友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

梅も椿も

2010年02月26日 23時47分49秒 | Weblog
 雨降りである。椿園を見たかったけれど、雨ではダメだろうと諦めた。それよりももっといいことがあった。オリンピックのフィギェアスケートは浅田真央選手が銀メダルだった。安藤美姫選手は5位、鈴木明子選手は8位だったが、選手は誰もとてもよい演技で、甲乙付けがたかった。ただ、浅田選手だけは硬かった。気負いが現れていた。やはりメダル獲得の重圧が彼女にのしかかっていたのだろう。それは、金メダルとなったキム・ユナ選手だって同じことだから、そのほんの少し、重圧に負けなかったか否かの違いなのだろう。日本からの3人がこれほど活躍したのだから、大きな拍手を送りたいと思う。

 重圧と言えば、選挙もまた大変である。現職だから安心などということはない。ただ、現職は行政にかかわるいろんな組織に直接働きかけることが出来るから強い。あってはならないことだけれど、たとえば区長とか町内会長とか自治会長を使って後援会への入会を呼びかける。これらの人から声をかけられては、なかなかはっきり断ることは出来ないのが日本人だ。入会をしてしまったとしても、実際の選挙では他の人に投票しても分からないからかまわないはずだけれど、そう割り切れないのも日本人の特徴のようだ。

 議員選挙の時には応援していた人々も、首長選挙となると「表立って応援できない」と言う人が出てくる。1対1の選挙の怖いところだ。表立って出来ないという根拠は、「あなたの支持者と分かってしまうと困る」と言うのである。どうして困るのかと聞くと、「あちらに目を付けられると行政からの補助とか援助がもらえなくなる」「行政の施設が借りにくくなる」「いじめられる」といった答えが返ってくる。そんな理不尽なことが実際にまかり通るような市や町であってはならない。だからこそ、新しい感覚の、公平で公正な行政を打ち立てていかなくてはならない。

 選挙になると途端に日頃の関係がギクシャクするのもつらい。信頼できると思っていた人が、全く当て外れだったりした時はガッカリである。日頃は見えなかった本音が見えたりして、つらい思いもするけれど、逆もあるから、自分を信じ、人を信じてやる以外にない。選挙も恋愛と似ているのかもしれない。相手がどう思っているのだろうか、無意識に確かめながら進めていくのだろうが、自分がまず全てを注がなければ相手は振り向いてもくれないだろう。確かに、一方的な片思いであるが、片思いであるからこそ全身全霊を傾けなくては結実しないだろう。

 梅は早くも8分咲きとか。そういえば、この近所の梅もかなり咲いている。日本人が最初に関心を持ったのは梅の花だったようだ。桜が話題になるのは江戸時代からという。長い冬に終わりを告げる、可憐で匂いが優しい梅を愛した気持ちはよくわかる。椿は日本ではよく見られるといわれている。子どもの頃の雑木林の中には何本かの椿があった。椿も梅もなんとなく清楚で美しい。冬の寒さを耐えてきた花の美しさなのだろうか。
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