友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人生を決めるのは時間

2007年04月06日 23時57分24秒 | Weblog
 時間が人生を決めると以前書いた。
 勉強でよい成績を上げようと思うなら、人よりも多く勉強すればよい。多く勉強するというのは簡単なことで、人が2時間勉強するところを3時間勉強するということである。そんなことで成績が上がるのかと信じられない人がいるだろうが、本当である。人より1時間多く勉強すると、1年で365時間も多く勉強することになる。これは普通に勉強する人では追いつけない時間である。1日24時間ぶっ通しで勉強しても15日間もかかるわけだから、つまりそんなことは絶対にできないというわけだ。毎日コツコツ勉強する人に、一夜漬け人間は勝てないことの証明である。

 考えてみれば、良い成績を上げた人、素晴らしい演奏のできる人、とにかく名を上げた人は人よりも2倍も3倍も努力している。勉強でいうなら時間を費やしているのだ。いや何もしていませんよ、などと謙虚なことを言う人がいるが、実は本人は何もしていないつもりでも他から見れば、人の2倍3倍の努力を払っている。ところが本人は楽しんでやっているので、「何もしていない」という言葉となるのだろう。

 それでも、同じ時間を注ぎ込んでいるのに差が生まれるではないか、と反論される人もいるだろう。確かに人よりも多くの時間を同じように、厳密に言うなら同じように2時間なり3時間多く注ぎ込んでいるのに、この人の間に差が生まれてくる。この差が生まれるのは勉強の方法、練習の方法によるようだ。勉強でも練習でも、その方法がその人に合っていれば必ずその人は他の人よりも秀でることができる。

 勉強にしろ芸能にしろ、人よりも秀でる人は必ずより多くの時間を費やしている。つまりは努力しているのだ。天才は努力が99%というわけである。天才がいかにも天分と見られるのは、天才は努力を努力と自ら思わないし、人もそのように見ないからだ。何も努力しないで人は決して天才にはなれない。

 ところが、人には素質というものがある。私は勉強で成績を上げたければ人より多くの時間を注ぎ込めば必ず上げるとわかったができなかった。時間を注げば上げるとわかっているのにできなかった。人には努力できることとできないこと、夢中になれることとなれないことがあるようだ。つまり、素質というか能力というものが人にはあるのだ。秀でた人というのは、時間を費やせば成績が上がるとわかるだけでなく、実際に時間を費やす能力のある人なのだ。私は理屈はわかったが、いざとなると努力を払う能力というか素質がなかった。還暦を過ぎてそのことがよくわかった。孔子流に言うなら、還暦を過ぎて知るというわけである。
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