mirojoan's Blog

世界びっくりニュースへのコメントだよ!
HPは http://salvadordali.jp です。コピペしてね!

自身最大の発明を悔やんだ6人の科学者

2016年07月08日 | 世界びっくりニュース
おもしろ雑貨をお探しの方はここをクリックしてね!

0_e41
 科学者たちの発明が文明の発展や技術革新に寄与した例は枚挙にいとまがない。だが時に、自らの作り出したものが戦争に使われてしまい、発明したことを悔やんでいる科学者もいる。

 ここではそんな6人の科学者についてのストーリーを見ていくことにしよう。

アルフレッド・ノーベル
発明品:ダイナマイト
1_e50
 スウェーデンの化学者、発明家であるアルフレッド・ノーベルはわずか17歳にして5ヶ国語を操ったという人物だ。ノーベル賞の創始者として有名であるが、これはその財産を「前年に人類のために最大たる貢献をした人々に分配されるものとする」とした彼の遺言が元となっている。

 だがこうした科学で最も栄誉ある賞の源泉となったのは、ノーベルの最も有名な発明、ダイナマイトによってもたらされたものだ。これは彼の弟の命を奪ったニトログリセリンをより安全でより安定したものに改良した建設用爆薬で、1867年に特許出願された。ノーベルが望んだのはニトログリセリンを安定させることで、戦争を終わらせる発明をすることだった。決して戦争を作り出そうと思ったわけではない。

 「おそらく私の工場は議会よりも早く戦争に終止符を打つだろう。その日、両軍の部隊は一瞬でお互いを殲滅させる力を手にいれる。あらゆる国民国家が恐れおののき、軍隊を解体するにちがいない」

 悲しいかな、彼の想像したことは実現しなかった。軍隊はすぐにダイナマイトの兵器としての可能性に気がつく。これによって無数の命が奪われた。あるフランスの新聞がノーベルの死の誤報を掲載したとき、その見出しは「死の商人、死す」であった。

 「それまでにない速やかさで人々の命を奪う方法を見つけ出し、そのために大富豪となったアルフレッド・ノーベル博士が昨日死亡した」と続いたその記事は、まるで祝うような論調であった。これに当惑したノーベルは、死後に自分がどのように記憶されるか意識するようになった。これがノーベル賞設立につながることになる。


アーサー・ガルストン
発明品:枯葉剤(オレンジ剤)

2_e43
 アーサー・ガルストンはアメリカの植物学者として植物の成長を助ける方法の研究に身を捧げた人物だ。トリヨード安息香酸(TIBA)という大豆の開花を早めるホルモンの合成に着手するが、これは濃度を高めると落葉を促すものだった。

 そして彼が予想もしなかったことに、細菌兵器を研究する科学者がTIBAに目をつけ、ここから化学兵器を作り出す。オレンジ剤と呼ばれたそれは、ベトナム戦争で枯葉剤として使用された。だがそれだけではなかった。その影響で無数の奇形の子供たちや成人の健康被害までも生み出してしまったのだ。

 これを悔やんだガルストンは、1965年から1971年の禁止にいたるまでオレンジ剤使用に反対するロビー活動を続けることになる。彼は生涯にわたって自らの研究が戦争に利用されたことを悔やんだという。ニューヨークタイムズ紙にこのように語っている。「科学でなされることが必ずしも人類のためになるとは限りませんから。あらゆる発見は善でも悪でもなく、建設的な結果にも、破壊的な結果にもなりうるものだと思います。でも、それは科学のせいではありません」


ミハイル・カラシニコフ
発明品:AK-47

3_e44
 ミハイル・カラシニコフが望んだのは祖国を守ること。それ以上でも以下でもない。そのために彼は当時採用されていたライフルの非効率性や危険性について仲間から話を聞き、一つ一つ確認すると、それを克服したライフルを設計する。その成果が制式名称「7.62mm アブトマット・カラシニコバ」、通称AK-47である。これについてワシンントンポスト紙は次のように要約している。

 「世界で最も普及し、かつ効果的な戦闘兵器。安くかつシンプルであり、各国は鶏1羽よりも安く購入できた」

 低コスト、軽量、過酷な気候条件でも運用可能な銃を開発したことで、カラシニコフはロシアの英雄となり、彼自身長い間それを誇りにしていた。が、不運なことに、テロリストなどの過激派グループが密造するようになると、心境に変化が訪れる。彼はガーディアン紙にこう語っている。

 「自分の発明については誇りに思っています。ですが、テロリストに使われるのは悲しいことです……普通の人々が使えるような、農家の人なんかが作業で使えるような……そう、芝刈り機なんかを作ればよかった」

 2009年の時点で1億丁が生産されたAK-47だが、その半数は密造品である。カラシニコフはこれがもたらした流血に心を痛め、ロシア正教の司祭宛に次のような懺悔の手紙を書いた。
 
 「私の心痛は耐え難いほどです。胸の痛みもそうです。答えを出すことのできない疑問が頭から離れません。私のライフルが人々の命を奪っているのならば、93歳になる農家の息子、正教の忠実なる信徒である私ミハイル・カラシニコフは、人々の死に責任を負っているだろうか、と。たとえそれが敵であったとしても」

 教会は彼を赦し、その献身に礼を述べた。それから6ヶ月後、カラシニコフは息を引き取った。

<script src="http://karapaia.livedoor.biz/js/sp_karapaia_middle_300x250.js"></script>

カムラン・ロフマン
発明品:兵器レベルの唐辛子スプレー

4_e37
 唐辛子スプレーはもともと高潔な目的のために作られた。最初に開発されたのは1960年のこと。アメリカの郵便配達員を犬の襲撃から守るためだった。これが効果的であることが判明すると、80年代にFBIが兵器レベルの威力を持つ唐辛子スプレーの開発に着手。こうしてカムラン・ロフマンが発明したオレオジン・カプシクムは、唐辛子によるヒリヒリ感を起こすものと同じ化合物から抽出された非殺傷性の薬剤であった。

 スコヴィル値530万。自然界に存在する最も辛い唐辛子の5倍である。ロフマンは警察がオレオジン・カプシクムを使用すれば、暴漢を傷つけることなく無力化できると考えていた。失明、呼吸困難、咳といったその効果はいずれも有効でありなら、一時的なものでしかなかったからだ。その安全な使用を主張して、採用された国中の警察区のために使用のガイドラインを記し、それに沿った訓練を施した。ロフマンの告白によれば、20年間で大勢の命を救ってきたという。

 しかし2011年、平和的な抗議集会に対してオレオジン・カプシクムが使用された場面を見て、ロフマンは衝撃を受ける。そして、ウォール街を占拠せよ運動に触れてこう語った。

 「最初に私の頭に浮かんだのは警察でも学生でもありません。自分の子供たちでした。自分の意見を持って座り込み、そして化学薬品で退散させられるのです。こんな使い方は常軌を逸しており、私の知るいかなる訓練や警察のやり方とも違います。80年代初頭から90年代にかけて4,000人の警察官を指導してきましたが、こんなことは初めてです……唐辛子スプレーの開発目的はこのようなものでないと世の中に説明すべき市民としての義務を感じています」

 ロフマンは現在その発明品の適切な使用を促すために多大な時間を費やしている。インタビューはこう続く。

 「今ではますます持て囃されるようになっています……化学薬品を意見を持つ人に使用するのは……本来の使い方でありません。これはどんな問題でも解決してくれるものではありませんし、人々黙らせるためのものでもありません。ただのその場しのぎの道具なんです」


オーヴィル・ライト
発明品:飛行機

5_e35
 ライト兄弟の人類初の有人飛行については誰もが知っているだろう。だが、その後彼らが生涯をかけて、飛行機の平和的な利用を呼びかけていたことをご存知だろうか。2人とも自分の発明品がまさか戦争に使われるとは思ってもいなかったのだ。1909年に飛行機をアメリカ軍に売却したとき、彼らが予測していた使用法は観測であった。しかし、第一次世界大戦を生き延びたオーヴィルは、飛行機がもたらした破壊を目の当たりにする。

 「飛行機が戦争を恐ろしいものにしました。再び戦争をしたいと思う国が存在するとは思えないほどに」

 5年後、あるラジオ放送で彼はこう発言している。

 「飛行機は政府にそれが持つ破壊の力を知らしめ、結局ところ平和を維持する強力な道具となりました」

 だが、第二次世界大戦で爆撃機による荒廃を再び目にすると、自分の発明品がこのように使われることが避けれないと知り愕然とした。死の直前、ある新聞にこう語っている。

 「私たち(彼とウィルバー)は浅はかにもこの世に長い平和をもたらしてくれるような発明をと願っていました。ですが、私たちは間違っていたのです」


ジュリアス・ロバート・オッペンハイマー
発明品:原子爆弾

10_e25
 アインシュタインが原爆を開発したことを後悔していた事実は有名だ。だが、原爆の開発に携わったのは彼1人ではない。「原爆の父」として知られるロバート・オッペンハイマーもまたそこにいた。

 才能豊かな物理学者として核の動きを研究し、同時にヒンドゥー教の精神にも惹かれていた彼は、天体物理学、核物理学、量子力学などの理論物理学を推し進めようとするアメリカに大きな貢献を果たしている。彼の研究は、今日ブラックホールと呼ばれる現象の下地を作ったが、第二次世界大戦が勃発すると、これに終止符を打つ手段として精力的に原爆の開発を行うようになる。

 ロスアラモス国立研究所の初代所長としてマンハッタン計画に参加する一流の物理学者をスカウトし、同時に自らは原爆を刺戟する中性子連鎖反応を研究した。その成果が人類最初の核実験「トリニティ実験」だ。その爆発はTNT爆薬18,000トン相当したという。

 オッペンハイマーはこの実験を忘れることができず、あるテレビ番組でこのように話している。

 世界が変わってしまうことに気がついていました。何人かが笑い、何人かは泣いた。が、ほとんどは黙ったままでした。ヒンドゥー教の聖典『バガヴァッド・ギーター』の一節にこうあります。『ヴィシュヌは王子に義務を果たすよう説得するため恐ろしい姿に変身し、『我は死神なり、世界の破壊者なり』と語った』と。

 私たち全員がそれぞれにそんなことを考えたのではないでしょうか……俗っぽさも、ユーモアも、誇張でも消すことができない身も蓋もない意味で、物理学者は罪を知りました。これを拭い去ることはできません。

 その威力を目の当たりにしたオッペンハイマーは原爆の国際的な管理を訴えるようになり、やがて原子力委員会のアドバイザーに就任する。原爆開発に強く反対した彼であったが、共産党とのつながりから、政府は機密の流出を懸念。結局彼の主張は潰され、公職から追放される。その後、自らの招いた結果を忘れず、一生に渡って悔やむことになる。

no title
 ここで紹介したいずれの科学者や発明家もその発明品がもたらした結果について責任を負わない。だが、私たちはこうした科学技術が道を踏み外すことを防ぐことはできるのだろうか? 元ネイビーシールズのクリス・ファッセル氏が、ネットワークの時代において科学技術の進歩は我々が制御できる速度を超えていると主張している。

☆全部、知っとった!

おもしろ雑貨をお探しの方はここをクリックしてね!