友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

兄貴のような人

2017年11月10日 16時18分32秒 | Weblog

  オキナワスズメウリが真っ赤な実をつけている。友だちから頂いて、5鉢に3本ずつ15本を育ててきたが、今はもうすっかり葉も茎も枯れている。どうしたらよいのか、聞いてみなくてはと思っている。今晩は新任の時の仲間が集まる。私たちが新任の時に、面倒を見てくれた体育の先生がいた。「帰るぞ」と号令がかかると、私たちはそぞろついて行った。学校のそばの酒屋でまず立ち飲みである。

 私は日本酒が飲めなかったので、何人かで1本のビールを飲んだ。そこで話がまとまれば、「行くぞ」と声がかかる。ストリップショーを見に行くか、もう少し飲み屋らしい店に行った。その後、どうなったかは知らないが、高級なクラブとかバーには行くことはなかった。先輩たちは皆結婚していたのかもよく知らない。独身の私たちは「行くぞ」と言われればそのままついて行った。

 あの頃は先生になれば組合に入るのが自然だったので、先生も組合員だったと思う。組合員でも全員ストに参加した訳ではなく、ストになるとかなり乱れがあった。私たち新任は、組合員ならスト参加と何も疑っていなかった。学校の懇親会の席で、私は生活指導部長からビールを注がれ、「今に分かる」と言われたことがある。その帰りのバスの中で、若手と古参が対立することがあった。養護の先生が古参の先生に無理やり別室に連れて行かれそうになったからだ。

 日頃は古参の先生を立てる先輩がこの時は激しく怒った。そんなこともあって、先生は若手のリーダーのような存在だった。私たちにとっては懐かしい先生なので、「集まりにご参加ください」と案内したが、「今回は先約があり参加できないが、ぜひ皆さんに会いたい」と断りのハガキが届いた。私の兄と顔つきも話し方も似ていて、私には「兄貴」という存在だった。あの頃は、30歳は超えていると思ったがハガキに「77歳になった」とあるから、4つしか違わない。私の周りは、なぜか年上の友だちが多いのもこの頃からのようだ。


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