友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

悪徳な政治家と車も携帯も持たない聖人

2016年06月01日 18時15分31秒 | Weblog

 業者から口利き料を受け取っている甘利前大臣は嫌疑不十分で不起訴となった。選挙で掲げた公約を守れなかった安倍内閣不信任案は否決された。公私の区別のつかない舛添知事の金の問題はあやふやのままだ。なるほど、これが日本の現状だ。今朝から台風並みの風が吹き荒れ、ルーフバルコニーのバラやサルビアが悲鳴を上げるように枝を震わせている。

 不謹慎なことを言うと、ビッキーさんのような妻のいる人に、あるいはその逆に夫のいる人に、恋することを非難したくない。人はいくつになっても恋するものだから、そこは上手にやって欲しい。けれど、政治の世界は全く別だと思う。言葉巧みに適当なことを言って、上手に泳ぐ人は信用しない方がいい。ブレーキの役目を果たすと言いながら、権力の座に留まることばかりの政党はみんなの支持を失うだろう。

 『ピースあいち語り部の会代表』の斎藤孝さんから、「私はゴルフ、麻雀、パチンコをしません。車も携帯も持たず、映画も見ません。テレビも定時のニュースと寄席番組程度です。パソコンは操りますが、インターネットはやりません。アナログ人間です。ものを書くことを覚えておいて、よかったと思っています」と手紙とともに句集や随筆集を送っていただいた。

 戦争体験の語り部をされているから80代ではないだろうか。俳句の仲間たちとだろうか、「今回は近場の桜を訪ねました。案外知られていない平和公園、瑞穂区弥富ケ丘町の桜並木、三河の桜淵講演などです。持参のワインを楽しみながら桜を愛でるのもいいものです」と『桜巡礼』に綴っている。そして、「句会、読書会、落語の会、美術展、クラシック・コンサート、芝居鑑賞などにも忙しい日々です」とある。

 「小学生の頃、『よく学び、よく遊び』と言われましたが、これは今でも実践しています」と言うのだから頭が下がる。私は凡庸で世俗的で欲深く、とうてい斎藤さんのような聖人にはなれないと手紙を読んで思った。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 役割を終えたものの務め | トップ | 秘密のメモ書き »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事