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2016年夏、ゴジラの最新作である「シン・ゴジラ」が公開される。実は私の住む栃木県宇都宮市で9月20日、主要道路が長時間封鎖される大規模ロケが行われており(映画内では大田区の設定となるらしい)、今から公開が待ち遠しいわけだが、東宝が1954年(昭和29年)に公開し、その後続編が作られていった特撮怪獣映画「ゴジラ」は、日本のみならず世界中にコアなファンが多い。
東京を破壊しまくる架空の怪物「ゴジラの誕生」は、映画プロデューサーの田中友幸氏が太平洋を超え日本に帰る飛行機の中で思いついた恐竜がきっかけだった。
米アーカーソン州ヘンドリック大学の歴史学教授であるウィリアム・ツツイ氏もゴジラに魅了された1人だ。ツツイ氏は、『Godzilla On My Mind: 50 Years of the King of Monsters』(ゴジラを思う:モンスターの王としての50年間)という本も出版している。氏はゴジラの魅力をこう語っている。
1954年に世に送り出されたゴジラの映画は大ヒットを記録し、その後30本の映画が製作されるほど大人気となった。その人気の理由は、子供時代に夢中になった恐竜への憧れからきているとツツイ氏は語る。
「東京を破壊することに全力な放射能を浴びて巨大化したトカゲ。戦後日本の架空の世界から飛び出したゴジラは、世界的なアイコンへと変化をとげているが、その理由はいったい何なのか?私も含め、ファンは未だに着ぐるみを着た俳優がオモチャの街を破壊するのワクワクしながら見ているが、その魅力とは何なのか?なぜこれほどまでに人気があるのか?」
アメリカの核実験とゴジラの不気味な類似点
映画『放射能X』、古代の巨大生物が米軍を襲う映画『極地からの怪物 大カマキリの脅威』、これらのモンスター映画は、冷戦時代の緊張感と中級階級のアメリカ人が抱える不安から着想を得て出来た映画だとツツイ氏は語る。
『ゴジラ』もまた、政治の権力と原爆への恐怖に影響を受けたモンスター映画である。1954年3月、日本の漁船が、マーシャル諸島周辺で行われていたアメリカの核実験テスト領域に迷い込んでしまった。乗組員たちは大量の放射能を受け、死亡した者もいた。また放射線を受けたマグロも市場に出荷され、メディアが“またしても日本に原爆”と騒ぐほどであった。
この映画は、そうした不気味な類似点がある。1954年11月の初版では、アメリカ人が核実験中にゴジラを攻撃している。その後、ゴジラは科学者が秘密の武器を開発して東京を破壊する前に東京を破壊しつくす。
オリジナル版は「米国の規制のない核実験への批判で溢れていた映画」で、重苦しく厳重な雰囲気をかもし出していたとツツイ氏は話す。
映画館でこの映画を見た人は涙を流しながら劇場を後にしたという。しかし、映画は同時に浄化剤でもあり心の癒しともなった。
この映画の最後は、秘密兵器を使って日本を壊す、という設定から兵器を使って東京を救う、というふうに書きかえられた。
しかし、ゴジラの製作者たちは別の視点を持っていた。ゴジラは戦争で殺された日本兵の魂であると。「彼らを忘れようとしている日本国に帰り、認知されることを待ち焦がれていた魂」とツツイ氏は説明してくれた。
日本経済成長に伴いゴジラは破壊者から国を守る防衛者へ
アメリカのテレビなどでゴジラの生みの親として紹介されるのは円谷英二であることが多いが、ゴジラの基本設定を思いつき、実際の企画を立ち上げたのは田中友幸氏である。
田中氏は、この映画のキャラクターにゴジラと名づけた。この名は「ゴリラ」と「クジラ」を掛け合わせたもので、当時東宝演劇部にいた「グジラ」(クジラが好きなゴリラみたいな容貌の男性)から着想を得ているという。
そして、大幅に書き換えられた『怪獣王ゴジラ』(『ゴジラ』(1954年)の海外版)は1956年に公開され、アメリカ人たちを大いに魅了し、日本の動向を映し出したゴジラは続編を次々と生み出していった。
1960年代、日本は高度経済成長期の真っ只中で人々も楽観的であった。彼らが求めていたものは、もはや巨大な怪獣によって破壊される国ではなかった。
「そのため、ゴジラの位置づけも変化し、破壊者から国を守る防衛者へと変わっていった」 とツツイ氏は語る。興味深いことに、この映画製作者たちの多くはアダルト業界出身だった。その理由をツツイ氏はこう説明している。「スタジオ側は60秒間、何もアクションがなければ、観客たちは劇場を去ってしまう、という事実を理解していた」 と。
後半に作られた映画ではその事実は曖昧となっているが、ゴジラはもともとは恐竜であった。第一作目の映画では、科学者たちがゴジラのことを“海洋爬虫類と進化途中の陸生動物の狭間にいる”過渡期の生物と呼んでいる。
1954年の映画製作者たちは、米『Life』雑誌に描かれていた恐竜のイラストを参考にしてゴジラのデザインを考えた。余談だがゴム製の着ぐるみを外国人俳優が着用するにあたって、しりの部分をもっと大きくする必要があったという。それ以上に、後の映画に登場するゴジラと戦う多くの生き物も恐竜に見える。
ゴジラがこれほど人気を博しているのは、子供の頃に抱いた恐竜への憧れからきているのかもしれない。ツツイ氏はそう確信しはじめた。「ゴジラは子供時代を思い出させてくれます。あの頃は純粋で、ゴム製の怪獣たちが攻撃を繰り広げる様子を素直に楽しむことができました」。
ゴジラは古生物学者でさえ虜にしてしまう。
ユタ州立大学の古生物学主任のケン・カーペンターもゴジラファンの1人である。彼は1997年、二足歩行の恐竜の属に“ゴジラサウルス”と名づけている。また、ゴジラ映画に関する科学論文もいつくかある。"Godzilla from a zoological perspective(動物学からみたゴジラ)"と "The Science of Godzilla(ゴジラに関する科学)"である。
最後に、ツツイ氏はゴジラのことをこう表現している。
ゴジラは怒り狂った生き物で、全てのルールを無視し生き延びている。「歩く災害」のごとく、その足跡には破壊された道しか残らない。それでも、ゴジラが象徴しているのは、「恐怖」や「憎しみ」だけでなく「敬慕の念」「畏怖」「喜びのような不思議な興奮」でもあると。
ゴジラ 全28作総集編(完全保存版)
via:livescience
☆28作もあったのか!
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2016年夏、ゴジラの最新作である「シン・ゴジラ」が公開される。実は私の住む栃木県宇都宮市で9月20日、主要道路が長時間封鎖される大規模ロケが行われており(映画内では大田区の設定となるらしい)、今から公開が待ち遠しいわけだが、東宝が1954年(昭和29年)に公開し、その後続編が作られていった特撮怪獣映画「ゴジラ」は、日本のみならず世界中にコアなファンが多い。
東京を破壊しまくる架空の怪物「ゴジラの誕生」は、映画プロデューサーの田中友幸氏が太平洋を超え日本に帰る飛行機の中で思いついた恐竜がきっかけだった。
米アーカーソン州ヘンドリック大学の歴史学教授であるウィリアム・ツツイ氏もゴジラに魅了された1人だ。ツツイ氏は、『Godzilla On My Mind: 50 Years of the King of Monsters』(ゴジラを思う:モンスターの王としての50年間)という本も出版している。氏はゴジラの魅力をこう語っている。
1954年に世に送り出されたゴジラの映画は大ヒットを記録し、その後30本の映画が製作されるほど大人気となった。その人気の理由は、子供時代に夢中になった恐竜への憧れからきているとツツイ氏は語る。
「東京を破壊することに全力な放射能を浴びて巨大化したトカゲ。戦後日本の架空の世界から飛び出したゴジラは、世界的なアイコンへと変化をとげているが、その理由はいったい何なのか?私も含め、ファンは未だに着ぐるみを着た俳優がオモチャの街を破壊するのワクワクしながら見ているが、その魅力とは何なのか?なぜこれほどまでに人気があるのか?」
アメリカの核実験とゴジラの不気味な類似点
映画『放射能X』、古代の巨大生物が米軍を襲う映画『極地からの怪物 大カマキリの脅威』、これらのモンスター映画は、冷戦時代の緊張感と中級階級のアメリカ人が抱える不安から着想を得て出来た映画だとツツイ氏は語る。
『ゴジラ』もまた、政治の権力と原爆への恐怖に影響を受けたモンスター映画である。1954年3月、日本の漁船が、マーシャル諸島周辺で行われていたアメリカの核実験テスト領域に迷い込んでしまった。乗組員たちは大量の放射能を受け、死亡した者もいた。また放射線を受けたマグロも市場に出荷され、メディアが“またしても日本に原爆”と騒ぐほどであった。
この映画は、そうした不気味な類似点がある。1954年11月の初版では、アメリカ人が核実験中にゴジラを攻撃している。その後、ゴジラは科学者が秘密の武器を開発して東京を破壊する前に東京を破壊しつくす。
オリジナル版は「米国の規制のない核実験への批判で溢れていた映画」で、重苦しく厳重な雰囲気をかもし出していたとツツイ氏は話す。
映画館でこの映画を見た人は涙を流しながら劇場を後にしたという。しかし、映画は同時に浄化剤でもあり心の癒しともなった。
この映画の最後は、秘密兵器を使って日本を壊す、という設定から兵器を使って東京を救う、というふうに書きかえられた。
しかし、ゴジラの製作者たちは別の視点を持っていた。ゴジラは戦争で殺された日本兵の魂であると。「彼らを忘れようとしている日本国に帰り、認知されることを待ち焦がれていた魂」とツツイ氏は説明してくれた。
日本経済成長に伴いゴジラは破壊者から国を守る防衛者へ
アメリカのテレビなどでゴジラの生みの親として紹介されるのは円谷英二であることが多いが、ゴジラの基本設定を思いつき、実際の企画を立ち上げたのは田中友幸氏である。
田中氏は、この映画のキャラクターにゴジラと名づけた。この名は「ゴリラ」と「クジラ」を掛け合わせたもので、当時東宝演劇部にいた「グジラ」(クジラが好きなゴリラみたいな容貌の男性)から着想を得ているという。
そして、大幅に書き換えられた『怪獣王ゴジラ』(『ゴジラ』(1954年)の海外版)は1956年に公開され、アメリカ人たちを大いに魅了し、日本の動向を映し出したゴジラは続編を次々と生み出していった。
1960年代、日本は高度経済成長期の真っ只中で人々も楽観的であった。彼らが求めていたものは、もはや巨大な怪獣によって破壊される国ではなかった。
「そのため、ゴジラの位置づけも変化し、破壊者から国を守る防衛者へと変わっていった」 とツツイ氏は語る。興味深いことに、この映画製作者たちの多くはアダルト業界出身だった。その理由をツツイ氏はこう説明している。「スタジオ側は60秒間、何もアクションがなければ、観客たちは劇場を去ってしまう、という事実を理解していた」 と。
後半に作られた映画ではその事実は曖昧となっているが、ゴジラはもともとは恐竜であった。第一作目の映画では、科学者たちがゴジラのことを“海洋爬虫類と進化途中の陸生動物の狭間にいる”過渡期の生物と呼んでいる。
1954年の映画製作者たちは、米『Life』雑誌に描かれていた恐竜のイラストを参考にしてゴジラのデザインを考えた。余談だがゴム製の着ぐるみを外国人俳優が着用するにあたって、しりの部分をもっと大きくする必要があったという。それ以上に、後の映画に登場するゴジラと戦う多くの生き物も恐竜に見える。
ゴジラがこれほど人気を博しているのは、子供の頃に抱いた恐竜への憧れからきているのかもしれない。ツツイ氏はそう確信しはじめた。「ゴジラは子供時代を思い出させてくれます。あの頃は純粋で、ゴム製の怪獣たちが攻撃を繰り広げる様子を素直に楽しむことができました」。
ゴジラは古生物学者でさえ虜にしてしまう。
ユタ州立大学の古生物学主任のケン・カーペンターもゴジラファンの1人である。彼は1997年、二足歩行の恐竜の属に“ゴジラサウルス”と名づけている。また、ゴジラ映画に関する科学論文もいつくかある。"Godzilla from a zoological perspective(動物学からみたゴジラ)"と "The Science of Godzilla(ゴジラに関する科学)"である。
最後に、ツツイ氏はゴジラのことをこう表現している。
ゴジラは怒り狂った生き物で、全てのルールを無視し生き延びている。「歩く災害」のごとく、その足跡には破壊された道しか残らない。それでも、ゴジラが象徴しているのは、「恐怖」や「憎しみ」だけでなく「敬慕の念」「畏怖」「喜びのような不思議な興奮」でもあると。
ゴジラ 全28作総集編(完全保存版)
via:livescience
☆28作もあったのか!
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