男の子を出産したばかりの孫娘と、カミさん、次女とその娘、長女のところの小5の孫娘が、ラインで会話している。出産の時の様子とか赤子の様子とか、話題は尽きない。次女の5歳の娘は乳歯が生え代わる時のようで、グラグラの前歯を恥ずかしそうに見せていた。
画面を4つに分けて、それぞれの様子を同時に見ることが出来る。凄い時代になった。私は会話が出来て、メールが出来るならそれで充分なので、「スマホにしたならこんなことも出来る」と誘われても、頑強に「これでいい」と断っている。いろいろ覚えるのが面倒なのだ。
検索はもっぱらパソコンに頼っているが、パソコンも私の知らないうちに、何がどうなったのか更新している。メールはやりにくくなったし、写真は編集出来ないし、フェイスブックを見ていたら知らない人がお友だちになっている。有料動画の広告も入ってくる。
テレビでユーチューバーを取り上げていたけれど、いったい何が面白いのか私には理解できない。動画を掲載することでお金になるという仕組みも分からない。でも、小5の孫娘も、5歳の孫娘も、「何しているの?」と聞くと、「ユーチューブを見ている」と答えることが多い。
スマホの操作は彼女たちの方がよく知っているようで、カミさんは孫娘に教えられて会話に参加しているが、終わると「ああ、疲れた」と言う。孫たちの話についていけないからだ。「そうね、そうねと相槌だけ打っていれば」と言うのだが、「知らないことが多すぎる」と零す。
私たちの時代は終わったと自覚しなくてはいけない。いつまでも自分の時代と思うのは間違いだ。悲しくても、情けなくても、仕方のないことだ。時代はいつもそうして受け継がれていく。曾孫はまだ昼夜逆転しているらしい。そのうち慣れるよと伝えておこう。
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