友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

音楽のまち

2011年12月04日 19時10分55秒 | Weblog

 市内の9つの音楽団体が一緒になって、市民音楽祭が開かれた。合唱の団体が4つ、吹奏楽の団体が4つ、それに1つの管弦楽団である。詳しく調べたことは無いけれど、人口8万人ほどの小さな市でこれだけの音楽団体が存在するのは珍しいのではないかと思う。私の知る限りでは、今日出演していないコーラスグループがまだ3つはあるし、大学のグループまで入れたなら相当な数になるだろう。今はコーラスよりも楽団が人気なのか、当初の頃に比べると演奏者が増えている。本当に「音楽のまち」にふさわしくなってきた。

 

 この町に文化会館を造る時、建物を造っても活用されなければ意味が無いと考えた。幸いにもこの町には芸術大学があり、音楽学部がある。「音楽が溢れている町にしましょう」と首長に持ちかけたところ、「それはいいね」と二つ返事をもらった。「音楽好きの市民を集めて、オーケストラを作りましょう」と話すと「全て任せる」と言うので、指導者の確保と楽団員集めにかかった。芸術大学の学長に話して、指導してくださる人をお願いした。しかし、私の希望は「音楽が好きなら、楽器は初心者でもかまわない」楽団員の募集である。これを飲んでくれるだろうかと心配したが、「いいですね」と言ってくださった。それで私が作っていた新聞で楽団員を募集した。

 

 中には本当に初心者の人もいて、教える側は大変だったのかも知れない。初めの頃は練習日には顔を出し、皆さんが困っていないかと見させてもらった。若い楽団員が多かったから、「この中で結婚するようなケースが生まれたなら最高の喜びなのに」と、楽団員をからかったりしていた。ところが本当に結婚するカップルが生まれてくれた。私も長女に楽団に入るように話していたのだが、娘は仕事がきつくて練習に参加することが難しくなり、楽団員との結婚という私の夢は実現しなかった。そんな、よちよち歩きの市民オーケストラだったけれど、年々腕を上げ、今では他の市民管弦楽団にも負けない実力のある楽団に成長したと思う。ここまで育ててくださった指導者の皆さんに心から感謝である。

 

 音楽にしろ、舞台にしろ、芸術のジャンルは、やればやるほどお金がかかる。「好きなのだから本人たちが負担するのは当たり前」という考え方もあるが、人と芸術(ようなもの)は切り離せないと思う。人類は喜びや悲しみと共に、それを表すことで互いの感情を共有してきた。それが磨かれ芸術となっていった。音楽とか舞台とか絵画とか物語とか、人はそれらと接することで満たされてきた。「芸術なんかよくわからん」と言う人もいるけれど、その人だって演歌は好きで自分でも歌ったりする。本は読まないと言う人でも映画や写真は見たりする。人は全く生産性の無いことにも興味を抱き、感動もする。

 

 だから、芸術は身近に溢れていた方が心豊になる。芸術で生活することは大変なので、市民芸術家は余技としてあるいは趣味として、活動することが多い。それでも、発表しようとすればお金がかかる。芸術に触れ、喜びを受ける側が、少し援助することで活動が継続できる。そんな「音楽のまち」に成長していくなら、素晴しく気持ちよく生活できるまちとなると思う。

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