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波乱万丈、我がままなピアフの48年

2024年08月06日 17時30分18秒 | Weblog

 朝8時から9時まで、NHKテレビで「広島平和記念式典」をしっかり観た。そして午後1時、何気なくNHKBSで、映画『エディット・ピアフ 愛の讃歌』を観た。面白くなければ切ればいい、そんな気持ちだった。なのに、3時20分の終わりまで観続けてしまった。エディット・ピアフがフランスの有名なシャンソン歌手であることは知っていたが、その生涯については全く知らなかった。

 第1次世界大戦は1914年に始まっているから、ピアフは戦乱の最中に生まれている。映画はパリの下町で始まった。ひとりの女の子がいじめられて泣いていた。通りかかった婦人が声をかけ、「お母さんは?」と尋ねると、女の子は路上で歌う女性を指さす。婦人は女性に向かって、「あなたは母親失格よ」と叱りつける。

 母親は路上で歌うことで日銭を稼ぎ、娘を養っている。父親となる男は大道芸人で、傍には居ない。娘が熱を出しているところに父親が戻って来て、娘を連れて行ってしまう。けれど、父親は娘を、娼婦館を経営する自分の母親に預けて旅に出てしまう。娼婦館で働く女がピアフを可愛がってくれるが、再び父親がピアフを連れ出してしまう。

 凄まじい幼年期だったことに圧倒された。やがて、ピアフもパリの路上で歌を披露する。聴いていたカフェのオーナーが店で歌えと言ってくる。15歳のストリートシンガーの誕生である。ところがピアフは16歳で妊娠し、出産するが、2歳にならないうちに子は死んでしまう。映画では酒を飲み、はしゃぎまわり、慎み深い面は全くなかった。

 第2次世界大戦、ドイツ軍の占領下にあったパリでもピアフは歌い続ける。ドイツ軍の捕虜となったフランス兵を助けている。戦争が終わり、ピアフはプロボクサーと恋に落ちるが、プロボクサーはピアフに逢いに来る途中で飛行機事故で亡くなってしまう。彼は妻子持ちだったので、「家庭を壊す気はない。逢えればいい」とピアフは願っていた。

 波乱万丈のピアフの生涯は、人に寄り添うというより、自分勝手でわがままで、どうしようもないモルヒネ中毒のように見える。「過去は取り返せない。前を向いて行くしかない」とピアフは覚悟していたが、わずか48年の生涯だった。


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