友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

朝ドラの言葉と弔辞

2019年05月21日 18時25分59秒 | Weblog

 葬儀の参列者は私を含めて4人しかいなかった。葬儀の最後に、4人目の身体の小さな男が、祭壇に向って「弔辞」を読んだ。早稲田大学の同級生で、「彼はゲタをはいて学校へ来るバンカラ者でした」と言う。私は洋服を買う金が無かったから、1年生の間は高校の時の学生服を着ていたが、彼は「早稲田魂」を体現していたようだ。

 ゲタが禁止されると草履を履いて抵抗したそうだ。「ベトナム戦争反対や学費値上げ反対のデモにも参加した」と言うから、その時はもう靴を履いていたのだろう。さすがにゲタや草履ではデモできないから。彼の反骨魂はその時からのものらしい。公の席でも作務衣を愛用していて、役所の職員から「背広で」と言われても聞かなかった。

 遺影もその作務衣姿であった。弔辞の最後に友人は、「ふっくらと作務衣‥」と俳句を詠んだのに、続きを聞き逃してしまった。「同窓会に来る時もいつも作務衣だった」と話してくれた。酒は全く飲めなかったのに、飲み仲間に付き合い、相手の好物も忘れない気配りの持ち主だったが、「短気なところがあって、続いていた友情を些細なことから遮断してしまった」と嘆く。

 NHK朝ドラの『なつぞら』は、私たちの大学時代よりも7・8年前の東京に舞台が移った。最近のNHKドラマはウソっぽくて真剣に見ていないが、この朝ドラは「いいことを言うねえ」と思うセリフがある。北海道の場面では同級生のテンヨウ君の言葉がすごかった。私は自分の高校の時と比べ、あんなに哲学的な言葉が出てくることに敬服した。

 今朝も、主人公が描いた絵を見せ、「アニメーターになれるでしょうか」と尋ねると、マダム(?)は「(自分の)不安を誰かの言葉で解消するのはよくないわ。その不安と戦いなさい」と答える。人には他人の言葉で安心したい気持ちがある。日常の会話ではほとんど何も気が付かないが、こうして言葉を文字にすると、なるほどと思うことがある。「ふっくらと作務衣」の続きが気になっている。

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また一人旅立ってしまう

2019年05月20日 17時27分27秒 | Weblog

 大雨の予報だったが、午前中は風が強かった。その風が静かになったように思い外を見ると、シトシトと雨が降っている。今晩は通夜が行われる。雨降りは嫌だけれど、土砂降りや強風交じりでなければありがたい。亡くなったのは同年の男で、私は同年の集いで知り合った。ちょっと偏屈なところがあり、同年の集いに出てこなくなった。

 彼は写真が趣味で、集いの時は集合写真はもちろん参加者個々のスナップ写真を撮り、アルバムにして渡してくれたこともあった。そういう技術を身に着けているのは頭がいい証拠でもある。子どもの時の彼がどんな子だったのか私は知らないが、中学校から有名な私学へ通っていたようだから、親にそれだけの財力があり、彼はそれに応えられる学力があったのだろう。

 私が生まれ育った所はここよりも幾分大きかったが、彼が通った有名中学校へ進学した同級生はひとりしかいない。その友だちは、「席は成績順でとても厳しい」と嘆いた手紙を送ってきた。彼もまた、成績重視の学校の中で苦労したのだろうか、それとも逆手にとって楽しんでいたのだろうか。同年の集いが初対面だったのに、同好の仲間と思ったのか、処分に困ったDVDをプレゼントされた。

 彼が同年の集いに来なくなったのは、「写真は集合写真の1枚でいい。もらっても遺影にもならない。女性たちは、毎年衰えていく自分を見たくないと言っている」と幹事のひとりが彼に話したのがきっかけだった。彼は激怒して、写真にどれだけお金がかかるか、明細をプリントして来た。彼としては言わばボランティアでやっているのに、ケチをつけられたと思ったのだ。

 彼は区長として堂々と苦言を呈したり、あるいは恵まれない人たちのために働いたりしていた。独特の価値観や美意識は、なかなか広く皆さんに受け入れてはもらえなかった。そういう点でも、私に同じ体質を感じたのかもしれない。

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マンションの草取り

2019年05月19日 17時34分04秒 | Weblog

 天気予報がはずれて、今日は気持ちのよい晴れ日になった。朝9時、マンションの草取りと池の清掃に参加した。今年は参加者が多いように思った。今日は、子ども会の映画鑑賞日だったので、子どもたちは並んで学校へ出かけて行った。「昔は子どもたちに草取りを体験させる行事だったのにねえ」とおばさんたちは「不手際」を口にするが、子ども会の役員にすれば、学校全体のスケジュールを優先せざるを得ないだろう。

 子どもたちの参加がなくても結構な人数になっているのは、「顔を出さないときまりが悪い」雰囲気があるのだろう。出られない人を非難しない雰囲気の方が気持ち良いのに、なかなかそういかないのが人間の社会だ。昨日までに、建物の南側は雑草をきれいに刈り取ってくれたので、今日は日陰の部分だけだったから参加者にはありがたかった。高齢の女性の指揮の下、各所でワイワイガヤガヤ、おしゃべりをしながら作業が進んでいく。

 お隣さんとあるいはご近所さんと、初対面の人とも、おしゃべりをしながら作業をすることで、マンションの親睦に大いに役立つ。役員の時は、誰がどんな性格なのかを見極める機会でもあった。だから積極的に輪に入って、話を聞いた。今日も「草取りは好き」という女性に出会った。「ウチのお父さんは何もしゃべらないから、私はいつもひとりでしゃべっているの。こうして皆さんと話ができるのは幸せ」と言う。

 「今度、結婚する時は絶対に大恋愛で、おしゃべりが好きな人とする。サンマさんみたいな人がいい」と言うので、「サンマさんと結婚した大竹しのぶさんは、外でも家でも変わらない過剰なサービスに嫌気がさしたと言うよ」と茶化すと、「それは大竹さんが賢いから。私はアホだから大丈夫。生まれ変わるなら大阪人ね」とニコニコしながら言う。もう一度生まれ変わって、結婚生活をやり直したい、そんな「夢」を描く女性もいることに、私は少々ビックリした。

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友だちからの忠告

2019年05月18日 17時53分56秒 | Weblog

 毎日、ブログをチェックしてくれている友だちから久しぶりに電話があった。「バラはどう?今盛りじゃーないの、ブログに載せていないね。せっせとチューリップやバラの手入れをしているようだけど、今年は一度も出てこないね」と言う。いつもはケイタイで写して、パソコンにメールで送り、ブログにアップするのだが、メールがつながらないのだ。

 一通り世間話をした後で、「そういえば『最後の恋』などと書いているけど、なんかイヤラシイね。あなたはさわやかな人だと思っていたけど、意外と欲深いんだね」と皮肉を言う。私は我欲が強くて俗っぽい人間だが、人前では無欲で清貧に見えるように振る舞っている。多分、根の部分も表の部分も私であることは間違いない。

 私は中学・高校とキリスト教の教会に通っていたから、新聞部の友だちには「求道者」と揶揄されていた。大学生になって、みんなで合宿をした時、私は自分を観察して、「人間は欲望の塊だ。理性はそれを隠すために生まれた。醜い欲とすまし顔の理性を併せ持っているのが人間だと思う」などと話したら、友だちが泣きじゃくってつかみかかってきた。彼がなぜ怒ったのか、いまだに私は理解できていない。

 彼は女の子をすぐに好きになる「クセ」だったから、同調してくれるかと思ったが、私などよりはるかに純真だったのだと思う。電話してきた友だちは、「ギラギラ脂ぎっていて気持ち悪い」とまで言うが、人の欲はそんなものだろう。川端康成氏が『眠れる美女』を書いた心境はそういう晩年の男の夢だったのだろう。

 気持ちの悪いほど耽美的で、それ故に何の生産性もないが、人は老いると視野の狭い、自分だけの快楽へ落ちていくような気がする。趣味に没頭したり、健康に人一倍気を遣ったり、一点しか見えなくなってしまう。悲しく情けないが、それが現実のように思う。

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丸山穂高議員の発言

2019年05月17日 17時05分48秒 | Weblog

 「日本維新の会」の衆議院の丸山穂高議員は、北方領土への訪問団に顧問として参加し、あろうことか団長に、「ロシアが混乱している時に、取り返すのはオッケーですか?」と問いかけ、団長が質問に戸惑っていると、「戦争をしないと、どうしようもなくないですか」とけしかけるように言う。「領土は武力で取り返せ」と考える丸山議員の本心が出てしまったのだろう。

 「日本維新の会」の松井代表は、「国会議員としてあるまじき行為と発言だ」と述べ、「維新の会からの除名」を発表した。さらに、「議員を今辞めるべきだ」とも述べたが、丸山議員は自身のツイッターで「無所属にて活動する」として、辞職はしない意向を明らかにしている。丸山議員は1984年生まれ、東大卒で経済産業省に入省したエリートだが、以前にも飲酒でトラブルを起こしている。

 「日本維新の会」には、丸山議員の他にもトラブルメーカーがいる。足立康史議員で、この人の発言もえげつない。足立議員は1965年生まれ、京大卒で経済産業省に入省したエリートである。「卒業した大学と品格は関係ないみたい」と評論家から揶揄されていたが、いったい彼らは何を学んできたのだろう。「日本維新の会」のメンバーはエリートが故に他人をバカに見て、人の基本がわかっていない気がしてならない。

 「発言は自由」と言う人がいる。まったく当然で、それが守られなければ専制国家になってしまう。けれど議員は公務員で、現憲法を守る立場にある。一般市民が何を考え、どう発信しようと自由であるが、議員は立場が違うことを学んでいない。経済産業省の役人であった時は言えなかったが、議員なら構わないと思ったのか、「日本維新の会」にはそんな風潮が漂っているのかもしれない。

 「武力で取り戻せ」と丸山議員が考えたのは、彼は戦場ではなく、安全な場所にいるからだ。戦場に追いやられるのは、「戦争などしたくない」と思っている若者たちだ。「戦争のない世界」をどのようにして実現していくのか、エリートたちには本気でそれを議論してもらいたいと思う。

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飲み放題の利き酒会

2019年05月16日 17時04分57秒 | Weblog

 昨日、「飲み放題の利き酒会があるから」と誘ってもらったので、どんな会なのかと行ってみた。外食産業の見本市のようで、ビールや日本酒やワインなどが飲み放題になっていた。またそれぞれの食品企業が目玉の食べ物を出していて、かなり会場は込み合っていた。しかし、食べ物の方は小さなプラスチックの容器に少ししかないし、ワインも酒も「利き酒」程度にしかなった。

 私は、この見本市がどのように運営されているのかには興味が湧いたが、各ブースを回って食べ物や飲み物を集めるほどの元気はなく、会場の片隅でどんな人たちが来ているのか観察していた。飲食店に関係なさそうな若者のグループもいて、宴会状態に盛り上がっていたが、ただ酒やただ飯を目当てに来ているグループがあるのに、出店した効果はあるのだろうかと余計な心配をしてしまった。

 各ブースには若いきれいな女性が配置されているから、観察して回る楽しみはあった。ビール会社のコーナーには、こんなに露出して寒くないかと思うようなコスチュームを着せられて、笑顔を振りまく女性たちがいた。背が高くスタイルはいいし肌もきれいだ。色白でヘソが深く窪んでいる女の子に見とれていたら、友だちに「次へ行きましょう」と急かされた。

 無料で酒を振る舞う見本市を見ていると、「やっぱり日本は豊かな国だな」と思った。「ふるさと納税」に何十億円も投入されるし、資金が足りないとSNSで呼びかければ何十万円もすぐに集まる。優しい気持ちなのか、個人主義なのか、よく分からないが、自分の金が何かの役に立つならと投資する人はかなりいる。見本市を企画した会社も、食べられない子のための「子ども食堂」に寄付していた。

 無料であることを喜ぶだけでなく、食べられない人や生活に困っている人たちにも目が目けられる気持ちの余裕が欲しいと思う。受けるだけでなく、与える側になれる環境と仕組みが生まれる社会になるといいと思う。夕食は近所の中華料理店で、4人で生ビールに焼酎、食べ物を8品取りひとり1500円だった。

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青年座『みすてられた島』を観た

2019年05月14日 18時11分07秒 | Weblog

 友だちに誘われて、久しぶりに名演の5月例会・青年座の『みすてられた島』を観てきた。昼間ということもあって、会場を埋め尽くしている人たちは私と同年配の人ばかりだ。私を誘ってくれた友だちは杖なしでは歩けないが、そんな人たちが多かった。私が初めて名演の演劇を観たのは22歳の時だったから、50年以上も昔になる。おそらくその時の人たちが、今も名演を支えているのだろう。

 『みすてられた島』がどこにあり、どれくらいの面積や人口なのかは分からない。時代は近未来と考えていいだろう。日本が戦争し、その後始末の中でその島は「見捨てられ」、独立国家を目指すことになる。日本国憲法を下敷きに、独立国家の憲法の草案をみんなで考える。日本国憲法は戦争放棄を謳いながらなぜ戦争に突き進んでいったのか、喧々諤々の論議が続く。

 どんなに小さな島であっても、国家である。もし、「攻め込まれたらどうする」という意見が多数を占める。「軍隊を持たなければ国は守れない」と主張する。すると、軍隊を持てる収入があるのかという現実が突き付けられる。国家の基本は弱者のためである。小さな島である国家は弱者であるから、軍事でなく言葉で解決していくことがよいのではという結論に向かっていく。戦争をしない国家の指針である。

 重いテーマを議論する舞台は難しい。重さを取り除くためにコミカルな演出になっていたが、それはよかったけれど、不倫や恋愛などが織り込まれてきて、ストーリーとしては欲張り過ぎに思えた。島の経済をどうしていくのかの議論の中で、経済成長に頼らず、自然と人情こそ宝と考えるようになっていく。不倫騒動を起こした女性を島中の人たちが排除する中、女性を好きになりながら彼女を守られなかった自分を責める場面も、新しい価値観を暗示しているようだった。

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気ままに、そして気楽に

2019年05月13日 17時46分28秒 | Weblog

 朝、カミさんを役所まで送っていった。施設見学と講演があるらしい。「車は自由に使えるわよ」と言われて、出かけることも考えたが、薄曇りで作業をするにはもってこいの天候だったので、真っ直ぐ家に帰った。洗濯物を干し、食器を洗って、ルーフバルコニーへ出た。作業しているとつい時間のことを忘れてしまう。一区切りつけようと立ち上がって時計を見ると、午後1時を過ぎていた。

 午後は日差しがきついので屋外での作業を中止し、県に提出するNPOの資料を作ろうとするがどうも気が進まない。カミさんを迎えに行く前に、ホームセンターでサルビアを見てみようと出かけたがよい苗が見つからない。買いたい本もあったので久しぶりに本屋へ行ってみた。運転しながら、見えているのになぜかよく見えない気がした。高齢者の交通事故が頭を過る。

 何時からなのか分からないが、起きている時は鼻で呼吸しているのに、横になると鼻が詰まり口呼吸になっている。そのためなのか、最近、咳がよく出る。はじめは目もショボショボするから花粉症くらいに思っていた。ところが夜中でも激しく咳き込むことが何度かある。痰がからむというか、鼻水が喉に落ちて、喉がムズムズするからどうしても咳き込むことになるようだ。

 土曜日に私を呼び出して、食べたかった「ひつまぶし」をペロッと食べてしまった先輩は、「これが身体の健康と心の健康に一番いい」と言う。80過ぎの高齢者になって、カミさんは入院してしまい、ひとり暮らしを強いられ、自分も身体が不自由なので好きなものが食べられず、ストレスが溜まっていたようだ。食べながらしゃべり、しゃべりながら食べ、「話す相手がいるのはいい」と笑った。

 みんなそれぞれに老いを迎え、それぞれに苦労している。ルーフバルコニーのバラは真っ盛りだが、まだメールがつながらないので、写真をアップできない。いずれ出来るようになるだろう。気ままに、そして気楽に。

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母の思い出

2019年05月12日 17時21分26秒 | Weblog

 私の母は明治40年生まれだから、私は37歳の時の子である。上には14歳違う姉と15歳違う兄がいるが、私と兄の間にはもうひとり兄がいたが、「幼くして亡くなった」と聞いた。母は知多半島の先端の農家の長女だった。母の実家には刀が飾ってあったから、百姓といえどもいざという時は駆けつける役割だったのかも知れない。

 祖父が亡くなったのが何時なのかは知らないが、私は祖父を知らない。田舎の農家に生まれた母だったが、なぜか女学校まで行かせてもらっている。母がいくら勉強家であったとしても、祖父の許可と援助がなければ女学校へは行けなかっただろう。母は教師となり、たまたま2歳年下の代用教員の父と出遭い、恋に落ちたようだ。

 母は人に頼まれると断ることができないし、物乞いがやってくれば何でも気前よく渡していた。世話好きで優しい母であったが、私は一度だけ、物差しを振りかざして追いかけられたことがある。小学生の頃だ、私が「姉の家の方がよっぽどいい」と母に向かって言った。母はそばにあった物差しを持って怖い顔で、「もういっぺん言ってみなさい」と声を荒げた。

 私は必死で逃げたが、あんな怖い母を見たのは初めてだった。母はよく笑った。それも大きな声で馬鹿笑いをするので、私はいつも恥ずかしかった。父の静に対して母は動の人で、理屈よりも行動の人だったし、高校野球のラジオ中継に一喜一憂する感情的な人だった。2歳年下の妹が中学生になったばかりの時に倒れ、1年後に亡くなる時、病室のベッドで姉に、妹のことを「頼むね、頼むね」と何度も繰り返していた。

 病気知らずの健康な身体が自慢だったのに、長年の無理が蓄積されていたのだろう。結局、母は幸せな人生だったのだろうかとフト思う時がある。好きな男と一緒になり、男の夢に賭けた母は負けず嫌いだったから、「幸せだった」と言うに違いない。今日は「母の日」。

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元号が変わっただけなのに

2019年05月11日 17時50分24秒 | Weblog

 元号が変わっただけなのに、まるで新しい時代が到来したような熱狂ぶりの報道には驚いた。平成から令和へそして東京オリンピックというだけで、お祭り騒ぎである。おまけに、新札の図案まで発表され、時代が一新されるような「印象操作」だ。次の選挙で安定多数となれば、「新憲法」の制定へと突き進むことだろう。

 「天皇制の歴史は、天皇の利用者の歴史」と評論家の林達夫氏は指摘したが、その通りである。他の国では、王を倒した者が次の王となるのに、日本では王の権威を利用して権力を保持してきた。藤原氏も武家も明治政府も変わることなく、天皇制を維持し利用した。それは日本人の体質であって、皇室を敬ってきたこととは違う気がする。

 前政権を倒しても、新政権の力を見せつけようとすれば、莫大な力と金をつぎ込まなくてはならない。「虎の威をかる狐」の方が手っ取り早いし、国民も「また政権争いか」くらいにしか思わないので、新政権に反旗を翻すこともない。ズルズルといく伝統的な日本型政治スタイルなのだろう。

 明治新政権を革命政権という人もいるけど、私には下級武士が天皇制を利用したもので、江戸政権が豊臣政権にとって代わったのと変わらない気がする。もちろん、明治政権は時代の要請に対応しなくてはならなかったから、革命的な制度を次々に打ち出したが、そんな革命思想を持っていたとは思えない。

 安倍政権は、「令和元年という新たな時代の始まり」を土壌にして、念願の「現憲法の9条に自衛隊を明記する」だろう。「国民に寄り添い」「丁寧に、真摯に説明し」「納得していただく」ことになるのだ。私が子どもの頃、素晴らしい憲法だと思った「9条」は「ウサギの顔をしたオオカミ」となってしまう。

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