」として知られるロバート・オッペンハイマーもまたそこにいた。

 才能豊かな物理学者として核の動きを研究し、同時にヒンドゥー教の精神にも惹かれていた彼は、天体物理学、核物理学、量子力学などの理論物理学を推し進めようとするアメリカに大きな貢献を果たしている。彼の研究は、今日ブラックホールと呼ばれる現象の下地を作ったが、第二次世界大戦が勃発すると、これに終止符を打つ手段として精力的に原爆の開発を行うようになる。

 ロスアラモス国立研究所の初代所長としてマンハッタン計画に参加する一流の物理学者をスカウトし、同時に自らは原爆を刺戟する中性子連鎖反応を研究した。その成果が人類最初の核実験「トリニティ実験」だ。その爆発はTNT爆薬18,000トン相当したという。

 オッペンハイマーはこの実験を忘れることができず、あるテレビ番組でこのように話している。

 世界が変わってしまうことに気がついていました。何人かが笑い、何人かは泣いた。が、ほとんどは黙ったままでした。ヒンドゥー教の聖典『バガヴァッド・ギーター』の一節にこうあります。『ヴィシュヌは王子に義務を果たすよう説得するため恐ろしい姿に変身し、『我は死神なり、世界の破壊者なり』と語った』と。

 私たち全員がそれぞれにそんなことを考えたのではないでしょうか……俗っぽさも、ユーモアも、誇張でも消すことができない身も蓋もない意味で、物理学者は罪を知りました。これを拭い去ることはできません。

 その威力を目の当たりにしたオッペンハイマーは原爆の国際的な管理を訴えるようになり、やがて原子力委員会のアドバイザーに就任する。原爆開発に強く反対した彼であったが、共産党とのつながりから、政府は機密の流出を懸念。結局彼の主張は潰され、公職から追放される。その後、自らの招いた結果を忘れず、一生に渡って悔やむことになる。

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 ここで紹介したいずれの科学者や発明家もその発明品がもたらした結果について責任を負わない。だが、私たちはこうした科学技術が道を踏み外すことを防ぐことはできるのだろうか? 元ネイビーシールズのクリス・ファッセル氏が、ネットワークの時代において科学技術の進歩は我々が制御できる速度を超えていると主張している。

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