マンションの中庭の築山が、新緑に燃えている(写真)。マンションは紡績工場の跡地に建てられたが、その時のコンクリート廃材を積み上げて築山にした。50年以上も経ち、こんなに立派な森になった。
築山の西は子どもたちが遊ぶ広場で、その西に集会所と池がある。マンションの売主は凝り性で、池に面した集会所の裏手には本格的な茶室があり、かつては初釜などの行事も行われていた。入居者の平均賃金も高く、「文化レベルが高いマンション」と呼ばれていた。
今は、落ち葉で池の水が濁るので、水は抜かれ、底が見えている。築山の樹木も大きくなりすぎて、何本か伐採された。南側の桜も何本か切り倒された。年月が経てば様相が変わるのも仕方ない。高度成長期に入居した人たちは、戸建ての自分の家を求めて出て行った。
マンションの周りには学習塾や音楽教室、書道教室などが多くあったが、今は少なくなってしまった。50メートルのプールを備えた水泳教室は、今は市の小中学校の水泳教室で利用されている。夏休みになるとガランとしていた駐車場が、今は平日でも車が止まっている。
私たち世代の子どもたちも、社会の中核を背負う50代40代となっている。我武者羅に働けば何とかなった私たちとは違い、働く場所も方法も様変わりしている。そして、変わることなど無いと思っていた価値観も大きく違っている。
企業は生き残るために、人員削減をするという。それで企業は生き残れたとして、働いていた人々はどうなるのだろう。働かなければ賃金が入らないから物は買えない。物が売れなければ利益が出ない。税金が入らなければ、福祉に回す予算は組めない。どんどん悪い連鎖が拡がっていく。
新緑の季節、気持ちが良いはずなのに、なぜか重い空気が漂っている。明日は診断書を頂きに、日赤病院へ行かなくてはならない。
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