友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

なぁーんだ、そうだったんだ。

2018年11月28日 17時24分47秒 | Weblog

 なぁーんだ、そうだったんだ。26日のブログで、送り主の分からない小包をどう扱ってよいかと困っていると書いた。翌日、小包を発送した会社からメールが届き、「当店ではご注文いただいたお客様からの、お受取人様への配送商品である可能性が高くなっております」とあり、「当店から注文者様へ『お受取人様へご一報していただくように』ご案内いたします」とあった。

 爆発物とか高額の商品を送りつける詐欺とかいう心配は無くなった。わざわざ私宛に品物を送ってくるような人は娘たちしか考えられない。仙台の次女とカミさんがラインで会話していたので、「何か送ってくれたの?」と聞くと、「何のこと?」と聞き返す。「ブログに書いた小包のこと何だけど」と言うと、「読んでいないから知らない」と答える。これで、次女が送り主ではないことが分かった。

 夜になって長女から、「ごめん。知らせておけばよかったね」とメールが届いた。長女も不審な小包に困惑していた私たちのことは知らない様子だった。つまり、長女も次女も私のブログの読者ではないことがはっきりした。娘たちにすれば、「いつも、同じことばかり書いてる」ということだろう。私の価値観や考えを押し付けられてきた彼女たちにとっては、「ウンザリ」という訳だ。

 今日、姉の見舞いに妹夫婦と行って来た。中学・高校からの友だちがブログで、姉がやっていた喫茶店に出入りしていたばかりか、「店内のボックスのソファーで一夜を明かしたことは一度や二度ではなかった気がする」と書いていたので、姉の娘なら覚えているかも知れないと聞いてみたが、「知らない」と言う。まだ小学生の低学年だったから無理はないかも知れない。念のために姉にも聞いてみたが、やっぱり「知らない」と言う。過去の記憶を失っている姉に聞く私が愚かだった。

 自分のことでもよく覚えていないことは結構ある。親子・兄弟でも関心のないことは忘れてしまう。人は自分に都合の悪いことは記憶から消していく。私は姉から、彼が店で泊って行ったと聞いたことはない気がするが、聞いていても忘れてしまったのかも知れない。ブログで読んでも、姉と彼ならあり得ると思ってしまい、何も不自然に感じなかった。それにしても娘たちは父親のブログに無関心とはちょっと寂しい。


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