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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

子どもたちの方が大人になっている

2022年11月19日 18時00分54秒 | Weblog

 空はよく晴れていた。土曜日は井戸掘りだと思っていたのに、先輩から連絡が無い。思い切って電話をすると、「向こうから連絡が無いので、今日は行かない」と言われた。それならせっかくの晴天だからとルーフバルコニーに出た。

 今年咲いたチューリップの中で、来年も咲きそうそうな球根を選んで鉢に植えた。秋に新しい球根を買わなかったから、来年の春でチューリップも最後となるだろう。それでもまだ、土を入れ替えていつでも植えられる鉢がまだ6鉢もある。

 何も植えてないのは余りに寂しい。そう思ってカミさんに相談すると、「買いに行こう」と言う。「午後では、いい花が残っていないのでは」とカミさんは心配したが、行ってみると花を買いにたくさんの人が来ている。

 一宮や春日井ナンバーの車も駐車している。不思議だが、私も一宮まで花の苗を買いに行っていたから、同じだ。人にはそれぞれ、思いがあるのだ。パンジーを箱買いした。1箱で24株入っていたから丁度よい数だ。

 「一宮の店なら28株で売ってたよね」とカミさんが言う。よく覚えていると感心する。私は几帳面だが、お金のことはズボラだ。「値打ちに買う努力をしない。合理的に考えて行動しない。一度にやればいいのに、平気で何度もやる」と、よく注意される。

 人の性格はなかなか変わらない。カミさんが大切に思うことと、私が大切に思うことは大きく違う。歳を重ねてきたのに、最近、ますますその傾向が互いに強くなっている。見て見ぬふりをすることが円満の秘訣と人生相談でも回答している。

 娘たちに、「相手に対する思いやりを欠いてはダメ。干渉は思いやりでは無いからね」と伝えてきただろうかと思う。結婚してからは何かを相談されることも無いし、こちらから言うようなことも無かった。

 充分な大人に今更何をか言わんと思う。むしろ、娘たちの方が「こうした方がいいんじゃーない」とやんわりと伝えてくれる。子どもたちの方が大人になっていることに感謝である。

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戦場にロマンスも必要でしょう

2022年11月18日 18時05分41秒 | Weblog

 各国の首脳が集まって会談を重ねている最中に、北朝鮮は弾道ミサイルを打ち上げた。まるで、「オレの存在を無視しないで!」と、駄々っ子のようだ。同じテーブルに着きたければミサイル発射を止めるべきだが、それでは己の立場が弱くなると恐れているのだろう。

 「国民の命と安全を守る」ことを政治生命としている各国の首脳たちも、北朝鮮やロシアの国民の命と安全も考えて欲しいものだ。もう、自国だけ良ければいい時代ではない。アメリカの景気の後退が各国の景気に影響している。製品の往来が世界に広がっているためだ。

 14億人を抱える中国市場を、世界中の企業が狙っている。中国もまた世界に進出しようとして、各国の企業と競争での勝利を目指している。これが世界の現実なのだから、どこの国はいいがどこの国は悪いとは言えない。みんな自国が可愛いのだ。うまくことが運ぶためには、譲ることも大事な戦略なのだろう。

 年寄りの私としては、戦争だけは避けて欲しい。「戦争になっても、今の若い人は戦争に行かないでしょう。80代の年寄りなら、まだお国のために戦う意識が残っているかも知れないけど」とバアバが言う。「冗談じゃーない。こんなヨボヨボの年寄りが戦場に行っても役に立たないよ」と、ジイジは否定する。

 「今はボタンを押すだけなんだから、年寄りでもいいじゃーないの」と、バアバは戦場へ送り込もうとする。「介護保険や年金制度の見直しが問題になっているのも、年寄りが多過ぎるせいなんだから、年寄りを戦場に送れば一石二鳥じゃーない」と、得意そうに言う。

 「女は銃後の守りか?」とジイジが言えば、「もちろん私たちはナイチンゲールよ。戦場にロマンスも必要でしょう」とニタリと笑う。物騒な世の中だけでなく、薄気味悪い世の中になって来た。クワバラ、クワバラ。クワバラの意味がまだ分からない。誰か教えて!

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その過程で大切なのは個人の自由だろう

2022年11月17日 17時59分46秒 | Weblog

 インドネシアで開かれていた20カ国・地域首脳会議(G20サミット)が、宣言を採択して閉幕した。ウクライナ問題で採択できないのではないかとも言われていたが、実効性はともかく採択できたことはよかったのではないかと思う。

 首脳たちは何よりも自国の利益を優先する立場にあるから、何を決めようと自国の利益にならないことには賛成しない。賛成できなくても反対しない、そういう同調の仕方もあるようだ。いずれにしても各国が話し合うことが世界の平和には必要なことだ。

 資本主義経済は貧富の差を生み出すから、国が計画を立てる計画経済にすれば国民を幸せにできると言われた。計画経済は資本主義経済のような無駄を生まないから、すぐに資本主義国家に追いつき追い越すだろうとも言われた。

 けれど、共産党が政権を握り経済活動を管理する社会主義国家は、官僚独裁とはなったが理想国家の建設には成功しなかった。中国は共産党独裁だが、資本主義経済国家である。経済活動を国家が管理運営することは、無理だと歴史が教えている。

 アメリカの中間選挙で、意外に共和党が伸び悩み民主党と共和党が伯仲する結果となった。若い人の投票が民主党を支えたと言われている。民主党は物価高を抑えきれないし、ウクライナへの軍事支援は続けるというのに。

 共和党は自由経済を支持して、競争がアメリカ経済を救うと考えている。そして、ウクライナへの軍事支援には反対している。日本もアメリカも、若い人は政治に無関心だ。どの政党が政権を握っても大して変わらないと信じている。

 どういう社会が幸せなのか、試行錯誤を繰り返しながら築いていくのかも知れない。しかし、その過程で大切なのは個人の自由だろう。個々の人間がそれぞれに生きて、他の人を傷つけることがなくそれぞれが認め合える社会になって欲しいと思う。

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ふたりの性格の違いを再確認する

2022年11月16日 18時15分25秒 | Weblog

 「市役所に届けるものがあるから、その後、あなたが見たいと言っていた美術館巡りをしない」と、カミさんが言う。こんなに天気が良い日は、家に閉じこもっているより外へ出かけた方がいい。

 市役所の北側駐車場は満車だった。玄関でカミさんを降ろして、ぐるりと南側駐車場へ回って探す。丁度、1台空いたのでそこに駐車した。ここではカミさんが気が付かないだろうと思い、車を降りようとして慌てた。カギはカミさんが持っているのでロックできない。

 カミさんは用事を済ませて出てきても、車が見当たらないから右往左往するだろう。急いで降ろした玄関ロビーに行ってみたが居ない。すぐに終わると言っていたが、おしゃべりでもしているのか、そう思ってロビーでウロウロして待った。

 30分過ぎてもまだ出てこない。1時間経ってケイタイに電話してみた。会議中だったら悪いと思い、短めに切った。1時間10分経ち、いくら何でも遅すぎる。今度は長く呼び出したが、「お出になりません」となる。

 いったいどうしたのかと、待っているとケイタイが鳴った。「もしもし、どこにいる?」とカミさんの声。「こちらが聞きたいよ」と問い返すと、「車の中」と答える。カミさんは「車が無いので本屋にでも行ったのかと思い、本屋まで探しに行った。どうして駐車場で待っててくれないの」と怒る。

 「市役所の隣の喫茶店にいるのかと探していたら、車が止まっていたので、中を見たら、あなたが居なくて私の袋が置いてある。中にカギもケイタイも入っていたよ。本当にもう疲れちゃった」と怒りをぶつけてくる。

 稲沢市荻須記念美術館へ着くまで、カミさんとは話もしたくなかった。美術館で開催されている「藤島武二スケッチ百花」を見て、隣接する広い公園を散歩した。森の中でたくさんの鳥の声を聞く。青い空に黄色くなったメタセコイアがきれいだった(写真)。気分も晴れ、次の一宮市三岸記念美術館へ向かった。

 

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みんな一緒は幻想なのかも知れない

2022年11月15日 18時10分38秒 | Weblog

 朝晩は冷え込むようになってきたが、日中は暑いくらいだった。テレビでは各地の行楽地が賑わっていた。家族連れとか恋人たちは、せっかく気持ちの良い秋晴れに出かける気持ちになったのだろう。

 カミさんは朝早くからゴルフに出かけて行ったが、私は家に籠ってあれこれとやっていたらお昼になってしまった。井戸掘りの道具に必要な物を見て来たいと思い、それならいつも行く喫茶店で玉子サンドとコーヒーにしようと出かけた。

 喫茶店は相変わらず年寄りばかりだ。高齢の夫婦は別々に週刊誌を見入っている。何人かいる男性はいずれも高齢で、新聞や週刊誌を見ている。ふたりの高齢の女性は、盛んに息子や孫の話をしている。

 午後1時過ぎに入店して来る客も高齢の男性ばかりで、コーヒーを注文してお目当ての週刊誌を探している。喫茶店に置いてある週刊誌は、気楽に読めるものやヌード写真が満載のものが多い。家では見られないから、喫茶店で読もうということだろう。

 若者は喫茶店には来ないのだろうか。そう言えばコンビニへ寄ったら、駐車場にたくさん車が止まっていたのに、店内の客は私ともうひとりだった。いったいどこに居るのだろう。車の中で食事をしたり、スマホを見たり、そんな人もいた。

 テレビで暮れのボーナスが話題になっていたが、多少金額は増えるようだが、大手と中小では開きが大きいと言う。若い人たちは文句も言わずに黙って働き、何を楽しみにしているのだろう。

 周りのみんなが自分とそんなに変わりなければ、それで安心なのかも知れない。文句を口にしたところで、事態は変わる訳でもなく、社会全体が大して違わないのなら、「これが普通ですよ」ということかも知れない。

 長女のダンナが言っていた、日本中を旅していたユーチューバー男女の女性が膵臓ガンに罹り、余命いくばくも無いことがテレビで取り上げられていた。このまま放置しておくのか、たとえ1週間でも生き延びるために手術を受けるのか、悩むところだ。

 みんな大して変わらないように見えても、実はそれぞれ違う。みんなと一緒ならというのは、幻想なのかも知れない。

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昔は精神主義だったんだ

2022年11月14日 17時43分17秒 | Weblog

 天気予報通りちょっと寒くなってきた。風が吹いているので、ルーフバルコニーに出るのをためらう。夕方の空は赤くてキレイだ。けれど、以前は鳴いていたカラスがいない。夕焼けの空を背景にカラスが2羽、カアーカアーと鳴きながら飛んでいたのに、今日はどこからも聞こえてこない。

 童謡の「カラス なぜなくの」を歌ってみる。作詞は野口雨情で、大正10年(1921年)に発表された。子どもの頃夕方になると、そろそろ家に帰ろうと歌っていた気がする。けれど、この童謡の題名は『カラス』だったか、『カラスの子』だったか、歌は覚えているのに題名が出てこない。

 何度か歌っていて、『7つの子』だっと思い出した。夕方の情景と歌の雰囲気がピッタリ合うから、つい口ずさんでしまうのだろう。親カラスは腹を空かした子カラスが待っている巣に、カアーカアー鳴きながら帰っていく、そんなカラスの親子の情愛を歌っているのだと思っていた。

 大きくなって、カラスの寿命は鳥類の中では長い方だが、せいぜい7年から8年と知って、古巣で待っている「7つの子がいるからね」は辻褄が合わないと思った。「7歳ではなく7羽」と言う人もいたが、巣の中に7羽もいるはずがない。しかし、何となく物悲しくて暖かい童謡にケチをつける必要はないかと思い直した。

 これから秋らしく、朝晩は冷え込むらしい。寒い朝はフトンから出るのがつらい。なぜか吉永小百合さんが歌った『寒い朝』を思い出した。でも、何を歌ったのだろう。「心ひとつで暖かくなる」とか、「可憐な花を」「髪にかざして」とか、昔は精神主義だったんだと思った。サムッ!

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回復の見込みの無い病気とどう向き合うのか

2022年11月13日 17時56分01秒 | Weblog

 友だちが「感動した」と言った『サイレント・ブレス』(南杏子著 幻冬舎文庫)を読み終えた。著者の南さんは1961年生まれ、日本女子大を卒業し出版社勤務を経て、医学部に学士編入し、卒業後は都内の大学病院老年内科に勤務している。

 小説のテーマは副題に「看取りのカルテ」とあるように、「人の最期」を扱っている。5人の最期の様子が、ひとりの女性医師の目で細かく描かれている。現場を知っている著者だけに、小説とはいえ内容がとてもリアルだ。

 病人を受け入れた医師は、回復に向けて全力で取り組む。病院は病気の人を助けるための施設である。病気の人が病院へ行くのは、病気を治療して欲しいからだ。だから医師は患者からいろいろ聞いて、診察し、診断を下して治療に当たる。

 私も高齢になって分かったことは、回復しない病気があることだ。どんなに苦しい治療であっても、元気になれるなら我慢もできる。けれど先回、十二指腸潰瘍の手術を受けて、もしこれが回復の見込みの無い病気であれば、そっとしておいて欲しいと思った。

 私としては充分に生きてきた。確かに井戸掘りはまだ途中だけれど、私でなくても仲間の誰かが担ってくれる。たとえ、井戸が完成しなくてもそれは仕方のないこと、私の生きている目的では無いし、今更生きる目標など考えられない。

 カミさんがコロナ感染して、結婚以来ずーと一緒に寝てきたが、床を別々にした。病院に入院していれば、そこの医師が死亡診断書を書いてくれるが、病院の世話にはならないとなると、自宅で治療を受けることになる。

 私が使っているこの部屋にベッドを1つ置き、在宅医療の医師に診てもらうことになるのかとあれこれ考えてしまった。「看取り」を専門とする病院がこの街にあるのだろうか。その医師は、私が望むような医師なのだろうか。

 長女のダンナも「医師は治療だけでなく、人生観というか哲学が求められる時代になりました」と言う。高齢者だけではなく、不治の病に襲われる若い人もいる。回復の見込みの無い病気とどう向き合うのか、医師の苦悩もよく分かるが、私たち自身がどう考えるのかが大切だと思う。

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覚悟しなくてはならない時が必ず来る

2022年11月12日 18時43分35秒 | Weblog

 毎回、ダメだったと書くのは癪だけど、守山区での井戸掘りは今日も進展が無かった。どうしても5メートル程のところから鉄管が入っていかない。鉄管の中に塩ビ管を入れて、エンジンポンプで水を入れ、鉄管を下げようと打ち込んでもしてもビクともしない。鉄管を引き抜いてみようとしたが、これも全く動かない。

 鉄管そのものにエンジンポンプから圧力をかけて、水を流し込んでみたいけれど、鉄管とエンジンポンプを繋ぐ方法が見当たらない。依頼主は「もう一度、鉄管を打ち込んでみますか」と言う。先輩は、「確かにあと50センチか1メートルも下げれたら、水は出ると思う」と話す。

 先輩が、「何とかして、井戸を掘ってあげたい」と涙ぐんでしまう姿を見て、私も身の締まる思いがした。いつも楽天的で、ちゃんと考えていてくれるのかと心配になる先輩が、感極まって涙声で決意を語るのはそれだけ真剣な証拠だ。私としても先輩を支えなくてはと強く思った。

 地下の砂利層というか、拳くらいの石の層を突破できなければ、水脈にたどり着けない。今ある鉄管をさらに打ち込むか、それとも場所を変えて、もう一度挑戦するか、悩むところだ。思いついたことは何でもやってみる。それでダメなら諦めもつくが、やらずにダメと思ったら悔やむことばかりになってしまう。

 私たちは成功例に甘えてしまっていた。こんなに困難な井戸掘りは初めてだ。石が多くて掘れなかった時はすぐに諦めたのに、もうすぐそこに水脈があると思うと諦められない。さあー、どうする、明日は雨降りのようなので休止にしたが、19日・20日で水が出なかったら、覚悟しなくてはならない。

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秋になるといつも悩む

2022年11月11日 18時32分05秒 | Weblog

 秋になるといつも悩む。花の終わった鉢の土を全部出して、地中に残っている根を取り出してきれいにする。こんなに丁寧にやる必要があるのだろうかと思いながら、相変わらず1鉢1鉢ブルーシートの上にひっくり返して作業を続けている。

 バラの鉢は随分少なくなった。アジサイも幹が大きくなりすぎて、根が伸びきれないためにバラ同様に瀕死の状態だ。まだ咲きそうなアジサイを残して他は処分している。処分したバラとアジサイの鉢が残っているので、どうしようかと思案している。

 土の入った鉢を並べて置くだけでは余りに寂しい。誰にも見てもらえない鉢植えの花園だが、自分が楽しければそれでいいのではないか。確かに私も歳を取り、しっかりと花たちの世話が出来なくなっているが、それでもやれるうちはやろう。

 そんなことを堂々巡りのように考えながら作業をしていた。日中は汗ばむくらい暑かった。小学校の運動場から集団で下校する子どもたちの声が聞こえる。この子たちが大人になる頃は、日本はどうなっているのだろう。いや、そもそも世界はどうなっていることだろう。

 いつも二科展に招待してくれる作家から案内をいただいた。明日、地元の「ふれあい文化祭り」に出展するから見てくださいというものだ。気安く「あい分かった」と言ってしまってから、明日は井戸掘りだったと気が付いた。

 慌てて何人かの友だちに案内をFAXで送ろうと思い、FAX番号を問い合わせるが無しのつぶてだ。そもそもが私のミス、申し訳ない。作家は誰かに見てもらってこそやりがいを感じる。自分が必死で考えて創り出した作品が、誰の眼にも止まら無ければやり切れない思いだろう。

 明日の井戸掘りは絶対に水が出て欲しい。気が滅入ることばかり続くと何もかも嫌になってくる。

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卒業生3人と名古屋芸大および昭和博物館へ行く

2022年11月10日 17時42分21秒 | Weblog

 外は穏やかな秋晴れ、気になっていたクレマチスを大きい鉢に移し替えようと朝から頑張った。1つ目が完成し、余りに根詰めて作業を続けていて時間を忘れていた。カミさんは名古屋へ出かけているから、万が一ルーフバルコニーで私が倒れたら迷惑になる。

 「水分を補給しなさい」とも言われているしと思い、部屋に戻ったら正午前だった。昼食を用意して食べ終わったので、もうひと踏ん張りしようと思っていたら電話が鳴った。卒業生が「マンションの下にいる」と言う。名古屋芸術大学での写真展を見に行くから一緒に行かないかという誘いだった。

 私が初めて担任をしたクラスの子たちで、今年で70歳を迎えているから、見た目には私とそんなに変わらない。名古屋芸大の西キャンパスにある展示棟で、カーデザイナーの永島譲二さんの作品が展示されていた。電話をかけてきた男は高校生の時から車好きで、トヨタ自動車に就職した。

 彼は車の雑誌で永島さんを知っていて、展示に興味を抱いたようだ。永島さんはオペルやルノー、BWMで車のデザインにかかわったが、展示されている作品はカーデザインではなく、雑誌に掲載された車をテーマにした水彩画だった。水彩の使い方など見事で、添えられている文章も面白かった。

 彼が「大学のカーデザイン教室を見たい」と言うので、受付の女の子に伝えると教室まで案内してくれた。教室内を見ていると先生がやって来たので、工業高校の卒業生であると話すと、「今、永島さんが学生に教えているから、見ますか」と言ってくれる。車好きの彼は遠慮することなく聴講生となった。「いやあー、参考になったわ」と満足そうだった。

 その後、北名古屋市の「昭和博物館が見たい」と言うので案内した。地下駐車場に置かれた古い車に感動し、3階の博物館へ上がる。受付嬢が私の名前を呼び掛けてくれたが、私の方が覚えていない。「この歴史民俗資料館が開館した時からいます」と言う。私が地域新聞で書いたことを覚えていてくれたのだ。

 卒業生3人と、「懐かしい」などと話しながら見て回る。東芝の作品があると写真を撮り、東芝に就職した同級生に「送ってやろう」と言う。卒業して半世紀以上になるのに、仲がいい。明日の「同級生新聞」が楽しみだ。

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