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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

自分が生きて見せるしかない

2010年05月05日 20時16分37秒 | Weblog
 今日はこどもの日。フジテレビの朝の番組で、子どもたちに大人への言い分を聞いていた。「大人は勝手だ」「言うだけのことをやっていない」というようなことが多かった。至極、当然な答えだと思う。私も子どもの頃の「大人感」はそんなものだった。大人は嘘つきだとまでは思わなかったけれど、勝手が良すぎるとは思っていた。自分たちの尺度でものごとを決め、それを子どもに押し付ける。押し付けておけば、子どもたちはそれに従うと思っているが、それは子どものことを思ってというよりも、自分たちにとって都合が良いためだ。

 中学や高校で生徒会の役員をやって、全て大人たちが勝手に決めていると知った。生徒手帳に生徒会規則が載っているが、「これは君たちのための約束だ」と生徒会顧問は言う。いったい、何時、誰が決めたのか。生徒のためのものであるのなら、生徒が自分たちで作り直すことだってかまわないはずだが、「そういうものではない」と言う。生徒会の規則もまた生徒会の行事も、あらゆることが生徒の自由にはならない。それなのに「全ては君たちのためなんだ」と言う。

 大人になったなら、そういう勝手な大人にはならないつもりだった。自分の都合だけで子どもに嫌なことを押し付けないつもりだった。しかし、自分が大人になってみると、やはり私が子どもの頃の大人たちとそんなに変わらないことをやっている。私はできるだけ子どもを叱らないようにして育ててきた。「テレビは仕事に疲れた大人が見て楽しむものだから、子どもはそんなに長く見なくてもいい」とか、勝手な理屈で子どもたちを押さえつけてきた。

 5月5日と10月10日は、家族でハイキングに行く日と決めつけ、東海自然道など子どもにとってはかなり大変なコースを歩かせた。長女が大きくなると長電話が日常的となった。初めは放っておいたけれど、聞き耳を立てていたわけではないが、聞こえてくる話は全く今話すことが必要と思われないことばかりだ。先ほどまで一緒にいたのに、また同じことを繰り返している。「長電話はやめなさい!」と怒ったことがあったけれど、後から考えてみれば嫉妬からくる怒りだった。自分たちの子どもの頃にはできなかったことをやっている子どもへの嫉妬なのだ。

 時代が違うのだから、それを認めなくてはならない。そこで私は、自分の価値観というか自分の考えというか自分の基準みたいなものについて、子どもたちに無理やり聞かせたし見せた。子どもたちに私の考えに従わせようというものではない。受け入れなくてもいい。少なくともあなたたちの父親とはこういう人だったと伝えておきたかった。どうしても生きてきた時代が違うし、考え方や価値観も違う。違って当たり前だ。同じだという方が気味が悪い。

 テレビでは「子どもたちが未来に希望が持てない」ことを問題にしていた。毎日、テレビや新聞で、こんなにも未来がないような報道がされているのだから、子どもたちがそう思うのも無理はない。「子どもたちも責任を共有しているとを教えるべきだ」と言う人もいたけれど、子どもたちは大人社会を見ているのだから、大人がどんなに叫ぼうが憂ようが、彼らの時代は彼らしか作れない。だから私たちは自分が生きて見せるしかない。
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早く引退した方が良いのかもしれません

2010年05月04日 19時46分59秒 | Weblog
 真夏のように暑い日だった。次女夫婦は千葉県へゴルフに出かけると言っていたが、1泊したのなら今日の暑さには参ったであろう。長女は家族4人で知多半島へ出かけていった。ダンナと孫娘のふたりが自転車で走り、長女と赤ん坊は車で伴走すると言う。先ほど、サイクリングのふたりの写メが送られてきた。私は写真を見ながら、この暑さだから熱射病にならなければよいがと余分なことを考える。

 我が家から孫娘が長女夫婦のところへ行ってしまい、カミさんはなんとなく寂しいのだろう、「(孫娘のことを)考えなくてもいいから楽なんだけど、でもちょっと物足りないわね」と言う。それは孫娘に限らず、居た人が居なくなればそれだけで寂しいものだ。飼っていたインコがいなくなった時も寂しかった。孫娘はきわめて自然な形で長女夫婦と暮らせるようになったのだから、ジジババとしてはそれだけでありがたいと思う。

 思春期の女の子に新しい父親と仲良くやれと言っても、それはうまく行くものではないだろう。孫娘もかなり抵抗があったが、長女はじっくりと時間をかけて、孫娘の気持ちを大事にしながら、少しずつ近づけていったのだろう。長女に相談にのってもらったという人がいたけれど、懐の深い人になっていたようだ。お酒は飲めないのに、飲んだ人以上にノリがいいのが彼女の特技のように、人の心を捉えることにも長けているのだろう。

 「あなたはいつもいいかげんなんだから、そりゃー選挙事務所の女史がいらつくのは当たり前よ」とカミさんは私を非難するが、長女や次女を見ているとウチの子どもたちは母親に似てよかったと思う。今日、鳩山首相が就任後初めて沖縄を訪問した。そこでの発言は「県外移設と考えていたけれど、現実的には不可能。沖縄の皆さんには恐縮ではありますが」などと支離滅裂である。選挙前であったから何を言ってもいいのか。選挙後でも「国外への移設」を口にしていたし、「最低でも県外移設」と言ったのはいったいなんだったのか。

 沖縄の人々が怒りを抱くのも当然だろう。こんなにもデタラメな発言が許されるのなら、これまで自民党政権のデタラメさを攻撃してきたこと、そのものがインチキだったということだ。「あなたは鳩山さんと一緒で、口先だけ。何ひとつ実行できないのだから」とカミさんの非難が聞こえてきそうだ。同じように見えるかもしれないが、私は鳩山さんほど軽くないと自分では思っているのだが、実際にテレビで鳩山さんの言動を見ていると、全くどうしようもない「宇宙人」だと、他人のことはハッキリと見える。

 ここは黙って、冬物を仕舞い、夏物を取り出し、せっせと働く以外ない。鳩山さん、あなたさえしっかりやってくれていたなら、私は引き合いに出されず非難されることもなかったのですよ。やはり、いっそのこと早く引退した方が良いのかもしれませんね。
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自分が考える

2010年05月03日 20時00分39秒 | Weblog
 長いこと放っておいたルーフバルコニーの植木鉢を初夏向けに並びなおした。植木の手入れもしなくてはならず、水遣りや枝打ちそして雑草抜きなどを行なった。植木などは本当に正直で、私が手をかけなければ枯れてしまうかあるいは花が小さくなってしまう。愛情を持って育てていればそれなりにキチンと応えてくれる。昨年、買って来た薔薇は大きく成長し、見事な花を咲かせてくれた。これを維持していくためにはいっそう手間をかけなくてはならない。

 中学校からの友だちが、かつて彼が書き上げた「悲しい詩」を読み返している。悲しいのは実らない恋だからである。プラトニックに徹したいと思う気持ちと、それを超えようとする気持ちが繰り返す様子を見事に表現している。不倫の恋の悲しさである。超えたいけれど、そうすることで失うものが怖い。ここには、愛情を持って育てていけば大きく実るものがない。正直に応えようとしてもそれは出来ない。家族がある男女が好きになることは、そうではない男女のようになぜ育てることが出来ないのだろう。

 彼は「愛しているよ 愛しています やっぱり あなたのものにはなれないの 言葉の重さが気になって 時間がいつもの速さで過ぎていく 遭ってから とめどない愛の繰り返し 12年間 余りに愛するが故の繰り返し」と書いている。彼は欲情を抑えることこそが人としての生き方と考える。結婚した男女がその相手以外の人に恋することは洋の東西を問わず、古代から問題になってきた。それくらい守りにくいものなのだ。いっそのこと、自由にしてしまったらという考えの集団が生まれたこともある。

 今日は、憲法記念日。自由恋愛を謳う憲法が生まれたなら面白いのにと思うのは私だけなのだろうか。そんなことになったら滅茶苦茶の世の中になってしまうと言う人は圧倒的に多いだろう。人は人間をそのように理解していることの表れだ。5月1日の朝日新聞に「地方議員の役割」が特集されていた。議員になったばかりの人が私に「たとえば、堤防の雑草を刈ってくれと頼まれたら、役所にその人と出かけていって頼んでもいいんでしょうかね」と尋ねて来た。私は「何を大切に考える議員かということだ」と前置きして話した。

 議員は公正・公平・透明であるべきだ。こんなことがあった。マンションでは管理費や修繕費を集めているが、ある人が「私は1階に住んでいるので、エレベーターは使わない。それでも修繕費が同額では不公平だ」と言った。そういう人にどう答えたらいいと思うかと彼に聞いた。「難しいですね」と言う。「自分の考える公平とはこういうものです」と答えられることが大事で、それで説得できなくても仕方がない。民主主義は必ずしも多数が正しいわけではないし、ましてや真理ではないのだから、みんなでどう考えるか、徹底的に話し合って至った結論に従っておこういうもの。

 悲しい恋の話からかなり逸れてしまったけれど、実際はそれぞれがどう考えるかに落ち着くと私は思っている。
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そんな気もした

2010年05月02日 23時19分20秒 | Weblog
 朝、国立海浜公園へ出かけて行ったけれど、やはり長蛇の列で、これでは駐車場すら到達できそうになかった。次女に「諦めて帰る」と告げる。そこから常磐自動車道に乗り、ひたすら東京へと向かう。都心から出かける車は多くても、都心に向かう車は少ない。きわめてスムーズに高井戸までは進むことが出来た。東京は渋滞が当たり前のところだから、誰もがイライラした様子を表さない。走っては止まり、止まっては走って、杉並・世田谷と通り抜ける。

 東京はケヤキ並木が多くあり、新緑に包まれていた。ツツジや場所によってはフジが咲き誇り、人々は5月の連休を楽しみにしているようにすら思える。それでもやっと、調布まで車を進めることが出来た。ここまでくれば後は中央道へ乗り込むばかりだ。ところが八王子から相模湖辺りまでがノロノロ運転である。上り坂のための自然渋滞だ。相模湖を過ぎると、突端に車はスムーズに走る。

 甲府を抜ければ諏訪まですぐだ。諏訪から伊那へ、そして恵那山トンネルを抜けると中津川だ。ここまでくればもう家までは目と鼻の先だ。孫娘に、「今日はどうしていますか?」とメールをする。昨夜、次女の家で、買ってきたタコを私が料理した。次女は気持ち悪いと言いながら、それを写メールで孫娘に送ったのだ。孫娘は気持ち悪いと言わずに、「ああ、いいな」と返信してきた。だから、今日は何をしているのかと気になったのだ。

 ところが家族4人で横浜へ来ていると返信があった。しかも、渋滞で帰りは夜中になりそうだとある。そうだろう。私も昨夜からのニュースで、東名高速は渋滞となりそうだというので、やはり帰りも中央道を走ることにしたのだ。久しぶりに高速道路を長距離走ったが、無茶な車の運転には出会わなかった。高速道路が出来た頃はものすごいスピードで走る車が結構いたけれど、そういう無茶な運転は本当に少ない。

 確かに昔に比べれば車の量が圧倒的に多い。そのために、無茶な運転が出来ないのかもしれない。どこのサービスエリアもパーキングも込み合っていて、整理をする係りがテキパキと裁いていた。おかげで、嫌な思いもせずに車の旅を楽しめた。天候にも恵まれ、そして適当な渋滞がかえって安全運転を作り出していた。そうか、渋滞という一見マイナスの要因が実は安全運転というプラスを生み出していたのだと知った。

 そういうことは、私たちの社会ではあるように思う。昨夜も次女夫婦を相手に、私たちがどんな風に子育てをしてきたのかから始まって、これからの社会がどうなっていくのか、種々多様な話になってしまった。今日の最も恵まれた社会が逆の世界への入り口であったり、だからこそ、それはこれまでの社会とは違う構造への変化への入り口でもあるという、そういうマイナスとプラスが場所を入れ替える時期に至っている。そんな気もした。
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偕楽園はもう一度行きたい

2010年05月01日 17時23分54秒 | Weblog
 次女のダンナは仕事で出かけて行った。休日なのに管理職は大変である。働き盛りの時はみんなそんなものだったかなと思いながら、ダンナが出かけてから起床する。朝食を済ませてから、「今日はおさかな市場で魚を買って、おいしい回転寿司でお昼ご飯ね」と娘が言う。別にどこへ行きたいというわけではないから、「ああ」と了解する。

 車で向かう途中に、国立海浜公園がある。駐車場に入る車の列が続いている。「帰りに寄ろうね」と言っていたが、とても入れそうにない。まずはさかな広場へと向かう。港の一角に設けられた土産専門の店に人々があふれている。カミさんは友人らに買って帰る干物を物色して回っている。新鮮で格安というけれど、大量に買う人には確かに値打ちだろう。

 今晩のおかず用に刺身を買おうとするが、適当な量のものがない。それでもいろいろと買い、お目当ての回転寿司へ向かう。ネタは新鮮で大きめがここの売りのようだけれど、だからと言ってそんなに食べられるものではない。孫娘は上手に注文して食べるけれど、私は苦手で、追い立てられるような気持ちでどうも落ち着かない。なぜかすぐにお腹がいっぱいになってしまう。

 せっかく茨城に来たのだからということと、車にガソリンを入れるためとが重なったので、水戸でお茶でも飲もうと出かけた。水戸城はあったのだが今は官庁街があるだけで、城郭は存在していない。梅の季節ではないけれど、偕楽園へ行ってみようと出かけたことが良かった。梅林は思った以上に広い。それによく手入れされている。ツツジが満開を迎えようとしていた。

 ツツジを背景にケイタイでふたりの写真を撮ろうとしていた男女がいた。難しい恰好をしているので、「撮りましょうかと言おうか」と言うと、「いらないことはしてはダメ」と娘が言う。「ああやって、いちゃいちゃしていることがいいんだからね」。なるほどそういうものか。「ああいう時代があった?」と聞いてみる。「あったわよ」と娘は言う。そうか、いつまでも甘えているようにしなさいとまた、余分なことを言いそうになる。

 偕楽園の売店に、青い花が空にまで届きそうなほどの観光ポスターが貼ってあった。「これはどこですか?」と尋ねると、朝方に通ってきた海浜公園だと言う。「今が花の盛りですよ」と教えてくれた。だからあんなにたくさんの車が並んでいたんだ。さっそく娘が公園に問い合わせると、「午後5時で閉園です」と言う。娘の家でインタネットで調べてみると、スイセン、ナバナ、チューリップ、ポピーなど、夢の花園という感じだ。青い花はネモヒィラといい、この公園の名前にもなっている。

 「明日の朝、行ってみよう」とカミさんは言う。家にたどり着くのはいったい何時になるのだろう。
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