安倍首相の「女性が活躍できる社会」とはどんなイメージなのだろう。安倍首相の本音は、労働人口が減少傾向にあるから働き手として社会参加なのだろうけれど、やはりどういう社会にするのかが不可欠な気がする。それは、管理職の30%を女性にするとか、保育園を増やすとか、労働時間を短くするとか、それ自体は必要なことだが、それでいいのだろうか。若い女性たちに「働くよりも専業主婦がいい」という声が根強いのはどうしてだろう。
専業主婦を長く続けて来た女性に「望みは何ですか?」と聞いてみた。彼女の答えは「お金があったらいい」と超現実的だったので驚いた。けれどこれが現実なのだろう。彼女は趣味の教室にも通い、スポーツクラブにも属し、女子会と称する飲み食いの会や旅行など、何不自由なく暮らしている。けれどもどこかで、「主人に養ってもらっている」と思っているのだ。家計は握っているけれど、主人の下の会計係でしかなく、誠実に業務をこなしているが、自由に使えるお金があればともう少し楽しいはずと想像しているのだ。
結婚して「家事はお互いに分担しよう」と決めていても、現実にはうまくいかない。社会が男を主にしているから、夫は「食事当番なので」と早退は出来ないし、妻も「子どもの具合が悪いので」と当然のことでも周りに気遣いながら帰ることになる。家庭を大事にすれば、「仕事に打ち込めないヤツ」と見なされてしまう。妊娠すれば、「子育てに専念した方がいい」と暗に退職をちらつかされる。「猛烈社員でなければ働くな」という風潮がなくならないと、何も変わらない。
イタリアへ旅行した時、昼間にワインを飲み、カンツォーネを朗々と謳ってくれた農夫の老人に「あなたの生き甲斐は何ですか?」と尋ねた。老人は得意な笑顔で、「人生を楽しむことさ」「働くのは楽しむためだよ」と教えてもらった。楽しむのは男だけであってはならない。男も女も同じように人生を楽しめる、そういう社会全体の意識とそのための仕組みが生まれてくることが必要だと思う。
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