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誰にだって人に知られたくないことはある。1つも隠し事がない人物などいないだろう。大抵の場合、そうした秘密は本人にとっては重要でも、世界を揺るがすほどではないだろう。
だが中には歴史的に重要な秘密もある。もしその秘密が明かされていれば人類の文明の歴史を大きく塗り替えるほどものものまで。
ここで紹介する10人は、その内容に関して現在まで様々な憶測が流れるような秘密を意図的に、あるいは人に伝える前にこの世を去ってしまった科学者たちや、秘密を知る重要人物である。
10. アルネ・バーリング
1940年、動乱のヨーロッパではナチスがノルウェーに侵攻し、フィンランドでもソ連が軍事作戦を展開していた。両国に挟まれたスウェーデンは中立を貫くため、どちらにも加担することなく、じっと情勢に聞き耳を立て、将来の戦いに備えていた。
ドイツからノルウェーへの通信回線には当時最先端の暗号技術が使用されていたが、スウェーデンはこれを解読することに成功。暗号機エニグマは優れていたが、第二次世界大戦最高の装置ではなかったのだ。そこでドイツではジーメンス・ウント・ハルスケ社がT52というより高度な暗号装置を開発。エニグマを凌駕する複雑な暗号を生成できるT52は、超重要機密の伝達に利用された。
これに困惑したのがスウェーデンである。T52が生成する暗号文には彼らをもってしてもまるで歯が立たなかった。そこに登場したのが数学者アルネ・バーリングだ。
彼は指令を受けてからわずか2週間でその解読に成功している。が、その手法については今もなお謎のままだ。一体どうやって解読したのか聞かれると、彼はこう答えたという。「手品師は種明しなどしないよ」と。それから46年後、彼は亡くなった。誰にもその種を明かすことなく。最近でも研究は進められているが、未だに成功していない。いずれにせよ、バーリングの機智のおかげで、スウェーデンはヒトラーのロシア侵攻計画を前もって知ることができた。
9. モーリス・ウォード
炎に包まれた飛行機を目撃したことで、イギリスの発明家モーリス・ウォードは何にでも耐える素材の開発を決意した。そして作り出された耐熱プラスチックは10,000度に耐え、広島型原爆の75個分に相当する衝撃に耐えることができた。さらに軽量かつ成形も容易であった。スターライトと名付けられたこのプラスチックにNASAが大いに関心を示したのも当然であったろう。
だが、ウォードはいくつかの企業が正当な報酬もなしにこの発明を利用しようとしていることに感づき、手放さないことに決めた。そのままスターライトの作り方とともに2011年に亡くなってしまった。生前、その製法について「21種の有機ポリマーとコポリマー、少量のセラミック」と話していたそうだ。しかし、これだけ再現するには情報が少なすぎる。
8. ニコラ・テスラ
インターネットという大発明のおかげで、今となってはニコラ・テスラが何者であるか説明しなくてもいいかもしれない。が、ご存じないという方のために一応説明すると、交流電流というエジソンの直流電流よりもはるかに実用的で安全な電流を発明した人物だ。ほかにもテスラコイル、無線トランスミッター、蛍光灯などを発明した業績があり、アメリカ最大の電気技師の1人に名を挙げられる。
しかし、おそらくは彼の代表的な発明になったであろうものは完成しなかった。すなわち無線で電気を送電する装置である。1905年、彼はJ・P・モルガンから資金援助を受け、ウォーデンクリフ・タワーの建設を開始。これは上空の電離層とその下の惑星全体を導電体として利用するものだった。だが、アメリカを襲った経済不況のために完成に至ることはなかった。
1943年、テスラは亡くなり、そのアイデアを道連れにした。その後も大勢がテスラのメモを基に実験の再現を試みるが、成功した者はいない。テスラは映像記憶が非常に得意だった人物で、残されたメモはスケッチや書き散らかしでしかなく、ほとんど参考にならないのだという。
7. ヤン・スロート
オランダの電気技師ヤン・スロートは1990年代初頭に史上最も効率的なデータ圧縮方法を発明したと発表。これは10ギガバイトの動画を画質を損なうことなく8キロバイトにまで圧縮できるものだ。1999年7月11日に心臓発作で突然亡くならなければ、データ送信に革命を起こしたであろう。彼の命日はフィリップス社と契約を交わす前日のことである。
それでも諦められなかった元CEOのロエル・ピエパーはスロートデジタルコーディングシステムの買収を進める。が、運命によってこのシステムを公開しないよう定められていたらしい。システムが記述されたキーフロッピーディスクが紛失しており、徹底的な捜索にもかかわらず発見されることはなかった。
6. アントニオ・ストラディバリ
クラシック音楽が好きな人ならば、アントニオ・ストラディバリについてご存じだろう。彼は1644~1737年に生きたイタリアの弦楽器製作者だ。およそ1,100挺の楽器を製作したとされるが、現存するのは650挺である。またそのうち500挺はヴァイオリンだ。現在、最も高価とされるヴァイオリン12挺のうち5挺までが彼の作品であり、その頂点に立つ「メサイア」には2億円相当の価格が付けられる。
その製法は現在に伝わっていない。ストラディバリが自分の楽器作成法について秘密を明かすことはなかったからだ。昔から科学的な研究対象とされてきており、板の厚みや、接着剤、樹脂、あるいはニスなどが天上の音色の秘訣とされることもあるが、はっきりとしたことはわかっていない。
5. ヨハン・ベスラー
1712年、オルフィレウスの愛称で知られるドイツの起業家ヨハン・エルンスト・エリアス・ベスラーは、燃料や外部の力なしでも自ら動き続ける装置を発明したと発表。その1717年には、大勢の人物がその革新性を信じるようになる。ある実験では、誰も触らないのに54日間作動し続けたという。
この装置は直径2mに近い車輪で、数ポンドの物を持ち上げることができた。実験の見学者の中には著名な科学者や数学者もいたが、誰もその仕組みを理解できなかった。ベスラーは秘密の対価として2万ポンドを要求。これにロシア皇帝ピョートル1世が関心を示し、ライデン大学の教授にその真偽を評価するよう依頼する。だが、ベスラーはこれを発明を盗むことが目的だと考え、装置を破壊してしまった。彼は1745年に亡くなり、その秘密が後世に伝えられることはなかった。
この発明は無からは何も作り出せないというエネルギー保存の法則を無視するかのようである。現代の科学者たちはベスラーが残した記述からその仕組みを解き明かそうとしてきたが、今もって謎のままだ。案外、ベスラーは永久機関など発明しておらず、ただ人々が騙されていただけかもしれない。
4. アーセン・ゴーダーティア
「ヘントの祭壇画」は15世紀初頭に描かれたフーベルト・ファン・エイクの傑作である。世界的にも重要な作品で、最も盗難被害にあった作品と言われている。同時に数度の火災や暴動でも難を逃れた強運にも恵まれている。しかし1934年のある月のない夜、聖バーフ大聖堂の外でパネルのようなものを携えた男2人が車に乗って立ち去る姿が目撃された。翌朝、12枚あったヘントの祭壇画のパネル2枚の盗難が発覚する。
しばらくすると司教に身代金を要求する手紙が届く。窃盗犯と司教との間で何度も手紙が交わされ、犯人側は信頼を獲得するためにパネルの1枚「洗礼者ヨハネ」を返却までしている。しかし、これを境に手紙はぷっつりと途切れてしまう。
これとは無関係に思える場所である出来事が起きていた。株ブローカーのアーセン・ゴーダーティアという人物が脳卒中で倒れた後、弁護士との私的な会見を要望したのだ。死の床の中で彼は弁護士に盗まれたパネルの在処を知っていると話し、洋服ダンスを指差した。引き出しの鍵について何事か告げると、そのまま事切れた。
弁護士はタンスを開け鍵を見つけると、それで引き出しを開けた。そこにはなんと司教と窃盗犯の書簡が入っていた。まだ郵送前の手紙もあり、その1節に「正しき裁き人のパネルを周囲の注目を集めずに回収することは誰にもできません。私にも無理でしょう」とあった。その意味するところは不明だ。どこか目に見える状態で隠されているのだろうか? それとも公共の場や建物の中にでもあるのだろうか? ベルギー警察は現在も捜索を続けている。
3. ジョン・コナリー知事
1963年11月22日のケネディ大統領暗殺については様々な憶測が流れている。が、当時のテキサス州知事ジョン・コナリーが同時に重傷を負ったことについてはあまり話題に上らない。実は彼は暗殺の瞬間、車の前のシートに同乗していた。ウォーレン委員会では、1発の弾丸が大統領を殺害し、コナリー知事に重傷を負わせたと説明された。
しかし陰謀論者によれば、車のシートの配置からいって、1発の弾丸がコナリー知事と大統領に同時に命中することはありえないという。もし本当なら、弾丸は空中で方向を変え、ジグザグに飛行したことになる。別の証拠からは2発目の銃弾が発射されていることが示唆されている。そして、知事本人すらオズワルドの単独犯説を信じていながらも、同じ弾丸で撃たれたはずがないと発言している。
この謎に決着をつけるには、未だ元知事の遺体に残ったままとされる弾丸の破片を調べることだ。1993年、コナリーが死去すると、彼の遺体を掘り起こし、検死を求める請願書が提出された。遺族はこれを拒否し、現在に至るまで真偽は明らかになっていない。
2. エドワード・リーズカルニン
エドワード・リーズカルニンはラトビア系の米国移民で、1923年から死去する1951年まで、フロリダ州にコーラルキャッスルという建造物を作り出した人物だ。身長152cm、体重45kgという小柄な彼であるが、どういうわけか30トンもの石を運ぶことができた。
作業は人知れず1人だけで行われた。作業の様子を唯一目撃したのは2人のティーンエイジャーで、ヘリウム入りの風船のように石が浮いているようだったと証言している。ほかには木製の三脚とロープでできた道具を見たという者がいるだけだ。が、これもまたそれほどの重量を支えられるような代物には見えなかったそうだ。また道具の中には彼が「永久運動ホルダー」と呼んだ謎の小さな装置もあった。
1951年にリーズカルニンが死ぬと、コーラルキャッスルは人気の観光地となった。1986年、重さ9トンの回転ドアがヒンジが錆びたせいで動かなくなる。だが、それまでは小さな子供でも楽に動かせるほど完璧なバランスを保っていた。修理には8人の作業員と50トンクレーンが動員されたが、リーズカルニンがやったような見事な状態には修復できなかった。生前、彼は大ピラミッドが建築された方法を解き明かしたと話していたようだが、その秘密を明かさぬままこの世を去った。
1. ジェローム
1863年9月8日、カナダ、ノバスコシア州サンディコーブの砂浜で1人の男性が発見された。この男性は膝上のところで両足が切断され、傷口に包帯が巻かれているという状態だった。名前を聞かれると何事かもごもごとつぶやき、ようやく「ジェローム」と聞き取りにくい声で話した。彼がジェロームと呼ばれるのはそういうわけだ。その後は一切口をきかず、動物のような音を発することしかできなかった。おそらくは脳にも損傷があったと思われる。
数年もすると変わり者として知れ渡り、よそから見物に訪れる者も現れた。そして1912年、自分のことを一切語らぬまま亡くなった。どこから来たのか、なぜ足がないのか何もわからない。
が、面白いのはその彼が21世紀のノバスコシア州で今も語られていることだ。彼について本が書かれ、1994年には『ジェロームの秘密(Jerome’s Secret)』という映画まで撮影された。ただ語るべきことがなかっただけかもしれない。だが、何も語らなかったがゆえに人々の想像をかき立てて止まない。
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だが中には歴史的に重要な秘密もある。もしその秘密が明かされていれば人類の文明の歴史を大きく塗り替えるほどものものまで。
ここで紹介する10人は、その内容に関して現在まで様々な憶測が流れるような秘密を意図的に、あるいは人に伝える前にこの世を去ってしまった科学者たちや、秘密を知る重要人物である。
10. アルネ・バーリング
鉄壁の暗号「T52」の解読法
1940年、動乱のヨーロッパではナチスがノルウェーに侵攻し、フィンランドでもソ連が軍事作戦を展開していた。両国に挟まれたスウェーデンは中立を貫くため、どちらにも加担することなく、じっと情勢に聞き耳を立て、将来の戦いに備えていた。
ドイツからノルウェーへの通信回線には当時最先端の暗号技術が使用されていたが、スウェーデンはこれを解読することに成功。暗号機エニグマは優れていたが、第二次世界大戦最高の装置ではなかったのだ。そこでドイツではジーメンス・ウント・ハルスケ社がT52というより高度な暗号装置を開発。エニグマを凌駕する複雑な暗号を生成できるT52は、超重要機密の伝達に利用された。
これに困惑したのがスウェーデンである。T52が生成する暗号文には彼らをもってしてもまるで歯が立たなかった。そこに登場したのが数学者アルネ・バーリングだ。
彼は指令を受けてからわずか2週間でその解読に成功している。が、その手法については今もなお謎のままだ。一体どうやって解読したのか聞かれると、彼はこう答えたという。「手品師は種明しなどしないよ」と。それから46年後、彼は亡くなった。誰にもその種を明かすことなく。最近でも研究は進められているが、未だに成功していない。いずれにせよ、バーリングの機智のおかげで、スウェーデンはヒトラーのロシア侵攻計画を前もって知ることができた。
9. モーリス・ウォード
不滅のプラスチックの製造方法
炎に包まれた飛行機を目撃したことで、イギリスの発明家モーリス・ウォードは何にでも耐える素材の開発を決意した。そして作り出された耐熱プラスチックは10,000度に耐え、広島型原爆の75個分に相当する衝撃に耐えることができた。さらに軽量かつ成形も容易であった。スターライトと名付けられたこのプラスチックにNASAが大いに関心を示したのも当然であったろう。
だが、ウォードはいくつかの企業が正当な報酬もなしにこの発明を利用しようとしていることに感づき、手放さないことに決めた。そのままスターライトの作り方とともに2011年に亡くなってしまった。生前、その製法について「21種の有機ポリマーとコポリマー、少量のセラミック」と話していたそうだ。しかし、これだけ再現するには情報が少なすぎる。
8. ニコラ・テスラ
ワイヤレス電気の送電装置
インターネットという大発明のおかげで、今となってはニコラ・テスラが何者であるか説明しなくてもいいかもしれない。が、ご存じないという方のために一応説明すると、交流電流というエジソンの直流電流よりもはるかに実用的で安全な電流を発明した人物だ。ほかにもテスラコイル、無線トランスミッター、蛍光灯などを発明した業績があり、アメリカ最大の電気技師の1人に名を挙げられる。
しかし、おそらくは彼の代表的な発明になったであろうものは完成しなかった。すなわち無線で電気を送電する装置である。1905年、彼はJ・P・モルガンから資金援助を受け、ウォーデンクリフ・タワーの建設を開始。これは上空の電離層とその下の惑星全体を導電体として利用するものだった。だが、アメリカを襲った経済不況のために完成に至ることはなかった。
1943年、テスラは亡くなり、そのアイデアを道連れにした。その後も大勢がテスラのメモを基に実験の再現を試みるが、成功した者はいない。テスラは映像記憶が非常に得意だった人物で、残されたメモはスケッチや書き散らかしでしかなく、ほとんど参考にならないのだという。
7. ヤン・スロート
革新的なデータ圧縮技術
オランダの電気技師ヤン・スロートは1990年代初頭に史上最も効率的なデータ圧縮方法を発明したと発表。これは10ギガバイトの動画を画質を損なうことなく8キロバイトにまで圧縮できるものだ。1999年7月11日に心臓発作で突然亡くならなければ、データ送信に革命を起こしたであろう。彼の命日はフィリップス社と契約を交わす前日のことである。
それでも諦められなかった元CEOのロエル・ピエパーはスロートデジタルコーディングシステムの買収を進める。が、運命によってこのシステムを公開しないよう定められていたらしい。システムが記述されたキーフロッピーディスクが紛失しており、徹底的な捜索にもかかわらず発見されることはなかった。
6. アントニオ・ストラディバリ
完璧な楽器の製法
クラシック音楽が好きな人ならば、アントニオ・ストラディバリについてご存じだろう。彼は1644~1737年に生きたイタリアの弦楽器製作者だ。およそ1,100挺の楽器を製作したとされるが、現存するのは650挺である。またそのうち500挺はヴァイオリンだ。現在、最も高価とされるヴァイオリン12挺のうち5挺までが彼の作品であり、その頂点に立つ「メサイア」には2億円相当の価格が付けられる。
その製法は現在に伝わっていない。ストラディバリが自分の楽器作成法について秘密を明かすことはなかったからだ。昔から科学的な研究対象とされてきており、板の厚みや、接着剤、樹脂、あるいはニスなどが天上の音色の秘訣とされることもあるが、はっきりとしたことはわかっていない。
5. ヨハン・ベスラー
永久運動の謎
1712年、オルフィレウスの愛称で知られるドイツの起業家ヨハン・エルンスト・エリアス・ベスラーは、燃料や外部の力なしでも自ら動き続ける装置を発明したと発表。その1717年には、大勢の人物がその革新性を信じるようになる。ある実験では、誰も触らないのに54日間作動し続けたという。
この装置は直径2mに近い車輪で、数ポンドの物を持ち上げることができた。実験の見学者の中には著名な科学者や数学者もいたが、誰もその仕組みを理解できなかった。ベスラーは秘密の対価として2万ポンドを要求。これにロシア皇帝ピョートル1世が関心を示し、ライデン大学の教授にその真偽を評価するよう依頼する。だが、ベスラーはこれを発明を盗むことが目的だと考え、装置を破壊してしまった。彼は1745年に亡くなり、その秘密が後世に伝えられることはなかった。
この発明は無からは何も作り出せないというエネルギー保存の法則を無視するかのようである。現代の科学者たちはベスラーが残した記述からその仕組みを解き明かそうとしてきたが、今もって謎のままだ。案外、ベスラーは永久機関など発明しておらず、ただ人々が騙されていただけかもしれない。
4. アーセン・ゴーダーティア
盗まれた名画のゆくえ
「ヘントの祭壇画」は15世紀初頭に描かれたフーベルト・ファン・エイクの傑作である。世界的にも重要な作品で、最も盗難被害にあった作品と言われている。同時に数度の火災や暴動でも難を逃れた強運にも恵まれている。しかし1934年のある月のない夜、聖バーフ大聖堂の外でパネルのようなものを携えた男2人が車に乗って立ち去る姿が目撃された。翌朝、12枚あったヘントの祭壇画のパネル2枚の盗難が発覚する。
しばらくすると司教に身代金を要求する手紙が届く。窃盗犯と司教との間で何度も手紙が交わされ、犯人側は信頼を獲得するためにパネルの1枚「洗礼者ヨハネ」を返却までしている。しかし、これを境に手紙はぷっつりと途切れてしまう。
これとは無関係に思える場所である出来事が起きていた。株ブローカーのアーセン・ゴーダーティアという人物が脳卒中で倒れた後、弁護士との私的な会見を要望したのだ。死の床の中で彼は弁護士に盗まれたパネルの在処を知っていると話し、洋服ダンスを指差した。引き出しの鍵について何事か告げると、そのまま事切れた。
弁護士はタンスを開け鍵を見つけると、それで引き出しを開けた。そこにはなんと司教と窃盗犯の書簡が入っていた。まだ郵送前の手紙もあり、その1節に「正しき裁き人のパネルを周囲の注目を集めずに回収することは誰にもできません。私にも無理でしょう」とあった。その意味するところは不明だ。どこか目に見える状態で隠されているのだろうか? それとも公共の場や建物の中にでもあるのだろうか? ベルギー警察は現在も捜索を続けている。
3. ジョン・コナリー知事
ケネディ大統領の暗殺のカギを握る人物
1963年11月22日のケネディ大統領暗殺については様々な憶測が流れている。が、当時のテキサス州知事ジョン・コナリーが同時に重傷を負ったことについてはあまり話題に上らない。実は彼は暗殺の瞬間、車の前のシートに同乗していた。ウォーレン委員会では、1発の弾丸が大統領を殺害し、コナリー知事に重傷を負わせたと説明された。
しかし陰謀論者によれば、車のシートの配置からいって、1発の弾丸がコナリー知事と大統領に同時に命中することはありえないという。もし本当なら、弾丸は空中で方向を変え、ジグザグに飛行したことになる。別の証拠からは2発目の銃弾が発射されていることが示唆されている。そして、知事本人すらオズワルドの単独犯説を信じていながらも、同じ弾丸で撃たれたはずがないと発言している。
この謎に決着をつけるには、未だ元知事の遺体に残ったままとされる弾丸の破片を調べることだ。1993年、コナリーが死去すると、彼の遺体を掘り起こし、検死を求める請願書が提出された。遺族はこれを拒否し、現在に至るまで真偽は明らかになっていない。
2. エドワード・リーズカルニン
石を動かした魔法の正体
エドワード・リーズカルニンはラトビア系の米国移民で、1923年から死去する1951年まで、フロリダ州にコーラルキャッスルという建造物を作り出した人物だ。身長152cm、体重45kgという小柄な彼であるが、どういうわけか30トンもの石を運ぶことができた。
作業は人知れず1人だけで行われた。作業の様子を唯一目撃したのは2人のティーンエイジャーで、ヘリウム入りの風船のように石が浮いているようだったと証言している。ほかには木製の三脚とロープでできた道具を見たという者がいるだけだ。が、これもまたそれほどの重量を支えられるような代物には見えなかったそうだ。また道具の中には彼が「永久運動ホルダー」と呼んだ謎の小さな装置もあった。
1951年にリーズカルニンが死ぬと、コーラルキャッスルは人気の観光地となった。1986年、重さ9トンの回転ドアがヒンジが錆びたせいで動かなくなる。だが、それまでは小さな子供でも楽に動かせるほど完璧なバランスを保っていた。修理には8人の作業員と50トンクレーンが動員されたが、リーズカルニンがやったような見事な状態には修復できなかった。生前、彼は大ピラミッドが建築された方法を解き明かしたと話していたようだが、その秘密を明かさぬままこの世を去った。
1. ジェローム
両足を切断されサンディコーブの浜辺に倒れていた男
1863年9月8日、カナダ、ノバスコシア州サンディコーブの砂浜で1人の男性が発見された。この男性は膝上のところで両足が切断され、傷口に包帯が巻かれているという状態だった。名前を聞かれると何事かもごもごとつぶやき、ようやく「ジェローム」と聞き取りにくい声で話した。彼がジェロームと呼ばれるのはそういうわけだ。その後は一切口をきかず、動物のような音を発することしかできなかった。おそらくは脳にも損傷があったと思われる。
数年もすると変わり者として知れ渡り、よそから見物に訪れる者も現れた。そして1912年、自分のことを一切語らぬまま亡くなった。どこから来たのか、なぜ足がないのか何もわからない。
が、面白いのはその彼が21世紀のノバスコシア州で今も語られていることだ。彼について本が書かれ、1994年には『ジェロームの秘密(Jerome’s Secret)』という映画まで撮影された。ただ語るべきことがなかっただけかもしれない。だが、何も語らなかったがゆえに人々の想像をかき立てて止まない。
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