友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

小説のような幕切れ

2024年08月22日 18時36分29秒 | Weblog

 盆が過ぎたのに暑い日が続いている。子どもの頃、祖母が「お盆を過ぎたら海に入ったらだめだよ。ご先祖様に足を引っ張られるからね」とよく聞かされた。確かに盆が過ぎると、海も川も水が冷たくなっていた。

 盆過ぎになると私は忙しくなった。後回しにしてあった、夏休みの宿題をやらなくてはならない。その度に、どうして宿題なんかあるのだろうと思った。中3の夏休み明け、私は担任に「宿題は提出しません」と宣言してしまった。ど叱られると覚悟していたが、「そうか」の一言だけだった。

 高校1年の夏休みに、新聞部の仲間6人で「くらがり渓谷」へハイキングに出かけた。山の中だから結構涼しい、私はみんなを先導して歩いた。途中でにわか雨に襲われたが、ホンの一時、雨宿りして過ごした。けれど、道がぬかるんだりして大変だった。

 道が小川で途切れていた。私は先に立って岩に登り、一人ひとり手を引いて導いた。新聞部には貴重な女性部員がひとり居て、彼女の手を握った時、その柔らかさにときめいた。女性の手を握ったのは初めてだった。中学の時、フォークダンスで女生徒の手を握ったはずなのに、全く違う感じだった。

 同じ新聞部の男友だちから、彼女のことが好きだと告白され、自分の出る幕は無いと悟った。私にとって初恋の人は、中1で出逢た彼女が運命の人なのだと思ったのに、彼女を遠くから眺めるだけで何もしなかった。高2の時、彼女の家が新築され、私を含めて数人の友だちが呼び集められた。

 彼女の家で何度か、トランプで遊んだことを思い出す。高校生になれば、川端康成の『伊豆の踊子』や伊藤佐千夫の『野菊の墓』の世界が訪れると、私は思い込んでいた。手を触れることも無く、ただ、「あなたが好きなのは、あなたが思い描いている人なのよ」と言われ、まるで小説のような幕切れがやってきた。


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