友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人生は出会い

2010年02月27日 22時48分57秒 | Weblog
 選挙の説明会に出席したら、大勢の皆さんからギョギョッと見られた。「出るの?」と言う人もいれば、私が「出ませんから安心して」と答えると、歓びの表情の人もいたし、「出ないの?」とガッカリする人もいた。昔、よく話した職員にも何人か出会ったが、どういうわけかメタボスタイルになっている。「どうしたの?よほどラクしているんじゃないの?ボクが市長になってその体型を変えてやらなきゃいかんな」などと冗談が気楽に言えるようになった。職員の人たちも、合併したけれどこんな具合でいいのだろうかという漠然とした危機感を抱いているようだった。

 この後は、5回目の「60歳の集い」に出席した。これまで出席のなかった市長が挨拶に現れた。4月に選挙を控えているので顔を出されたのだ。同じ席に居るのだからと思い、イヤミを承知で話にいった。市長は「ご迷惑をおかけしています」と言われるけれど、それは迷惑を受けているということなのだろうか?意味不明の言葉だったけれど、それはいつものことなので、市長の慌てようを見て、なぜだか私の方が落ち着いてしまった。

 そういえば、自分が選挙には出ないと決めたせいなのか、私は陽気に振舞うことが出来るようになった。女性たちはヨソの土地から来た人が多いけれど、男性の場合はやはり地元の人たちが圧倒的だ。ヨソモノ組みには分からない「チャン」とか「クン」と呼び合っている。司会進行役が「同窓会ではないんだから、地元の連中だけで固まるな」と言い聞かせたと言っていた。そんな中にありながら、5年もこうした会が続いていると、いつのまにか親しくなった人たちが増えて、何だか私も地元の仲間入りをしてしまったような態度になって来ている。

 同じ時間を過ごしてきたということは、そういうものなのかもしれない。私の隣の女性が「明日は私の誕生日なんだけれど、孫達も含めて14人も集まってくれるのよ」と話しかけてくれた。子どもは女の子ばかり3人だけれど、その婿たちもみんな仲が良くて、いつも何かにつけて集まってくれるそうだ。私の中学のクラス会の打ち合わせの時も、旅行などに出かける時に息子が「これ」と言ってお金を渡してくれるし、孫もどこかへ出かけると「ババお土産」と渡してくれるという話をしていた女性がいた。すると、もう一人の女性が「どうやってそんないい息子や孫を育てたの?」と感心していた。

 今日の5回目の「60歳の集い」もそうだけれど、大げさに言えば、人生はいつも出会いだと思う。出会いがつながりになっていけば、豊かになるし、つながっていかなければ、寂しい人生になる。小学校までは内気で消極的な子どもだった私が、これではイカンと思うようになって、出来るだけ積極的に人前に出るように、自分から努めた。するとつながりができるようになった。そうすることで性格を変えることは出来ると実感した。人はなりたいものになろうとする気持ちがあればなれると思う。
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