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ギガントピテクス・マンモス・タスマニアタイガーなど、近年解き明かされた7つの歴史的ミステリー

2017年12月13日 | 世界びっくりニュース
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 不思議・謎・ミステリー。これらの言葉を聞いただけでワクワクするし、それらがこっちにおいでと手招きをする。
 「解けるものなら解いてごらん?」と挑戦状をたたきつけられているようで、「よ~し我こそがその謎を解き明かしてやろうじゃんよ」と、様々な文献を調べたり情報を漁ったり、うっかり本来するべきの仕事をするのを忘れてしまいそうになりがちだ。
 人類は、謎を解明することで、文明を切り開いていった側面もある。答え探しはときに裏切られた結果になり「知らなきゃよかった」になることもあるが、長年の謎がやっと解き明かされたその瞬間は、喉のつかえがとれたかのようなすっきり感をもたらしてくれるものだ。

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1. マンモスの遺骸の70%近くがオスである理由


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 2017年、なぜ、見つかっているマンモスの遺骸の70%近くがオスなのか? という疑問に答えが出た。
 スウェーデン自然史博物館が主導する研究チームが、出生時の性差比率はオスメスほぼ等しいのに、マンモス社会の序列や生活環境のせいで、性差に偏りが出るようになったと結論づけたのだ。
 現代のゾウと同じように、毛むくじゃらのマンモスも、年老いたメスリーダーに率いられた群れで生活していた。群れはほとんどメスと子どもばかりで構成されている。
 オスは大人になると群れを追い出されてひとりで生きるか、独身のオス同士でグループをつくる。群れの庇護もなく、メスリーダーの経験則も知らないまま、若いオスたちはリスクの高い行動に身を投じていく。
 こうした行動が結果的により多くの死を招き、遺骸がうまいこと保存されて現代までいい保存状態で残ったというわけだ。
 一匹狼のオスマンモスは、陥没穴や沼地、クレバスなどの自然の死の落とし穴の犠牲になることが多かったため、彼らの遺骸はそれほど損なわれることなく地中深くに埋まったままになった。多くのマンモスのメスを含め、ほかのほとんどの氷河時代の生き物たちと違って、気候や環境の変化から守られたといえる。

2. 72年経ってようやく発見された重巡洋艦インディアナポリス


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image credit:youtube

 1945年のインディアナポリスの沈没は、アメリカ海軍史上単独船での最大の死者数につながった。この船はあの原子爆弾"リトル・ボーイ"の部品をテニアン島のアメリカ空軍基地へ運ぶという極秘任務を担っていた。

 その後すぐに、フィリピンに向かう途中で日本の潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈み、1196人の乗組員のうち、生存者は316人だけだった。
 インディアナポリスは、映画『ジョーズ』の中にも出てくる。クイント船長はインディアナポリスの生き残りという設定で、海に投げ出されて4日間漂流して救助される前に船員たちがサメの餌食になったという当時の話をする場面が出てくる。
 インディアナポリスは、遭難信号を発する前にわずか12分で沈み、グアムとフィリピンの間のどこかの海底に眠ったままになっていた。
 それから20年以上がたち、現代の技術を使って、二度ほど遠征隊がインディアナポリスの残骸を発見しようとしたが失敗。
 だが、2016年に、インディアナポリスが攻撃される11時間前に別の船のそばを通過したという新たな事実がわかり、この船のルートを手がかりに再び探索が行われ、沈没船のおおよその位置を特定した。

An Exclusive First Look Inside USS Indianapolis Wreckage Underwater | TODAY


 マイクロソフトの共同経営者ポール・アレンが捜索資金を提供し、2017年8月、ついに北太平洋の水深5500メートルのところに眠るインディアナポリス本体が発見された

3. 兵馬俑の色の謎


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image credit:TOM WALLACE – STAR TRIBUNE"

 2200年前に極彩色で塗られていたというあの有名な兵馬俑の謎が解けたという。

 1974年に発見された兵馬俑は、9000体近くのおびただしい数の兵士、馬車、馬の兵馬俑(テラコッタ)が居並ぶ一大軍隊で、中国初の皇帝である始皇帝が死後の世界でも彼に仕える皇宮警護として作らせ、彼のそばに埋められたもの。

 発見されたとき、いくつかの像には色素と結合剤の断片がまだわずかに残っていた。2000年以上も地下の水分が浸み込んだ沈殿物の中に埋まっていた像としては極めて珍しいことだ。

 色素原料は、朱、藍銅鉱、孔雀石などの無機化合物であることがわかっているが、結合剤の成分と、どのように塗料として使ったのかは、詳しいことは謎のままだった。

 その答えを出すために、マトリックス支援レーザー脱離イオン化飛行時間型質量分析法(MALDI-TOF-MS)という最新技術を利用した。

 高感度の機器でかすかに残っていた結合剤の正確な成分をはじき出した。この結果を、各標本のタンパク質を特定するペプチド・マス・フィンガープリンティング技術により、"人工的に成熟させた"期間的に正しい結合剤のサンプルと比較した。
 研究によると、古代秦王朝の職人はまず像に漆を1~2回塗り、その後で多彩な色を直接塗ったか、動物性の”にかわ”から作った結合剤を使ったということが判明した。

4. ギガントピテクスが絶滅した理由


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image credit:dinoanimals

 ギガントピテクスはかつて地球を闊歩していた最大の霊長類であると言われているが、化石がほとんどなく、その正確な大きさについてはよくわかっていない。

 身長1.8~3メートル、体重200~500キロくらいだと言われているが、顎と歯がただ大きいだけで、実際の体格はゴリラ程度であったと考える研究者もいる。

 彼らが生存していた期間もはっきりせず、約100万年前からとも30万年前とも、約900万年前から10万年前くらいまでとも言われており諸説ある。

 わからないことが多いままだが、ドイツの人類進化と古環境の研究チームは、せめてギガントピテクスが滅びた謎についてはっきりさせようとしている。

 研究チームによると、やはり適応能力がなかったせいで滅びたのだという。

 化石の歯のエナメル質を調べると、ギガントピテクスが草食だったことがわかるが、ほかの研究者が指摘するように竹しか食べなかったため、居住地が森に限られていた。

 ところが、更新世の時代、ギガントピテクスが生息していた中国やタイの広大な森はサバンナになってしまった。これが彼らの食料源に大きな影響を与え、新しい食べ物に適応できる前に滅んでしまったという。

5. チベット古代人大移動の謎


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 ワシントン州立大学の新たな農業研究は、4000年前のチベット高原周辺であった明らかな大移動の謎について答えを模索している。

 ジェイド・ダルポイム・グエデス率いる考古学チームによると、気候変動が東チベットの高地に住んでいた古代人たちを大移動させた可能性があるという。

 おもな食料源であるキビやアワなどの雑穀を育てることができなくなったためだ。栽培されていたアワやキビは、この地域の主流穀物だったが、考古学的な証拠からは、時代は完新世の気候最温暖期として知られる暖かな時代が終わりへと向かっていたことがうかがえる。

 その後、地球全体の気温が下がり、チベット農業に打撃を与えた。アワやキビは気温が高くないと栽培が難しいため、食べ物が不足したことで、人々はますますより条件のいい場所へ移動せざるをえなくなった。300年以上たってから、低温にも強い小麦や大麦が導入されてすぐにメインの穀物になったため、やっとこの地域が復活し始めた。

 チベット高原は、現在地球上でもっとも早く気温が上昇する地域のひとつなので、古代のキビやアワの種が近い将来、戻ってくる可能性はある。


6. タスマニアタイガーがタスマニアで生き残っていた理由


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image credit:Baker, E.J. Keller

 タスマニアタイガーとしても知られるフクロオオカミは、1936年に飼われていた最後の個体が死に、その後も目撃情報が相次いだものの、どれも確証はなく正式に絶滅が宣言された。

 タスマニアタイガーの生存がはっきりしない中、研究者たちは別の謎を解き明かそうとした。それは、オーストラリア本島では数千年前に死滅したはずなのに、なぜ、タスマニアで生き残っていたのかという謎だ。

 オーストラリアで病気が流行って打撃を受けたという説や、タスマニアにはいないディンゴとの競争に負けたという説が唱えられた。

 しかし、アデレード大学の研究者は、気候変動、特にエルニーニョによる旱魃が、オーストラリアでの絶滅を引き起こしたのではないかと主張する。

 古代DNAオーストラリアセンターの研究者は、タスマニアタイガーの化石のゲノムから、新たなDNA51の配列を特定した。この発見によって、南オーストラリアのタスマニアタイガーは、およそ2万5000年前に西と東に分かれたことが判明した。

さらに、干ばつはタスマニアの個体数にも影響を与えたが、オーストラリアよりも降水量が多かったため、島が守られたことがわかった。そのため、18世紀にヨーロッパ人がやってくる前に数が戻ったという。

7. 400年前のアメリカ最古の未解決殺人事件


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image credit:Preservation Virginia

 1607年、バージニア州ジェイムズタウンは、アメリカ初のイギリス人入植地になった。ジェイムズタウン再発見プロジェクトが、もともとあったジェイムズ砦の遺構を明らかにする活動を主導して以来20年、ここはアメリカ植民地考古学の最先端だった。もともとは10年のプロジェクトの予定だったが、新しい人工物や情報が次々出てきたため、長引いている。

 1996年には、若い男性の遺骨が発見され、JR102Cと番号がつけられた。彼は右足を撃たれていて、鉛の弾丸が遺体のそばで発見された。400年前の彼の死は、未解決の殺人事件となった。

 この男性の発見から17年、2013年に法医学者が犠牲者だけでなく、殺人者も特定したと発表した。JR102Cは決闘の末、撃たれたことは間違いなさそうだった。

 膝の横を撃たれていたため、横向きに構えていたと思われた。記録やその他の証拠から、JR102Cはジョージ・ハリソン(George Harrison:ビートルズのメンバーではない。ハリスンとも発音する )という名前の男で、殺したのはリチャード・スティーヴンスという商人だとわかった。

 ふたりは1624年に決闘し、スティーヴンスがハリソンの足を撃ち、ハリソンはその後、失血死したようだ。

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