ミリオン座で映画『ゲッべルス』を観て来た。何ともよく分からない映画だった。ゲッベルスはヒットラーの片腕と言われた人、私はゲッベルスがヒトラーとどのように出逢い、何をしようとしたのかに関心があったが、映画ではそれが分からなかった。
映画では宣伝大臣と言われた彼が、いかにヒットラーを盛り立てたのかを主に描かれていた。今の時代でも生きていれば、かなりの宣伝マンであっただろう。でも、宣伝することで何を得たかったのかはよく分からない。
ヒットラーに次ぐ地位にまで登り詰めたが、それで何がしたかったのだろう。ただ単に権力の座を得たかったのかも知れないが、博識で芸術にも精通していたゲッベルスなのだからと、勝手に期待したのが誤りだったかも知れない。
私がヒットラーを本で読んだのは小学生の時だった。雑誌の付録だった気がする。世界の偉人の特集で、ヒットラーは非道な悪人ではなく偉人だった。第1次世界大戦で敗北したドイツは周りの国から賠償を求められ、国民はどんなに働いても貧しかった。
ヒットラーはそんな国民の不満を背景に支持を伸ばしていった。ゲッベルスも社会主義がドイツを救うと信じていたようだ。なのにふたりは、なぜユダヤ人の排除に走ったのだろう。ユダヤ人が国の金融を握っていたと、その付録にはあったが、それにしてもなぜユダヤ人を殺さなければならなかったのか。
映画は最後に、生き残ったユダヤ人の老婆が「排除しても何も変わらない。認め合って生きていくほかない」と呟くが、今も尚、国境線を取り合ったり、対立した部族の排除にやっきになっている人間の愚かさを克服できない。
ヒットラーのような人は必ずいるし、ゲッベルスのような人もいる。それは仕方ないことかも知れないが、そんな人に振り回されることが無い人間にならなければと思う。情報量が桁違いに豊富な現代、良いのか悪いのかも分からない。
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