NHKの大河ドラマ『どうする家康』が終わった。脚本家も演出家も、このドラマで何が伝えたかったのか、最後までよく分からなかった。「戦なき世をつくる」ことを目指して、家康が生きてきたのなら、秀頼の下で太平の世の礎となっても良かったはずだ。
「戦なき世をつくる」ためには、長期に安定政権が必要と言うことなのか。日本は戦争に負けて、「2度と戦争をしない」約束の下、保守系の政権が長期に続いてきた。戦後の復興を、政府も国民もあらゆる人々が一丸となって、成し遂げてきた。
戦争の無い、経済的に恵まれた、そんな土台の上に豊かな生活を築いてきた。人々は「法の下に平等」を謳歌し、その価値観は広く定着した。そしてさらに、男女の平等に止まらず、障がい者や男女の性に区別されない人々も含め、あらゆる差別の撤廃に突き進んでいる。
理想的な社会に向かっているはずなのに、政権与党の自民党は派閥の裏金作りに明け暮れている。「秘書や事務方がやった」ことにして、政治家本人に責任が無かったような演出になってきた。岸田内閣の支持率は下がる一方なのに、政権交代の世論は一向に沸いてこない。
民主主義の先進であるアメリカも欧州も、自国を最優先に考える保守派が増えているのはどうしてなのだろう。「自由・平等・博愛」はどこへ行ってしまったのか。強権的な政権を打ち立て、有無を言わさずに理想国家を創り出せばいいと、人々が言い出すようになったなら、地獄だと思うのは私だけなのか。
世界を見れば、「戦なき世」はまだ実現していない。戦争こそない日本だが、豊かなのに貧困で苦しんでいる人もいる。満たされなくて、人を殺してしまう愚かな人もいる。どんなに時が流れ、人々の知恵が蓄積されても、欠陥は必ずどこかにあるのだろうか。