友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

私には納得できない

2010年05月30日 20時27分50秒 | Weblog
 カミさんは今朝、山梨県まで「同窓会ゴルフ」に出掛けて行った。東京の友だちと山梨で落ち合ってゴルフをしようというのである。今朝はそれほどではなかったけれど、ゴルフの時は午前5時起きのケースもある。たかが遊びのために、仕事の時よりも早く起きて出かけるという感覚が私には理解できない。「車、自由に使っていいから」と言ってくれたけれど、結局どこへ行くというあてもなく、一日中家にいて鉢の土の入れ替えをする。

 土いじりというのは、何も考えずに黙々と体を動かすだけなので、時間も忘れてしまう。お昼は何にしようかと考えていたはずなのに、なぜか面倒臭くなって、パンにソーセージにレタスと牛乳になってしまった。それも別に急ぐこともなかったのに、短い時間で食事を終え、再び作業にかかろうとしたが、日差しと風のために断念した。ひとりでいるのだから誰に気兼ねをするわけでもないのに、どうしたわけか昼寝をせずに身の回りの片づけを始めてしまった。

 台湾旅行の写真を整理していて、自分が年寄りになっていたことを知った。自分ではまだ若いつもりでいるような気がしていたけれど、肉体はもうすっかり老人である。写真はウソをつかないと言うけれど、そう思うとガッカリする。何時だったか学者がテレビで、人間の身体は絶えず分子だったかが入れ替わっていると言っていた。外形は変わらないのに、その中身である肉体はどんどん入れ替わっていると言う。入れ替わっているのに、老化しそして朽ち果てていくというのも実によくできている。身体は老化するのに、心は老化しないのだろうか。

 台湾旅行から帰った時、カミさんは「レートが下がって大損した」と言う。「おかしなことを言わないで」と言った。別に両替で儲けようとしたわけではないし、投資をしたわけでもない。行く時に台湾元にいくらかで替え、持ち帰った台湾元が下がったとしても、「大損した」とは大袈裟すぎる。「あなたは経済オンチだから何も分からないのよ」と言うけれど、どうも私には納得できない。

 今朝のテレビ討論でも、石破元防衛大臣が「最悪の事態を考えて備えることが政治でしょう」と盛んに民主党をやり込めていた。民主党の議員は「おっしゃるとおりで、私たちもそのようにやってきた」と弁明に努めていた。「最悪の事態」や「現実の危機」を強調されれば、「備えを強化する」以外に道はなくなる。こういう議論が私には納得できない。普天間基地の移設で、どこも来ないで欲しいと言う。戦争は嫌だと言う。「戦争やりましょう」と言う人はひとりもいない。これは国民の現実ではないのか。世界の人々の現実の声ではないのか。

 だったら政治は戦争を無くすことに全力を挙げるべきだ。「核軍縮」ではなく「核廃絶」に向けて取り組むべきだ。「最悪の事態」や「現実の危機」などというものは、架空のものでしかない。怠け者の政治家が口にする絵空事でしかない。世界中の人々が望んでいるのは、戦争のない世界である。自分だけ、自国だけ、という考え方が、実は非現実的なのだと、どうして人は気付いてくれないのだろう。

 さて、晩御飯にしようかな。
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