友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

映画の思い出

2016年03月02日 17時18分40秒 | Weblog

 私が最初に見た映画は洋画で『ジャンヌ・ダルク』だった。しかし、まだ小学校に入学する前だったという記憶だから、正確ではない気がする。父も母も家族で出かけた。目玉をえぐりとる場面や火あぶりにされるなど、残酷な映画だったのに、どうして家族で観に行ったのか不思議だ。大きくなってから観た映画と記憶が取り間違えているのかも知れない。

 映画館の入場料がいくらだったのか分からないが、小学生の頃はよくひとりで観に行った。祖母は映画が好きで、私を連れて行ってくれた映画館は日本映画ばかりで、長谷川一夫とか市川雷蔵とかの時代劇だった。ひとりで行く映画館は洋画が主だったが、時々芝居もやっていた。映画館に入ると、ストリップショーが行われていた時もあった。子どもでも入場させてくれたのかな?と不思議に思う。

 映画の前に上映されるパラマウントニュース(?)で、当時の世界を知ることが出来た。アイゼンハワーが大統領になったことやソ連がハンガリーに戦車で攻め込んだことも映像で観た。スポーツニュースもあり、バスケットボールとアメリカンフットボールの試合は野球よりも圧巻だった。アメリカンフットボールをやってみたいと思った。アメリカ映画は西部劇が中心で、大平原を幌馬車や駅馬車が疾走し、インディアンが追いかけるストーリーが多かった。

 マーロン・ブランドが主演した西部劇で初めて海を観た。悪者が誰なのか分からない映画で、これまでの勧善懲悪のストーリーとは違っていた。西部劇ではインディアンは悪者だが、なぜ悪いのかは分からない。白人がやって来て、インディアンの土地を奪っていくのだから悪いのは白人にある。1972年、マーロン・ブランドはインディアンへの差別的表現に抗議し、アカデミー賞の授賞式を欠席し受賞を拒否した。次第にインディアンを悪者にすることや南北戦争の南軍を悪者にする映画は無くなった。

 1970年代はアメリカでベトナム反戦運動が渦巻いた。ヒラリー・クリントンもその渦中にいた。何が善で何が悪なのか、単純な思考から脱け出す時代の始まりだった。


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